第二章 10 ☆悪竜ヴァーヴェルグ
アルトが目を覚ますと、惨憺たるありさまだった。人間の臓腑が辺り一面に散らばって、ちまみれになった邪竜がそこにいた。
「起きたか?」
目が覚めて最初の光景がこれで、思わず二度寝をしたくなったが、朝日が強く照りつけてそれを赦さない。
痛む身体を起こす。
「なぜ殺さない」
「お前は見どころがある。こいつ等は見どころが無かった」
転がっている男たちにアルトは見覚えがある。イヴルの部下たちだ。10人近くがここでバラバラになり、ところどころに齧り跡がある。それはサイズから見ると邪竜の者ではなく、魔獣の齧り跡だ。
「風月とリナは?」
「リナとやらとは知らんが、風月凪沙はそこにいる」
少し離れた木に背を預け、眼を瞑って寝息を立てていた。その膝にはリナが頭を置いている。そして、魔獣たちが、その身体に寄り添うように固まって寝ている。
「なんだアレ」
風月は魔獣に懐かれた。
夜中に何があったのかは分からないが、恐らくは見逃された。それが屈辱的だと思うほど、アルトの面の皮は厚くない。むしろ、あれだけの強さを見せつけられて、生きていることに安堵している。
「今から王都に行く。案内しろ」
「なぜだ?」
「警戒するな。一年間の暇つぶしだ。先ほど魔術で情報を伝えた」
「どういうことだ?」
「この山を下りている最中の馬車を襲ってな。その紙に文字を書き足した。王都の興廃は我らが決めると」
これはまずいな。
アルトは顔を顰める。オルガノンの性格上、この手の挑戦を一番嫌う。誰がこの責任を取らされるのかと思うと胃がキリキリと痛む。
「その紙はどこに?」
出来ることなら書き直しておきたい。そう思ったが、邪竜は手をひらひらと振って持っていないアピールをする。
「持っていた奴にそのまま持っていかせた。あれは王命の魔術具だ。あれのおかげでこの国の中にいれば呪いを軽減できる。今も貴様が斬りかからないでいられるのはそのおかげだ」
勝手に書き足されたが、そもそも文字を足すにも相応の魔力が必要になる。目の前の邪竜はそこが知れない。もし、これが本気で暴れまわれば本当にこの国の興廃を左右しかねない。
「速く案内しろ」
「お前は不穏因子だ。王に牙を剥きかねない。それを神域の騎士である俺が連れていくと思ってんのか?」
「何か勘違いをしているな。貴様等はこの俺の慈悲によって生かされているんだ。この場で死にたいというのなら、殺してやる。望みの死を言え、そこから最も遠い惨い死を用意してやる」
神域の騎士としてのプライドで補強された人間性がそれを赦さない。堅物と言われているが、それは忠実に仕事を熟し、不正を許さないことが大きい。今ここで屈するつもりはない。
言葉にしない意志を察してか、邪竜は案外早く意見を変えた。
「貴様にはこっちの方が効果的か?」
邪竜の視線が風月たちの方へ向いた。
「コイツらを尋問した時に聞いたぞ。風月凪沙の護衛なんだってな? 貴様みたいなせ核の奴が、護衛対象を殺されることを良しとするのか? お前が選べ。この場に死体を三つ増やすか、連れて行くのか」
「……王に危害を加える気はあるのか?」
「ない。楽しませてくれる限りは牙を隠そう。そうでなくとも一年間。それだけの時間は確保してやる」
「一年……」
「その間に牙を遂げ。この俺の命に届きうる牙に鍛え上げろ」
「もしも、届かなかった場合は?」
「塵も歴史も残さん。貴様らが存在していたという事実諸共消し去ってやる」
こんな物騒な会話をしているのに、夜中に対峙した時の恐怖や嫌悪に似た感情が湧きあがってこない。静かに立ち上がる姿には優雅さすら見て取れる。元の育ちがいいとすら思った。
「お前は何者なんだ? なんて名前なんだ? 何も知らないんじゃ、こっちもどうすればいいのか分からない」
「俺の名前はヴァ―ヴェルグ。貴様の名は?」
聞き覚えのない名前だ。
「アルト・ウルベルク・ベイルサード」
「第三席か。お前は何人目だ?」
「九七代目だ」
「一〇〇〇年で九七か。ベイルサードはいつもギリギリまで生き残る。まあ妥当な数字だな」
そうでもない。懐かしむヴァ―ヴェルグの思い出に水を差すつもりもないが、ベイルサードの死亡率は異常に高い。どんな場面でも安定して戦えるの技術を持つために、幾度となく戦に駆り出される。七年。それがほとんどのベイルサードが生きていられる時間だ。それでも九七という代に留まっているのはほかならぬミラタリオや、歴史に登場する異様なまでに長く生き延びる例外的なベイルサードが原因だ。
そう言う意味では、ヴァ―ヴェルグのいう事は間違っていないのかもしれない。
「一〇〇〇年だ。初代の神域の騎士達と契約し、眠りについた。聞かせてくれ。一〇〇〇年もの長い間で、人間は変わったか?」
邪竜、悪竜。そんな言葉がアルトにとって目の前の竜の呼び方だった。一目見た時点でこの世のどんなものよりも邪悪で、恐ろしいものに見えた。それが、今では違った。何かを憂い、悲しみを内包した目で過去に想いを馳せている。
「一〇〇〇年前の記録はほとんどない。神域の騎士なんて名前も確かにそのあたりから発生している。きっとお前のいう神域の騎士達は初代たちだな。それを知る生き証人なんてお前位だ。済まないが、この世界に一〇〇〇年前と変わったかどうかを証明する術はない。自分の目で確かめてくれ」
アルトは一〇〇〇年前から人間が変わったとは思わない。ヴェイシャズのような者たちが要る限り、変わったとは思いたくない。神域の騎士になって三年間でそれは嫌というほど思い知ってきた。変わった後でこれなら救いが無さすぎる。
「そうか。なら案内しろ。今ここで事を構える気はない」
逆らう気すら起きない。大人しく風月と、リナを抱えて下山することにした。こういう時に手伝いもしないあたりヴァ―ヴェルグの性格が見て取れた。下山する前に、腰のポーチの中から鏡を取り出す。
「神域の騎士が魔術か?」
「魔術なんざ外道だ。そうじゃなく、神域の騎士は全員こういうものを持たされてるんだ。王や長老院との連絡用だ」
正直今起きていることを説明すると思うと胃が痛い。
「こちらアルトです……」
『待っていたぞ馬鹿者』
即返答が来た。待ってましたと言わんばかりに鏡にオルガノンの顔は映り、嫌な顔をしたくなったアルト。それでも勤務中にはなるべくポーカーフェイスを崩さないようにした。
『王の魔術が魔力で強引に書き換えられた。ついでにしらん文言が追加されている。何があった?』
「契約を結んだあとに森神が死亡しました」
『………………………………』
域をのむ音が聞こえた。無理もない。何百年も悩まされてきた存在だ。そして、それが邪魔だったからこそ王命と契約魔術を使ってまで契約を結ぶ必要があった。それをこうもあっさりと根底から覆されては立つ瀬がない。
『何があった?』
同じ質問だったが、今度は状況ではなく原因を聞いている。
「森神が敵として見ていた存在が目覚めました。その正体は良く分かっていませんが、今ここにいます」
『……勝てるか?』
「無理です」
一切の躊躇なく答えた。
ここでヴァ―ヴェルグが口を出さないのは、興味があるからか。意図は読めなくとも、観察していることは感じ取れた。
『風月凪沙は生きているか?』
「はい。ただ返答できる状態ではないです。それに……」
ヴァ―ヴェルグに目をやる。
「今の王を出せ」
内心舌打ちをするアルト。
これをやらかすと思っていた。オルガノンはそもそも、まっとうな王族ではない。血は引いているものの、継承権は四位だった。王だった父親の病死をきっかけに上位三名の政変が起こったときに、一番上の兄についていた。劣性で負けかけたが武力でまとめて敵対勢力を一掃した。その時に継承権一位の兄は怪我をし、王位を継承した後に喜んで辞退した。その結果、若すぎる女王が誕生することになった。
『この私だ』
品定めするように鏡を覗き込む悪竜。その眼でどういう風に見ているのかアルトには読み切れない。
「なるほど。悪くない。初代のいけ好かない骨よりもずいぶんマシだな」
『初代?』
「一〇〇〇年前の病人の話だ」
その話はアルトも知っている。初代は遺伝的な病気を持っていた。それゆえに長くは生きられない。オルガノンの父親も死ぬ前はずいぶんと弱り、栄養失調で骨と皮だけになっていた。それが出なかった王も数人いたが、ほとんどが病に倒れていた。
『リザードマンか?』
「我が名はヴァ―ヴェルグ。一〇〇〇年前に神域の騎士達に封印された悪竜だ」
『風月凪沙はそこにいるのか?』
「死んではいまい。だが風月凪沙はいずれ殺す。あとは記載された通りだ」
正直ほっとした。もしもオルガノンを軽視するような言葉を吐いていればもっと危険なことになっていた筈だ。
それだけ言うと、鏡から目を離すヴァ―ヴェルグ。代わりにオルガノンの行状が厳しくなった。
『アルト、細かい報告は帰ってから聞く。急いで戻れ』




