第三章 19 〇失墜の中でさえ、その生きざまは輝く
いくら剣気が使えようとも、未熟な風月では即死は免れない高さ。沈みゆく巨竜と共にその死地へと自ら赴いた風月。
すべては〝旅〟のため、生き様のため。
左腕で断絶剣を握りしめて、右手でヴァーヴェルグ顎をしたから押し上げる。
「その程度で防げると思っているのか?」
「思わない」
風月は即答した。風月はヴァーヴェルグという足場を得ている分だけ少し踏ん張りがきいた。ゆえに何の支えもないヴァーヴェルグは狙いが定められない。
このまま放てば終わらせることもできるのだ。破光で風月もろとも消し飛ばして、さらに巨竜も貫けばいい。
「右腕くらい、持っていけ!」
「すべて覚悟の上か!」
破光を放つその瞬間、ヴァーヴェルグは剣気すら纏えなくなる。その分でヴァーヴェルグと張り合っているのだ。
「それほどの覚悟なら、止めてみろ!」
胸に突き立てられる断絶剣をつかむとあっさりと押し上げる。風月の全力すらあざ笑うかのように。
この局面で、ヴァーヴェルグは風月と張り合うことを選んだ。ただの人間。剣気が使えるようになったとはいえ、未熟で、ともすればあっさりと死ぬ。その身で遥か格上に盾突いた。ならば、君臨する者として応えないわけにはいかない。
「させるかああああ!」
そこに弾丸のような勢いでリナが突っ込んできて、柄頭に蹴りを叩き込む。一度離れかけた断絶剣が再びヴァーヴェルグの胸殻の喜悦へと吸い込まれた。同時胃、絶妙なバランスで保っていた姿勢が崩れ、落下しながら回転を始めた。
狙いが巨竜から逸れ、風月はここぞとばかりに反撃を開始しようとするが、リナがその首根っこを猫でもつかむように持ち上げて、跳躍によって離脱した。
「えぶっ!?」
いきなりのことでマントが首に食い込んで嘔吐く。ついでに突き立てていたはずの断絶剣まで引き抜いてしまった。
だが、それもそのはず。
「界断」
斬!
世界が分断されるがごとく、橙の境界が発生しヴァーヴェルグを弾き飛ばしたからだ。両腕を交差し、とっさに防御に走るヴァーヴェルグだったが、その手甲に深く切り傷が入り、血液がだらだらとあふれ出て、空気に乗って上昇していく。
リナが引っ張っていなかったら風月は真っ二つにされていたはずだ。
ヴァーヴェルグは圧倒的だった。すぐさま界断によって発生した境界をつかみ落下の勢いを止めると安定した足場を得る。左腕一本で捕まっている状態だがそれだけで十分だった。再び漏れ出した破光の前触れ。
そして巨竜へと狙いを定めたその時――。
「――っ!?」
なぜそこにいる?
そう問いかけたかったのはヴァーヴェルグ。先ほどリナによって空中へと連れていかれた風月凪沙が、境界の上にいた。白亜の剣を振りかぶったまま身をひねり走り出していた。
風月凪沙はもはや高さなど気にしていない。一度落ちた以上着地までに人間は容易く死ぬ。神域の騎士でもなければ生きては帰れないほどの高さ。
命くらい、くれてやる。
それだけの気迫が伝わってきた。一度投げ出した命。惜しいとは思わない。これが俺の〝旅〟であり生き方なのだと、声高らかに叫んでいた。
虚を突いた一撃。
それは破光を放つ寸前のヴァーヴェルグが剣気を纏うだけの時間を与えない。
ザシュッ!
いつも誰かに助けられていた。それを今、たった一人の力で成した。青空のような剣気を纏った白亜の剣がヴァーヴェルグの顔を一閃する。そのまま眼球を剣圧で潰し、そのまま振りぬいた。
「……っっっ」
痛みに対する声は上がらない。
そこにあるのは静かな覚悟だった。ヴァーヴェルグも風月と同じく終わりを覚悟している存在だ。痛みで後退する程度の生半な覚悟で立ち会っていない。
風月は降りぬいた勢いそのままヴァーヴェルグへと突っ込む。落下の加速も相まって、ヴァーヴェルグが境界から引きはがされ、ともに落下を始めた。風月はさらにヴァーヴェルグの亀裂の入った胸殻へと断絶剣を突き立てる。
危険を承知でヴァーヴェルグの目の前に陣取る風月。それは、ヴァーヴェルグのプライドを利用した賭けだ。共に墜ちたとき、ヴァーヴェルグは破光で風月ごと消し飛ばさなかった。それは風月とのプライドを競いあったことに他ならない。風月凪沙を生かしつつ、巨竜を殺す選択をしたということだ。ともすれば、ふとした気の迷いで簡単に破光で死ぬことを意味していた。ゆえに、賭け。
まだ競い合うつもりでいることにすべてをかけた捨て身の盾だ。
「惜しくはないか?」
「確かめてみろ」
ニィィ、ヴァーヴェルグが口を引き裂き白い牙を見せた。
今の応酬は張り合うにふさわしいかどうか、それを確認するためのものだ。覚悟があるのなら、殺すには惜しい。
ヴァーヴェルグは風月の顔面をその手で鷲づかみにすると、容易く押しのける。
「邪魔だ、視界から失せろ!」
単純な力の差。
剣気を纏っていないにもかかわらず、ヴァーヴェルグは圧倒的だった。だが、ここには風月以外にも存在している。
「GAAA!」
片腕を喪失したグレイが駆けてきた。消えた腕を刺青の鎧で補い、茜の生み出した境界を踏みしめて駆けだしている。尻尾のように伸びた部分で大剣をつかみ、猫のように体躯を縮めて力をためると、ばねを使ってとびかかる。
たたきつけられる大剣を、風月をつかむ手とは反対の手で受け止めるヴァーヴェルグ。さすがに破光の光を弱め剣気を帯びた。
その瞬間、風月は一瞬だけ言葉を失った。
それは唐突に影が消えたからだ。巨竜が完全に身を翻し、真横から射す夕日の光が世界を茜色に染め上げる。暗がりにあった世界が光を取り戻し、その『赤』の中で微かな陰影のみが山や街を浮き上がらせた。
その景色があまりにも美しく、素敵だったから、風月は心を奪われた。戦いの中に身をやつしているにもかかわらず、すべてを忘れ去ってしまうほどの景色。巨竜の上で見た景色以上に、美しかった。
「 」
呼吸すら忘れた。
景色に心を奪われながらもうっすらと思い出す戦いの事。ふとした瞬間に感動を覚える習性ともいうべきもので、風月にはどうすることもできなかった。それはいつか決定的に命を危険にさらすかもしれない。
風の音すら消えたように感じた風月を我に返したきっかけはリナだった。再びヴァーヴェルグの首にワイヤーが掛かっていた。それを本気で引き、リナとヴァーヴェルグが引き合う。その衝撃でヴァーヴェルグの手のひらに強く額を売ったことで風月は戦いの景色と音を取り戻す。
リナは引き合う勢いを利用してヴァーヴェルグめがけて処刑斧を振り下ろす。
グレイといいリナといい、風月がゼロ距離にいるというのにお構いなしで攻撃を仕掛けていく。
「墜ちろおおおぉぉォォォオオオオオ!」
言葉は途中から方向に変わり、その気迫と共に処刑斧がヴァーヴェルグの顔面へと直撃する。それでもなお、ヴァーヴェルグは強かった。局所的に纏った剣気によって保護をかけるとそのまま口で処刑斧の刃に噛みつき、受け止める。
淡くはなったが、破光の光によって処刑斧が赤熱した。
「ぐううっ」
すぐにリナは反応してヴァーヴェルを渾身の力で蹴ると同時に処刑斧を強引に引き取る。表面を牙が削り取り、幾筋もの傷が走る。その際に散っていく火花が上空へと押し上げられていった。
「まだまだ!」
伸びきったワイヤーの上。レギオンがその上へ着地し、声を上げる。両脚は出血によって真っ赤に染まっている。とても戦えるような状態には見えないが、最も弱い風月が前線にいるのに、後退することをレギオンのプライドが許さなかった。
両足を負傷してもなお、レギオンは速い。銀の光は瞬きの間もなく、一瞬で詰めてきた。そのままヴァーヴェルグへと刺突を放つ。それすら剣気によって防ぐ。
「……」
だが、痛みが走った。僅かな困惑がさらなる追撃を許した。一瞬のうちに6発。軽いが確かにダメージの蓄積を感じる。
レギオンの戦い方がさらに変化する。
「効くだろ? 翁の剣は!」
第十席は纏った剣気を相手に強引に流し込む。レギオンは修行と称して散々に叩かれた。それがヒントとなった。万物は剣気を流し込まれればダメージを追う。
そこまで看破してなお、ヴァーヴェルグには理解できない。剣気が強ければ流し込まれても押し返せる。レギオン程度の剣気でダメージを追うはずがないのだ。
(真似たのか?)
グレイは剣気を放出する瞬間を絞ることで一瞬の出力を上げていた。レギオンがしているのはそれだ。それも、直撃した瞬間に放出することで、ヴァーヴェルグの馬鹿げた剣気を突破していた。
「……時間だ」
つかんだ風月をそのまま投げ飛ばしレギオンにぶつける。そのまま吹き上げる風にあおられて風月とレギオンが浮いた。断絶剣はヴァーヴェルグの胸に置いてきた。
わざわざ正面切って戦いあうこともない。
目的は唯一つ。
巨竜の殺害。
「貴様も、元の体をとってこい」
グレイにそう言い放つと遥か彼方へぶん投げた。
そしてようやく手が空いたヴァーヴェルグは荒ぶる剣気を治めると、破光の光が反比例して強くなる。
「さらばだ」
上空に存在する巨竜を見上げる。
岩を切り出したかのようなごつごつした甲殻。その隙間から覗く瞳と目が合った。
「……」
ヴァーヴェルグの背筋が凍った。そこに宿っていたのは明確な意志。
失墜していた巨竜が再び何かを取り戻していた。
「何を見た?」
このまま巨竜を消し飛ばすことも容易い。しかし、ヴァーヴェルグにはそれができないでいた。ゆえに絞り出す疑問。
「なぜ、生きようとしている?」
「――――――――――――」
人には理解できない言葉。そこにわずかなやり取りがあった。数秒にも満たなかったが、それだけで十分だった。
「そうか」
悪竜はそれだけ言うと微笑んだ。そこに『悪』などというものは欠片もない。すべてを無に帰す光は放たれることもなく消えた。
「何を笑ってやがる!」
投げ飛ばしたはずの風月がレギオンを蹴り飛ばして推進力にして、落下の恐怖に打ち勝ち、何の支えもない場所を突き進んできた。
「俺と、テメェの戦いだろうが!」
「―――っ!?」
ヴァーヴェルグが困惑した。
こんな人間はいなかった。ここに一つの区切りがあり、それを告げたのはヴァーヴェルグの破光が消えたことで周知になったはずだ。
だのに、風月凪沙はその兆候を無視した。
この場にいる風月凪沙だけは違う場所で戦っていた。最初は自らのエゴのため。巨竜を殺させないために、戦っていた。
今は違う。
風月凪沙はヴァーヴェルグなんか見ちゃいない。巨竜と戦っているのだ。命なんか惜しくない、それでもここでは死ねない。
「『お前』にも言ってんだよ」
ヴァーヴェルグが見上げるはるか上。風月は見もしないで叫ぶ。
「俺が言いたかったのは誰かに終わりを求めることでも、漠然と終わりを受け入れることでもねえ!」
風月の憤りは酷く幼稚だ。考えがうまく伝わらないこと、誰もが今を当然と思っていること。そうしたことをうまく言語化できずに、怒りがふつふつと湧いてきているのだ。しかし、風月自身、その幼稚さを理解していた。そうであっても叫ばずにはいられないのだ。
「俺を見ろ!」
その生き様は不器用で、それでも気高かったはずだ。
「旅とは! 歩き続ける限り続く!」
なら、旅とはいつ終わる?
病気で歩けなくなったとき?
生きるのがつらくなったとき?
それとも、本当に死ぬとき?
風月は生き様で語る。
否である、と。
「旅は進むことをやめたときに終わる! その終わりを、誰かに委ねてんじゃねえぞおお!」
のどが裂けるほど声を張り上げた。
たとえ、ここで死んだとしても悔いはない。しかし、旅を終わらせるつもりは毛頭ない。命尽きようとも、旅が終わることはない。風月凪沙の旅の終わりは自分で決める。
他人にやめさせられたり、できなくなる時を待つものではない。
あの男の生き様からそう学んだ。
真の意味で、風月凪沙がここでヴァーヴェルグと戦う意味はない。それでも牙を剥いたのは、自分の生き様を曲げないため。自分のやりたい旅を魅せるため。
風月凪沙という人間がどうしようもないほどロマンチストだ。現実はすべてをかなえられるほど甘くはないが、ここまで来てそれを言い切ったことに対して、世界を恨み、破壊しようと考えるほど擦れたヴァーヴェルグは羨ましくもあった。
今、ようやくヴァーヴェルグは理解した。風月凪沙と、ヴァーヴェルグという存在は対極に位置するのだと。
「何が貴様をそう駆り立てる?」
断絶剣を押し込む風月に対して抵抗をやめたヴァーヴェルグは問いかける。
「俺自身の旅のためと、誓ったからだ」
そこに一瞬のためらいもない。まっすぐな視線に射抜かれると同時に自らを恥じるヴァーヴェルグ。
ここまで戦い続けた風月凪沙は間違いなく対等なのだ。ここまでやった相手を認めないというのなら、ヴァーヴェルグ自身の格が落ちる。
朱色の剣気が漏れ出した。風月の快晴の青空を思い起こす青と混じることなくぶつかり合い境界を形成した。
「来い、風月凪沙」
大地までわずか十数秒。
その時、咆哮が響き渡った。到来を祝福した夜。その雄大さを身に染みたあの咆哮よりも、はるかい力強く背中を押された。
巨竜が吼えた。
「 」
ビリビリと大気が切り裂かれるほど震撼する。それは宣戦布告の叫び。巨竜がヴァーヴェルグに牙を剥く。風月凪沙の生き様を知り、感化された。
「貴様もか。相手になろう!!」
ヴァーヴェルグもまた、解釈などという考えを捨てた。事実、巨竜とは天災に等しい存在なのだから。敵対した今、破光などという手を抜く選択肢は存在しない。
魔方陣が左右非対称かつ、立体的に展開されてヴァーヴェルグの右腕を包む。そこには魔力で作り出された半透明でうっすらと朱を纏った刃が存在していた。いびつな曲線を描くそれをなぜ刃と認識したのかは理解できなかったが、間違いなく武器だった。
「剣戟ノ果テ二、コノ一刀ニテ終ワリヲ告ゲル」
半透明の刃が輝きだす。
風月凪沙が断絶剣に力を籠める。生き残る算段はないが、それでも死ぬつもりもない。生きて帰れなくとも、本望、そういうために。
巨竜は加速しヴァーヴェルグに狙いを定める。今にも耐えてしまいそうな命をさらに燃やした。
「逸刀――山崩シ」
僅か一分ほど。落下の中の戦いが集結しようとしていた。ヴァーヴェルグの一撃と巨竜が地面に衝突するのは同時だった。
巨竜迎撃祭は今、終わりを告げる。




