第一章 26 ☆逃走と激突
「なんなんだァ、いったい何が起こっている!」
ヴェイシャズは切断された右腕を押さえながらとある場所へと走り出していた。周りにいる兵士には目もくれず、ある場所を目指す。
既に失血と痛みで平衡感覚と体温が麻痺し、何度も転び、服にも血が飛び散っていた。
「あそこまで、いければァ。なんとか」
「ここは行き止まりだぞ、ヴェイシャズ」
焦るヴェイシャズの前に現れたのはアルト。
「なんでここにいるゥ!?」
間違いなく一本道を走ってきたはずのヴェイシャズは困惑する。それ故に絶望を色濃く顔に写した。
そんなヴェイシャズにアルトは天井を指さした。
「なに、貴様の前に回り込めればどこでもよかったんだ」
天井にはちょうど人間が一人ほど通り抜けられるほどの穴が開いていた。
「さあ、絶望しろ。ここから生きて帰れると思うなよ?」
「っ!?」
相手は神域の騎士。真後ろに逃げても一秒かからずに捕まることは目に見えていた。
「私も、腹をくくろォかねェ……」
顔色を悪くしながらヴェイシャズは笑う。
「いい心がけだ。だが、貴様にその時間を与えるつもりはない」
(なら、作ればいィ)
ヴェイシャズがさらに君の悪い笑みを浮かべた瞬間、青髪の騎士の前に青い壁が現れた。
バキバキバキィッ。鈍く、ともすれば心地よい音は空気が急激に凍った証。厚さ三〇はあろうかという氷の壁が廊下の一本道を塞ぎ、ヴェイシャズの姿を消す。だが、その程度の障壁はアルトにとって紙切れに等しい。一撃のもとに氷の障壁を粉砕した。
「この程度で止められると思うなよ?」
大小さまざまな氷塊が舞う中、その声だけは冷徹に脳へと突き刺さる。
「おもって、いないさァ」
その言葉もまた、アルトに届いた。すぐさま、アルトは足を取られる。物を踏んだのではなく、靴が地面に張り付いたかのような違和感。
視線だけを走らせれば靴と地面の表面に霜が張り付いていた。
「だからァ、凍らせたァ」
「コイツは、まずいっ!?」
いまさらだった。宙に舞っていた氷塊がすべて動きを止めていることに気付いたのは。
その全てが物理法則を無視して一斉にアルトに向かって突き進む。
「死ねェ」
ガラスの砕け散るときにも似た音が響き、アルトの身体が吹き飛ばされる。
「……しくじった。たかが人間だと甘く見ていた」
壁に叩きつけられたアルトはあっさりと立ち上がる。顔を庇うように防いだ右手の籠手には霜が張り付き氷塊が飛び出た釘のように突き刺さっていた。そして、防御しきれなかった氷がアルトの額の皮膚を薄く切り、血を流させた。
「まさか、魔術だけじゃなく魔法まで使うとは」
「騎士にその見分けがつくとは、思えないねェ」
「物理現象を介して行う魔術が多くの者が開拓した物理現象を起こすものだ。貴様の最初の壁がそれだ。次の靴を地面に凍りつけたものと氷を飛ばしてきたあれは物理現象に頼らず結果のみを引き起こす魔法だな」
(騎士なのに分かるとはァ、なかなかに勤勉じゃァ無いかァ……)
ヴェイシャズは内心、驚愕していた。騎士として魔術や魔法は邪道。剣を介さず行う殺人は罪の意識を薄れさせるものとして騎士にとっては探究自体が褒められたものではなかった。
「『前時代には不可能と言われていた魔法。にもかかわらず、今では魔法の域すら開拓され始め、魔術と魔法の境が曖昧になっている』グランバル著、イスカルカテル続章より引用」
「まったく、騎士は魔術なんて者には興味を示さないと思っていたがねェ……。特に、神域の騎士一の堅物は」
「神域の騎士の中にも魔術に手を出したものはいる。敵を知るにはまず勤勉になることだ。まあ、俺に言わせてみれば、剣の道を見限り逃げた愚か者だ」
アルトはそう吐き捨てた。
ヴェイシャズもアルトも自分から動き出そうとしない。相手のリアクションから魔術を発動し、足止めをするヴェイシャズと、発動された魔法に対して対応をしていくアルト。この図はおそらく第三者の介入がない限り続くだろう。
ヴェイシャズは絶対に足止めの魔術が外せない。アルトは足止めの魔術を複数掛けられたら逃げられてしまう。アルトとしては一番恐れている人質を何とかできれば勝ちの目を見えてくる。
「さっきから発動している魔術。貴様自身が詠唱していないところを見ると、どうやら限りがあるようだな。その身に纏った金品全てに魔方陣でも刻んでいるのか?」
(ばれてるねェ。最悪な状況で間違いはァ、無いようだ)
「さァ、どうだろうねェ」
「なんとでもいうと良い。だが、このままじゃ貴様の方がじり貧だということが分からないのか?その金品全てを使っても足止めをして逃げるべきだったと」
「まったく、なんで私がこんなことをしているのかァ、分からないのかァ?」
「何?」
アルトが初めて怪訝な表情を示した。
「ミラタリオの最期はどんなものだったァ?」
「援軍を期待しているのなら、残念だったなとしか言えないな。首を落としてきた、しっかりと殺してきたぞ」
首ィ? く、くふふふふふはははははははは。
「あはァっ、あっははははははははははははははははははははははは! 首っ首ィ!?」
ヴェイシャズは壊れた人形のようにケタケタと笑いだす。その狂気はとどまることを知らずようやく笑いが止まったのは転んで後頭部を壁に打ち付けてからだ。。
「……そォ・れェ・だァ・けェ・かァ?」
満面の笑みで言ってやる。
刹那、待ち望んでいた〝それ〟は来た。
「足止め、それさえできればァ」
轟音と共に床が破壊され、小柄な男が跳び上がってきた。
「儂らの勝ちじゃ」
その男の名はミラタリオ、それでいいはずだ。だが、この場にいる誰にもその男に見覚えはない。身長はミラタリオと変わっていないにも関わらず明らかに別人だった。目元に面影を残しつつ、深く刻まれた皺もなく、禿げていた頭には髪の毛があった。
「な、んっ」
アルトの困惑は想像に難くない。
詰まるところ、完全に若返っていたのだ。
ミラタリオは血液を鎧のように纏い、体のサイズを一回りも二回りも大きくして、アルトへと切りかかる。重鈍に見える鎧を纏っていてもなお、その速度は未だに神域と呼ばれる領域から零れ落ちてはいない。
夜明け間近の廃城にて、神域の騎士達が再び激突する。




