第一章 32 ●君だけの旅
流れ込んでくるのは自分自身を偽り続ける記憶。親和性が高く、本質的に吸血鬼へと近づいた風月の記憶だからこそ見ることができた。ティアはそのさらに奥、風月の心に触れる。
風月の心はうずくまり、見えない何かに怯えていた。
『凪紗君は数年前からずっと偽り続けている。ううん、違う。これは偽らなくっちゃいけないっていう強迫観念?』
目の前で何が起こっても彼は笑みをはがさなかった。しかし、こっちの世界に来てから何度も何度も笑みは剥がされた。
〝何も感じていなかったわけじゃない。ただ、何も感じなくなりたかった〟
『なんで……。いや、答えはあるみたいだ。凪紗君はあの『男』の姿をずっと追っていたんだね』
〝旅の終わりまで笑っていたあの『男』に俺の旅を見せたかった〟
『ああ、分かるよ。だから、君はあの『男』になりきろうとした。それは――』
〝――それはあの旅の終着点が地獄の底なんて認めたくなかったからだ! それを証明したかったからだ! ほかでもない、俺の旅で! でも、あんな日常にそれを証明できる何かは無かった〟
『聞かせてくれないかい? 旅は、できたのかな?』
風月の心は何も答えなかった。
『やっぱりか。聞くまでもなかったね。そして、君には語る資格もない』
疑問を口にする前にティアが遮った。
『君は旅なんかしちゃいなかったんだから』
〝なにを、言って――〟
その一言から感じ取れるのは困惑。そして、恐怖。
『凪紗君は旅をしていないと言ったんだ。ほかでもない君自身の旅をしていない。君のしていることは過去の旅にすがり憧れを投影しているだけだ。それを旅だと思い込んでいるだけだ』
〝ちが――〟
『違うもんか。人間が生きるよりもずっと長い時間、旅に憧れつづけた僕だからこそ断言できる、してやれる! 君がしているのは思い出を追うことだけだ。それが。君が、ほかでもない凪紗君が憧れた『男』が死ぬ間際に見せてくれと願った旅なのかい?』
風月の心はティアの言葉を受けて何も答えられず再度沈黙した。
いま僕は否定している、君を。さあ、目を覚ますんだ。
『ほら、僕には答えられるのに渚沙君にはこたえられないじゃないか。君は僕よりずっとあの『男』と一緒にいたんじゃないのかい!?』
『さあ、思い出すんだ! あの『男』のことを! 僕と一緒に旅をした『あの人』のことも!』
『君自身の覚悟はいったいなんなんだ!?』
ティアの吐き出し続ける言葉に風月は沈黙し続けた。頭を抱え、耳を塞ぎ、目を閉じた。
何も聞こえないふりをした。
何も感じないふりをした。
何も響いていないふりをした。
しかし、ティアの声は手の平を貫通し、塞いだ耳から入り込んで直に脳みそを揺さぶる。
『魔の山で僕に言っただろう!? あれは嘘だったのかい!?』
〝――そんなわけあるかっ‼〟
僕は二度目だった。凪紗君の心の声を聴いたのは。
〝俺はあの男が大好きだった。憎まれ口を叩きながら笑い合って、一緒に旅をしたあの男が大好きだった! 砂漠の真ん中で星空を一緒に見た! 水がほとんどなくなって蛇を食いながら一緒に見た星空はすごくきれいで、こんな世界を恨もうとしていた自分自身が恥ずかしくなった! アフリカで井戸を掘りに行った! 掘り終わったときの達成感なんか忘れられない。それに初めてお礼を言われたのもあそこだ。たどたどしい日本語でありがとうって言ってくれた。そんな人たちもいるなんて知らなかった! アラスカまでオーロラを見に行ったよ! 空に緑色のカーテンがかかったみたいだった。装備だってまともに整えずに行って危うく死にかけた! それでもアイツは俺と一緒に『これだからやめられない』そう言って笑ってやがったんだよ! かっこよかった、憧れだった。一緒に密入国してギャンブルして人助けして、その合間で文字の読み書きから計算だって教えてくれた! 挙句の果てに死ぬ寸前だってのに知り合いに金を渡して俺を学校に通わせる準備までしてやがった!〟
泣き叫び、叩きつけるような声が響く。
それからすぐに弱弱しくか細い声へと変わった。
〝捨てられた俺にとって全部初めてだった。騙すことも平然とやっていたような男だったけど、ロクデナシなんて自虐してたような奴だけど。〟
風月の心は泣いていた。
〝俺にとっては大切な家族だったんだよ――ッ〟
死んでほしくなかった、もっと一緒に笑いたかった。
ティアに気持ちが流れ込む。
〝俺、そこまでしてくれたアイツにお礼なんて言えなかったよ。謝ったことなんて一回だけだっ。俺はなにも、返せなかった……。だから、せめて。最期の願いだけは〟
ティアは風月の心を抱きしめる。
〝俺は赦されていいのかな……〟
『最初っから咎められてなんかいないさ。』
〝でも、俺は『アイツ』に何も返せていないんだ。そして、返せなくなった〟
『いいや、一緒に旅をしてくれるだけで救われていたんだよ。僕にはわかる。僕を旅に連れ出してくれた人も、君と旅をした男もきっと似た者同士だったんだから』
〝だけど、俺は……〟
『言わなくても大丈夫。僕には分かっているよ。まだ、返せていないんだろう? ほかでもない君自身がそう感じている。だったら――』
僕には目の前の少年がとても幼く見えていた。きっと、僕を旅に連れ出してくれた男もこんな気持ちだったのだろう。
『今から返せばいいよ』
〝どうやって?〟
『旅だ』
僕は笑って言った。
『凪紗君の旅をしよう。ほかでもない、君自身の足で、君だけの旅を』




