第一章 36 ◇領地奪還戦 ―終結―
男は躊躇わなかった。
救うために落ちることを。どうしようもなく莫迦な行為だった。それでも、やってのけた。だが、本来ならばそうあるべきだった者たちがいた。
この土地の兵士たちだ。
守るべき領主を殺され、そのご子息を守ることもできなかった。その上、ご子息を救おうとたちが上がった者へ刃を向ける始末。
どうしようもないほど情けなかった。幾ら償っても足りない。
そして、今、殺されかけたご子息のために崖から飛び降りたものがいた。兵士でもなんでもなかったのに、命を懸けた。
それをするべきは本当は兵士たちだったはずではないのか?
助からない。そう見限った。全ての終わりを悟って膝を折った。
せめて、ヴェイシャズを殺すために動き出せばよかったのに、そんな怒りすらわいてこない。ただ無気力に落とされた。
誰もがそう思う中、奇跡は起きる。
数十秒後に男がどういうわけかわからないが崖まで這い上がってきたのだ。
今にも崩れそうな崖のぎりぎり。その場所にかかった手があった。
それを見て、まだ立ちすくんだままの愚か者はもうこの城にはいない。倒れた怪我人すらも走り出そうとした。身体の半分がつぶれた騎士団長すらも、這いずって動こうとした。
――救え、救うんだ。これ以上、見捨ててはならない――
今動かなければ一生後悔すると分かっていたのだ。
手を掴むために邪魔な槍を、走るために邪魔な鎧を、すべてを擲って兵士たちは走り出す。
だが、目の前で手は崖から離れた。それでも、諦められなかった。これ以上、見捨ててしまえば、それこそ兵士として仕えていた意味がなくなってしまうから。
一人の兵士が、男の手を掴む。だが、三人分の体重など、支えられるはずもない。そのままでは逆さまに堕ちていってしまうだろう。
だが、別の兵士がまた男の手を掴む。
一人で足りないなら二人。二人で足りないなら三人。そうやって馬鹿な男を救おうとする同じ馬鹿の数は増え続ける。
気付けば、救うために、その場にいた兵士たちは皆、馬鹿になっていた。たとえ一緒に体が落ちて死のうとも、尽力が実を結ばずに終わったとしても。何もしない愚か者で終わることよりはるかにいい。
三〇を超す手が男を引き上げ、救おうと尽力する。
たった一人の男が救おうと必死にもがいたことで、小さな波は伝播し、波紋を呼び、大きな波となってたった二人だけになってしまった家族を守らんと力を奮った。
そして、引き上げられた男の左腕に二人の少女がいることを確認し、あるものは噎び泣き、あるものは死ぬほどの謝罪をし、あるものは喜んだ。
こんな優しい結果を持って貴族領奪還戦は終了した。




