第一章 37 〇エピローグ1
「ごめん、なさいっ」
領地を奪還した同日の昼。
半壊した城ではなく、宿の一室。
ミクハが地面に頭を擦りつけてティアに謝った。
「私が、ヴェイシャズにティアのことバラしたの! 私がすべての原因なの! 許してなんて言えない、でも……、ごめんなさい!」
いきなりの言葉にアルトが苦い顔をする。
アルトが何かを隠していたことを風月は気づいていた。だからミクハの話を聞いてなるほど、このことか位の印象しかなかった。
むしろ、最も警戒しなくてはならないのは、今にも泣きだしそうなティア。身体は震え、スカートを小さな手でギュッと握りしめている。
この状況ではどのような行動に出てもおかしくはない。
「おかあさんが……。お姉ちゃんの、せい?」
ティアも察してはいたが、何も言わなかった。
「……そうよ。母さんが死んだのは私のせい! 殺したのは他でもない私! ティアが売られたのも、私が弱かったせい!」
ティアの泣きそうな声を躊躇うことなく肯定する。
今、ミクハが自分の業を背負おうとしているのは理解できる。懺悔し、罰せられ、それでも生きていこうとしている。
「私が、ティアを信じてあげられなかったせい、なのよ……」
だが、その業はあまりにも深すぎる。少なくとも、こんな女の子に背負わせていいものではないと風月は思った。
「あ、ああ……。お、ねえ」
「――近寄らないでッ!」
ティアはその言葉で身動きが取れなくなった。
「私に、そんなふうに呼んでもらう資格なんてない。私は、ティアの家族なんかじゃいられないのよ……。私は、私は――」
「――騎士として、貴方は罰せられない」
そう口にしたのは騎士として感情を隠したアルトだった。
「あなたは利用されただけだ。そんなあなたをどうして罰せられよう……。あなたを罰するなら、この領地の兵士全員を処断することになってしま――」
「あなたに、正しくあるだけに縛られた騎士に私の気持ちが分かるの!?」
アルトの言葉をミクハ鋭く遮る。
「家族も殺した。妹も殺しかけた。民も、兵士も不幸にした。そんな間違いだらけの愚か者のことを、ただ正しくあるだけの騎士であるアンタに何が分かるっていうのよ!」
ミクハはどうしようもないほど怯えていた。ほかでもない自分自身に。
「私は吸血鬼が怖かった。今はそれ以上に、自分が恐ろしい……。私は悪魔なのよ? 多くの人を不幸にして、家族を殺した悪魔! なんでそんな私を罰しないの!? ヴェイシャズなんかよりも醜悪な存在なのよ。なのに、なんで……」
その場で泣き崩れるミクハに、誰もが掛ける言葉を失った。ティアも決壊しそうな感情を必死に押さえつけていた。
気づけば俺の右目か涙が零れていた。それはやはりというべきかティアのものだった。
風月は涙を拭ってから言い放つ。
「ティア、もう俺で泣くのはやめろ」
(あの男なら、もうこの場所を去っていたんだろうな)
共に旅をしたあの男を思い出していた。助けるだけ助けたらそのまますぐに去って行くのがいつものあの男だ。助けた後は自分たちで何とかしろとだけ残し、勝手にどこかへ消えてしまう。無責任だが、助けた以上、礼以外を言われる筋合いはない。
(俺はあの男に比べて甘いのかな)
つくづくそう思う。今、この状況でどうにかしてやりたいと思ってしまっているのだから。そう思うと、この場所の居心地がそう悪いものだと思えなかった。
(俺は、あの男とは違う選択をする)
「なあ、ミクハ」
「……なに?」
「家族が離れて暮らしていいと思うのか? それも姉妹がだ。忠告するぞ、今回はただ運がよかっただけだ。もしそうじゃなければ謝ることすらできなかった。そんなふうに罰してほしいなんて望むことも」
息をのむ音が聞こえた。
「分かってるわよそんなこと……でも、いまさらどんな顔して謝ればいいの!? ありがとうなんて言えるわけないでしょ! ティアの命の恩人であるあなたを殺しかけたのは他でもない私なのよ!?」
「ったく、強情な奴。本当に素直じゃねえな、かわいくねえ」
「――っ」
ギリリ、ミクハが歯を食いしばり、声を荒げる。
「私は、本当ならティアが帰ってこなければいいなんて思っていたの! あの子さえいなければ、私は――」
「ああ、知ってた。お前から聞いたんだから」
それ以上ミクハにしゃべらせてはいけない。それ以上、傷を増やさせてはいけない。そう思った。
(まだ、足りないのか。もう、道は示したし、それにすがらないなら荒療治になるぞぉ)
内心ため息をついた。ここまでくるとミクハが面倒くさい。
ミクハの胸ぐらをつかんで引き上げる。
「歯、喰いしばれよ」
俺は生まれてから初めて女の人を殴りとばした。
それも本気で。
鈍い衝撃が骨の芯を伝わり、それが胸によくない杭を打ち込んでいった。
「死ぬかもしれない旅を抜けてテメェに会いに来てんだ! 大好きな家族に会いたいって、その一心でここまで来てんだよ! それは俺じゃない、ティアがだ! 売り飛ばされて、奴隷商から逃げ出して。それでもお前と再開するために、この地へ俺たちを連れてきた! まずお前がするべきは後悔でも謝罪でもねぇって言ってんだよ、ミクハ!」
本心からの怒りで怒鳴り散らした。
家族がいなくて、拾われた俺自身、あのまま男に拾われなかったら、救われなかったらと思うとゾッとする。
今頃死んでいるはずだ。それでいて、思っていながら、口にしたことがなかった言葉。
彼女たちにそうなっては欲しくない。
「お前がすべきは家族に会えたことを喜ぶことだ。懺悔をするのも、自罰的になるのも後にしやがれってんだよ」
ただ、伝えたいことがあった。
俺ができなかったこと、俺がやりたかったことを、してほしかったから。吸血鬼のティアと俺ができなくなったことを今やらなければティアとミクハの絆は砕け散ってしまう。
この家族にはバラバラになってほしくないから。
「『ありがとう』……。そんな、ありふれた言葉すら言えなくなってたかもしれないんだぞ?」
「それでも、私は――」
まだ足りないのか?
俺はもう一度拳を握り、振りあげる。
二度とやらせんなっての、あとは頼んだぜ、ティア。
内心毒づきつつ、一歩踏み出した。
そして――。




