第一章 2 〇異世界へと
風月凪沙は困惑していた。
断言してもいい、今まで生きてきてこれほど困惑したことなんて一度たりともない。それこそ、稀代のマジシャンでもここまで驚かせることはできない。
いつもと何も変わらない朝。記憶の片隅で風化して消えてしまうような変化のない一日だったはずなのに、それが一変した。右手には最近のフェイバリットアイテムのキャラメル風味のコーヒーとイチゴ牛乳。そしてお昼ご飯になるはずだったサンドイッチが入ったコンビニの袋。左手には歩きスマホが白い目で見られる中、躊躇わずに見続けていたスマホ。左肩から斜めにかけたエナメルバッグはぺったんこで、中には学生手帳と財布と筆箱以外何も入ってない。学校指定の堅い学ランは何度脱ぎ捨てようと思ったかわからないが、物持ちはいい方で綺麗な折り目がつている。日本人とは少し質の違う黒髪をピンで止めて前髪押さえている。本当にただそれだけ。
俺は身に付けたものをしっかりと確認して確信した。
「間違っても外国に行くような恰好じゃねぇよな」
しかし、それでも来てしまったのだ。
「行くような恰好じゃないのに――」
理解すら及ばない状況に圧倒される。ただ呆然と立ち尽くすことしかできないのに、笑みが溢れてくるのは昔を思い出しているからだ。
「――いつから海外旅行に来たっけ!?」
声が上ずった。この場にいるだけで楽しくてたまらない。
「偽造パスポートでハラハラしながら国境を渡ったときが懐かしいなぁ。ここ数年は記憶にないんだが……」
靴底越しに足はいつものコンクリートと違う硬さを味わっている。つい先ほどまでなんも変わらない登校時間だった。
久しぶりに早起きしてみてちょっと朝早く誰もいない通学路を登校してやろうかな、なんて意気揚々と家を出て、早々に街に飽きていくらでも時間を潰せる同人ラノベをスマホで楽しんでいた筈だったのに。
「何でこんな場所に……」
目の前には石の街。どこまでも続く、その広大さは圧巻の一言だ。綺麗に整備された街を繋ぐ煉瓦の道には幾度も馬車が通り過ぎて削られてできた窪みがある。この通りはあまりにも巨大だった。たとえるなら渋谷のスクランブル交差点。あれよりも広く、大きなパレードでもできそうなほどの広さがあった。
マンションのような複数回建ての家々の間には川が流れ出ていて、その上を橋が欠けてある。そんな素敵な街の、大きな通りの真ん中に立っていた。俺だけが立っていた。一人だけこの世界に取り残されたかのような錯覚に陥る。
そんな見慣れない街並みを目で追っていくと自然の首が上を向いた。そうして初めて、この町が山に作られたものだと理解できる。
「でっけぇ……。すごい山だ」
標高も分からなかったが頂上は雲を貫いていた。こんな大きな山の表面を切り崩し、街ができている。そして、頂上に細かな模様が刻まれていた。
「違う」
すぐに否定する。
「模様じゃない。街だ。あの頂上まで隙間なく街が続いてる」
その町並みは称賛の声を惜しむ必要がないほどに立派だ。
そして頂上の付近は眩く輝いていた。
「なんだろう。あれは、城? 城!?」
街の窓を思わず確認した。人間が住むに相応しいサイズ。にもかかわらずその城のサイズだけが常軌を逸していた。たとえるなら、富士山の八合目あたりから全て城になっていると言えば分りやすいかもしれない。
白く輝く巨大な城。文字通りのけた違い。
「あれ?」ふと気づいた。「太陽が無い?」
山頂の城の光に目をやられ、足もとに視線をやると、反射した光が影の中にさしていることに気付いた。それで城そのものが輝いているわけじゃないと気づいたが、この巨大な影の中に体がすっぽりと収まっている。どころか、この通りそのものが影に覆われていた。
振り返ってみると、一〇〇メートルを超す巨大な壁。この壁が太陽の光を遮っていた。
「これ、日本で言う石垣みたいなもんなのか? ここは山の麓で・・・・・・」
石垣を目で追う。そして、遠近佐野関係で小さくなっていき豆粒ほどの大きさで山の後ろへとまわっていった。そう、山の後ろへと。
俺の中で何か予感が膨れ上がってくる。ゾクゾクと、この地を踏みしめた時とは子tなる笑みが零れた。
急いで反対側を確認すると、同じように豆粒ほどの大きさになってから山の裏へとまわり消えてしまった。
「まさか、この壁で囲まれてるのか? 山そのものが!? こんなもん見たことねぇよ、万里の長城なんか目じゃない、全部城下なんだ」
山ひとつを街としたこの都市に興奮を隠しきれなかった。
しろと言うよりももはや一つの国。
見たこともないほどの壁に、水戸事もない城に、わけのわからないこの場所にいる俺は恐怖を覚えるどころか心を躍らせた。
「ハ、ハハハハハハハ! こりゃスゲェ! 記憶にもない町、見たこともない城! 訳の分かんない国!」
もう異世界としかたとえようのない世界だった。
「とんでもないとこに来ちまったよ!」
この辺りは山の中腹や頂上付近に比べたら少し廃れている。さすがに国の端ともなると、発展しきれていないらしかった。都市だけが発展して、地方が廃れていく日本を思い出す。
俺はそんな社会を異世界とを対比しながら、発展した中心部へと歩き出した。
「影が長いなぁ。街は赤い煉瓦造りだけど城は白い光を照らしてるから、朝なのか? そうなるとここは街の東側かぁ」
楽しくて、面白くて仕方がない。
見た子と無い町は俺の世界の一兆倍は素敵に見えた。
神様の巡り合わせという奴なのかもしれない。
「よかった、アンタに俺の旅が見せられる」
そう言って笑う俺の旅がここから始まった。