第三章 5 §行方知れず
西で暴れまわったカイザーにより、巨竜迎撃祭に遅れが出たことはすでに周知の事実だった。しかし、問題はほかにもあった。
「東の麒麟が姿を消し、北でも銀狼が姿を消しました」
オルガノンは王都の騎士団長の報告に頭を抱えていた。
目にかかる獅子の鬣のような深紅の髪をかきあげ、ひどく機嫌が悪い様子だった。さらに、いつもの足を大きく露出した、切り裂かれたドレスも来ていない。アイドルは休日はダサい眼鏡でジャージ着て楽しているみたいな様子でもあった。
そしてミクハと同じような問題に直面していた。睡眠不足である。
「ふざっけんじゃないわよ!」
調度品を蹴り壊すオルガノン。我慢の限界だった。ヴァーヴェルグがおとなしくしたかと思えば、北は暴走し、それを止めるという名目で南も独断。そのせいで巨竜迎撃祭に深刻なダメージが発生していた。それは、鱗が剥げないこと。重要な収入源ががりがりと削られつつある。
さらには東の最果て、エルフの住まう森では麒麟が姿を消した。北でも定期的に街を練り歩いていた銀狼が消えた。銀狼に関してはそんなに人前に姿を現すほうではなかったが、巨竜迎撃祭には必ず町に降りてお供え物をもっていっていた。
それが今年姿を現していない。
変わらないといえば水竜オルガだけはいつもの通り海の荒くれ者として君臨している。
「それもこれも全部ヴァーヴェルグと風月凪沙のせいだ!」
風月にしてみればたまったものではない。この世界に来てたまたまヴァーヴェルグが目覚めたのだ。尤も、そこに作為的なものを感じるなというほうが無理なことは間違いない。
「風月凪沙はどうしている? これ以上変なことを起こされてはたまったもんじゃない」
「行方不明らしいです」
「…………、くそが」
ぼそりとこぼしたが、執務室に詰めている長老院や報告に来た騎士団長には丸聞こえだった。猛獣と同じ檻に入れられたらきっとこんな気持ちになるはずだ。元神域の騎士で猛獣とそんなに変わりはない。
「ほかには?」
「ドラクル領を通して第九席から報告が」
「なんだ?」
「商人たちまで巻き込まれかねないから、ドラクルにつくと。そのまま巨竜迎撃祭に不参加を決めました」
バキィッ。
触れていた椅子が砕ける。剣気が強引に叩き込まれて椅子が耐久限界を迎えた音だ。
「誰か送る。翁は?」
翁はこの件を知れる位置にいるか?
暗にそう聞いている。
「すでに北東の大河まで移動しております」
「ならアルトかリナでいい。翁は公平にとうるさいからな」
直後、扉を蹴り開けてピンク色の髪の女性が入ってきた。
「オルガ!」
「リナか、わかっている」
「姐さんが参加しないなら参加したい!」
姐さんとはリナが勝手に読んでいるだけで、茜のことだ。
「いいぞ。行ってこい」
「行ってきます!」
「お前だけだよ、私の仕事をこうも簡単になくしてくれるのは……」
「リナ様はもういませんよ」
王都の騎士団と比較的仲のいいリナは騎士団長からはほかの神域の騎士よりもフレンドリーに呼ばれていた。
オルガノンは今までにないほどの疲れを感じながら、執務室の机に腰かけた。椅子を無意識に砕いたために座るところがここしかなかった。
「王族が代々使ってきた執務机だぞ。おしりを退けなさい」
「お、お兄様!?」
部屋に入ってきたのはオルガノンと同じ髪を持つ前王、オレウスだ。オルガノンの兄でもある。バッ、と机から飛び降りるオルガノン。
「さっきリナが走っていったが、なんかあったのかい?」
「オレウス様。本当に最近どうしました? 今までは一年間で一度も顔を出さないなどざらだったのに……」
「うるさいぞ、騎士団長。私だって多少は顔を出すさ。特に今は緊急事態だからね」
「リナ様は東で巨竜迎撃に向かいました」
「あらら、先を越されたか。もう一つ情報がある。昨夜、魔の山が光った。過去に何度か目撃例があったが、今回は巨竜が『答えた』らしい。どういうわけか進行方向が魔の山の真横を通過していくほうへ微修正されたらしい。今回は北東じゃなく、ほぼ真東に抜けていくようだ」
「……翁への連絡は?」
「無理かな」
「無理? 魔術具は?」
オレウスはンベ、と小さく舌を出す。そして、右手を挙げた。その手には連絡用の魔術具があった。
「どうやら置いていってしまったようだね……。あのじじいもおっちょこちょいだ」
誰も口にしないが、嘘だと心の中で思っている。あとからリナたちをクレイグルの私兵をつぶすために追わせるつもりだった。祖お時に翁へ誰かが連絡を取れば後で小言を言われたり責任を取らされることは目に見えている。
それを避けるために盗んだに違いなかった。
「それでだ、翁は北東で迎撃祭に参加できなさそうだ。私が今から向かったところで間に合わなさそうだし、なら別のことしたほうが有意義だよね?」
さわやかな笑みだが、その裏でよろしくないことを謀略しているのはわかりきっている。責任を取らされないために、言質を取りに来た。それゆえに誰も答えたがらない。
「何がしたいのかさっさと仰ってくださいお兄様。私が忙しいのは主にあなたのせいなんですよ、わかっていますか?」
「え?」
オレウスの表情から笑みが消えた。それは予想外の言葉が出てきたからでは断じてない。怒りのあまり漏れ出した剣気に当てられたためだ。
オルガノンは現在第七席を務めるオレウスよりも強い。それこそ、アルトと喧嘩しながら育っただけある。本気で怒ったオルガノンの本気の剣気だ。それはオレウスも怖かった。王をやりたくないがために神域の騎士の座まで降りてきたが、本来はこの場所に収まっているのは間違いなくオルガノンだ。
必死に表情を取り繕うオレウス。
「私が一体何の仕事を増やしたというんだい? いっつも王都にすら近寄らないじゃないか」
「お兄様は常に仕事を上乗せしてくれていますよ?」
「……」
「あら、心当たりがおありですか?」
にっこりと笑うオルガノンにオレウスはいよいよ墓穴を掘ったことを認識した。眼だけが笑っていないことが、またなんとも恐ろしい
「いや、な、ないか――」
「そうですよね。当然ありますよね。『ない』なんて言っていたらぶち殺していました」
とぼけようとしたオレウスの言葉をつぶす。
そんな風にされようとオレウスには本当に心当たりがなかった。
「ただでさえ結婚させろと五月蠅い貴族が、今になって押しかけているんです」
「――――――は?」
城に近寄りすらしないオレウスは直接そういう話をされたことはなかった。王だったときは確かにあったが、王位を降りて以降、そういった話は一切シャットアウトされていた。一応処刑騒動の前に聞いてはいたが、ここまで仕事を圧迫するほどに来ていることは知らなかった。
「(いまだに話が来るのか……)」
ぼそりといったつもりでも周りに聞こえているのは兄弟の似ているところなのかもしれない。
「王族の血を引くお兄様の妻としてヴァーヴェルグ討伐を支えたという実績が欲しいようなので、特にここ最近はその数が異常なまでに膨れ上がっているんですよ」
「予定を思い出したので失礼しますね」
バタン。オレウスが振り返ると、騎士団長が扉を閉めていた。
「私は意外と忙しいんだ。どいてくれ騎士団長」
「私のほうにも縁談を取り付けてくれと話がたくさん来ております。それと、何か提案があるとか……」
オレウスは助けを求めてあたりを見回す。執務室に詰めている連中は全員視線を逸らした。ここにある資料の三分の一は縁談の要求だ。そのレベルで仕事を増やしたオレウスを助けることは誰もしなかった。
「あ、ああ。提案ね。今ここで。神域の騎士を迎撃に向かわせるのはどうかな。アルトを今ここで巨竜にぶつければ合計五人。ちょうどよくなる」
「……王として却下します」
「なぜ、と聞いても?」
「リナが参加する以上、絶対にダメだ。リナは有史以来第四席として最強だぞ。何なら戦力過剰まであります。第七席と第四席が同時に参加した50年前のときの資料を見ていないのですか?」
「それは知っている。巨竜の背中に残る傷」
「あれは巨竜にとって急所だ。どれだけ攻撃しても表面の劣化したうろこを削るのが精いっぱいだった時に、あれだけの傷を作った」
オレウスは口をつぐむ。
過剰になればまた何年も巨竜が来なくなることもあり得る。
「ああ、それと巨竜迎撃祭にこれ以上口出ししなくて済むように王命を下します」
「はい?」
「なんでも好きな人と結ばれる自由が欲しくて王をやめたとか……」
オレウスは唐突なりふり構わずに扉を蹴り開けて逃げていった。
王命も聞かなければ知りませんでしたを押し通せる。むろん責任は取らされるしないようにもよるが、比較的軽く済む。
「まったく……」
オレウスの意外に子供っぽい面を発見してしまった次の瞬間、今度はメイドが駆け込んできた。ノックもなしにあり得ないことだったが、オルガノンは気にしない。そうでなかったとしても、メイドの表情を見てしまうと誰も何も言えなかった。
「何だ?」
「その、ヴァ、ヴァーヴェルグ様が……」
それ以上の言葉はオルガノンには不要だった。この城は広いと言えど、状況を正確に確認するのなら走ったほうが早い。特にオルガノンや団長のように剣気が使えるのならなおさらだ。そういうわけで、オルガノンが走り出したのに呼応して騎士団長も走り出す。
ヴァーヴェルグに貸した部屋まで走る。その途中、会議に使いヴァーヴェルグが破壊した扉の修理などが行われていた。その真横を駆け抜けて扉を開くと、そこには誰もいなかった。
「……やられた」
「逃げましたかね?」
「それはない。神域の騎士が束になったって敵わないんだ。逃げる必要がない。ただの外出だわ」
ヴァーヴェルグの傍若無人なふるまいからトラブルを引き起こしかねない。オルガノンはそれが恐ろしかった。正確には、それによって仕事が増えることが怖かった。
「騎士団長、オレウス兄様に連絡を。神域の騎士第七席、オレウス・ブレイズ・セプタクルスに
王命を下します。ヴァーヴェルグを探し出して監視するようにと。今すぐに行きなさい」
「はっ」
今は霊装で呼び出したとしてもオレウスは無視するはずだ。都合が悪い時は居留守を使うように、オレウスは知らなかったで通す。そこを一切ためらわないから厄介だ。
騎士団長が立ち去ったのを見送ると、メイドたちがようやく追いついてきた。
「も、申し訳ありません!」
「気にするな。あれが本気になればどうすることもできない。それよりも、城の内部にいる可能性もある。メイド長から執事、コック、出入りする業者に至るまで全員に通達し、姿を見つけ次第オレウス兄様に連絡を入れな圧砕。そのための霊装の小許可を与えます。使い方はメイド長に」
「はい」
すぐに動き出したメイドたち。優秀な側仕えたちは命令せずともすでに動き出している。
「情報が足りなさすぎるな、ヴァーヴェルグの動きが読めない」
状況は最悪だった。
それでも生きそうな場所にる心当たりは、一つだけあった。
「風月凪沙……、お前はどこにいる」
行方知れずとなった風月凪沙。それとヴァーヴェルグがいなくなったことがまったくの偶然とは考えにくい。
「いやな、予感がするわ」




