第二章 8 〇邪竜覚醒
朝には出発したのに、魔の山へ着いたのは昼下がりだった。あと数時間もすれば夕陽を拝めてしまう。とはいうモノの、朝の晴れた空はどこへ行ったのやら、青空は分厚い雲に隠されてしまった。
最初は襲い掛かろうとしてきた魔獣たち傷を見せて、森神の場所まで案内を頼む。案内してくれたところに、森神はいなかったが、じきに姿を現すだろう。
「今のうちに野営の準備をしよう。雨が降りそうだ」
雨が降ってきてしまえば火が使えなくなってしまう。この前は苦かった魚の調理を諦めていない。そのためには基地を組んで風雨から日を護らなくてはいけない。
落ちた木の枝を集めてきてそれを組むところから始まるが、アルトとリナという最強の労働力がいる。嫌がるアルトに無理やり協力させて、木の枝を集めさせる。
森神の魔術でその形の木生やしてもらった方が早いが、いつ来るともわからない森神を待っている訳に行かなかった。
「ずいぶんと集まったな」
「頑張ったってわけよ!」
「これ以上手伝わんからな」
アルトは少しご立腹だった。
とは言いつつ、効率よく集めてくれたおかげで一時間ほどでだいぶ木の枝や発破が集まった。太い枝を馬車の屋根に何本も引っかけて大まかな骨組みを作り、間に葉つきの細い枝を通して簡易的な櫓を作る。あとは上から葉を被せるだけでだいぶ雨風を凌げる。というか、寝るときは馬車を使えばどうとでもなる。
「こんなもんかな」
「器用なモノね。私にも作れる?」
少し返答に困った。テントなしの旅をするなら必須のスキルだったりするが少し手を掛けただけで風月の腕より太い木の枝をぽっきりと枯れ枝を圧し折るようにあっさりとやってしまうリナがそんなに力加減ができるとは思えない。それに、初めからやって上手くはいかない。風月も何度も練習を重ねた。
「努力次第かな」
「今度は私にも手伝わせて」
「うん、今度は手伝って」
無邪気に笑うと本当にドキッとする。
そんなやり取りをしている間に御者は魔術を使って薪に火を着けていた。こういうのを見ると、旅の難易度は比較的低いように見えた。少なくとも無人島で困ることはない。
しと、しと。
雨の音がした。この分だとすぐに強くなる。間違っても川にはいけない。予想よりも雨が降りだすのが早い。魚をリベンジしたかったが、川で流されるリスクを侵したいと思えないから、我慢するしかなかった。
「火を確保できただけよかったな。森神を待とう」
馬車の床下の収納から干し肉を取り出す。それを炙る。ささくれが毛羽立って焦げ目がつくくらいが個人的な子のみ。もともとは豚や羊でそうしていただけという話だが、この肉でもどうやら辺りだったようだ。駆竜の肉らしい。
分かったことはこの肉は固すぎる。もともとA4用紙を縦に半分にしたくらいの大きさがあって、手でちぎろうとしたが、全く歯が立たない。
「硬い……。食えるのかこれ?」
「……………………………………」
「……………………………………」
リナもあるともそろって何も言わない。
直接齧るしかないのかと思いながら、端っこを口に咥えた次の瞬間。
「ヴルルルルルルルル」
馬車を引いてきた駆竜が鳴いた。
「イリーヌに少しは気を使えよ」
「そうよ! 天敵の魔獣もいてストレスだらけなのよ!?」
駆竜に目を向ける。イリーヌ(♀)と目が合った。
いやいやいやそんなまさか。偶然だって偶然。人語を理解する魔獣とかもいるけどそんなまさかね。たまたま泣いただけだって。牛の前でバーガー食べたところで拒否反応を示すことはないし、なんならリナとか意気揚々と干し肉出してたじゃねぇか。
そんな思いを胸に腹いせのように大きな口を開けて齧りつく。
「ヴルルルオオオオオオ!」
口から干し肉を離す。
なんかもう一気に食欲がなくなった。この場の空気も気まずい。
駆竜は意外と賢いらしい。あとで謝っておくことを誓った。
『来たか、風月凪沙』
その場にいなかった者の声が聞こえて肩が跳ねる。
「森神? 待っていたのはこっちだよ」
簡易基地を覗き込むようにかがんでいた森神と目がある。リナは初めて見る八メートルもある猩々に目を丸くしていた。アルトは雨の中で音もなく近づいてきた森神に驚いていた。
ここで旧交というのは新しすぎる絆を温めるつもりはない。だから真っ先に切りだした。
「何があった?」
『傷のこと、おぬしの方に何かがあると思っておったが、そうじゃないのだな』
森神は右手を見せてくる。その手には傷が残っているが、風月のものと同じように消えかかっていた。
「なんか知らないのか?」
『知っている。この現象は二つの方法で発生する。一つは達成が外的要因によって不可能になること。例えば、川に橋を架けるという約束をしたのに川が干上がったりすることだ』
「妙に人間的だな」
『もう一つは、運命が途切れるとき』
「今度はファンタジーっぽいな」
茶々を挟んでいるが、森神の表情は真面目そのもの。赤い眼が煌々と輝き、こちらを見つめる。しかし、風月はそんな運命なんてものは都合のいい時にしか信じない性質で、ニュアンスでおぼろげにこういうものだ程度にしか理解していない。
それを察した森神が露骨に面倒くさそうな顔をした。たとえるならそんな時間ないんだけどここを理解できてないと微分の説明ができないよとか思ってる数学教師の顔だ。
『運命というのはだな、定められた終わりのことだ。より強い運命を持つ者に引きずられて複雑に絡み合っているのだが、より強い運命と相対した時に運命が強引に途切れることがある』
「つまり?」
『儂か、おぬしかのどちらかに確定した死が近づいておる。もしくは、二人とも死ぬか。人間通しで殺しあってもこんなふうにはならん』
「とても強い運命を持った誰かが近づいているのか? 人間の運命を途切れさせられるほど。そして、この時期となると巨竜か」
『あの老いぼれは違う。儂と血縛の契りを結んだものの運命を終わらせるほどの力はない』
「どういうこと?その強い弱いもよくわからないんだけど」
「単純に強そうなやつは運命が強いってわけよ!」
神域の騎士や森神が強いということらしい。
「血縛の契りは運命を繋げるようなものだ。より運命力の高いものに守られているようなものだ。森神ほどの運命を終わらせられるのが、巨竜ですらないとすると……」
『予想は付いておるわ』
「それって、魔の山に動物がいないこととも関係があるの?」
『正解だ。運命の弱いものや勘の鋭いものは逃げておる。儂程度の運命力で怯えて逃げるモンはおらん』
それは知っていた。というよりももともとこの土地に寝ず板動物がいたことで無意識に除外した答えだ。
『そういうわけでこの契約は終わりだ』
「待て待て待て。今すぐに終わらせられるから待て。通行税を荷物と人間に会わせて取ってそれで肉を購入するって言う話でまとまりかけてる。いいかこれで?」
『構わん。どちらかがそれを目にすることはない』
するとアルトが羊皮紙を馬車の床下収納から取り出した。
「血判を押せ。文章は大凡書いてある」
あまりにも準備が良すぎて嫌な予感がした。
「俺も辞読めないんだけど大丈夫か?」
「女王はもともと戦わずに開けるなら金を払うつもりだった。早々にサインして通せるようにしろ。あとはこれを」
そう言ってアルトは森神に徽章を渡した。
「それがこの地を通る承認に発行される書類にある。武器を持ち込んだ場合、その書類が偽物だった場合に光るように魔術も掛けられている。そいつ等は容赦なく殺していい。出入り繰りに設置しておけ。ほか全ての用意はすでに終えている」
「手際良すぎだろ」
「伊達に何時間も会議に遅れてきていないという事だ。もっと女王を敬え」
『おい、血判を押したぞ』
文章に思いっきり被るように押されていた。指の大きさ的に仕方ないといればそうなのだが、なるべく端っこの方にとかいう気遣いが一切ない。それも習って血判を押そうとするけど、ナイフが無かった。
「なんか持ってない?」
「あっ」
アルトは何かに気付いたようだ。
「ほら指出せ」
「おいなんだよ今の反応は?」
剣を抜くアルトに俺は嫌な予感しかない。指の腹を切るためだけに、そんな立派な刃物入らない。だからと言ってリナの持っているらしい斧や手を貫通させられる太い森神の爪なんて言うのはもっと嫌だ。
「ああ、そうか。分かったぞ。馬車の中で砕いた短刀だな?」
「おら指出せ!」
一悶着あったモノの、指はポンされなかった。きっちり血を広げて血判を押した。
「御者、これを届けろ」
「待て」
アルトが羊皮紙を丸めて紐で閉じてから御者に投げ渡そうとした。それを横からキャッチして止める。
「イヴルが途中で襲撃駆けてくるかもしれないし、御者がイヴルの息がかかっていない可能性もある。ぶっちゃけ信用できない」
「安心しろ。既にこの紙には王の魔術が掛けられている。クラリシア全域でこの方が発行されたことと同義だ。その書類を破棄すれば一族連座じゃ済まなくなる。そんな迂闊なことをイヴルがするとは思えない」
『風月凪沙、お前が持っていけばいい。もう帰れ、いつ目覚めてもおかしくない』
唐突に言葉を挟んでくる森神。
そうは言われてもこの山で遊ぶ気満々で来たから、そんなつもりはさらさらない。だから御者に書類を投げ渡した。
「森神、いったい何が目覚めるんだ?」
怖いもの見たさで覗きたい気持ちが抑えられない風月。
『守神、転じて森神。儂にはこの魔の山で守るべき主がいる。その眠りが冷めたとき、主を殺す命を受けておる』
「どういうこと? 死にたいのか?」
『死にたいのだ我が主は。死ぬために今も眠っておる。そのために魔獣を回復させたかったのだが、仕方がない』
森神はもはや風月の話を聞く気は無いようだ。この山のどこかを見て何かを待っている。同時に、リナが肩を震わせて森神と同じ方を見た。
「なに? なにこれ?」
天真爛漫という言葉が似合うあのリナが、完全に怯えきっていた。
『神域の騎士の中にも気づく者が出始めた。あと数ヵ月は持つはずだったのに、今日か』
雨が強くなり、基地が揺れる。御者は駆竜のイリーヌをつれて下山をするために馬車へ乗り込んだ。動いてしまえば好みが雨に晒されるがそんなことを気にしている場合じゃないことくらい俺にもわかる。
風月は火を崩し、基地を潰して馬車を出す手伝いをした。
「いったい何が起きるんだ? 殺すのなら神域の騎士が二人もいる、何とかならないのか?」
『もとより殺せるとは思っとらん。神域の騎士が二人来ようが一〇人来ようがさして違いはない。みな殺される』
「なんだって?」
森神の低い声が唐突に強くなった雨風に掻き消された。天気の変化が尋常じゃない。あまりにも早すぎる。異常気象では説明がつかない状況で、誰かが天候を操っていると言われた方が納得できる。
馬車は既に進み、俺たちはここにのこる選択をした。リナもアルトも引き下がる気はないらしい。
その刹那だった。
空が幾度も瞬いた。閃光に伴う轟音が鳴り響き、幾千にも分岐した雷撃が地面に突き刺さり、それが網膜に焼きつく。撒き散らされた電気で全身の毛が逆立ち、指が震えた。思わず眼を瞑ったが、それでも残像が残り、視界が明滅する。
「いったい何が?」
キンと耳鳴りが残る。気付いたら地面に転がっていた。音と光で体が縮こまり、立ってすらいられなかったらしい。落雷があったことは分かるが、それ以外の情報が一切入ってこない。
「久しぶりだな、森神」
森神のしわがれた声とはまた異なる重低音。森神の影になって見えない位置から声が聞こえた。
『早すぎる』
何の前触れもなく森神が片膝を着いた。豪雨の中、嫌に鮮明に声が聞こえる。ドスン、と重い音を立てて森神が崩れ落ちる。その胸には深々と何かで刺された傷があった。アルトの一撃ですら傷つかなかった、硬い皮膚と分厚い筋肉に覆われた心臓が完全につぶれていた。もう、見ればわかるほどの深い傷だ。
そして、その前に君臨するのは八メートルの体躯を有する森神よりもはるかに小さく、それでいて人間よりデカい。三メートルほどの高さのトカゲだった。しかし、以前に絡んだトカゲ顔の店主とは違う。
ヒト型だが、白い肌は骨のように硬質化し、窪んだ眼は闇の中に森神より毒々しい光を放つ玉が浮いているような印象だった。例えるのなら、『邪竜』。その言葉以外浮かばなかった。
「グォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
鼓膜を強引に引き裂くような轟砲が、降り注ぐ雨水を跳ねのけて君臨する。




