第二章 7 〇剣気
風呂も借りて、朝ご飯も貰った。これだけよくしてもらってしまうとリナの家族には感謝しかない。見送りまでしてくれた。
リナの馬車に乗り、魔の山へと向かう。後ろでゆったりと向かうことはなかなかなかったから、こんなにも乗り心地がいいとは思わなかった。同じ場所にアルトも乗り合わせていた。
「なんか、昨日よりもだいぶ活気があるな」
「迎撃祭の準備ってわけよ!」
「迎撃祭?」
聞かない名前だ。いったい何を迎撃するのかが気になった。
「凪沙のところにはなかったのね。迎撃祭は一週間前からしか準備しちゃダメなの」
「何を迎撃するの?」
「竜だ」
アルトが言った。相も変わらず仏頂面で、俺は旅行気分だというのにまったく楽しそうじゃなかった。
「五年に一度、竜がここを通るんだ。それを迎撃する。それが巨竜迎撃祭だ。神域の騎士の最大の仕事と言っても差し支えないイベントだ。俺もリナも参加できなかったがな」
「なんで?」
「くじ引きなんだよ。席ごとに分類されていて五人が参加する。入れ替わっても強制参加だ。比較的入った場明かりの俺たちはその抽選に立ち会うこともできなかった。悔しいもんだよ」
「私も参加したかったってわけよ!」
何をするのかに特に興味はない――というよりどうせ暴力的に何かを熟すことはわかりきっていたから、これ以上拘泥しないことにした。
「そうだ、いろいろ聞きたかったことがあるんだよ。剣気ってなんなの? 具体的に俺は使えるの?」
本当は魔術とか魔法だとかの方に興味津々だったが、この二人は詳しくなさそうだった。アルトは使わないし、使うにしてもリナは擬音ばっかり使いそう(偏見込み)で理解できそうになかった。
そして、速攻でそっぽを向いたリナを見逃さなかった。
「リナ?」
「いや、私はちょっと……」
「虐めるな虐めるな。リナは感覚でしか使ってないか説明できないんだ。あとで酒飲んで荒れるから」
疼く嗜虐心を強引に沈める。説明してもらえるというのならそれに甘えることにする。
「剣気っていうのは魔力とは違う別の力のことだ。それがなんなのかって言われると説明できないが、誰でも持っているものだ。鍛え方次第で増やすことは可能だ」
「俺にもあるってことか?」
アルトは頷く。それから短刀を取り出して、鞘から抜いて見せた。
「この短刀、これで俺の指は切れると思うか?」
「何を当たり前なことを。斬れるでしょ」
するとアルトは担当の柄を差し出してきた。
「それで傷つけてみろ」
少し躊躇したが柄を握って、グッと押し付けてみる。切れ味は悪そうに見えないが、いくら押しても切れない。
「俺が無意識のうちに放出している剣気がナイフの切れ味に勝っているだけだ。逆に言えば、風月の剣気が俺の無意識に放出している量を凌駕すれば簡単に切れるさ。もしくは、剣気を貫通できるほどの速さと力でもって強引に骨を叩き折るとかもできる。本気で剣気を放出したらそんな事、まずさせないけどな」
「リナ、GO!」
「まてまてまて! それはダメだ。馬車ごと叩き割るつもりか!?」
俺の言葉に躊躇なく手を振り上げたリナを見てアルトが必死に止める。さすがに神域の騎士の中でパワーが最も強いリナに殴られるのは怖いみたいだ。
「まあ逆に言えば、剣気を的わせれたりすれば、木の葉一枚で家を切断できる」
「そんな器用なことできるのアルトだけってわけよ! 私なんか武器以外に剣気流し込むなんて無理」
きっぱりとそう言ったリナの言葉に違和感を覚えた。
「纏わせると流し込む? なんかニュアンス違くない?」
「ああそうだ。リナの言っていることと俺の言っていることは違う。言っただろ、無意識に放出する剣気を突破できるならダメージは与えられると。物には大凡の許容量がある。それを上回って流し込むと大体壊れる。こんなふうにな」
手にもつ短刀をひったくると蒼く輝くオーラに包まれた。さらにその光が沈んでいき、ガラスが砕けるような音と共に砕け散った。
「私達が特別な剣を持つのには理由があるってわけよ! アルトが切れない剣を持っているのも、纏わせて扱うことができるからってわけよ」
確かに、アルトが持っているのはふつうの剣だ。別段特別なものを持っているようには見えない。それでも剣が砕けないのは、単純に流し込んでいないからという事。
「神域の騎士それぞれに給わされる剣にはそれなりの意味がある。そもそもほかの剣が扱えないからそんなものが与えられている訳で、俺みたいに使える者はたいてい何本か持っているもんだ」
最も巧い騎士というのは伊達ではないらしい。
そこで気になることがさらに出てきた。
「神域の騎士ってどうなったらなれるの?」
「空席の場合は騎士団の中の騎士から剣気を扱え、もっともその席の関する名にふさわしいものが選ばれる。俺は騎士団に入る前にスカウトされたがな。そしてもう一つは」
「私みたいに神域の騎士を倒せばいいってわけよ!」
「負けた騎士は名を捨て騎士団へ行くことになる。その場合は殉職として扱われる。退職金に色をつけるためにな」
生きたままその職を終えた者はいないという言葉を思い出す。死んだことになるのなら、確かにその通りだ。
「神域の騎士の場を追われた者はその職を名乗ることが赦されず、再度神域の騎士になることも許されない。ある意味、ミラタリオは特別だったんだよ」
「アルトはミラタリオの退職に合わせてなったんだろ? ミラタリオはなんでやめたんだ?」
馬車を下賜されたり、剣を渡されたりといいこと尽くしで、少なくともそう簡単にやめたがるようには思えない。
「神域の騎士には年齢制限があるんだよ。いくら強くても老衰で死なれては困るんだ。七五。これが神域の騎士でいられる年齢だ。ミラタリオは年齢を偽って八八までやっていてしこたま罰金払っていたがな」
何なら若返っていたしな。
口にはしない。あれなら年齢を誤魔化すことくらい訳ない。元貴族のらしいしので、実家との確執があって騎士でいたかったのかもしれない。
そんな話をしていると巨大な壁には似合わないくらい小さな門扉を潜り抜けた。ほかの馬車は全て検問として中の荷物を確認されている。そこには武器や鎧が多く見えた。イヴルが流した情報によるものだとなんとなく想像がつく風月。この被害額はどこで埋め合わせされるのか気になるところだ。
神域の騎士は素通りできる。これも特権だ。前回も馬車が門を抜けるときは止められなかった。まさか馬車をそのまま盗まれる神域の騎士がいるとは思うまい。
「なんかアルトの馬車より遅いね」
「積み込み途中にさらったあんなスカスカの馬車と一緒にするな。こっちは人間四人に食糧に水まで積んでるんだからな」
四人? 思案して御者のことを思い出す。これで四人だ。前の御者はパニックになって喰われたが、今回の御者は完璧にやってくれるでしょう。ちなみにクラシックスタイル派だったりする。
「食料なんていらないのに」
「またあんな苦い魚食べるなんぞ御免だ!」
食べ物の毒の確認や美味しさの確認も含めて活動するつもりだったから、まさかそんなものを積んできているとは思わなかった。
「魚と言えば、ブレスレンのところのずるいって思うわけよ! 私も食べたいっ」
「肝が冷えたあの会議か」
肝が冷えたのはその後の方だったことをアルトは知らない。
「領主貴族は最も力の強い四つの貴族のうちの一つだぞ? 話を聞かずに飯を食うなんて何のつもりだ? 平民のままの扱いなら首を落とされても文句言えないぞ?」
「美味い料理を前に舌鼓を打って何が悪い」
いまいち貴族観に馴染めない。結局度に置いて楽しむものは出会いと景色と料理だと思っている。それを捨て置いてまで重要視するものに思えなかった。それはかつての旅と日本での生活が響いている。
「それで、どんな味だった? 魚なんてこの変じゃあんまり食べられないから、気になるってわけよ!」
「めちゃくちゃおいしかった。もうあとは南に行って食べるしかないんじゃないかな。美味しさ以外は自分の舌で確かめるしかないよ」
納得していない顔だが、リナはそれ以上食い下がってくることはなかった。次は同じ席を狙っているに違いない。
その一方で話を重く見ていない俺に対してアルトは頭を抱えていた。
「お前と一緒に食事の席につくのはごめんだ」
「すでに魔の山の麓まで来ました。あと二時間ほどで分かれ道です」
御者が声をかけてくる。
確かに見覚えのある風景だった。しかし、それでも前と違うことがあった。
「魔の山に鳥はいなかったが、ここはこんなに少なかったか? まえはちらっと角の生えたウサギとかも見たぞ?」
合わせてリナやアルトも窓から外を覗く。リナは俺と同じ方の扉から覗こうとして胸を押し当ててくるが、胸当てが硬くて全く嬉しくない。むしろ痛い。
「そもそも、魔の山の異変がここにまで」
「異変?」
「魔の山から魔獣と森神以外の消えた。それは風月の気づいた通りだ。だが、麓にはまだ生き物はいた。少なくともドラクル領からの帰りにはいたはずだ」
それは俺も覚えていた。角の生えたウサギはその時に確認したものだ。それが麓から消えていた。ほかにも山猫や、狼なんかも生息しているという話だったが、その全てが山から消えてしまったようだ。いるのは駆竜の餌となる虫くらいが残っているのは、帰りに魔の山を突っ切ったときに、駆竜の食事から把握している。
「ここまで消えていると何かの異変を疑ってしかるべきだ。疫病なんかが動物の間で爆発的にはやっているとしたら対策も必要だ」
それはないと断言できる。
病原となる死体が無い。キャリアとなる鼠もチラリとすら見ないのでは、そもそも動物が逃げたと考える方が納得できる。魔獣の食糧が山から消えたことも関係しているはずだ。
そして気になることと言えば、右腕の血縛の契り。傷が薄くなってしまった。まだ残ってはいるが、そうと知って見なければあると分らないほど微かなものだ。痛々しいと表現できるものではなくなっていた。
「魔の山でいったい何が……」
胸騒ぎが止まらない。それでも馬車は進んでいく。




