第三章 1 〇プロローグ
それはクラリシア最大の祭り。風月のいた世界でいうところのオリンピックのようなものだ。異様な熱気と歓声。それは巨竜の到来を祝福する声だ。
風月はドラクルの街でその熱気を感じている。
領地から王都の方角。さらにその奥。そこには巨竜がいた。風月にはそれが竜には見えない。巨大で分厚い影が異様な存在感をもってそこにあることしかわからない。
「飛んでいるのかあれ」
そのサイズは飛行機の比ではない。何十キロも向こうでその大きさがしっかりと認識できる。まるで真夏の積乱雲だ。
あの到来で国が潤うらしい。神域の騎士九席に座す茜は商人関連で忙しいと言ってこの場にはいないし、ミクハも忙しいという。ティアは領主になるための勉強で結局風月は一人になってしまった。
ドラクル領の入り口にある鉄扉の柱の上に風月はいた。はしごがかけられ兵士が見張りをするための場所だが、今は風月だけの特等席。
暖かい日差しの中、何か新しい出来事の到来を感じる。
まだ見ぬ東の地。そこへ行くのは巨竜迎撃祭の後で、商人たちのバックアップを受けながらの移動になる。やがて来るヴァーヴェルグとの決戦がそう遠いことではない。そのための第一歩を早く踏み出したくて仕方がなかった。
ドラクル領の王都に最も近い場所は商人の町だ。朝は基本的にどこよりも静かで昼にかけて最も隆盛を極める。夜は商人たちの護衛で移動してきた傭兵たちが酒盛りをして明け方まで騒いでいる。ゆえに、風月が今いる朝の時間帯が最も静か……だった。
それが今では朝から晩までところかまわず騒いでいる。
ブラジルにとってのリオのカーニバルのようなものらしい。ここで金を稼いだり、ためていた貯金を使って遊んだりする者も非常に多いという。
「明日か、明後日か。あれがこの上を通るのか……」
誰も彼も、この時期にはやることが目白押しだった。にもかかわらず一人だけ手持無沙汰の風月は自分でも意外なことに疎外感を覚えていた。
読書や絵を描くことに興じることのなかった風月はとにかくやることがない。本があったとしても文字が読めない。文字の勉強をしようにも羊皮紙や紙は恐ろしく高価で、気安く使い捨てられなかった。
数字といくつかの文字は覚えたがその並びなどはさっぱりだった。
結局何が言いたいかといえば風月にはやることがなくて、ほかの全員がくそ忙しい時に暇を持て余していた。
異世界に来て一カ月もしないうちにこんな時間が発生するとは思わなかった。食事に舌鼓を打ってこの孤独感をごまかそうとも考えていたが、風月のここ最近の食生活を考えるとあまり褒められたことではない。それに満腹状態で体を慣らすことは、これから飢えや脱水症状と戦う旅に出ることを考えると得策でもなかった。
その時、風月は門の向こうの茂みの中でウサギと目が合った。市場でよくつるされている、鹿の角が生えたウサギだ。ジャッカロープの名前で川がはがされ、角は薬やその他の素材になる。ヴァーヴェルグが眠りから覚める前兆として消えていた動物たちが続々と魔の山へ戻ってきている。
服も靴もこの世界になじんできている。あとは服装だけではなく、風月自身がこの服になれることだけだ。これから食料が足りなくなることもあるはずだ。あのウサギを捕らえることすらできないなんてこの先生きていけない。狩りは魔の山に入らなければ基本的には許可されている。魔の山に入れない理由は王命によって武器を持っての侵入が禁止されたからだ。
風月は門から飛び降りると、腰のナイフに手をかける。
「ウサギ狩りだ」
ウサギを狩ったことはない。ましてやナイフのみだなんて正気の沙汰ではない。それは風月も承知している。だからナイフは致命傷を狙うためだ。
基本的に狩りとは傷を負わせ、それを追い詰めていくことだ。人数がいるのなら巻き狩りなどの逃げ場を奪う狩りを行うこともできる。たった一人でウサギを狩る場合には罠か飛び道具が必要だ。
「罠はある。追い込むぞっ」
風月凪沙の小さな冒険が始まる。




