第三章 22 §処遇と行方
オルガノンは提出された報告書に嫌気がさしていた。
カップの底が見えなくなるほどミルクを入れた紅茶の風味が消えるほど砂糖を入れたのに、苦い顔をしている。
そんな昼下がり。
執務室に座ったまま重苦しい雰囲気を纏うオルガノンの目の前には神域の騎士、第十席である翁こと、タイン・グラス・レイツェーンがいた。
「これはつまり、もともと巨竜はこの国内に墜ちていた、ということか?」
「わしはレギオンの言伝をまとめただけですので、少なくとも発言ではそう読み取れました」
その顔には心なしか疲労の色が見える。巨竜の迎撃のリレー要因として領地の端まで行っていたのだ。それを僅か数日、休みなしで馬車に乗って駆け付けたのだ。
「ヴァーヴェルグは?」
「引きこもっている。何がしたいのやら……」
「……」
翁は顎を引いて目を伏せた。どうしてそんな行動をしているのか、少しだけ理解できた。自ら敷いたルールの上で敗北を認めた。それは誇りなくしては決してできない行為だ。ただ、悔しいことも事実。自らの行いを顧みる一人の時間が欲しいのだということもわかった。
同時に、ヴァーヴェルグはまだまだ強くなるという予感もあった。負けを認めたときの成長というものは馬鹿にできないのだ。
「ふむ、そうなると気になるのは勝った側ですな」
「風月凪沙の事か?」
「はい。負けから学ぶことは多い。むしろ決戦の前に負けているほうが良かったとすら思っております」
「ヴァーヴェルグといい、アルトといい、リナもそうだ。そして翁もか。アレはただの人間だぞ。どれだけの功績を引っ提げてこようが、いくら剣気の覚えが早かろうが、ただの人間なんだ。一年の準備期間で到底ヴァーヴェルグを倒せるとは思わん」
高望みしすぎだ、そう言い切る。
事実、機転は利くが戦いの中で武勇を披露したわけではない。むしろ神域の騎士三人の活躍のほうが目覚ましいくらいだ。
そんな態度のオルガノンに翁は首を横に振った。
「わかって降りませぬな。理屈ではないのです」
「なら、なんだ?」
「運命」
「そんなにロマンチストだったか?」
即答する翁に対してオルガノンはため息をこぼした。
「森神は戦うよりも先に対話を求めました。ヴァーヴェルグは自らを倒せる何かを見出した。そして巨竜にも認められた。これを運命といわずなんというのですかな?」
確かに、運命はある。それは何かを保障する力ではなく、たいていは何か大きなことを成すきっかけなのだ。風月凪沙はそれをしっかりとつかんだ。どのような結末になろうともこの流れは止まらない。すでに大きなうねりとなって世界を巻き込みつつある。
「もういい。どちらにしろ戦わないといけないのは知っているから。それで?」
次の報告は? そう問うオルガノンの瞳には焦りが浮かんでいた。
「東の森はもうだめかもわかりませぬ」
「エルフと獣人はそんなにまとまらなくなったか」
「もとより貴族という制度を廃止して共存していた、いわば別の国のような扱いでしたからのう。」
「麒麟が姿を消してから一カ月もたっていないぞ。どんだけ仲が悪いんだアイツらは」
「麒麟の存在が大きかったということですな」
東の森に棲む獣人とエルフは麒麟が表立って出てくる300年前からいがみ合っていた。もともと仲が悪く、小競り合いも多かったのは間違いない。麒麟という脅威にも庇護下に入ることもできる存在が現れてからは、鳴りを潜めていた。
「あそこで麒麟に助けを求めるのは、何もかも現実的ではありませぬ。外部の人間が入れば殺されますよ。それこそ巨竜到来に合わせてたどり着けていたのなら、まだ麒麟探しも何とかなったかもしれませぬが……」
「だがほかに手があるか? 契約によって力を集める。共に戦う仲間とする。その役目を担えるのは風月凪沙だけだ」
「……だけ? 別に神域の騎士に任せても用のでは?」
「そうでもない。今回わかったことがある。それは神域の騎士では足りないということだ。理由はどうあれ、事実上の敗北だぞ。1から鍛えさせるしかない。その途中で風月凪沙が死んだとしても構わん」
「……」
オルガノンの言葉に翁は押し黙る。言い分はその通りだ。心臓を欠損しても殺せない生物が存在している。それを殺す術を見つけなくてはならない。
「四獣の力を借りれず、神域の騎士が死ぬ方がまずい。特にカイザーとオルガはだめだ。そこに派遣することも許さん」
四獣の中で、麒麟と銀狼だけはやみくもに暴れない。オルガは秩序だっているがよく海域を荒らしまわっている。そして、この周辺国家最大の敵、カイザー。1世紀単位で国力を削り続けてきた怪物だ。
殺せるとはどうしても思えない。
神域の騎士が束になっても殺せるかどうかわからないほどだ。
「わしは、反対ですな、姫様。少なくとも東には必要かと……」
「また未来でも見たか?」
王命を撤回するのか? という質問が隠れているが、翁には伝わった。
「いいえ、そんなことはしますまい。ただ、例外がいると申しておるのです。神域の騎士の中で一人だけ例外がおりますので」
「例外?」
「第六席、レルキュリア・アストス・セスタリス」
「……」
オルガノンは翁の意図を図りかねて目を細める。
神域の騎士として最低限の戦闘力を保持しているレルキュリアの名前が挙がたことの意味が理解できていないのだ。ヴァーヴェルグに備えるのなら、武器の生産を担いつつ鍛えるためにはむしろ、一番時間が足りないまである。
「風月凪沙の武器を作るのは彼女しかおりますまい。少なくとも、あった武器を作らせるためには同伴させてもよいかと……」
「無駄だ」
「生半なものを作れば、巨竜の素材がすべて使えなくなる可能性すらございます。オレウスから報告書が上がっていたと思いますが……」
翁が食い下がった。
巨竜の素材は万能に近い。過去に剥がされた甲殻だけですら神域の騎士の使用に耐える武器になりえるのだ。幸い、今は死体があり、それを保持するだけに見合う正当な理由がある。風月はそれらすべてを人質に取っている除隊といっても過言ではない。武器の生産を進めるためには風月の武器を作らないとならないのだ。
「チッ。あの時処刑しておけば……」
舌打ちの後、ぼそっ、とこぼす。
今処刑すればヴァーヴェルグが再び口を挟んできかねない。過去から予想するくらいは簡単だった。
「はっきり言って、風月凪沙を監禁しておくのが一番安全ではあるのです。今死んだら、素材がどうなるのかわかりませんからな。それでも、行かせるべきかと」
森神と契約を結んできた結果を持つ風月が一番成功に近いことはさすがに理解していた。
しばしの沈黙の後、オルガノンは年齢に似合わないほどの威厳をもって口を開いた。
「レルキュリアを風月凪沙の護衛につけろ」
「伝えておきます」
翁だけはほかの神域の騎士と違って、オルガノンをないがしろにしない。一応の敬意を払っているだけのレギオンや、なれなれしいリナたちとは違う接し方をする。
「待て」立ち去ろうとする翁を呼び止めるオルガノン。「この状況を『見た』のか?」
部屋を退室しかけていた翁が振り返る。それから肩をすくめた。
質問の内容は多くは語られていないが、レギオンを巨竜に乗せたことだ。
「まさか。わしは未来など見てもいないし、王命を退けてもいませぬ。ただ第八席に進言したのみ。若者に成長の機会を譲ってほしいとそれを王命と早とちりしたのでは?」
「は?」
若者とはレギオンのことだ。ヴァーヴェルグに惨敗した過去から、再び立ち向かうことで成長を促そうとしたのだ。むしろ、未来を見たのは、ヴァーヴェルグが消えることだ。その行き先を予想し、レギオンを派遣した。
「一言も、十席としての職務とは言っておりません」
「……」
「何もないようでした、では」
そういって翁は部屋から出ていった。オルガノンはため息を一つ。レギオンの成長は聞いていた。オルガノンとしてはそういった行動は大好きなので、だめをとは言いたくないが王としての立場上、第八席と翁に罰を与えなくてはならない。
チリン。
鈴を鳴らした。すると部屋の外に控えていた側仕えが入ってくる。
何も言わずに茶器を片していく。
「私たちは、勝てるのか?」
勝たなければ死ぬ。
一年後を思うと、不安でこれ以上のども通らなかった。




