第四章 1 〇小さな仲直り
魔の山の横を流れる大河は水源の一部を王都に持つ。そして、魔の山や周囲の丘などの地下水などを集めて大河へと至るのだ。王都に近い場所には橋がかけられ、川幅が広くなるにつれて川は深くなり橋がかけられなくなる。魔の山からはその様子がよく見えた。
馬車で通ることもできる道を風月は歩いていた。護衛には適当に切ったような茶色の髪を持つ女性がついていた。マントも右腕の籠手もしてないためにわかりづらいが神域の騎士第六席、レルキュリア・アストス。セスタリスだ。武器を作ることに秀でているらしい。風月の武器も担当するのだが、それがどうなのか風月自身も知らない。
そんな男女二人旅。木漏れ日がまぶしく、風が気持ちいいハイキングになることもあったかもしれない。しかし、風月とレルキュリアの仲は険悪を通り越して最悪だった。
発端はそもそもレルキュリアが風月に対していい感情を抱いていないことから始まった。自由に武器を作っていいはずだったものが、風月の武器を作ることになったことも原因の一つだ。しかし、最大の理由はそこではない。
第一、風月は邪険に扱われたからといって気にする方でもない。
本来は馬車で行けるところまでは馬車を使う予定だったのだ。神域の騎士には王から特殊な魔術が施された馬車が下賜されるのだが、レルキュリアはその性格が災いし、馬車を破棄していた。
理由は炉の火力が足りないから。燃料欲しさにレルキュリアは馬車を解体して炉の中へと放り込んだという。それで東の国土の果てまで行くのが遅れるというのに、道中を楽しめる風月にとってマイナスでもなかった。
では何が理由なのか。
それに答えるには酒場でのある応酬が関わっている。
『このコインについて聞きたいんだが……』
『500円硬貨か。俺が売ったやつ』
『やっぱりお前か。これの作り方を聞かせてくれ!』
『いや、知らん』
『でもこんなすごい彫金を――』
『それ俺の国のお金だし……。質問を質問で返すようで悪いけど、むしろ自国のお金の作り方を詳細に説明できる奴のほうが少なくないか?』
この直後、レルキュリアの堪忍袋の緒が切れる。それだけが知りたかったのに、肝心の本人が何も知らないのだ。
気づけば拳を振りぬいた後で、風月はカウンターにたたきつけられることとなる。酒が入っていたとはいえ、レルキュリアはやりすぎた。同時に風月もレルキュリアを完全なる敵と認識した。
そこからはアルトが巡回の衛兵に呼ばれるまで殴り合いはエスカレートし続けた。最終的に風月は剣気を纏い、レルキュリアは巨大なハンマーを取り出すところまで発展することとなる。
この後で護衛につくことが言い渡され、雰囲気は最悪だった。
だから風月は口の中を切っていて喋りたがらなかったし、レルキュリアはアルトに止められたことが気に食わなかったし、決着がついていないことにいら立ちを隠さなかった。
尤も、レルキュリアが自制したために風月が死ななかっただけの事なのだが。
そういった事情で魔の山では最悪の雰囲気だった。
会話は一切なし。
魔の山に入れば魔獣が出迎えてくれるはずなのに、レルキュリアと風月の空気冠を察しって、10メートル以上も距離をとって木の影から覗くだけにとどまっていた。
「なあ」
長らく続いていた無言。それを終わらせたのはレルキュリアだった。
しかし、風月は足を止めず、反応もない。
「……チッ。なあっつってんだよ」
レルキュリアに肩をつかまれ強引に足を止められた風月は、しぶしぶといった感じで嫌そうな表情を隠しもせずに振り返った。
「歩きながら喋れよ」
「ああそうかよっ」
ドンと肩を押されて解放される風月。それに突っかかることもなく踵を返して山を登り始める。
「こっちだって話しかけたくて話しかけているわけじゃねえ。義務だからだ。今から行く果ての森がどんなところか知ってんのか?」
「知ってる。情報くらい酒場で集めた」
「ならそこで争ってるエルフと獣人の強さは?」
「知らない。そもそも戦うために行くんじゃない」
「……本気でそう思ってんのか? 死ぬぞお前」
「……」
風月は答えない。
「そうならないために私がいる。だがよ、お前を守るつもりはないぞ。正確には守るだけの勝ちがない」
「ならなんで仕事受けたんだよ」
「王命だからだ」
風月の脳裏に浮かぶのはリナやアルトのように仕事に忠実なタイプの神域の騎士だけだった。むしろこんなことを言っておきながらレルキュリアの脳裏に浮かんだのはレギオンやオレウスのような職務に適当な人間しか浮かんでいないのは何とも皮肉だった。
やる気のない人間に裂く時間はない。それ言おう意識に入れないようにして山を登りながら今後の予定を考える風月。
神域の騎士の特別仕様の馬車などを使えばおよそ二日。筋肉痛を無視して魔獣に乗っていけば半日。問題はそこから東の果ての森までの道のりだった。集めた情報では徒歩で一カ月近くもかかるという。もっとも食料などを持っていった場合だ。寝具も路銀を渡された風月はそこまで気にしなくてもいい。
魔の山の商路開拓によって王都に流れ込んできた商人たちの話では、東の果てまでは荷物を運んでいないという。危険すぎて出入りできないらしい。そこに行くのに護衛がレルキュリアということはあんまり期待されていないのかもしれない。
(これはティアに相談した方がいいかもな……。近くまで荷物を運ぶキャラバンに乗っていけば期間はかなり短縮できる)
ピタリと足を止めて風月は振り返る。
「護衛する気、ないんだな?」
「形だけだ」
「ならいいか」
風月は人差し指と親指を咥えると、ピューイッ、と鳥の声にも聞こえるような甲高い指笛を鳴らす。すぐに気の影から覗いていた魔獣が駆け寄ってくる。口で息をしながら舌をデロンと出して人懐っこい顔をしている。
「さてはお前、トンビだな。この前は人の魚とりやがって……。まあいいや。ドラクル領まで乗せていってくれ」
腰よりも高い位置にある方に片足をかけると体を揺らしてひょいと持ち上げてくれた。
「おい、何するつもりだ」
「護衛する気、ないんだろ。あとからついてきてくれればいいよ」
かかとで魔獣の腹を二度ほど軽くたたくと、死怒りと合図を受け取った魔獣は駆けだした。
「……あの野郎」
忌々しそうにつぶやくレルキュリアは護衛対象とはぐれることに何も感じていない。ただ先に行かれることが負けたみたいで気に食わなかったのだ。
その時、レルキュリアは手を引っ張られて、視線を強引にそちらへと誘導された。そこにはまた別の魔獣がいた。こちらも人懐っこい仕草でレルキュリアを見上げている。
「追えるか?」
「ヴァウ」
魔獣の乗り心地はいいとは言えない。しかし、性能はよかった。馬車よりもはるかに速いし、何よりも気持ちがいい。そういう意味でレルキュリアは気に入った。夕方にもなり、魔の山を抜ける前に休憩を一度挟む。川辺に風月が先について枝を集め、レルキュリアが遅れてたどり着く。
「くそ、遅れた……」
たどり着いた時、レルキュリアは立っていられないほど疲弊していた。それもそのはずで、第一に鞍がない。魔獣の背に尻をのっけてそのまま走っていれば衝撃がそのまま体を抜ける。そのたびに全身の筋肉が運動するのだ。疲労は全力疾走の比ではない。その点風月は両足で魔獣の体をがっちりとはさみ、衝撃を吸収していた。
それをおよそ三時間。
風月と出発した時間は1分と違わないのに、到着に20分以上もの差が開いたのも、魔獣自体の疲労が関係している。振動に合わせて体を適度に揺らしていた風月の乗っていたトンビ(飯をとられたためにつけたあだ名を持つ魔獣)の疲労は少ない。これがもっと馬などに乗りなれたカウボーイならさらに疲労は少なかったはずだ。
そこにレルキュリアはさらに敗北感を覚える。
「のめ」
さらに皮袋に入った水を渡されたことが敗北感を募らせた。差し出された水袋をレルキュリアは手で払う。
「いらねえよ」
「……魚を取ってくる」
「チッ」
風月は川へと降りていく。食料はスクロールによってある程度は取り出せるようになっている。しかし、そればかりに頼っていてはすぐに貯蓄が枯渇してしまう。だから現地で調達できるときはなるべく調達するようにしていた。
そういう意味で魚は風月にとって最も手軽だった。ウサギや鳥のように毛をむしらなくてもいいし、鱗を剥げば焼いて内臓ごと食べられる。何よりも魔の山に商路を通したことで得られる最大の利点が、香辛料と塩の入手が容易になったことだ。
王都にも塩はあったが、質はよくなかった。しかし東から持ち込まれた技術は塩の質を底上げすることになった。わずか数日でその影響は顕著に表れた。そして香辛料が東の果ての森の向こう、赤い砂漠に存在する国家『ケイド』から輸入できるようになったのだ。
まだまだ値は張るが魚が一段上の味になることは大歓迎だった。
風月が魚を取り終えると、回復したレルキュリアが火を焚いていてくれた。礼を言った風月に対して、レルキュリアは絶句していた。
「なんだよ……」
「さっきまでアレだけ険悪だったじゃんか。何なんだよ」
「……、走ってたら忘れた」
流れていく景色を楽しんでいた風月はもはやレルキュリアとの喧嘩など眼中にない。完全に頭から抜けていた。日の横に腰を下ろして、いそいそと肴に枝を刺し始めた。魚の数は明らかに一人分より多い。そのことに気づいたレルキュリアは無性に申し訳なさを感じて、横によけられ、川に乗せられた魚を取る。それに枝を通し始めた。
「その、さっきはすまん」
「俺も」
それから会話は魚を焼き始めるまで一切なかった。
ぱちぱちと音を立てる日の横で、魚の表面が焼けて鱗が逆立っていく。このサイズの、まして川魚なら鱗を剥ぐ必要もない。飾り塩によって形よく立ったヒレにはいい焼き色がついていた。やける香辛料の香りに胃袋が音を立ててほしがる。魚の眼が真っ白になり、皮目に水が染みだしては泡立って蒸発し、消えていく。
「そろそろか」地面に突き刺した枝をとり、皮目の香ばしさを楽しむ「いただきます」
はぐっ。
めいっぱい口を大きく開けて魚の腹に齧りつく。最初はパリッとやけた皮。そこに濃くついた塩の味と川の香りに口の中に大量の唾液があふれた。歯が皮を食い破れば次は柔らかい白身だ。ふっくらとした身が口の中でほろほろと崩れていく。同時に魚のうまみがあふれてくる。
今回は内臓の処理はほとんどしなかった。それは香辛料があったからに他ならない。どのくらい泥臭さが消えるのか、見たこともない香辛料もあったために、試してみたくなったのだ。
一人二尾用意した魚にはそれぞれ別の香辛料が降られていた。
一つ目はハウリと呼ばれる手のひらサイズの三日月型の茶色い実だ。中には細かい種がいくつも入っており、それが香辛料となる。今回は挽いてあるものを使用した。
鼻から抜ける強い香りは山葵に似ていて辛味もある。しかし鼻に抜ける独特のツンとした感覚はなく、辛味もむしろしびれるような山椒に近いものだ。
「ハウリは肉料理のほうが合うな」
そうはいっても香りの強さによって内臓の生臭さ、泥臭さは完全に消されていて、失敗とは思わなかった。満面の笑みで風月は魚を齧っていた。
しかし、その横で仏頂面になっている女性もいた。レルキュリアは自分の魚と見比べてから、不思議そうな顔で風月の魚を強奪すると一口齧る。すると途端に顔をしかめた。
「なんだよ」
「苦い……。香りもだめだ。だのにあんまりにもおいしそうに食べてるもんだから違うものでも食べているのかと」
風月は魚を取り返して再び齧り始める。
「王都で魚の内臓は食わないのか?」
「そもそも魚がメジャーな食材じゃないんだよ。基本は干し肉だからな。南から入ってくる魚は高いし、川魚はまず流通しないな」
「なるほど食べなれてないのか」日本に長くいた風月にとって魚は好物に入ったくらいだ。「我慢して食べるか、魔獣に上げるかだな。魔獣に渡す場合は塩が掛かった部分は削っておけよ」
「自分で食うよ」
風月はあっさりと一匹平らげる。きれいに骨を残していたが、それをトンビに強奪された。骨だけだったからよかったものの、魚を取られないように警戒は必要だった。
少し気を張りながら二匹目に行く。
こちらはウラカジという葉を乾燥させた香辛料だった。風月はこれをよく知っている。シソ科の『タイム』と呼ばれる植物によく似ている。香りもそれに類するものだ。強いて言うのなら葉のカタチが少し細長くまっすぐに切れ込みが入っていた。フレッシュはさすが流通しておらず乾燥しか手に入らなかった。
魚に使うならまず『タイム』ともいそれっぽいものを購入したが、その判断は間違いなかったことを、一口齧って確信した。ハウリは香りで臭みを消していたが、これは臭みが消えた上に身がうまい。香りと魚の本来のうまみが混ざって一段別の料理となった。
「断然こっちのほうがうまいな」
「本当か?」
怪訝なまなざしを向けるレルキュリアはハウリの味がトラウマになっている。
「香辛料なんていらねえだろ……」
「とんでもない。ベーコンもハムも香辛料なかったただのしょっぱい肉じゃん。燻製に使う気も特別だからうまいんだぞ」
「……」
本当かよ、という言葉が聞こえてきそうな視線を風月に向けながらレルキュリアも二匹目の魚を齧る。
「あ、うまい」
そういったのを聞き逃さなかった。
それからまた時間がたって夜。
食後、月明かりを頼りに少しは進むつもりだったが、レルキュリアが動けなくなった。横になり、腕で視界を覆い隠している。
「水を飲まないからだ」
「すまん……」
三時間近く全身運動をしたのだ。それで汗をかかないわけがない。水を勧めたのは疲弊していたからではなく、旅の遅れを気にしてのことだ。水を飲んでもレルキュリアは頭痛を訴えて動くことができなかった。典型的な脱水症状だった。
「いいから休んでろよ。明日は朝市でドラクルに向かう。そこでもう一回休憩だ」
「…………」
風月のマントはレルキュリアの体を温めるのに使っていた。少し肌寒さを感じつつも、火の番をしていた。巨竜の直下にいたときよりだいぶ温かい。仲が悪くとも、今こうしていることにある種の心地よさを感じていた。
皮袋に入った水でのどを潤す。
「寒くないか?」
「大丈夫だ」
オレンジ色の火でわかりにくいが、レルキュリアの唇の色が少し芳しくない。「強がりやがって……」ぼそっ、とつぶやくと指笛で魔獣を呼ぶ。風月の言いたいことを一連の流れから理解していた魔獣はレルキュリアに寄り添った。
それを見てほっと一息、空を見上げるといつもの美しい空が広がっていた。息を呑み、いつまでも見ていたくなる。
旅情に浸っていると、暖を取っていたレルキュリアがそのままの体制で口を開く。
「東の果てに何しに行くつもりだ?」
「……麒麟に協力を取り付けに行く」
「今そこにいるのかもわからないんだぞ?」
「いるとかいないとか、そんなことはどうでもいいんだ。俺が旅をしている事実に比べたらどうでもいい」
首だけを傾けてレルキュリアが風月を見た。それに気づきつつも空を見上げたまま、その景色を瞳に焼き付ける。
「何をしに行くんだ?」
再び問われた。
「旅」
一秒の間もなく風月は答える。
「ヴァーヴェルグとの戦いもついでだ。旅の終わりとして定めても、その過程はすべて大事なんだ。だから今旅をつづけることに比べればヴァーヴェルグを倒すなんてことはついでといってもいい」
レルキュリアが目を見開いた。
「果ての森で死んでもいいのか?」
「いい。簡単に死んでやるつもりもないけど、ここで歩くことをやめるくらいなら果ての森で死んだってかまわない」
のどが干上がる音が聞こえた。レルキュリアが利いた祖は自分自身のもので、風月を見誤っていたことに対するものだ。
風月の憧れは目標へと昇華していた。
覚悟を決めた男の揺らがない意志に気圧された形になる。
「ヴァーヴェルグに勝てると思うのか?」
「……正直、思わない。でもあきらめるほど絶望的な差だとも思ってない」
「私が協力したくなるくらいのプランを聞かせろ。まさか何も考えてないとは言わないよな?」
「うん。さすがにノープランじゃない」そう前置きして風月は続ける。「神域の騎士だけじゃ足りない」
馬鹿げている。
そう言いたくなるほどの壮大な計画。
「この国のすべてを束ねる。商人も、職人も、騎士も、村人も。すべてが力を合わせるんだ。武器に、流通に、人材。あわよくば巨竜を餌に他国すら巻き込んですべて協力させる」
普通に考えれば不可能。そこには細かな確執や相性が存在し、明確に対立している。それらをすべて束ねても、どこかで崩壊してしまうことは確実なのだ。
「この世界と同じだけの力を持つって言っていたアイツはたぶんこれでも足りない。でも、ここまでやって不可能なら、それはそれで相応しい」
「相応しい?」
「俺の旅の終わり、その最後の障害として相応しい。その途中で敗れても俺は受け入れられる」
風月は笑っていた。
白い歯が三日月のように見えた。
「説得とかのほうが簡単じゃないのか?」
「そんな覚悟で世界を滅ぼすなんて言っていたら、俺が奴を殺す」
レルキュリアもさすがに苦笑いするしかなかった。
「もしも、すべてがうまくいって奴が殺せなかったのなら。その時はすべての責任を俺がとる」
「―――」
作為的なものをレルキュリアは感じたがそれを言語化する前に、ひゅう、と息が抜けた。それは魔獣の一匹がレルキュリアの腹の上にゴロン頭をのせたからだ。あまりに異常な音に風月が目をやると、魔獣が四匹も五匹も集まってレルキュリアを囲っていた。
「お、おおおお……」
呼吸ができずに苦しそうな声が聞こえた。
そんな状況でもレルキュリアに引っ付く魔獣は数を増し続けていた。
「がんばれ」
心にもない言葉がレルキュリアの耳に届いたが、暖かさと息苦しさと、気持ち悪さと、いろいろなものがないまぜになり、レルキュリアはそこで眠りに落ちたのだった。




