第一章 34 △世界は嫌っているらしい
解放されたミクハは数歩前に出てヴェイシャズから離れた。
すでに、ミクハの目にヴェイシャズは写っていない。視線は一人の女の子に注がれていた。もっと言えば吸血鬼でありながら妹でもあるたった一人の家族に。
「……あ、えっと」
(合わせる顔なんてあるはずがない。あの子がどうしようもなく打ちのめされてボロボロになっているのは全部私のせいなんだから。私さえ、いなければっ)
やがて、目に光が刺さったわけでもないのに、目を開けていることすら難しいほど眩しくなってしまう。見ていることすらままならなくなり、視線をせわしなく移動させた。
今すぐにこの場から逃げ出したかった。でも、あの子は逃げ出すことを赦してくれなかった。
「おねえちゃんっ」
(なんで? なんで私なんかをまだそんなふうに呼んでいるの? どうして、駆け寄って私に抱きつくの? 私が悪かったのに、なんで……)
「なんで、罰してくれないの?」
謝る言葉は出なかった。その代わりに嗚咽が漏れた。涙が流れた。
「うう、ああ。ああああ……」
私だけが救われてしまった。一番つらいのはティアなのに。ティアの温もりが私を癒してくれた。それが唯一の救いとなり、ボロボロになった心が砕け散ることを最後のところで防いでくれた。私はどうなってもよかった。ティアが生き残ってくれるならば私は命を投げ出してもいい。今ではそんな覚悟もある。
それでも、私の意を汲んではくれない。何が言いたいのかと言えばこの世界はクソッたれっていう事だけ。私を責めて、私を迫害すればいいのに。
この世界はどうもティアを救ってはくれないらしい。
トン。
軽い衝撃が身体を突き抜けた。ティアを抱きしめる私の背中を軽く押す様な衝撃。それに似合わない強烈な力に体が押しのけられた。
「え?」
肩越しに見たのは憎たらしそうに睨み付けるヴェイシャズ。魔術を使って私と、抱きついていたティアを押した。瞬きひとつする間に数十メートルも押しのけられて、崖の向こうへと突き出された。
私たちのたどる未来は一つ。
高所からの落下。こんな状況で何もできない。魔術も魔法も呪いも。事前の準備が物を言う。こんなところであっさりと発動できるような備えは、ヴェイシャズから持たされるはずもなかった。
足場が無くなり、浮遊感が死を明確に意識させる。お腹のつぃたの方を押されるように力が籠る。全身の毛穴が開き、身体が硬直するのが分かった。
(ああ、神様。あなたはどれだけティアが嫌いなの?)
私たちは死を待つしかなかった。あとは五〇メートル近くを落下するだけ。せめて、最後くらいは姉としての見栄を張りたかった。
(最期はくらい怯えないで、ティア)
ティアに地面が見えないようにしっかりと抱きしめて、私が下になる様に身体を回した。
(これで、すべてが終わる。何もかも。あんな最低な二週間から解放される)
こんな時に思い出すのは、家族で過ごした日々。幸せな日常。私がぶち壊した大切な時間。もうあんなふうに家族三人でそろうことは無くなってしまった。それでもこの日々の地獄、これから先で味わう苦しみや後悔を考えたらここで解放されることも悪くはないと思えた。
そうなってしまえばこの浮遊感も心地よかった。
ああ、なんで? どうして来ちゃうのかな? なんで、また貴方が。
落下を始める私の目に一人の男が写った。
もう一度、あの男が助けに来た。




