第二章 3 〇予兆
会議はあまりにもあっさりと終わった。それはオルガがあらかじめすべてを根回ししていたからだ。全てが都合よく設置されたあれは、俺が使えるかどうかをオルガが見極めるために行われたものだ。
そんなわけで、その日は神域の騎士を二人も連れて観光だった。
「やったー! 初仕事だ!」
こんなにも早く実現すると思っていなかった大理石の城を訪れて、その豪奢な内装に触れてきた。あれだけごちゃごちゃしているのに悪趣味と思わないだけの品格があって、それが堅苦しかった。だからからか、リナは元気いっぱいに両腕を振り上げて伸びをしていた。その度に華奢な体に似つかわしくない双丘が胸当て越しにも分かるほど大きく揺れている。視線を奪われつつ、俺はリナと視線が合いかけてそっぽを向いた。
「で、どこ行くの?」
クルリと振り返り、はにかみながら俺の顔を覗く。無邪気さに思わずドキリとする風月。
「さあ、俺はこの国に詳しくないからな。知りたいことはたくさんあるけど、とりあえずゆっくりと魔の山行くかな。そのための道具も揃えたいし、アルトに預けてある金を取りに行こうか」
「とってこーい!」
「護衛だから一緒に行くんだよ」
自由気ままに叫ぶリナにアルトは既に嫌気が刺していた。
リナはリナでまともに仕事を熟す気があるのかないのか分からないが、とにかく先を急ぐ。
俺とアルトの首に両手を回して、万力のような力で引きずっていった。
街の中は相変わらず活気づいていて、いろいろな噂が飛び交っていた。その中で最も目立っていたのは既に魔の山についての情報を掴み、武器を集めている商人たちだ。これからの高騰を狙っていることはわかりきっていた。その情報を漏らしたのは間違いなくイヴルであることも理解できる。
「こりゃイヴルの奴は下からせっつかれるぞ」
「何で?」
「そりゃ、これだけ情報を流布して何もありませんでしたじゃ、メンツがね」
「メンツかあ」
リナのおっきな胸に頬を押し付けられているのに、胸当てが硬すぎてあんまり嬉しくない。むしろリアクションが大きい分ゴリゴリと顔に押し付けてくる。
ああ、鎧が無かったらな。そう思っても口にはしない。
そんな折、ふと思い出すことがあった。
「そういえばアルトは最も技巧に優れた騎士って言ってたけど、リナはどんな騎士なの?」
「そりゃもちろんパワーよ!」
アルトが大人しく引きずられている(ように見えるだけで必死の抵抗をしている)あたり、それは本当かもしれない。
「剣持ってないよね。アルトは二本も持ってるのに」
「私は魔法で隠してるの。日本も持ってるアルトの方が特別よ。アルトの『嘘裁ちの剣、ジャッジメント』は普通に戦うと殺傷能力がないの。だから別の剣が必要ってわけなのよ」
「おー、あれか。俺も何度か斬られた」
「しっかり生き残ってるからアンタもすごい奴ってわけね!」
すごい、そう言われると風月も迷ってしまう。普段からそんなに褒められ馴れてるわけじゃないから、少しむず痒い。用手で口の端を揉んで上がりそうな口角を元に戻す。
「なら、リナの持ってる剣はどんな奴?」
「私のは『処刑斧、エクスキューション』よ! 一〇〇〇人もの罪人の首を切断してきた斧を何本も集めて打ち直した特別製よ!」
「なんか物騒なの来たな」
「重すぎて扱えるのが私しかいないから、私もすごい奴ってわけよ!」
アルトと違って快く色々教えてくれるリナ。アルトと違って。二度繰り返したからって他意があるわけじゃない。
「アルトは魔術を毛嫌いしてたけど、使うことに嫌悪感とかないの?」
「簡単よ、アルトはおじいさんみたいな価値観から魔術を使わないの。いまどきの騎士は剣気なんかなくっても魔術で補って戦うわ! 両方合わせたら最強ってわけよ」
「魔術なんて邪道だ」
もはや抵抗を諦めたアルトがそう口にする。
「神域の騎士の何人が魔術使ってんの?」
「一席から三席以外全員よ!」
「まさかのマイノリティ」
そう言えばミラタリオも魔術は邪道と言っていたが、年寄りだった気がする。
「でもそれにはしっかり理由があるってわけよ」
「そうなの?」
「一席は最も強い騎士。二席は最も速い騎士。三席は最も巧い騎士。これは魔術で強化したところでどうにもならないわ。純粋に剣気を高めていくしかないわ。しいて言うなら二隻だけは魔術を使うけど、ナンパ以外に使ってるところ見たこと無いわね」
「な、なんぱ?」
頭の中で第二席と呼ばれる男を想像するが、見てきたのが、アルトとリナだ。まったくもって想像がつかない。
「私もナンパされたわ」
「ああ、それは納得」
リナはスタイル良くてかわいくて、元気いっぱいな印象がある。それでいて知識がなさそうな印象があるから、男たちの注目の的になるのも頷ける。
「嬉しいこと言ってくれるわね。アンタ名前は?」
「……………………………………(絶句)」
さっきオルガが散々読んでいたのに覚えられていない。それはそれでショックだった。日本じゃ名前は初対面で必死に覚えていたというのに。だからと言って名前と顔が一致するわけではないが。
「風月凪沙。好きに呼んでくれ」
「凪沙ね、よろしく!」
「よ、よろしく……」
城からそう遠くないところにアルトの屋敷はあった。他よりも大きく、それが重要な人物の屋敷だと一目瞭然だった。
リナからいち早く開放されたアルトは屋敷の鍵を開けた。
「風月上がれ」
とは言われたものの、リナに拘束されたまま引きずられるようにアルトの屋敷に入ることになる。
「待て、ここで待っていろリナ」
「何で私だけ?」
「お前は男の部屋に入ってくるつもりか?」
「それがどうしたの?」
頭を抱えるアルト。分かる、俺にもその気持ちはわかるぞ。
そんなんだからナンパされるんだよ。
そう言いたげな視線が、リナに刺さる。しかしそんなものに気づくほど鋭いようには見えなかった。
「家の中に暴漢がいても私なら負けないんだから!」
「「そういう意味じゃないんだよなぁ」」
もう何言っても無敵だ。結局アルトの静止を押し切って部屋に乗り込んでいった。
「案外質素なんだな」
「使用人がいない……」
「それがどうしたんだ。じろじろ見るな、恥ずかしい」
いくつか部屋があったが、物は多いものの木箱に入ったままのものが多く、それ以外は必要最低限のものしかない。
階段を上がり、アルトの寝室の前で待たされる。中では金庫を開けているはずだ。
「凪沙はさ、どこから来たの?」
「どうしたんだよ行きなり?」
「見たことない人には興味津々なんだよね」
ちょいちょいドキリとする言葉を言うのはやめてほしい。
アルトといい、あってそうそうに性格が理解できてしまうからともかく、それが無い状態でこの対応をされたら誤解する。
「別の国。ここじゃないどこかからか言づいたらここにいたんだよね」
「きっとすごい魔法で飛ばされたのね」
「魔法ね。気になってたけど魔法ってどんなの?」
「凪沙は本当にどこから来たの? 魔法も知らないなんて生活不便じゃない?」
言われて思い出すのは日本での生活だ。旅ではライターも持たないなんて言うのはザラだった。北欧で国境を越えたときは猟師に助けられた。少なくとも、便利な生活とは切り離された生活だった。
「いろんな道具があったから不便じゃなかったさ。でも充実してなかった。その道具から切り離されたあの旅こそ充実してたかな」
「そっか。今は? 充実してる?」
「最っ高に充実してる」
そんな話をしている時だった。
寝室のドアが開いてアルトが出てきた。
「何者かがこの家に侵入した。金庫が壊されている」
一気にきな臭くなってきた。
アルトの寝室は一見荒らされたようには見えない。しかし、ベッドの横に鎮座する腰ほどの高さも金庫は強引にこじ開けられて、扉が拉げていた。
「中には何が?」
「お前の金。あとは仕事用の書類。だが、金は全部消えている。ほかの貴金属類は無事だったがな。中の書類もおそらくは全て目を通してあるはずだ。順番が異なっている。dが、亡くなった書類はない」
「おかしな話だな」
「なんとなく予想はついている。誰がやったのかも、目的も、なぜ今日なのかもな」
それは俺にもわかった。
恐らくは書類を探しに来た。俺が森神と結んだ契約の書類を。実際にはそんなものは無く、血縛の契りによってすべてを代用している。それが異端な対応であることは森神と邂逅した時のアルトの反応で察している。
アルトが確実に不在の間に書類を握りつぶすなり、盗んで隠すなりして、森神との全面闘争に踏み切りたかったはずだ。少なくとも今考えられるのはそれだ。金が無くなったのは明らかに物取りに見せかけた結果か、あるいは何もなかったから代わりに盗んで行ったものなのか。
そして、誰が命じたかなんて一目瞭然。
「たぶんイヴル卿だな」
「それしかないな。でも、なんでイヴルは血縛の契りを知らないんだ? むしろ報告書を読んだなら知らない方が異常だろ」
「そうでもない。王以外にそんなに詳しい契約書なんて渡さない。むしろ、あの場で血縛の契りが利用されたことが分かったにもかかわらず顔に出さないどころか、王に甘言を流して強引に流れを変えに行ったイヴル卿の判断の速さには舌を巻く」
「そんなのはどうでもいい。あとでお前の剣で切れば一発だし」
「案外執着しないんだな」
「金は豊かに暮らすにはあった方がいい。でも、旅には無用の長物だよ。街でおいしそうなものを漁るために全部使うつもりだったし」
ちょっと財布掏られたみたいのノリで言っているが、およそ三〇エルズの金は日本円に換算すると何百万という金に化ける。それを全て食費に使うと言ってのけた風月にアルトは信じられないような目で見る。
「別にいいだろ、そんな目で見るなよ」
きゅるるるるる。
可愛らしい音が聞こえた。音の方へ目をやるとアルトの布団へ一切の躊躇なくダイブしたリナが枕に顔を埋めたままの体勢で、お腹を鳴らしていた。
「お腹すいたー」
「お前にその辺の躊躇ないのか!?」
「何のこと?」
こうやって無自覚に男たちを思わせぶりな態度で誘惑してきた挙句にバッサリ切り捨ててきたんだろうな。
緊迫した空気は一気にこと切れて、気づけば俺のお腹も空腹を訴えて鳴き出した。
「飯食いに行こう。すまんが、金が回収できたらそこから徴収しておいてくれ」
「……そもそも取られたのは俺のせいだ。金は気にするな。飯にするか」
三人で街に繰り出す。
しかし、その時に俺は気づかなかった。異常事態に。
右手に付けた血縛の契りが薄くなっていることに。




