第二章 13 §食糧庫
処刑前日。つまり、風月凪沙が脱走の算段を付けている日。
オルガは内心焦っていた。何を焦っているかと言えば、長老院たちの反乱だ。アルトが連れて来た悪竜にして、始祖の弟。死んで建国の思想を変えた存在。それが今、王族の地位を脅かしている――、と聞かれたらそれは違った。長老院が反乱を起こしかねないのは納得だが、理由もヴァ―ヴェルグの存在というよりは食欲だ。今もハムの原木を、手を使わずにそのまま齧りついたまま首を傾げていた。そのせいで、首から上がハムになった何かが動いているように見える。
「し、城の食糧が三割増しで消費が加速していますが?」
「仕方ないだろ! とっとと飯もってこい」
そう。このまま食費で財源を圧迫すれ場しごとが増える長老院たちが反乱しかねない。
「ハムはこんなにうまかったか?」
タカが肉を啄むようにハムをぶちぶちと筋ごと引き千切っていく。駆竜の太く固い筋はスライスした後に包丁を何度も入れて柔らかくしてもなお好き嫌いが分かれるほど硬いというのに、あろうことかそのまま引き千切っていた。
その咬筋力は、先ほど南から取り寄せた豚の丸焼きを頭蓋骨ごと齧り取ってしまったことから分かっている。
食べる度に記憶と合わないのか、首を傾げている。
「その、ヴァ―ヴェルグ、様?」
「様はいらん。一年はここに滞在する」
オルガは目の前のトカゲ顔が間違いなくヴァ―ミリオンの弟であることを理解していた。王の血族にしか扱えないようチューニングされた魔術具の数々が反応した。政変で満足に動かなくなった魔術具さえ動き出して、主の帰還を讃えている。
「その、申し上げにくいのですが。玉座には座らないでいただけますか? あの場所は王の証ですので」
それはヴァ―ヴェルグがこの城へ入ってきたときに真っ先に止めたことだ。初代王から脈々と受け継がれてきた王座は間違いなく王族の宝だ。建国の思想を変えるほどの力を持っていたとしても正式に王でない王族に座らせるわけにはいかない。それでもヴァ―ヴェルグは玉座に固執していた。
「一年間だけは座らずに待っておいてやる。ヴァ―ミリオンに似て精悍なお前のような奴なら座っていたところで文句は言わん」
バリバリと骨まで噛み砕くヴァ―ヴェルグ。やっぱり首を傾げている。
「ハムはこんなにも硬かったか?」
「せ、生前から骨を食べているのであれば、判りかねます」
口いっぱいに詰め込んだ骨とハムを咀嚼する。
塩分過多で死ぬんじゃないのか?
そう思いつつ、止めはしないオルガ。
その時、扉が破壊されるかと錯覚するほど強く開け放たれた。
「王! いったいどういう事か説明願おうか」
白い髪に童話の王子様のような服で着飾った男。明らかに戦闘向きではないその身体に、真っ赤なマントが似合っている。アルトよりも線が細く、女性にモテそうで実際モテるを地で行く女たらし。
正直な話、オルガはこの男が好きではない。それでも強い。
「誰も入るなと言っておいたはずだが?」
「危険因子の排除は神域の騎士の本分です」
「会議に参加もしない分際でよく言うじゃないか、レギオン・ローゼス・ジーギレン」
神域の騎士第二席。現在の神域の騎士の中で、というよりも歴代の騎士の中で最速だ。早すぎて自分自身でも最速は制御しきれない代物で、あらゆる敵を速度のみで圧倒する。
「おしとやかな女性が話してくれなくてね」
「何だそれは? 私への当てつけか? お? ぶっ殺すぞ」
というオルガはドレスをわざわざ足の付け根まで裂いて、動きやすさを重視している。この姿で歩き回るものだから、周囲の人間たちは視線の場所に大変迷うと評判だが、神域の騎士はほとんどが凝視してくる。とくにリナとかレギオンとかだ。
「張り合うにしてももっと成長してから出直して来い。それよりも、あのリザードマンは」
憤慨していたオルガだったが、すぐに反応が変わった。
レギオンの纏った白い剣気に反応する。
「王命だ、止めろ」
「神域の騎士、として。聞ける話じゃありませんね」
それを肴に樽のワインをそのまま飲み干すヴァ―ヴェルグ。口元はニヤリと引き裂かれて、その間からわずかにワインが零れている。無論、楽しみにしているのだ。
殺せるか、否か。
「覚悟」
刹那、姿を消すレギオン。
腰に差したレイピアは『逆廻りの細剣・スカー』と呼ばれている。台に席はその速度から一撃の重さよりも手数の多さが売りだ。あらゆる防壁を貫き、できた傷に刃が滑り込む。逆説的に、傷が無い場合、傷を生み出すことができるレイピア。そのリーチは剣気によって五〇パーセントほど伸びていた。
それがヴァ―ヴェルグの喉元へ潜り込むことなく、静止していた。
「なっ!?」
驚愕の声を上げる。既にヴァ―ヴェルグの興味はレギオンから失せていた。視線を合わせることもしない。飲み終えた樽を放り投げて次は伊勢海老ほどのおおきさのロブスターを殻ごと頭からバリンと一口。そこからずるりと、ぷりっぷりの身が引きずり出される。それを咀嚼しながらヴァ―ヴェルグは語る。
「その武器は強いものが扱うものだ。より強い剣気を浴びせてしまえば、切れる者も切れない。その武器の所有者は、俺が触れている限り俺のものだ。つまるところ、貴様は弱すぎた」
ヴァ―ヴェルグが放つ剣気で一瞬にして乗っ取られた。特殊な武器であり、一撃の重さを重視しないレギオンだからこそ、ヴァ―ヴェルグは防御すらしなかった。
「速さ一辺倒は強さとは言わない。どうせアルトにも勝てないだろ。アイツは普通に巧いからな」
もぐもぐと舌足らずな口調だったが、それでもレギオンのプライドをずたずたに引き裂くには十分だった。事実、レギオンはアルトに勝てない。というより、第一席以外、神域の騎士でアルトに勝てる存在はいない。少なくとも地力以上に技巧で圧倒され、不意打ちでもしない限り、まず勝てない。奥の手、というモノは存在しても、純粋な騎士として競い合うとアルトは無敵に近い防御力とそれを活かすカウンターを備えている。
「邪魔だ、失せろ」
最後にのこった尻尾を口の中に放り込む。
そんなふざけた調子だが、本来、まともな生物が生涯得られるであろう剣気でもって、神域の騎士の武器を防ぐことは並では不可能だ。それこそ四獣クラスの化け物でもない限り、神域の騎士の刃に晒された者は往々にして絶命する。それの所有権を奪うなど、まともな生物には不可能だ。
それこそ、純粋に武器としての性能以外を持っていないリナのような武器では意味のないことだが、裁判を掌るアルトのジャッジメントやレギオンのスカーなどは効果が無くなる。
「本来なら殴殺しているところだ。貴様如きが今生きながらえられる幸福を噛みしめて、牙を研げ。いつかこの首に届かせて見せろ」
「わかっただろ、レギオン。退け。神域の騎士が全員集まるまで仕掛けることは赦さん」
「そうだそれでいい。死にたくなければ、この俺を殺せ。幾度でも語ろう。一年という器官は貴様らが牙を研ぐための時間だ。その牙が届かなかったとき、貴様等はその身体の肉の一片たりとも残さず滅ぼしてやる」
その言葉が嘘じゃないことは、その強さでもって身を以って知っている。レギオンも、オルガノンも。
「飯だ。ガンガンもってこい」
「こちらに」
そう言って出てきたのは巨大な鍋。その中には駆竜の肉がトロトロに溶けだすまで煮られた粘度の高いスープだ。しかし注目すべきは持ってきた人間。赤いマントに、鎧。そして右手のガントレットが神域の騎士であることを示している。
「オレウス、お兄様!?」
「またスカートを裂いてはしたないぞオルガノン。私は基本的にあなたの首へと狙わせてもらいます」
オルガノンと同じ炎髪。しかし、その印象は随分と違う。オルガノンがライオンとするならば、オレウスと呼ばれたこの男はお淑やかで、穏やかな印象がある。シマウマやカバといった遠目から見るには大人しい印象だ。
「我が先祖よ。お目に掛かれて光栄です」
「王家は随分と強者が多いな」
「アナタのようなものがいるのなら当然かと」
そう言って皿をどけながら鍋を置く。木製の巨大なスプーンがあって、ヴァ―ヴェルグはいがいと器用にそれを使ってスープを飲む。
「お前は何番目なんだ?」
「第七席。オレウス・ブレイズ・セプタクルス。破壊を掌る騎士です。前席は妹のオルガノンが担っておりました」
「年齢的にはお前が王になるんじゃないのか?」
「いえ、武勇にてもっとも王としてふさわしい功績を遺したオルガノンこそ王に相応しい」
白々しい。
内心、舌打ちをするオルガノン。それも無理のないことだ。オレウスは何一つ本当のことを言っていない。もとより、先の政争も王になりたくないオレウスと、王になりたいがオレウスのせいでなれない第二、第三王子たちが起こしたものだ。正直、第二、第三王子は王の器じゃないことはオルガノンにも分かった。やる気は無くとも遥かに有能な第一応じのオレウスを後押ししたのは妹として何も間違っていなかったはずだ。
しかし、そこまで全てオレウスの策略だった。
徹底的な用兵と謀略で相手の戦力をそぎつつ、オルガノンに第二、第三王子を捕まえさせて手柄を上げさせた。手柄を上げられるのが当然の状況までお膳立てされていた。手柄だけを全て渡されて、周囲を納得させることで王に仕立て上げたのがオレウスだ。
「城には、来ないと思っていました」
「そんなことはないぞ。かわいい妹の顔を見たくなる時もあるさ」
「人間不信のクセによくもそんなっ」
人差し指を唇に当てるジェスチャーをするだけでオルガノンは黙る。こういう風にお転婆女王様を止めることができるのもオレウスだけだ。
「レギオン、お前も武器をしまえ。少なくとも、第一席も勝てないと言い切った。この竜には逆らわない方がいい」
「だがっ」
「力の差を見極めることもできないから無様に負けたんだ。今はプライドを押し殺して利口になれ。私にしたって、かつての自分の家を土足で踏み入らせたりなんてしたくない」
きっちりとレギオンもたしなめて武器をおさめさせる。
(王に必要な資質は全部お兄様が持っているというのに)
それが歯がゆいオルガノン。
「オレウス、貴様はなぜ王であることを辞めた?」
「妹の方が相応しいからと――」
「建前は要らん。貴様は権力も富も名声も全て捨て去って何が欲しかった? 自由なんてものが欲しいわけじゃないだろう。いまも神域の騎士という役職に縛られて、この場に参じているのだからな」
オレウスは表情をそのままに、何とか取り繕おうとするが、結局は止めた。手だけが名残惜しそうに言い訳をしたがっているようにも見える。
「いえ、自由が欲しかった。好きな人と結ばれるために。お気に召す答えとは思えませんが、こんな程度の理由ですよ」
その理由を初めて知ったオルガノン。好きな相手に心当たりがない。未だに女っ気は無く、所帯を持たない。そのせいで王族とつながりを持ちたい貴族に目をつけられこっちにお見合いの話が来て、それが忙しさの一因にもなっている。
「そんな人がいるなら連れてきてください、お兄様」
「また今度な」
「お見合い相手の対応ぐらいそっちでしてください!」
兄にはどうしても頭が上がらないオルガノン。
「悪くない」
「はい?」
「悪くない、と言ったんだ。責務から逃れたいなどと変なことを抜かすようなら今この場で消し去っていた。だが、王という立場を捨ててでも守りたい女がいるのなら誇るがいい。この俺が保障しよう。立派な動機だ」
肯定されるとは思っていなかったオレウスは目を見開いた。それから苦笑いして肩を竦める。
「恐縮です。でも、手は抜きませんよ?」
「手を抜いて女を護れるほど楽な相手だと思うな」
いままで木の巨大なスプーンを器用に使っていたヴァ―ヴェルグだったが、底の方に溜まったものはすくいにくく、結局鍋から直接スープを飲み干した。
「満足だ。寝る」
その言葉を聞いて長老院たちはホッと息を吐いた。
「1000年も寝ていたのに、まだ寝るのですか?」
単純に気になったオルガノンはそのまま口に出した。
「封印で動けないことと、睡眠は全く異なる。寝首を掻きたいのなら来ていいぞ。生半な一撃を持ってこようものなら、臓腑を撒き散らすことを覚悟しろ」
のっそのっそと食堂から出て行った。長老院の一人が寝室へと案内していく。
「ようやく睡眠薬が効いたみたいだね。まったく、どんな構造をしているんだか」
「またそれやったんですか」
「第二王子たちは毒見役を置いていたから、遅行性の睡眠薬の方が仕込みやすかったからね。今回は自嘲しなかったけど」
「なぜ素直に毒を仕込まなかったのですか?」
しかし、返答の言葉はない。代わりにテーブルの上を顎で示す。ほとんどが空になっているが、いくつか残った料理もある。
「明確な敵意は無意識に避けている。残ったのは例に仕込んだ毒だ。効くかどうかは定かじゃないけど、少なくともわずかな敵意にも反応することは証明できた。おそらくは無意識下でも反応する。だから、敵意とは関係ないところで動きを封じるしかないわけだ。国の食糧は守らないとね」
明確な敵意もなく食事に薬を盛る精神構造には疑問を覚えるが、この強かさこそ、オレウスが政争を勝利した原因であることは間違いない。
「もしこれが王宮魔術で呪いをある程度抑えていなかったらと思うと末恐ろしい。アルトの見立ては間違っていない。既に神域の騎士が集結しつつある。レギオン、今のことは十席の翁には黙っていてやるから、すこし頭を冷やせ。本気の加速が乗ればきっと届くさ」
「………………」
悔しそうに呻くが、レギオンはそれ以上何も言わない。
「若いのはいいが、プライドが高く元気すぎるのも考え物だな」
「お兄様、そんな若さに憧れるほど歳いってないでしょう。今のうちに処刑の準備を進めましょう」




