第一章 3 〇ひと悶着
そうして歩き出して三時間。
街には次第に活気が出てきて人が闊歩し始めた。それどころか人外のもの、頭から角を生やしたり、エルフだったり、小人だったりといろんなものが出歩いていた。
そんな光景のせいではないけれど、風月には先ほどと真反対の感情が渦巻いていた。
「……辛い、階段がほしい」
城は山の頂上だ。下るのはまだしも、上るのはかなり辛い。振り向けば城の城壁がすでに小さく見えた。
老人のように背中を丸めながらゆっくりと登っていくさまは亀のようだ。
「転がり落ちたら即死だな、こりゃ。でも、このまま上ってても背骨がつぶれそうだし……。誰だよ上りより下りの方が危険ですなんて言った奴、出てこい。どっちも危険じゃねぇか」
未だ山の中腹が小さく見えるほどしか進んでない。状況をこまめにメモって、異世界紀行を楽しんでいたが、そのうちかったるくなって充電ももったいないしでスマホは胸ポケットにしまっていた。
「体力がないわけじゃないんだよ。現代っ子剣道少年の体力を舐めんな!」
自身を鼓舞するが、如何せんずっと坂の道は精神的によろしくない。
朝日が昇り、街には活気が出てきた。露店が並び、子供が遊び、買い物や仕事で道は時間が経つにつれ人込みで狭くなる。
「こんなところで暮らしてりゃ、嫌でも体力着くわ。ご老体に優しくねぇ町だなぁ。まあ、バリアフリーっちゃフリーだけどよぉ。街全体がバリアじゃん」
いったん立ち止まり背筋を反らして腰を柔らかくする。ゴキゴキとなり始めた自分の腰をいたわりたくなる。将来は腰に負担を掛けないようにしないと、こんな国はごめんだ。
俺の動作は周りからは物珍しそうにじろじろと見られた。ふつうなら気まずくもなるんだろうが、本屋の立ち読みによって店員の白い目になれている俺には無駄だ。
「――と、あれれぇ?」
思わず俺の言葉が尻すぼみになる。
「これはさすがに、これは異常じゃないかなぁ?」
子供も大人も老人も、男も女も、そして人外の者たちも一様に風月を見ている。気付けば周りにいる誰もが好機、あるいは奇怪なものを見る眼で風月を凝視している。
顔に笑顔を張り付ける癖とこの場の異質感から顔は引きつった笑いを浮かべていた。
「……なんだよ、これ」
俺だけだ、こんな日本人染みた特徴をしているのは。
人間の髪は金色だったり緑だったり。黒もチラホラと。しかし、肌の色は白かったり黒かったりと、アジア系の特徴がみられる人間は風月を除いて誰一人としていない。人間以外はより多く見受けられた。鼻が異常にでかいのや耳が長い奴ら。肌が通常ではありえない青い者たちも。
そして坂道は馬ではなく牛と蛙を混じらせたような体躯を持つ生き物が荷馬車を引いていて、でかいトゲトゲしたトカゲが馬車の荷車のようなものを引いている。
未知の生物はともかく、ネットで拾えるような知識で分かるドワーフっぽい生物やエルフらしき生物はすべて風月の方を向いていた。
目の色も黒の生き物はそうそう見受けられない。髪の色も違う。そして、学生服のような生地の服を着ている者もいない。
「日本に来た外国人はこういう目で見られているのかなあ……。今度からはもっとフレンドリーに接してみるか。日常英語しかできないけど。まあ、スマホあれば大丈夫だけどな! 言語翻訳という文明の利器最高!」
そして、風月は気づく。
「あれ? 異世界語翻訳機能とかなくない?」
致命的すぎる弱点にだらだらと汗をたらし始める。
「これは言葉の分からない異世界に無一文で放り出された感じか? うはは、それはそれで心が躍る!」
伊達に世界を旅していない。すこし張り切ったけど周りは反応を示さない。むしろ逆効果だった。思わず溜め息を零す。ついでに文明の利器がなくとも話せるように勉強することを誓っう。
その時、一人の男が肩にぶつかった。
「おっと、すまん」
人間のように見えるが、眼が大きく、肌の色は青い。鼻は大きく人間のそれを超越したサイズで、横にでかい身体は筋骨隆々と言った感じに服を内側から盛り上がらせていた。
「ああ、お気になさらず、って」
そこまで言って、風月はハッとした。
「こ、言葉が通じてる! つまり、異世界語翻訳機はいらないぞ! やっぱり世界共通語は日本語だ!」
そんな馬鹿なことを思うほどに気分は舞い上がる。
浮かれ、ハイテンションな風月だが、気にするべきことを見逃すほど気分がいいわけでもない。
「まあ、馬鹿な話している場合じゃないよな。おい待てよ、おっさん」
筋骨隆々の男の肩を掴む。服は意外にも薄手で、特別に筋肉がある個体というわけでもないのかもしれない。
「アンタ、なんか言うことあるんじゃない? あと差し出すものも」
「ンだよ、謝っただろ。それとも金でも欲しいのか・・・・・・」
周りはぼそぼそとつぶやきだした。
態度が悪いだの、意地汚いだの言いたい放題だ。見たこともない人種に対してはどこでも風当たりは強いようだ。
うん、やっぱり外国の人にはフレンドリーに接しよう。電車で席を譲るくらいには。まあ、本当に当たり屋まがいのことを俺がしていたら間違っちゃいない反応かな。
「いや、金は要らない。だが、返すべきものが・・・・・・あるだろ? たまたまポケットに滑り落ちたとか、そういうことはないのかい? 左のポケット探ってみなよ。俺のものが入っているはずだから」
男はそういわれてしぶしぶといった調子で左のポケットを探る。しかし首を横に振ったあと、手をひらひらとさせた。
チィ、その自慢げな顔を蹴り抜いてやろうか、クソ野郎。
風月は心の中で毒づく。
「いや、何もないが?」
「そうか、最後のチャンスだったんだがな。ああ、いや、なんでもない。俺の勘違いだった。すまんすまん」
平然と言い切る男に風月は気さくに返した。
「間違いは誰にでもある、気にするな」
ああ、そうだな。誰にでもあるよな、間違いは。
男の言葉に心の中で同意するが、男はそのまま歩いていく。
「おっと、その前に一つ」
「まだなんかあるのかっ」
少しイラだった様子をあらわにした。鼻は膨らみ、眼は少しだけ血走っている。息も荒く肩を揺らしながら声のトーンを低くする。
(わかりやすい。既に動揺が見え透いてるぜ。スリ師には向いてねぇよ、オマエ)
青い皮膚も相まって余計に顔色が悪く見える。
「肩に糸くずがついているぞ。ほら、そこからじゃ見えないだろう?取ってやるよ」
男の近づき、背中を手で払う。
「ほら、とれたぞ」
「ふん」鼻を鳴らして、ポケットに手を突っ込むとそのまま歩いて行った。そして、すぐさま立ち止まる。「お、おい!」
焦って駆け寄るが、俺は知らぬ存ぜぬを通した。
「いやぁ、言葉が通じるって素敵だね! 世界がより輝いて見えるよ・・・・・・!」
「ま、待てよ!」
「おお、あれはウサギの肉か? 日本じゃあまり見ない珍しいもんを扱ってるなぁ、って、なんか鹿みたいな角が生えてるぞ?」
「待てって!」
今度は男が風月の肩を掴んだ。
「お、お前!?」
怒り。そうわかりやすく示すように鼻が真っ赤に染まっていた。
「どうした、ピエロみたいに真っ赤だぞ、鼻が」
冷えた声に少しだけ冷静さを取り戻す鼻のでかい男。
「な、何か、ポケットに入ったとかないか?」
そういわれて意気揚々と風月はポケットの中を探る。
ああ、コイツを捜してんだろ、知ってるぜ。
ゆっくりと取り出した手には、胸ポケットにあったはずのスマホ。
「俺のものしかないな? で、なにか」
ぎりぎりと男は歯を鳴らした。
なぜそんな態度をとったのか、周りには分からない。しかし、俺と男は知っている。
「ああ、そうそう。アンタの太い指はスリに向かねえ。胸ポケットはスリとるのが難しいからやめておいた方がいいよ? あと、尻ポケットから似合わない可愛らしい財布が覗いてんぞ」
バッと思わず尻のポケットを探る。しかし、そこには何もない。気づけば、周りの雰囲気はスリという言葉が聞こえてから風月の肩を持つ方へ傾いていた。
男は失礼と一言。その場を間が悪そうに立ち去ろうとする。
そこで、俺は青い男から予めスリ取ったコインをその場に落とした。
「ああ、コイン落としたぞ?」
コインは煉瓦の隙間で倒れ、坂道を転がって行かなかった――ように見えるだけで本当は踏んで横に倒したのだ。
悪く思うなよ、この野郎。
焦ってコインを拾いに来た男に薄い笑みを持って足を引っ掛ける。すると、盛大に転んで、複数の財布や金品などをぶちまけた。
「あ、これ私のだわ!」
誰とも知らない者が発したその一言をきっかけに一斉に周りの者たちが財布を確認したりする。
「相手が悪かったな……。間違いは誰にでもあるさ」
落ちた財布などに群がる民衆を見ながら俺はその場を後に、頂上の城を目指して歩き始めた。