第三章 8 ★小休止
ミラタリオと禍月茜を筆頭にクレイグルへ奇襲を仕掛けた。大河と、武器を持ち込めない魔の山に挟まれた山道には隠れる場所などなかった。
「お前らはいったいどこから……」
猟犬部隊。隠れ、奇襲することに長けた猟師たちが魔術を扱う部隊。隠れ忍んで耐えることになれているからこそ、見つけられなかった異常性に気づいていた。
クレイグルは猟犬が時間を稼いでいる間にギーレが戦線離脱し立て直していた。残った猟犬は蹂躙されつくし、屍を晒していた。
その最後の一人。
「あっけないな」
「奇襲などなければっ」
悔しさをにじませてうめく。気にかけるようなことでもなかったが、ミラタリオは同情の余地があると思っていた。
「そうだな。奇襲されたからこそ、儂や神域の騎士がいなかろうと、負けていただろうな。逆に言えば、真正面からぶつかっていればやりようはあったろうに」
肩をすくめて目を伏せる。
「まあ、なんだ。相手が悪かったな」
「お前たちさえ、いなければっ。猟犬は負けなかった」
「軍師さえいなければの間違いだな。それが理解できないのであれば何度挑もうが変わらん」
もはや回復不能の猟犬の生き残りを放っておき、禍月茜と合流する。
「随分若返ったの」
「そっちはどうだ?」
「口調も若返るのか。まあ十分じゃよ。即席で陣を組んで今は道をふさいでおる。半分は殲滅できたかの」
「半分……。驚異的だな」
ミラタリオが顔をしかめた。
ドラクルの圧倒的劣勢だと誰もが思っていた。それがふたを開けてみればものの一刻で4000近い敵を撃破した。それもミラタリオや茜は驚くほど何もしていない。要所要所の敵を抑えただけだ。
むしろ、たったそれだけ半数が死んだ。兵の練度も武器もすべてクレイグルが上だったにもかかわらず、それを成したのは、策に他ならない。
「あのドラクルの小娘、随分とやり手じゃな」
茜が言っているのはミクハのことで、ミラタリオはこれを仕組んだのがミクハでないことを知っている。まさか、500年まえにドラクルをまとめ上げたその立役者がやったことだとは気づくまい。
「予言の通りとはの」
正確には500年前に起きたことをそのまま焼き直ししただけのことだ。それを知っているミラタリオだからこそ、茜の言っていることが滑稽で仕方なかった。老齢してから若者をからかう癖ができたのをよく思ってないが、こればっかりは自重できなかった。
すると茜は見るからに不機嫌になった。
「なんじゃ? 何か言いたいことがあるのならはっきりせい」
「いやいやなにも」
「ふん、気に食わん」
神域の騎士ははっきり言って仲が良くない。それこそ、第二席と第三席はそれが顕著だ。それは貴族の問題だとか実力や席の番号だとか原因はいろいろあるが、何よりもプライドとして同じような実力を認めたくない尖った性格の奴らがほとんどだ。
そもそもそれくらいの向上心がなければ神域などに足を踏み入れられるはずがない。
「ここまでの用兵ができるのなら5年前、魔の山を攻略できたかもしれんのう」
言葉もしゃべれない赤子を、と言いかけて口をつぐむミラタリオ。基本的に外へ出す情報は少ないほうがいい。どこで別の領地にばれて間者を送られるか分かったものではない。
「にしても、ここまで大規模な土木工事をやってのけるとは、あっぱれじゃ」
「ドラクルは要塞を築くために迫られただけの事」
茜が言っているのは、盛り土のことだ。
わずか一週間ほどで魔の山の手前に、意図的に作られた隆起した台地。このあたりの地形を知らない者からすれば、苔などのカムフラージュなどもあって気づかない。ゆえに、多くの兵士がその陰で武器をもって隠れていた。そして同時多発的に行われた奇襲によってクレイグルはほぼ壊滅状態に追いやった。
準備の差が勝敗を分けたといっても過言ではない。
「こっちの被害はどれくらいじゃ?」
「ほぼゼロ」
ミラタリオの言葉に茜が顔をしかめる。
「数は500だとか800だとか言っておらんかったか? 武器も練度も数も向こうがうえ。それで被害がゼロ?」
くいと顎で指示した。そちらに茜が目をやると兵士たちがぞろぞろとできた。そう、魔の山から。
「どういうことじゃ? 武器は持ち込めないのではなかったか?」
「持ち込んでないからな」
確かに兵士たちは丸腰で、何をやったかは分かりやすかった。
「武器を捨てて逃げたのか」
「なに、すべて作戦だ」
「ミラタリオ。おぬし、若返って貫禄がなくなると厭味ったらしさが増すのう」
「……」
見た目が若返っているだけで、本質的に精神が若返っているわけではない。いわば力を発揮したときの副作用のようなものだ。それで貫録がないと言われてもミラタリオは困ってしまう。
「あんたをそんなにいびった覚えはないんだがな」
「そんなことしておったらどさくさに紛れて首を撥ね飛ばしておるわ」
「やってみろクソガキ」
「お? わしのほうが長生きしておるわ。デミの寿命なめんじゃないわ」
「その割には貫禄がないな」
「おぬしが年を取って手に入れたものは悪口の強さだけじゃろ?」
「…………」
「…………」
周りの兵士たちは神域の騎士クラスがバチバチにいら見合う仲で、完全におびえきっていた。そんな一触即発の空気の中、兵士たちにとってはその流れを断ち切る出来事が訪れた。出来事というよりも、『夜』が訪れた。
それは巨竜の直下に入ったことを示していた。
すると、遠くのほうでぽつぽつと明かりがつき始めた。それはミラタリオたちが集結する場所から前後にあった。前方はクレイグルたちが即席ではった陣で後方はドラクルのだ。
「……あんなに近かったかのう?」
「何が?」
「ドラクル領じゃ」
茜には暗い中でもミラタリオが呆れているのがわかった。
「書類に目を通せ」
「あれも策か?」
「ああ。ここで失敗したときに偽のドラクル領に攻め入らせて囲って叩く作戦だ」
「大した軍師じゃな。この巨竜の暗闇に乗じて攻め込まれることすら想定していたということか」
これすら過去の焼き増しだった。
やはり、ミラタリオは多くを語らない。
「ここに陣を張るぞ。長期戦だ」
「ここで押さぬのか? あれだけ疲弊していれば儂だけでも押し切れそうじゃが?」
「バカタレ」
「ばっ!?」
「兵士が疲弊してるだろ。それに練度も低い。こういうところで経験を積ませておかないでどうする? 負け戦には負け戦の、勝ち戦には勝ち戦の利用の仕方がある」
「逃げたらどうするつもりじゃ?」
「クレイグルは逃げない」
ミラタリオには確信があった。
「若くまともな判断ができない指揮官が何の手柄も立てずに戻れるはずがない。プライドがそれを許さんさ。それに……」
凶悪な笑みを浮かべるが、闇の中で誰も見えていなかった。しかし、見ていたら怯え震えあがったはずだ。
「逃げたら逃げたでまた挟むだけの事よ」
疲弊して闇の中。同士討ちを恐れる中、神域の騎士クラスの化け物が一人投入されるだけで蹂躙は容易い。
「火を起こし、飯をかっこめ。激突に備えろ!」
兵士たちはミラタリオの言葉にそそくさと動き出す。
「おそらく気づいたぞ?」
「何にだ?」
「奇襲のからくりじゃ」
「見えるのか? この手も見えないほどの闇の中で」
「いいや。だが聞こえるのう」
ぴこぴこと闇色の耳を動かして音を拾う。
「利用されたらどうするつもりじゃ?」
「できんさ」
懐からスクロールを取り出すと、持った土に張り付けるミラタリオ。見えずとも音で察知した茜は、古風な騎士を体現したかのようなミラタリオが魔術を使うところを見たことがなかった。だから質問する。
「おぬし、魔術を使うのか?」
「使えないことはない。戦闘では使わない。まったく、神域の騎士も軟弱になったな」
そういってスクロールに魔力を通すと、魔方陣が空中に展開されていく。
それを見てため息を吐いたのは茜だった。
「もっとやりようはあったじゃろ? そんな程度もスクロールを使わんとできんのか?」
「放っておけ」
携帯をうまく扱えない老人とそれを教える孫のようだった。
ズズン、と低い地響きを鳴らしながら山が崩れ、魔の山と一体化する。
「これでできない」
「その軍師は性格が最悪じゃのう」
抜け目なさはもう今聞いただけでわかった。茜としてはドラクルを正直相手にしたくなかった。何よりも恐ろしいのは、闇の中で地響きが起きたのに誰も驚いていないことだ。それだけ訓練を積んで、何が起きるのかを熟知している。
それらすべてを策として詰め込んだ軍師の手腕と発想力に敵対したくないと感じた。
そんなこんなで小休止だった。今は見に徹することが需要となる。闇の中で相手の動きを待つのだ。
それは時間があるわけで、茜は口寂しさに煙管を魔術で取り出すと火を入れる。それも魔術で行われたために、もしも明かりがあったら、煙管がひとりでに煙を吹いたように見えたはずだ。
紫色の煙はかすかながら光を帯びていて、茜は煙管を吸って肺に煙を取り込むと、それを静かに噴き出して椅子を作る。煙でできた輪郭すら曖昧なものに茜は腰かける。
「劣勢と聞いておったのに、ふたを開けてみればこの様かの」
そう、すべてで劣るドラクルが策を弄したところでたかが知れている。そう思っていたのに、すべてが思惑通りに進んでいた。
茜が感じたのは腹立たしさだった。
こんなことなら、おとなしく巨竜迎撃戦に参加し、金子を稼いでいたほうがましだった。商人の危機であり、どういうわけか利益を増産する風月凪沙が首を突っ込んでいるのならなおさら参加したほうが良い賭けだったわけだ。
だが、外れも外れ。ガジガジと煙管の吸い口に歯を立てる茜。ストレスがたまるとついやってしまう癖だ。煙管をたしなむ前までは小指の詰めを齧っていたが、今ではこの通りだ。
「くそ、くそ、くそっ。じじいとは反りが合わんし、出費は出るし、稼ぎはないしでとんだ赤字じゃっ。貧乏くじを引かされたのう」
その時だった、茜の獣耳が音に反応した。それも遠くで何かが風を切る音。
この闇の中、何も見えなかった。それでも何かが空高く打ち上げられ、衝突する音がした。
「この方角、魔の山か?」
一応向き直って、あたりを観察する。
「ミラタリオ。もうここはよいか?」
「敵前逃亡か?」
肩をすくめて煽るミラタリオにもはや拘泥しなかった。
「金の匂いじゃ」
「……行っていいぞ」
武器を魔術で収納すると、返事もせず茜は魔の山へ消えていった。




