第二章 6 〇いろんな意味で最大の危機
泊まっていきませんか、そんな提案もティオから受けたがリナが私と泊まる! そう叫んで誤解を招いた。なぜ誤解を招くのかも分かっていないリナだった。
その結果。本日三度目の食事である。さすがにお腹が膨れて食べられないと断ったが、それでも食事の席には着かされた。
腕の傷は、今日は確認のしようがなく、どうすることもできないまま明日へと持ち越しになった。
「本日はようこそおいでくださいました」
目の前に座るのは名前はイフリート・クロム。柔和な笑みを浮かべるリナの父親。唯一その眼だけが笑っていない。貴族だから腹芸は特異なようだった。それに対して、リナと血が長っているとは思えないほどおとなしく、おしとやかな女性が座っていた。肩まで薄ピンク色の髪と、目元がとてもよく似ているのに、纏う雰囲気が違うだけでこうも印象が変わるというのは意外だった。こちらはかなりの笑顔。満面の笑みというほど無邪気でもないが、薄く瞑られた目には優しさすら感じた。
「リナが初めて連れて来た男の人ですもの。風月さんもっとよくお顔を見せてください」
前言撤回!
リナの母親らしき人が開いた目が完全に獲物を見つけたハンターのそれだった。父親以上に笑っていない。正直八つ当たりだが、この場にいないアルトを呪う風月。この時、初めてイフリートと意見があった。
「はしたないぞ、リノ。じろじろと見るのはやめなさい」
「あらやだ、わたしったら」
「それで、君。いったいリナとはどういう関係なのかね?」
あっ。
もうやだ。さっきまで奥さんを諌めていた夫の威厳が消え去っていた。こっちはこっちで激オコしてる。恐ろしい。
元凶のリナは何をしているかと言えば、モリモリとご飯を食べていた。ああもう全部丸投げだよ。この修羅場を作っておきながら何が起きてるか理解してないよ。
「あ、あの。護衛対象です」
「あらぁ。いつから?」
「今日だよママ。王命でよろしくって」
横でガッツポーズをするイフリート。落胆するリノ。
「撃ちの娘があんなだからね。無理やり連行されてきたのかね?」
「まあそんなところ」
「なるほど。それは申し訳なかったね。護衛というのなら騎士系貴族が断るわけにもいかない。今日はうちに泊まっていきなさい」
「そうね、それがいいわ」
可笑しい。リノの目がいまだにハンターのままだ。
「お仕事は何を?」
あ、リナとくっつける気だこの人。何としてでも逃れなくては。
「何も。無職。なんなら貴族でもない」
「でも、魔の山開拓するって。その全権を東の領主様から預かってるんだって」
余計なことを!
イフリートの目が厳しくなり、リノが百獣の王みたいなことになっている。凛々しさの中に完全に弱った獲物を見つけた肉食獣の気配がする。
「リナは風月さんのことをどう思ってるのかしら?」
「凪沙とは友達ってわけよ」
「………………………………」
そうだ、その反応で正しい。リナの方から変えていかないといけないから、今は諦めろ!
そんな願いが通じたのかは分からないがリノの瞳から獣の飢えのような気配が消えた。
「そう。アナタはもう少し勉強しましょうね」
「何を?」
イフリートとリノが同時にため息を吐いた。リナはもう色々と駄目だ。
「心中お察しします」
「同情するならあの子貰ってくれる?」
全力で目を逸らした。
こんな話をしていてもリナはどこ吹く風。気付いたら席を立ってお風呂! と叫んでどこかへ行ってしまった。正直俺も風呂に入りたかったが、それを口にしてしまうと目の前の女性が逃がしてくれなさそうだ。
リノが手を振ると使用人たちがはける。
「風月さん、あなたは外から来た人なんですよね?」
雰囲気が変わった。とうとう二人の顔から笑みが消えた。
「外ではデミヒューマンたちの迫害が厳しかったと聞きますが、どうなのでしょう?」
「そもそも見なかったな」
「はい?」
「俺の国ではエルフも何もかも、人間以外見たことなかったな」
「どこに行かれたのでしょう?」
「そもそもいなかった。歴史にも登場しなかったし、はるか遠くにいて知らないとか地底に棲んでるとかじゃない?」
俺の冗談はお気に召さなかったようだ。
「アナタはどうなのでしょうか、風月さん」
どう答えるのが正解なのか分からなかった。迷った末に正直者でいることにした。
「俺にはそんなつもりはないよ。もうすぐ発表があると思うけど、ドラクルの末っ子は先祖返りした吸血鬼だったし、特に気にしないかな」
しばらく見つめ合った後、小さく安堵の息を吐くリノ。
反応を見るに、吸血鬼の件は知っていたようだ。
「イフリート」
「私はお前が決めたことなら構わん」
二人の間には確かな信頼があるようだ。
「この国でデミの貴族はさして珍しい事ではありませんが、アナタは国の外から来たから当然異なる。私は吸血鬼と同様に鬼種に連ねる者です」
額の右側から角が生える。それには並々ならぬ衝撃を受けた。何せ、見たことがないものだから、違和感を覚えた。
「鬼は力が強く、好戦的で長い間戦争をしておりました。それ故に今も畏れられています。私は隠しているわけではありませんが、一族全体でその長い歴史で刻んだ印象を払拭しようと努力しています。アナタにもそんな偏見を持たないでいただきたいのです」
「わかった。でもなんで今なの? 特に、リナがいなくなったのを見計らったように」
「よく見ているし、良く考えますね。それだからこそ安心です。鬼にとって、吸血鬼のような種族でもない限り、角なしは不吉なんです。その仕打ちもとても言葉にできる者ではありません。リナはそれには気づいていないんです。はやいこと嫁いでしまえば楽ではあるのです。そうすれば鬼以外の何者かとして生きられるので。簡潔に言うのならリナを貰ってください。ガードがいくら緩くとも連れてくることは今まで無かったので、風月さんの気に入っているのだと思います」
「それは俺が決めることでも、アンタらが決めることでもないだろ。リナとよく話してから考えろ」
素直な考えだった。しかし、それで引いてくれるほど、リノやイフリートの意思は弱くない。
「貰ってほしい理由はそれだけではないのです。神域の騎士になりさえしなければこんな手段を使って止めはしません」
「死亡率の話は知ってる。でも、それこそリナが決めた道だ。部外者の俺が口を出すことじゃない。もう一度言うリナに決めさせろよ」
「あの子はその話を聞きませんよ」
なら、なおのこと俺には関係のない話だ。
親の権力が俺の居た世界より強いのは何となく理解できる。それでも、本人の意見を蔑にしていいなんてことはないはずだ。
「それに、俺はこの傷に誓った」
右手を掲げる。薄くなったが、数日前につけられた契約の傷。血縛の契りの証。
「文字通り命を懸けて、魔の山を開拓しないといけない。それが失敗すれば俺は死ぬ。それだけはゆるぎない。そんな奴に預けんなよ。さて、もう寝かせてもらうよ。部屋、借りてもいいんだろ?」
「なら契約が終わった後に、アナタが生きていればまた話を持ちかけますね。それと扉の外で使用人が待機しています。案内してくれますよ」
あの二人は憎めないが、好きにはなれない。扉を出ると、小柄な猫耳のメイドが客室まで案内してくれた。ぴくぴく揺れるその耳を掴みたくなるつよいしょうどうにかられたが、さすがにそれはしない。
階段を上がり、部屋の蝋燭に火を着けようとしてくれるが、それを断る。もう寝るだけだ。ここでわざわざつけてもらうことはしない。
月明かりで十分だ。明日は大仕事だ。その前にしっかりと休むことができるのも十分な才能だ。
ポケットの中から、魔獣に噛まれて歪んだ腕輪を取り出す。一度は、腕から抜けなくなって焦った。結局は魔獣にもう一度噛んでもらってある程度形を整えることにした。
月明かりを浴びるために窓の外を見ると、闇の中で微かに動く輪郭があった。太陽に焼かれて吸血鬼の因子はほとんどなくなったはずだが、それでも、闇の中では比較的夜目が利く方だ。酒場まで尾行していた男だと、体格から大凡の察しをつける。
まだあきらめていないらしい。
それでも騎士系の貴族を襲うなんてことはしないらしい。
「………………魔の山で仕掛けるしかないな」
月明かりに照らされる腕の傷。治癒は完全に止まっているが、何が起きているのか全く分からに。儀式が古すぎて、使わなくなって久しい。だから、どういった条件で傷が治癒するのか分かっていない。完全に治癒するのは契約が果たされた時。途中で治り始めるなんてことはないという。
「情報も足りない。明日ならすべてそろう」
それだけ口にすると思考を切り替えて、ふっかふかのベッドに飛び込んだ。
「明日は朝一で風呂を借りよう」




