第三章 9 ●巨竜の行方
風月凪沙が空高く投げ飛ばされた直後、ヴァーヴェルグの興味はティアへと向いていた。
「貴様も理の外側か」
「悪いが僕はパスだ。吸血鬼の中でも最弱。今ではこうして闇の中じゃないと幼女に戻ってしまうほどだ。挙句力も出ない。だから僕は君の相手をしない」
「……」
「迎えに行ったほうがいい」
ティアのこの言葉はヴァーヴェルに向けたものではない。近くで投げ飛ばされた風月を見て、同じことならできそうだとか思慮していたリナに向けたものだ。
「リナ君?」
「え?」
「あそこまで向かいたまへ。風月君は帰ってこないよ」
「なんで?」
「旅がしたい風月君にとってこのまま東へ向かえるし、新しい新天地みたいなものだと思っているよ。今回の件、間違いなく報告書が必要だし、僕としては当事者を捕まえておくほうが書類仕事がなくなると思うな」
「あ、あー」
空気が緩んでしまい、いまいちぴんと来ないリナ。何よりも風月と肩を並べて戦うことが来ると思っていなかった。少しだけ心が跳ねて、足元がおぼつかない。何よりも最後の攻撃が投げということも少しコミカルにkん時手毒気が抜かれてしまった原因の一つだ。
「ああっ!?」
リナが突然上げた怒号のような大声にティアの声が跳ねる。
「どうしたんだい?」
「そういえば、私の仕事はあの鱗を剥がすことだったってわけよ! 忘れてた!」
「それは仮にも王命だろう!?」
王命とは考えられる限り最高のものだ。それを破ることは最悪処刑までありうる。
「神域の騎士とは言え、厳罰は免れないだろうな」
急に声がして振り返ると、そこには茜がいた。剣気を纏って走ってきたのだ。少し息切れをしていたが、そんなに疲れは見えない。
「リナ、早くいくがよい。厳罰は辛いぞ?」
「茜……。あんたも同じ状況ってわけよ」
「……」
「……」
「行くとするかの」
しぶしぶといった形で二人はその場から跳躍することで一気に巨竜との距離を詰める。さらに茜が足場を出して、それを踏み台にしてさらに加速する。ものの30秒ほどで見えなくなった。
「……君は行かないのかい、ヴァーヴェルグ」
「迷っている」
「迷う?」
「ああ。巨竜は俺と同じだ」
全く思い描いていなかった返答にティアは困惑した。
「巨竜がどうかしたのかい?」
「死に場所を探している。この俺よりもはるか昔から生き永らえてきた存在だ。寿命が近い。今、死に場所を求めてここに来た」
「そんなことがわかるのかい?」
「竜の言葉は竜にしかわからん。それに、死にたいのに死ねないその気持ちは、痛いほどよくわかる」
「それで、何を迷っているんだい? 僕が聞いたのは行くのかどうかだよ。でも、そんなこと眼中になさそうだし」
「巨竜の命を絶つかどうか」
その言葉にはさすがのティアも口をつぐんだ。巨大な島がそのまま浮いているようなサイズだ。その命を奪う。こうもあっさりと、そしてできることが当然のように言ってしまう。スケールが違いすぎてティアにはイメージすらできなかった。
「待て、ヴァーヴェルグ。あれだけの巨体が墜ちたら何人死ぬと思う?」
「貴様らの命など知ったことか。生きることがどれだけの苦に満ちているのか、貴様もわかっているだろう? かつて、神に追いやられた貴様が一番よくわかっているだろう?」
「……」
ティアが思い返すのは、かつての旅。ドラクルに根を下ろすまで共に生きた定命の者。その出会いがなければ、とてもじゃないが生きていたいと思えるような人生ではなかった。だからこそ、生きることがどれだけ辛く苦しく悔しいことなのかよく理解していた。
「本当に死を求めているのかい?」
「ああ。悲痛な声だ」
「……あの巨竜は、ずっと生きてきた。僕よりも、ヴァーヴェルグ、君よりもだ。同時に、僕も君も今を生きてなんかいない」
ヴァーヴェルグはティアの言いたいことがよくわかる。
「1000年前に封印された君と、500年ほど前に死んだ僕。先祖返りなんて方法でもなければ僕は二度とこの世界を垣間見ることなんかなかった。そんな僕だけど、この体をいつまでも借りているつもりはない。いつかは消えるんだ。ティアが死ぬよりもずっと早く、吸血鬼としての僕は消える。なぜなら、僕は居間を生きていないから。僕が生きていたのは500年前だし、君が生きていたのは1000年前だ」
ティアは巨竜を見上げた。空を覆いつくすほどの巨体。いったいどれほど前から生きていたのかなんて全くわからない。それでも、あの大きさになるまでは何万年と生きてきたはずだ。その命が終わる。或いは終わらせること資格が、ティアやヴァーヴェルグにあると思っていないのだ。
「ヴァーヴェルグ、いつかは死ぬ命だろうと、僕たちが奪っていい道理はない。少なくとも、今を生きている者たちに任せるべきだ」
「……任せる?」
「ゆだねると言い換えてもいい。あの巨竜が死を求めているのなら……。あれほどの運命を持つのなら、望めば自ずとそうなるさ」
「その望みが、俺を呼んだとは思わないのか?」
「君ほどの運命力があれば、すべて押しつぶしてしまえるじゃないか」
「俺は行く」
「ヴァーヴェルグ!」
ヴァーヴェルグを諫めるが、意に介さない。誰よりも生きることの苦悩を知っているヴァーヴェルグは無為に生きることをよしとしない。風月のように生きることに目的を持ち、それに進み続けるような生き方のみをヴァーヴェルグは肯定する。
「凪沙君は……」
「風月凪沙がどうかしたか?」
「ここで終わらせるというのなら、凪沙君は君の前に立ちふさがるぞ」
「なぜわかる?」
「眷属のことくらいわかるさ。気持ちも、考えもね。それで、もしも目の前に凪沙君が立ちふさがるのならどうする?」
「……やってみろ」
「うん、やってやるさ。彼は君と対等だ」
ヴァーヴェルグは心の底からそう思ったわけではない。無論それをティアは理解しているし、理解していることをヴァーヴェルグは知っている。
つまり完全な皮肉だった。
それは気に食わなかったが、それよりも巨竜に興味があった。
「それで、お前は来るのか?」
「僕? 僕は行かないよ。いつもは眠ってる時間に起きたから眠くて眠くて……」
ふわっ、と大きく口を開けてあくびをする。眼の端に涙を浮かべて大きく伸びをする。
「だめだだめだ。僕はもう眠るとするよ」
そういって下山していくティアを恨めしそうにヴァーヴェルグは見つめ続けていた。
生きることに苦しみ以外の感情を見出していないヴァーヴェルグにとって、ティアのように終わりをしっかりと見据えながら人生をエンジョイしているのが、素直にうらやましかったのだ。
舌打ちを一つ。
ヴァーヴェルグは空を覆いつくす巨竜を見上げた。




