第一章 39 〇エピローグ3
「ああああああああ。終わった」
クラリシアへ向かう竜が引く馬車の中で今まで聞いたこともないような気の抜けた声は予想外にもアルトが発したものだった。
「どうしたんだよ」
「辛い。疲れた。働きすぎだよ俺」
こんなにもなよなよしている騎士を見ると、ずいぶん複雑な気分になる。森神と戦った数日後に、ミラタリオと夜通し殺しあって、朝になったら馬車で帰るという強行軍だ。さすがに労ってやることにした。
「はいはい、お疲れ様」
「ぞんざいだな。もっと労え肩を揉め」
褒めるんじゃなかったと後悔した。
「知ってるかい? 神域の騎士の死因の一位は過労なんだよ。二位は殉職。本当に王族死ねばいいのに」
「騎士が何言ってるんだ」
「いいんだよ別に、今の王都は幼馴染だし、オフじゃ暴言吐いて罵りあう仲さ」
騎士も大変なんだな、くらいの感想しかない。
「それで、風月。本当に、いいのかい?」
唐突にアルトが口を開く。
「何が?」
「ティア嬢に嫌われたままでいいのかって。旅についていきそうな勢いで懐かれていたじゃないか」
「いいんだよ。離れ離れになるには幼すぎる。まあ、吸血鬼のティアはついてきたがっていたようだがな」
懐かしむように言った。だが、アルトは面白くなさそうに唇を尖らせる。
「どうしてそう素直じゃないかな。嫌われるようなことをわざとして、辛そうだったじゃないか。ティア嬢よりも風月のほうが泣きそうだったぞ」
うぐ、痛いところをつくじゃないか、コノヤロウ。
「あの時の風月の怒られた子供のような顔と言ったら――」
「わー、わー! きーこーえーなーいー」
我ながら子供っぽいとは思う風月だが、それ以上アルトの言葉は聞きたくなかった。
「アルトはいい加減くどいんだよ……。あの姉妹はやって行ける。俺みたいな若造より数倍年取った奴が二人もいるし」
「ミラタリオと吸血鬼の方のティアのことかい? 強情だなあ」
騎士で一番の堅物が言うな。
そう言おうと思ったが、テーブルクロス引きの話とか聞いていると堅物には思えなかった。なんだかんだで、死なないように取り計らってくれたこともオンに感じている。
しかし、探られるのが気に入らなかったから、拗ねたように視線を窓の外へと逃がす。
馬車の椅子の中に作られた収納スペースには両腕を縛られ、しゃべれなくされたヴェイシャズが収納されている。
傷の処置をした後に往生際も悪く激しい抵抗をした。しかし神域の騎士アルトと森神によって強引に押し込められた。クラリシアで正式に処罰されることになる。
それとは違う道をたどったのはミラタリオ。元神域の騎士で、ヴェイシャズには恩を返し、ドラクルの血に恨みはないということで、ドラクル領で療養中の騎士団長の代理をするという。後に罰は受けるだろうが、そこまで重いものになりそうになかったのは、兵士を処刑せずに逃がしていたことが幸いしたようだ。
「案外、丸く収まったなあ」
しみじみとそう感じる。たった二日半。それだけの旅は濃密で、あの男が見せてくれた旅に勝らずとも劣らない。
そんなふうに感慨に浸っていると、唐突に竜車が止まった。
「おい、どうした?」
外を確認したアルトはニヤリと笑う。その刹那、何があったか聞こうとした俺は間髪入れずに蹴り出された。地面に転がり、鈍い痛みに呻きながら、体を起こす。
「イテテ、何しやが――あ?」
「なぎ、さ。大好き、だから……」
目の前にはティアがいた。気付けば、ティアの小さな体に抱きしめられていた。小さな手で、必死にしがみつき、泣きそうな顔で告げたティア。
「――え?」
あまりにも唐突なことで思考が空回りしていた。それと同時にアルトが俺を馬車から蹴り出した理由を理解した。
「ごめんなさいっ」
その一言はあまりにも鮮明だった。ミクハを殴ったときに残った胸のよくないものをスッと取り払い、心を軽くしてくれる。
「……俺も、ごめん」
ぎゅっ、と俺もティアを抱きしめ返す。
陽の射す庭でぐっすりと眠るような安らぎが心を満たしてくれる。
「俺も、ティアのこと大好きだよ。旅は楽しかった。一緒に旅をしてくれたのがティアで本当によかった」
心の底から笑うことができた。本当に、楽しかったから。
「また、あえる?」
「ああ、逢えるとも」
答えを躊躇う必要などなかった。
「だって生きているんだから」
それは再開の約束。同時に別れの始まり。
「生きている限り、一緒に旅をした繋がりは消えないよ。きっとまた逢える」
心臓がキュッと締め付けられるような痛み。それは悲しさからくるものでもなく、寂しさからくるものでもない。俺が過去の旅で何度も味わった感覚だ。
この感覚を覚える度に膝が震え、悲しくもないのに泣きたくなるのだ。
(ああ、この感覚がいつもより強く、辛いのはなぜだろう? あの男と別れたとき以来だな、こんなにもキツイのは)
心が安らいでいるはずなのに、ただ形容しがたい気持ちに襲われる。
なるほど、と俺は思った。
(あの男は臆病だからな。この気持ちを、この感覚を、この安らぎを。この〝これ〟を恐れていつも深くまで関わらなかったんだろうな)
要らないことを察して、少しだけ笑えた。
青い空を見上げる。違う世界の違う空の下。それでもきっと見てくれていると信じている。
(なあ、見てるか? これが俺の旅だよ。こうやって出会って、別れをしっかりと受け止める。これが俺の旅なんだ)
俺はティアを抱きしめたまま昼の日差しを浴びる。そしてこの感情に飲み込まれそうになりながらも俺は笑った。
悲しくもないのに俺とティアの瞳からは涙が溢れ始めた。しかし嗚咽はなく表情は笑っていた。
「約束する」
ある日の昼下がり。
暖かな陽の光は二人の別れを優しく祝福した。




