第二章 17 〇処刑当日その4
処刑台で転がされたとき、リナの笑顔が張り付けたものに見えた。辛いことも理解できないこともすべて呑み込んで、それでも自分の職務を果たすために俺の首にハルベルトを添えていた。
「何か言い残すことはある?」
取り繕ってきわめて明るい調子で話すセリフが痛々しくて見ていられなかった。ハルベルトは震えない。それだけの覚悟と慈悲をもって俺の首を両断するためにこの場にいる。
だから俺も笑った。
覚悟は決まっている。もとより綱渡りをするつもりだった。ここで一人だけそんな顔をさせているわけにはいかない。だから、その意思を伝えるために笑った。
「俺は死なない」
「そっか」
いつになくそっけない調子で言った。これ以上変な情を持つと辛いことを理解している。だから突き放すように言い切った。
目を伏せて、しっかりと合わせようともしないところを見るときっと俺の思いは伝わっていない。だから言葉を重ねる。
「それと」
リナの手が止まった。まだ俺の言葉に耳を傾ける気がある。それさえ分ければ儲けものだ。俺の言葉をたたきつける。
「〝旅〟は終わらな、終わらない」
この言葉の意味はきっと伝わらない。旅の話をリナにはしてこなかった。それでもこの言葉を選んだのは、これ以上ふさわしい言葉がなかったから。だから俺の言葉の意味を証明するのはこの後だ。
昨日の兵士の一撃で胃か肺がいっているのか、血を吐き出す。自分で痛めつけておいてなんだが、なかなかに痛い。
それでも必死に口元を引き裂いて笑みを作る。
するとリナも笑った。
その笑みを見て伝わっていないことを確信する。いまだに俺が死ぬと思っている。
「しっかりと覚悟があるのね。大丈夫、初めてだけどうまくやるわ! 絶対にいたくはさせない、だって私は神域の騎士だもの」
それこそ、やられたな、と思った。
リナの笑みがあの男のものと重なった。安心させるために笑っている。
ハルベルトを大きく振り上げた。桜色の剣気を纏って。
「じゃあね、風月」
その言葉がある意味一番心をえぐった。
今までは凪沙と呼んでくれいたのに、今ではこんなそっけなく声をかける。必死に取り繕っているのがわかっていて、これ以上見ていたくなかった。
右腕が目に入る。これがヴァーヴェルグとの契約の証。
この契約が終わるまで、旅は終わらない。
終わらせてたまるか。
轟!
と、大気を引き裂きながらハルベルトが振り下ろされた
その時、確かに聞いた。
ヴァーヴェルグの咆哮を。そして、リナの持つハルベルトが俺の首を切断する――はずだった。しかし、首を断つ寸前にレンガの地面が砂になり、重力とは違い明らかに別の力引きずり込まれる。
リナの桜色の剣気を纏った一撃を、何かが遮り、衝撃波がまき散らされた。レンガも砂も巻き上げめくりつくして円形にすべてが吹き飛んだ。
明らかに音はなかった。というよりもそう撃破で鼓膜が叩かれ、音がうまく受け取れていないのかもしれない。
キンと耳鳴りを感知してからそれ以外の音が消えた。
砂から引きずり降ろされて、ヴェイシャズとミラタリオの姿を確認する。作られたであろう通路は先の一撃で丸見えになっていた。
数テンポ遅れて、茫然とした顔のリナと目があう。
直後、リナが反応してハルベルトを横なぎに振りかぶる。それが俺を殺すためのものじゃないと、リナの目線ですぐに分かった。
上。
振り上げる一撃が何かを迎撃したかに見えたが、重厚なハルベルトは巨大な石を鉄パイプで殴ったかのように弾かれた。
降ってきた悪竜によって。最大の悪意と、嫌悪をまき散らしながら。
ようやく戻ってきた聴覚が悲鳴を聞いた。一連の流れが1秒以内に行われたことをようやく理解する。
そこからはもはや俺にはとらえられなかった。かろうじて近くに控えていたアルトが飛び出したのが見えた。姿が消えていつの間にか吹き飛ばされている。あまりにも圧倒的な存在としてヴァーヴェルグを際立たせただけだ。リナもさらなる一撃を繰り出そうとするが、飛び上がった膝が腹にめり込んで、砲弾のような一撃で吹っ飛んでいく。
そして、戦闘と戦闘の間隙が訪れた。わずかな呼吸を整えたり、逃げ出した人間たちが思わず振り返ったり、そんな一秒にも満たないわずかな間隙。
その時、聞こえた。
「助けに来たぞ」
と。
他の誰の口からでもなくヴァーヴェルグがそう語る。
暗にここで死なれては困るといっている。守ってやるから今は死ぬなと。森神はかつて対等だと認めて俺と血縛の契りを交わした。同じように対等だと思っていた。いつか殺す時まできっと傍観していると。そう思い込んでいた。
なのに、まるで、旅の途中危なくなったら助けてやるとでも言いたげなこの態度は、いったいなんだ?
まるで殺すためにあの山を守り続けていた森神を侮辱するような態度ではないのか?
外部からいつでも守ってやるなんて言葉は、殺すつもりでこの場に立ったリナをさげすむ行為じゃないのか?
ブツン。
よくない音が耳の真横でなっているのかと思った。かみしめた奥歯が砕けるかと思った。
気づけばヴェイシャズを振り切り、ヴァーヴェルグにとびかかっていた。3メートルもの体躯を縮めるように飛び上がり、体をひねって次の一撃に備える。
「ふざ、けるな!」
折れた右腕をたたきつける。肘が悲鳴を上げて鋭い痛みが背骨まで駆け抜ける。元より、かなうなんて思っていなかった。効くとも思っていない。ただ許せなかったからこぶしをふるった。
痛みをくいしばって耐えてから左腕で太い首をつかむ。腰骨につま先をひっかけて対等な目線を維持した。
「テメェと俺は対等だろうが!」
互いに認め合っているからこそ結んだ契約だと思っていた。
「助けてくれなんて頼んだ覚えなんざねぇよ!」
ヴァーヴェルグが意外そうに眼を見開いた。それこそ、助けたことを怒られるとは思っていなかったようだ。しかし、俺にとってはそうじゃない。さまざまな策を弄して、いろんな人間の思惑が交差して、それで回避した処刑。
それこそが俺の功績であり旅だ。それを踏みにじるというのなら。
「外野は引っ込んでろ!」
思いっきり体を弓なりにのけぞらせる。そしてそのまま本気で額をたたきつけた。
自分の被害など知ったことか。ただひたすらに思いをたたきつけたかった。ぱっくりと額が割れて血があふれ出す。
ヴァーヴェルグと目があう。にらみ合っていたのに、どんどん視線が下がっていく。気づけばつかんでいた左手から力が抜けて、体が崩れ落ちていく。
脳震盪で視界が揺れて、意識が途切れた。




