第二章 14 ☆処刑当日その1
処刑当日。
アルトが仰せつかった命は処刑場までの風月凪沙の移送。そのために入り口である巨大な第三門をくぐる。その先は城内部の警備を行う兵士たちが詰めている。その地下には特級受刑者の牢屋がある。そこにいる風月凪沙を迎えに来ていた。
「何があった?」
部屋の中の空気が明らかに異質であることを感じ取ったアルト。具体的にどうというわけではなく、アルトが入ってきただけで全員が視線を逸らした。受刑者の看守や兵士によるリンチは珍しくない。
嫌な予感がした。
「何をしたんだ!?」
誰も答えない。それが問いの答えだ。
もとより町の治安維持を担う兵士や貴族の守護を行う騎士たちとアルトは仲が良くない。まともに口を利かれないときもある。風月と親交があることが知られれば、暴力の矛先が向くことも想定すべきだった。
地下牢へと続く階段へ進むが、その前を遮った男がいた。酒場でブレスレンの屋敷へと連行した騎士団長だ。兵士のみの詰め所というわけではなく、城近辺で活動する騎士もここに待機していることも多い。なので別段不思議でもないが、タイミングが悪かった。
「処刑広場での警備はどうしたんだ? 騎士も兵士も動員されている。現場で指揮を執る騎士団長がなぜここにいる?」
「今から向かうところです」
「そうか。ならばそこを退け」
「退けません」
断りますでも、拒否しますでもなく、退けないときた。何かがあると言っているようなものだ。そして、おそらくは王命が処刑そのものであることを知らない。知っていたら気軽には手を出すとは思えない。
処刑の警備責任者となる騎士団長が王命を知らないと考えることも難しい。
「王命で処刑広場まで風月凪沙を移送する。それを妨げるほどのことか?」
「いいえ。ですが、部下を守ることも私の仕事なのです」
「風月凪沙は生きているか?」
「………………」
団長は答えない。だが、生きていると直感した。いくら何でも、兵士たちがそこまでやるとは思えない。やったとするのなら、それは不幸な事故としか言いようがない事態のはずだ。しかし、そんな甘ったれた口実が押し通せると思ったら大間違いだ。
「最後の通告だ。退け、騎士団長」
「部下にはどのようなバツが?」
「状況による」
それ以上のことは言えない。これ以上足止めするようなら、最悪剣気を使ってでも押しとおるつもりだ。
騎士団長は神域の騎士に次いで実力のある男だ。もしも部下を庇うために命を懸けるというのならこちらも相応の覚悟で持って臨まないとならなかったが、そういうつもりはなく、最後までその場をどこうとしなかっただけだ。老体を強引に押しのけて階段を下る。
相変わらず薄暗く、蝋燭の明かりと、格子窓から差し込む太陽光しかない。湿気とにおいもひどい。空きの多い労を通り抜け、ヴェイシャズと風月が向かい合う牢まで来た。
ひどいものだった。
血まみれで、血を吐き、風月が転がっていた。
「ヴェイシャズ、何があった?」
「私は何も言えないねェ。ここの兵士たちが恐ろしいからねェ」
舌打ちをする。こういった嘘を言っていない立ち回りは風月と同じで厄介な部分だった。
「風月、生きているか?」
「待ちくたびれたぞ……」
返答があってほっとした。しかし、折れた腕や、血がにじんだ服は見ているだけで恐ろしさを覚える。何よりも、風月に懐いていたリナが恐ろしい。
ただでさえ今日の朝は荒れていた。私室のベッドを殴り壊したという話をオルガノンから聞いた。それくらいナーバスになっているところに、この姿を見たら何をするかわからない。神域の騎士の仕事には誇りを持っているはずだから、処刑まではおとなしくても、そのあとが末恐ろしい。
「立てるか?」
ずるりと体を引きずるように立ち上がる風月。口の隙間から見える歯が血でピンク色に染まっている。
「一人、殴らせろ」
「……だめだ。お前にはさせられない。俺が代わりに処罰しておく。お前はこれからのことだけを考えろ」
「そうか」
牢屋の鍵を開けて、中から出てくるまで待つ。ここで手を貸すことは、ひいきになりかねない。他との態度に差がないことを証明しないとならないから、今は手を貸したくても貸せなかった。
風月が牢屋から出ると、足がふらつき壁に体を打ち付けた。それでも立ち上がり、自らの足で牢屋をくぐる。
ここまでの傷を負っている罪人は珍しい。それこそ管理体制について国民から疑問が出てくるレベルだ。風月の場合それすら想定に入れていても不思議ではない。もしそうならどれだけ助かったか。
「すまなかった」
「何が?」
「こういったことは見張ってでも止めさせるべきだった。
「ほっとけよ。何から何まで面倒見てもらわなきゃならないほど幼くも弱くもねえ」
それでもすまないという気持ちが晴れることはない。むしろ、すべてを背負う気概があると知ってなおのこと後ろめたくなった。俺のせいにでもしてくれれば気が晴れたのに。
風月の悪かったところは何もない。強いて言うのならタイミングが悪かった。
「行くぞ。鎖は……、その傷ならいらないな」
罪人を鎖で縛ることは基本的にはない。反骨精神が旺盛だったり、魔術の心得がある人間にしか使われない。こと、国の外からきて剣気すら知らなかった風月に関して特に縛る必要はなかった。
「先に歩け。でかい扉が奥にある。それをくぐったら人だかりを道なりに進め」
「わかった」
ふらふらとおぼつかない足取りで石の階段を上がっていくが、そのまま倒れてしまいそうなほど頼りない。むしろ、背負っていったほうが早い。それでも手伝わないのh神域の騎士としての職務のせいだった。
登り切った後に、騎士団長と目が合った。
「風月、最後の選別をくれてやる。誰がやった?」
「まて、罪人の言うことを――」
ふざけたことを口にした兵士に対してアルトが腰の剣を鳴らすと黙った。嘘裁ちの剣はその場で虚言を吐いた人間を裁くことができる。相手が罪人であろうと関係ない。真実を引き出すことができる。
「誰がやった?」
「お願いです、こんな魔女狩りのようなことはおやめください」
初老の騎士団長が苦虫を噛み潰した表情をする。
「事実、魔女狩りなんだよ。少なくとも俺の護衛対象であり、その命すら満足にこなせずこの様だ。最後に無念を晴らすことくらい、許されている。少なくとも王の品位を下げた不届き物を連れていくくらいはさせてもらうぞ」
王命により処刑される罪人は、王の保護下にあるのと変わらない。処刑までの日にちの安全を保障されていることと同じだ。その安全を脅かすことは王の庇護下にある者に危害を加えたことと同義となる。
「どうかここは私の責として納めてはくれないか?」
それができていたらアルトは騎士団と仲たがいをしていない。
当然断ろうとした。騎士団長もこの選択が予想できなかったなんてことはないだろう。だが、それを口にすることはなかった。
「はっははっはっはっは」
それはあまりにも乾いた笑いだった。血で染まったピンク色の歯をむき出しにして、黒曜石のようにツヤのある髪がベタついて目を覆う。それが空を仰ぎながらケタケタと笑っている。
それが風月の声だと気づくまでに時間がかかった。
「あんた、騎士団長だったっけ? いっつも言うことがズレてんだよ。部下の監督不行き届きは当然あんたの責任だよ。誰が犯人だろうが、お前は叱責を受ける立場なんだよ」
「……それは、そうだが」
「ここで一人道連れにしたっていい。それはお前の態度次第だ。何をする? お前はその立場で何を成す? 俺のためにどう力添えしてくれるんだ?」
あと十数分もすれば処刑されるというのにいまだに諦めない風月。この生き汚さこそが強さであり、チャンスをつかみ取ってきた。
だが、部下がいるこの場で脅したところで首を縦に振るはずがない。
「黙っているならそれでいい。顔も覚えている。やったのは一人だが、止めなかったやつもいたな」
チッチッ、風月が舌を鳴らして合図する。
(こいつ、正気か)
風月の意図に乗るには乗る。少なくとも風月に対して申し訳ない気持ちが強く、発言に矛盾がないから断るつもりは元からない。もとからないが、今になって悪意が見え隠れしているから素直に乗り切れなかった。
「まあそうだな。一人から二人に増えるだけか」
「なにをすればいい?」
「簡単だ。今回のことは誰も巻き込まないでおいてやる。すべてお前だけが責任を負えばいい。ただし、今回の奴らに死にざまを見られることだけはごめんだ。ここにいる奴らを処刑が終わるまで閉じ込めておけ」
皮肉たっぷりのセリフだったが、騎士団長はしぶしぶうなずいた。というより、処置にしては明らかに軽い部類だ。
騎士団長が俺を見た。もとより、神域の騎士の許しがなければこれは受け入れられる処置ではない。ここで俺が握りつぶす必要がある。
「アルト」
「わかった。ここは甘んじて刃を収めるとしよう」
少しだけ溜飲が下がった。
しかし、これからの処刑がいまだに胸によくないものを残していた。




