第三章 13 ■一撃
レギオンはオルガノンから折り返された連絡に苦い顔をした。
「どういう対応をすればいいの?」
「……巨竜を墜とせ」
ギリィ。
リナが歯を食いしばる音が茜とレギオンにも聞こえた。リナはレギオンと同じような顔をしていた。しかし、レギオンの表情はリナとは違う理由で苦々しく歪んでいた。
「ただし、ヴァーヴェルグは止めるふりをしろと」
「容量を得んな。具体的にはどういうことじゃ?」
「風月凪沙が死なないように援護しつつ、巨竜を墜とす。ただしヴァーヴェルグには敵対しろだと」
「アレと殺し合いながら、進んで死にに行く足手まといを守れと? 無茶苦茶じゃな」
「……国家規模だといろいろあるみたいだからね。王命である以上従うさ。それよりも茜、今度デートしない?」
「おぬしは人間性が軽すぎる。却下じゃ。せめてそこで伸びてる男くらい信念を持て」
「えぇ……。そういうのって苦手なんだよね。まあダメならリナでいいや。どう?」
「名前で呼ばないでよ」
「そういうところが人間性が軽いと言っておるんじゃ」
戦う雰囲気ではない。しかし、これが神域の騎士たちだ。特にこの三人は緊張感というものの中に好んで浸るタイプではない。
レギオンは気障ったらしく、あくまでも他人へのアピールを重視するためにまじめな一面を見せることは少ない。これも普段はお茶らけているのに、時折見せるまじめな姿にギャップで相手の興味を引こうという下心によるものだったりする。
そもそもリナは基本的にマイペースかつすべてに全力。緊張で体が固まることが少ない。天真爛漫という言葉がよく似合う彼女はそもそも緊張感と弛緩した空気の違いがぼんやりとしかわかっていない。
そして茜はというと、この中で最年長というだけあって自分のペースを崩すことがどれだけ危険なことかを理解している。そういう意味で一番市全体ではないのは茜だった。平静を装う技術は見抜けるものがいないほどに熟達していた。
そんな三人の空気が弛緩しているのは必然といえば必然だった。三人は武器を担ぎ、遠くへと消えていったヴァーヴェルグを追う。巨竜の背中には木々が茂り苔むした岩などがあった。それらをへし折り、足跡がくっきりと残っているために追跡にはこれほど楽なことはない。
「なぜ王は私たちにヴァーヴェルグを止めろとは言わなかったんだろうね?」
「なんじゃいきなり。そんなこと言ってもおぬしの人間性の軽さは隠せぬぞ」
「辛辣だね」
「止められないって思われてるわけよ」
伏せていたかったことをあまりにもズバッ、と言い切った。見ていたくなかった事実。それは報告書で見た茜とレギオンは知識の上でヴァーヴェルグに勝てないことを知っていた。レギオンに至っては手を抜いてさんざん言われ力の差を見せつけられた。
それでもなお本気で戦っていないために勝てる気でいたのだ。それは茜も同じで、ヴァーヴェルグの怖さを理解できていない。
「神域の騎士じゃヴァーヴェルグには勝てない。オルガはアルトを信用しているから、報告書を見てそう判断したってわけよ」
「……随分ないいようだな。自信がないのか?」
「負けて翁にさんざんしごかれたくせに」
「口だけはデカいの、おぬしは」
「うぐっ」
ざくざくと言葉の矢が刺さる。
「それで、結局何が言いたいんじゃおぬしは?」
「王からの信用が薄いなって話」
「リナも言っておったがわしらへの信頼以上にアルトへの信頼が勝っておるだけの事。こればっかりは年季の差。或いは……」
茜はリナを一瞥する。そこにはリナが風月に向ける感情を示唆する意図があったのだが、当のリナはキョトンとして茜の言いたいことを理解できなかった。
「あるいは?」
「或いは……。それを口にするのは無粋じゃな」
「え? 何なに、教えてほしいってわけよ」
「もっと自分に正直になることじゃ」
「そんなに気になるのなら俺が教えてあげても―――」
そこでレギオンの言葉が途切れたのは、単純にそれ以上を口にするのがはばかられたからだ。茜が薙刀の切っ先をレギオンの首に突き付けてにらみつける。
「無粋じゃといっておるじゃろ?」
「そういったものを求めるつもりはないんだけどね。まあ、わかったよ、黙ってる」
さすがの第二席といえど茜と事を構えるつもりはなかった。それは茜の強さが未知数ということもあるし、むろん負けるつもりなどレギオンにはないが、ヴァーヴェルグとの戦いもある。コンアところでつまらない意地の悪さを見せて体力をいたずらに減らすわけにもいかなかった。
「むぅ」
そんな中でリナはむしろ不服そうだった。アルトとオルガノンのつながりと似たものをもっているというところまで察しても、それが具体的に何なのかを理解できるほど精神的に大人びていない。
「リナの成長が楽しみじゃの。もっと大人になった時に自分の気持ちに気づく。その時にはこの話を肴に共に飲み明かそうぞ」
「……うむぅ」
リナは納得いかない様子だったがしぶしぶうなずいた。
「……それで、当の風月凪沙? は置いていってよかったのか?」
「今は寝かせておけばいいのよ。これ以上、遠くに行ってほしくなんかないってわけよ」
「むふふ、若いの、若いのう!」
「なんだか楽しそうね」
「楽しいぞ」
こういった若い青春に首を突っ込んで引っ掻き回したくなる茜だったが、さすがに性悪が過ぎると自分を律した。
「まあ、リナなら追いつける。自信を持つがよい」
「うん、ありがと」
「二人とも、前」
そういって正面に注意を剥けるように促すレギオン。
そこには『傷』があった。過去に神域の騎士第四席と第七席が刻んだものだ。谷のようにえぐれたそれは、なぜ巨竜が生きているのか謎といっていいほどに痛々しく巨大だった。
そのふちにかの悪竜はたたずんでいた。
それを目視した途端に、弛緩しきっていた空気は一瞬にして張りつめる。それはリナの殺意によるところが大きい。茜とレギオンは隣にいながらのどの奥が干上がるのを感じた。
一陣の殺気に中てられたヴァーヴェルグが振り返る。
「しつこいな」
「逃がさないってわけよ」
リナは平然としていたが、茜とレギオンは異常事態に気が気でなかった。見間違いでなければヴァーヴェルグの体躯が一回りほど大きくなっていた。体には甲殻の隙間が広がり、底を赤い光が絶えず流動していた。
「これ以上巨竜に痛みを与えはしない。『準備』が終わるまでは」
「リナ、待て。『あれ』は、まずいっ」
茜は異常なまでの冷や汗をかいていた。魔力と剣気が異常なまでに膨れ上がり、びりびりと皮膚を焼くような痛みすら覚える。かつて巨竜に来たことがある茜はもっと早くに気づくべきだったのだ。地上とは全く異なる巨竜の背に生物が少なすぎることを。
おそらくは巨竜の端まで移動したか、飛んで逃げたか。
いずれにしろ、生命の危機を覚えた野生動物たちは逃げ出したのだ。
ヴァーヴェルグの甲殻の隙間を流動する赤い光はだんだんと速くなっていた。
「魔術で封じられているんじゃなかったのか? なんなんだあの量の剣気は」
「そんなもので封じられるのはせいぜい呪いのみ。これは純然たる俺の力だ」
そう、封じているのはヴァーヴェルグの呪いのみ。敵意や害意を煽り、それによって少しでも敵対的な感情を持った相手の力をそっくりそのまま取り入れる呪いだけを封じた。今、触れずとも痛みを感じるほどの剣気は唯の実力。
「怖気づいたなら、そこで見てて」
リナにの最大の魅力である天真爛漫さや陽気さといった色はなりを潜めていた。代わりに鮮やかなまでの凛々しさが前面に出てきた。
「私は一人でもやってやるってわけよ。剣気もまともに扱えない素人が立ち向かってるんだから、国を背負う私たちが指をくわえてみているわけにはいかないってわけよ!」
巨大な処刑斧を大きく振りかぶって構える。
その姿、言葉に茜もレギオンも引けなくなった。それは誇りが敗戦必死の戦いでも逃げることを許さなかったからだ。二人とも武器を構え、茜は夕焼けの色を、レギオンは銀色の剣気をそれぞれ纏う。
しかし、リナは剣気を纏わない。
「確か、こうやって……」
神域の騎士である二人はリナが何をやっているのかが理解できなかった。しかしヴァーヴェルグが気づく。皮膚の内側に剣気がたまっているのを。それも足を中心に。ヴァ―ヴェルがやっていたことをリナは見様見真似でやろうとしているのだ。
「――こう!」
轟!
風が吹き荒れた瞬間には、ヴァーヴェルグの真横にリナがいた。それを茜はとらえられず、速さを冠するレギオンは驚愕した。さらに振るわれる処刑斧がヴァーヴェルグに到達する刹那の間に桜色の光が流動し、その処刑斧に剣気がまとわりついた。
ゴッキィィィイイイイィィィィイイイイイインン!
それは重い金属同士を打ち鳴らすような音。そして、桜色の剣気と朱色の剣気がぶつかり合って火花を散らす。
初めてヴァーヴェルグが剣気を纏って防御した。構えすら取らなかったヴァーヴェルグが攻撃と認識して防御したのだ。
「違う、そうではない」
ヴァーヴェルグの言葉だ。
同時にリナが膝をつく。ふくらはぎや太ももに鈍痛が走り苦悶の声を上げた。
剣気の総量が低くとも神域の騎士にはなれる。その総量を補って余りある技術こそが肝要なのだ。
「強化だけではダメだ。足も守れ」
体に纏わせて攻防を均等に上げるだけでは総量も技術も上回っているヴァーヴェルグに勝てるはずもない。今の世の中ではそれで間に合ってしまっているのが、神域の騎士の質の低下に拍車をかけていた。
今の神域の騎士は間違いなく歴代最強ではあるが、剣気の総量がそうであるだけでそれを扱う技術は下の下。
それでもリナを称賛した。
「だが、悪くない」
ニィィ、と引き裂いた笑みを浮かべるヴァーヴェルグ。
「貴様らも来い。神域のその先へと」
技術の本質。剣気を扱うものとして至るべき領域。
しかしながら、それでたきつけられたのはレギオンだけだった。茜は端から、正面切ってぶつかり合うつもりはない。煙管を大きく吸い上げて肺に煙をため込み、体内で魔力と練り合わせて一気に吐き出す。
通常では考えられないほどの濃さの白煙があたりに立ち込め、風ですら揺らめかない重い煙がヴァーヴェルグの視界を覆いつくす。あたりが暗くなったようにすら感じるのはこの白煙が太陽の光すら遮りつつあるからだ。
この中でも神域の騎士たちにはヴァーヴェルグの居場所が分かった。甲殻の隙間を巡る赤い光のおかげだ。あの色彩が騎士たちの目にはしっかりと捕らえられていた。
その状況を活かさないわけがなかった。
暴風が吹き荒れ白煙が見事なまでの円形の道を作り出した。それは、すでにレギオンが通過した道筋をたどる風圧であり、最速の騎士の本気の一撃の余波だった。
銀色の剣気を纏った一撃。かつてのように剣気を纏わないなどとなめ腐ったことができる段階をはるか以前に通過した。
最速の騎士の一撃。何よりも恐ろしいのは速さ以上にレギオンの扱う『逆廻りの細剣・スカー』にあった。スカーによって一度受けた傷は治癒されない。こんなもので巨竜を削って大丈夫かと問われれば、血液の通っていない鱗や古くなった甲殻に限り問題はなかった。
前回は支配権を奪われ傷をつけられなかったが、今回は異なる結果が発生した。
衝突の瞬間に円ではなく球状の衝撃波がまき散らされあたりの白煙を散らし切った。その時すでにリナも後ろに飛ばされそれを茜が受け止める。
同時に衝撃とは別の、バーナーで鉄鋼の壁を焼き切るような音が響き、火花が散り続けた。
「なんだこれはっ!?」
傷がつかないわけではない。傷がついたそばから修復されているのだ。そして押し返された切っ先を再度押し込み、火花が散り続けている。
レギオンすら理解していない現象。本来レギオンの持つ細剣はもともと、時間を巻き戻す怪物から作られたものだ。そうした化け物どもから作られた武器は神域の騎士が所持しているいくつかが同じような経緯で作られている。
そうしたものはかつての生物の運命が残っており、それぞれの好悪や性格などが反映されている。歴代の神域の騎士の中では武器に嫌われ紙一つ切れない者もいた。
今起きているのはそうした好みの問題とは少し離れたところにあった。それは純粋な恐怖。武器となった今も存在している生きていた時の名残、それがヴァーヴェルグと敵対することを必死に拒否していた。
それを理解しているのはヴァーヴェルグただ一人。
ヴァーヴェルグの装甲を削った一瞬を巻き戻し再生して無限に繰り返し続けていた。
「貴様はまだまだ未熟だな」
「……っ」
「そんな程度の浅い底で、手を抜くから傷一つつけられんのだ」
「この」
「退け! 挑発に乗るなレギオン!」
茜の喝で頭に上った血が一瞬で冷えたレギオンは、適切に距離を取る。素直にレギオンが従ったことがリナにとって少し不思議でもあった。だが、リナは神域の騎士となって日が浅いから知らないだけだった。
レギオンが最も力を発揮するのは的確に指示が出せるオレウスや茜、翁といったブレインを側に置いた時だ。状況を組み立てて戦うことが得意ではないレギオンにとってブレインがいるのといないのでは実力は雲泥の差があった。それをレギオン自身がしっかりと理解しているからこその行動。
無論、オルガノンはブレイン向きではないためによく王命を無視して減俸やただ働きなどをさせられがちなのも事実だった。
ヴァーヴェルグが追撃を仕掛けないのは単純に目的が迎撃ではなくただの暇つぶしという言ってんだから、ということに尽きる。
この状況、タイムリミットはわからないが、茜に言わせればすべてがそろっていた。
ヴァーヴェルグをかく乱できるレギオンと、ヴァーヴェルグが防御した一撃を放てるリナ。それらで戦略を組める茜。
「まとめてかかってこい! さもなければ暇つぶしにもならんぞ!」
「上等じゃな。ただ個が強ければ神域の騎士が務まるわけでもあるまい。見せてやるとするかのう」
茜は煙管を魔術で収納すると、両手で薙刀を構える。同時に散ったはずの煙が集まりだしてあたりに立ち込める。
神域の騎士の騎士たちの間に言葉はない。煙で見えなくなる寸前に交差したレギオンと茜の視線。その間に言葉はなく、しかし言葉と同等の情報をやり取りする。
一方で視界を白煙に覆われたヴァーヴェルグは動きを制限されることになっていた。ヴァーヴェルグクラスの怪物ともなれば煙の動きから数舜遅れて相手の位置を察知することも可能だ。だが、茜の魔力が込められた白煙は物理法則に則らない。手を振っても、それによって風に巻き込まれて形を変えないのだ。
それがただでさえ速いレギオンの動きを察知できなくさせていた。
そしてヴァーヴェルグはレギオンの特徴が速さだけではないことも、二度の衝突で看破していた。
レギオンは身軽でその速さのせいで隠れがちだが、音がない。鋼鉄のブーツを履いていても足を踏み鳴らす音が一切しないのは、それこそレギオンの技術の賜物だ。そして光すら遮るほどの白煙によって視界が利かないのなら、その効力は限りなく高まる。
もはや、ヴァーヴェルグはレギオンに追いつける要素を持っていない。
できることは唯一つ。防御を固めること。朱色の剣気があふれ出し、ヴァーヴェルグを覆いつくす。背後が過去に作られた谷にも似た巨大な傷跡であることがヴァーヴェルグに味方した。
初撃は正面だった。細剣による刺突は地面を這うように低いところから突き上げるように伸びてヴァーヴェルグの水月をめがけて突き上げた。その一撃は銀の剣気を纏い確かに重かった。しかし、『スカー』は使い手のレギオンが未熟であることも相まって、ヴァーヴェルグ相手に歯うまく機能しないことも確かだった。
ゆえにレギオンの一撃が甲殻を穿つことはない。わずかに傷つくと同時に、傷口が再生し、切っ先が弾かれる。一連の流れをルーティーンとして繰り返すのだ。
「速さを司る第二席。見事だ」
一撃の後、離脱した。このヒット&アウェイを繰り返して相手に出血を強いるのがレギオンの本当の戦法。泥臭く、気が長くなるほどの時間をかけて根気よく叩き続ける。
優雅さを求め、新譲渡するレギオンが最も嫌いとする戦い方。それこそが、本質なのだ。だからこそヴァーヴェルグは肯定した。
「だからこそ付け入るスキがある俺が建国の英雄と張り合うほどの力をもっていることを忘れたか?」
刹那、二撃目が真横から足首を狙って、地面を滑走するような低さで走りこんできた。
「そこ」
「――っ!!??」
ヴァーヴェルグが狙っていたのは衝突の瞬間。細剣は鎧など固いものに対して弾かれやすい。それは物の芯を捕らえられていないからだ。だがレギオンは仮にも神域の騎士だ。その技量をもってすれば甲殻の芯を貫くように突きを放つことなど造作もない。だが、それが有効打となる瞬間はダメージが与えられ、貫通したときのみだ。むしろ、受け止められてしまうのならレギオンの有利な点である速度が殺されてしまう。
今までに存在すらしなかった、『スカー』という武器が利かない相手。戦い方を間違うことは誰にも責められなかった。
ヴァーヴェルグは握った拳を振り下ろす。ほんの少ししか見ていないレギオンでも理解している。剣気を纏ったこの悪竜の凶悪さを。その一撃は警戒に値するものだ。
刹那の間。
レギオンは体が縮こまりそうになるのを押さえつけ、一気に『前へ』駆けだした。半歩前に出れば触れられるほど肉薄しているのに、レギオンに躊躇いはない。ヴァーヴェルグの拳が振り下ろされ、地面にぶつかるまでの間に4発の刺突と斬撃を叩き込む。
まずは腹。
駆けだした正面にあった膝へ足をかけて踏んで、感性のベクトルを強引に真上へと変えて、上体を浮き上がらせる間に一撃。表面を撫でるように滑らせる。
続く二撃目は腕。
そもそもヴァーヴェルグの一撃はレギオンをつぶす軌道から外れていないのだ。それを、体をひねりながら皮膚を削るほどの近さで回避し、すれ違いざまに、同じく表面を撫でるように刻んだ。
三撃目は首。
膝を踏んで腕を回避すれば、レギオンの速さから体はそのままヴァーヴェルグの視線の高さへと動く。そのまま肩を踏んで勢いをつけて首へと斬撃。
そのまま最後の四撃目。
首を踏みつけて飛びのくと同時に突きを叩き込んでさらに後ろへと飛ぶ勢いをつけて離脱する。
一連の動作の後にヴァーヴェルグの一撃は巨竜の甲殻を砕き、半径3メートルほどのクレーターを作った。
「――さすがに速いな。いや、速くなったのか?」
レギオンはすでに肩で息をしている。命のやり取りをしている間、消耗が早くなるのは当然だが、それでも体力の消耗が早すぎた。
この程度の強度の運動など本来であればものともしない。しかし、一方的な命の危機があるだけで、体は冷や汗を浮かべ、のどの奥が干上がる。空気の薄さも相まって、レギオンはすでに呼吸が苦しくなっていた。
「神域の騎士はどいつもコイルもスロースターターだな。ならば、それを考慮して動くだけの事」
レオンの姿はすでに煙の中。
次の攻撃を警戒すると同時にヴァーヴェルグは仮説を立てた。
最初の一撃が水月なのは明らかにレギオンの性格が出ている。初撃歯優雅なまま殺し切ってしまおうというある種の手抜きだ。しかし追撃は足。確実に機動力を奪う戦法に出た。ここから泥臭くぶつかり合うことを想定しているのだ。ならば、次の一撃を読むのは容易い。攻撃力を奪うのだ。
ヴァーヴェルグからすればそれを逆手に取らない理由がない。傷がつかなくとも、セオリーはなかなか崩せない。今までの戦いと同じような戦法を取ることが分かりきっている。
事実、レギオンは癖のようにしみ込んだ戦術を無意識のうちになぞって腕を狙っていた。そういう意味ではヴァーヴェルグはすでにレギオンの上を行っていた。
それでもレギオンのことを理解できていなかった。目立ちたがり屋で女性をいつも口説いているこの男がどういう思考なのかを。
だからこそ奇襲は成功した。
それは背後。
「なんだと?」
そこには地面などなくとも、レギオンの速ささえあれば飛び越えるのはそう難しいことではない。肘に向かって一突き。当然ながらダメージなどはない。だが、ヴァーヴェルグの衝撃波並みではなかった。
レギオンはそのままヴァーヴェルグの横に逸れて着地する。勢いそのままにブーツの側面を削るようにして地面をこする。
ギャリギャリギャリッ。
思わず耳をふさぎたくなるような音はスノーボードの要領でレギオンは強引に進行方向を変えた瞬間の、摩擦音だった。
そのまま弧を描いて反対の側面へと回ると、それにヴァーヴェルグも反応した。足を踏み出し、地面を砕きながら、その力がこも多拳を突き出す。それを軽やかに飛び跳ねて回避すると同時に体を回転させて腕から肩、首にかけて三度の斬撃を叩き込む。勢いそのままにヴァーヴェルグを飛び越えていく。
回避と攻撃を両立させつつ、さらには退避まで速度にものを言わせて行っていく。ワンマンといえば間違いないが、ここまで行けば強力だ。
だが、その速さが発揮できな瞬間というものはある。
例えば攻撃直後の空中。速度が乗らず、着地までの瞬間などいくらでも狙えた。
レギオンが見たのはすでに眼前へと肉薄するヴァーヴェルグの姿。拳を握り、赤い瞳を煌々とぎらつかせレギオンをにらみつけていた。
「――まずっ!?」
「もらった」
「甘いッ!」
煙の中、真横から現れたのは黒髪の美しい狐耳の女性、茜だった。だが、その髪が黒から剣気と同じく夕日のような茜色へと染まっていた。
切っ先を高く構えた薙刀がそのまま振り下ろされ、突き出さんとする拳を叩き落す。
その一撃同士がぶつかり合った衝撃は、魔力の込められた煙を散らすのには十分だった。その煙が引いていくさなか、煙の中から何かが飛び出してきた。
茜の背後。
底にヴァーヴェルグは【鬼】を見た。処刑斧を振りかぶったリナだ。角はなくとも鬼神のごとき迫力と、斧と腕のみに纏わされた剣気を見て【鬼】と勘違いをした。
「おおおおぉぉぉォォォオオオオオ!!」
まだ迎撃は間に合った。撃ち落された方途は反対の手を使って守ればいいだけ。それを見た茜も動く。薙刀を、遠心力を利用してぶん回す。再度、攻撃の手を撃ち落しにかかるがヴァーヴェルグのほうが早かった。
「遅い」
「それはこっちのセリフだ!」
ヴァーヴェルグの言葉に応えたのはレギオン。
神域の騎士、第二席とは最も速き騎士に与えられる称号だ。遅いなどというセリフがこの世で一番似合わない騎士のことだ。
全速力で走り出したレギオンは薙刀の刃のないミネを蹴りつける。反作用でレギオンは空中で速度を失ったが、代わりに薙刀にその速度が乗った。
ギャリンッ!!
という音とともにヴァーヴェルグの腕がわずかに弾かれる。そして無防備に開かれたその胸にリナの渾身の一撃が叩き込まれた。




