第一章 20 〇事実確認
「女、ましてや子供を脅迫する趣味はない。だから、そうなる前に聞かせ願いたい」
宿屋の一室にアルトと風月、そしてティアが集まっていた。
「本物であることが確定したわけだが、ティア嬢、何を隠している?」
この部屋に踏み込んできたときからすでに雰囲気がおかしいのは感じ取っていた。そして、城での話を聞いてからその理由がようやく理解できた。
声色から冗談のような明るい色は微塵も感じられない。
「首謀者のヴェイシャズはティア嬢の名前を出しても動揺するどころか当然だと言ってのけた。国のためだと。いったい、何を隠している?」
心当たりは確かにあった。吸血鬼のことだ。
この世界で吸血鬼は忌み嫌われているという。だが、吸血鬼というだけで迫害されるものなのか?
自分の集めた情報の少なさを呪った。
「……」
一方、問われているティアは口を開かない。曇りない眼でジッとアルトを見ていた。
「答えてくれ、ティア嬢。斬って確かめるような状況にさせないでくれ」
剣に手を掛ける。
張り詰めた糸のように緊張し、氷水の中へ沈められたように呼吸が苦しくなる。なのに、体温は上がっていき、嫌な汗が背中を蝕んだ。
「答えろッ‼」
ぴしゃりと言ってのける。だが、ティアはビクリと肩を震わせただけで動かない。口を開いてしゃべろうともしない。
まずいな、このままじゃ、アルトは間違いなく抜く。躊躇いなんか微塵もなく、断罪の剣で罪状を片っ端から述べながら傷ができるまで刻み続ける。
「アルト」
止めなくちゃだめだ。今ここでやりあっている暇なんか一秒たりともない。だが、吸血鬼のことを話していい状況でもない。
「目的を見失ってんじゃねぇ。俺たちの目的はそのヴェイシャズってやつをどうにかすることだろ?」
「貴様こそ見失うな。仕えているのはティア嬢じゃない。このクラリシアだ。大義に従う」
騎士という役職からかアルトには国の利益になるために動かなくてはならない義務があった。だからこそ、俺にはアルトが許せない。
「融通のきかねぇロリコン野郎が。お前自身は何のために戦いたいんだよ! 大義のためか!? 大義があるなら下衆のために命を懸けるのか?」
「ああ、その通りだ!」
「なら何のために命を懸けて魔の山を越えてきたんだよ! 刺し違えてでも俺たちをこの領地へと向かわせようとしたんだよ! それすら、ティアを不幸のどん底に落とした下衆のためだってのか!?」
「―――ッ、……」
苦しげなアルトと、激昂する俺の視線が交差する。
アルトの苦しさを俺は理解できない。役職に縛られるという経験は一切なかった。だから、自身の善悪に従って動いてきた。逆に、役職に殉じてきたアルトにとって、国益は正義そのもの。
ただ一言。
国のためというそれさえなければ、アルトはもっと自由に動けたのだ。
「それが、国のためだというの、なら……」
「ああもうっ、黙れこのロリコン! 毎回口開くとマイナスにしかならねぇなお前!」
言葉の応酬が続き、俺はアルトのネガティブ気質にうんざりし始めた。ガシガシと頭を掻いて、一言突きつける。
「命を懸けても弁明するんだろ?」
「――っ」
アルトが目を逸らす。
「お前はこの件にどうして臨んだ? どうしてここにいる? 昔あったこととは違う結末にするためじゃないのかよ? 前は後悔してたんじゃねぇのか?」
俺はしっかりとアルトの顔を見ていた。仏頂面で感情を表に出さないあのアルトが後悔を滲みだしていた。
ぎりぎり、歯を食いしばる音がアルトから聞こえた。肩も震えている。それと同時に目に見えない何かが大気を震わせた。
「少なくとも今ここにいる意味は大義なんてもののためじゃねぇだろ!」
「それでもだ!」
アルトの眼光が俺を貫く。だが、そこに込められた感情は苦しみ後悔だった。
「役職なんだよ。個人の意思や考えで簡単に崩れるようなものじゃない、崩れていいものじゃないんだ。俺が背負っているものは『国という名の正義』そのものなんだっ」
クソが。
そう吐き捨てるアルト。声は悲しさに浸されていた。
俺が何か声を掛けようとしたときに、ティアが俺の手を握った。
「……だまって、いられない」
か細く弱弱しい声に俺は何も言えなくなった。
「それに、黙っていようがいまいが、関係ないって。私の中のもう一人の『私』が言ってる」
ティアの言葉によって俺とアルトの顔は同時に怪訝な表情に書き換えられる。
吸血鬼のティアの言葉の代弁を務めるティアのセリフはこうだった。
「だって、吸血鬼は滅んでる」
「はぁ?」
ティアの言葉により根底からすべてが覆された。
言いたいことがあるのに適切な言葉が見つからず、微妙な顔で口をもごもごと動かすことしかできなかった。
風船に穴が開いたように、毒気が完全に抜かれて、ポカンと口を開けたまま固まってしまう。
「アルト、私じゃなく、もう一人の『私』の言葉を伝える」
貴族としてのティアの口調だった。
「『僕は吸血鬼。存在しないはずのね』」
「…………」
「…………」
数秒の沈黙が続く。
「え? それだけ? 他になんかないのかよ……」
「もう一人の『私』は、そっぽ、向いちゃった」
思わず頭を抱えて呻いた。チラリとアルトを見ると顔を引きつらせて青筋をビキビキ言わせながら額に走らせている。
もはやどうしてそうなっているのか想像に難くない。
「け、結局、状況悪くして逃げてっただけじゃん!?」
「き、貴様等。俺のことをおちょくってイルのカ?」
口元を蛙の足のようにヒクつかせて声を震えさせる。心なしか口調が崩れて余計に嫌な雰囲気を掻き立てる。
ヴェイシャズからのティアというダブルコンボにアルトの情緒が不安定になり始める。
だが、俺の頭は今の状況にピンときた。
「アルト、吸血鬼についてどこまで知っているんだ?」
「風月」
氷のような冷たい声が飛んできた。
「悪戯な酔狂でお前をおちょくったと思ってんのか?」
「チッ」
アルトは目を逸らす。
未だ考えがまとまりきっていないのだろう。
「ああ、やっぱ酔狂でいいや。お間の馬鹿面は笑えたぞ。さあワンモアプリーズ、『おちょくってイルのカ?』」
俺は人差し指をアルトに向けたまま笑顔で言い切る。
「だああ!」アルトは怒りにまかせてベッドを蹴りあげる。「分かったよ! 分かったからもうやめろ! 言うから、言えばいいんだろ!?」
蹴りあげられたベッドは粉々になっており、店には迷惑をかけることになった。
(うっわ、あれが気分で飛んできたら死ぬわ。おちょくるのやめよ……)
生死にかかわるので風月は心に誓う。
アルトはため息をついて、壊れたベッドに腰かけると頭をガシガシと掻いてから語り始める。
「だいたい一〇〇年前からか。吸血鬼は種族の性で滅びが始まったと言われているね。吸血鬼自体は吸血をしなくても何年も生きられる。ただ、吸血衝動に駆られてしまうと死ぬまで血液を吸い続けてしまうらしい。途中で吸血をやめたとしても、意識のない人形として勝手に使役してしまうらしい。そして、吸血自体に中毒性があったとも言われている。それと同時に吸血をすれば老衰することはないと記録がある。人類が吸血種なら世界を滅ぼしてでも不老を求めただろうね。でも、あの種族は優しすぎた」
俺とティアは意味が分からず一緒に首を傾げる。
「もともと夜しか生きられない一族だからな、迫害もあった。当時の記録からは吸血鬼たちの恨みや憎しみも読み取れる」
そこで一回切って、アルトはさらに記憶の奥深くへと潜っていく。
「とある手記には『それでも恨みたくなかった』そうあった。優しすぎて、恨むことも憎むことも辛かった、と。吸血鬼は血を飲まないと生殖行動ができない。人間の血でしか生きられなかった彼らは血を飲まずにすべてが死んでいったと言われている」
またか。
また、泣いているのか?
俺の目からは涙が伝っていた。吸血鬼のティアが泣きたいのに、ティアは泣いていない。その我慢が俺に流れ込み、涙となってあふれ出ている。
「最後の吸血鬼はクラリシアの王城で死んでいる。盟友だった当時の王に看取られた最期だったそうだ。それ以降、吸血鬼の目撃談どころか噂すらぱったりと消えたらしい」
俺は涙を拭いてアルトを見た。そして、真実を口にする。
「もし、吸血鬼が生き残っていたとしたら?」
「……なんだって?」
「人間と共存することを可能にし、生きながらえていたとしたら?」
アルトは信じられないような目で俺を見た。俺はティアを顎で示す。
「まさか」
ティアに目を移したアルトがもう一度俺の顔を見た。アルトはすでに予想できている。
「そんな、そういうことなのか?」
「ああ、そういうことだ。デミヒューマン、吸血鬼と人間のハーフ。まあ、正確には世代を重ねて血は薄くなったらしいけど」
アルトは俯いて
「確かにこれなら」
「いや、だがどうやって……」
とぶつぶつ言いながら考え始めた。
俺は伝えわすれていた情報を付け足す。
「吸血鬼として高い能力を持っているのはティアだけだ。それでも昼にはこの姿で出歩ける程度に力は薄れている」
「……なるほど。先祖がえりってやつか。なるほどなるほど。ティア嬢、そのことをいったい誰に話しただい?」
「おねぇ、ちゃん」
「っ、風月」
ティアの指摘した人物に驚きを示すアルト。そのことを悟らせないようなスピードで間髪入れずに俺を呼んだ。
「今夜、月が城の上に来るころ、ティアを連れて城へ来いと言われた」
何かを隠したのは理解した。今、触れられたくないということも。
「罠だな。行くのか?」
スッと、雰囲気が柔らかくなり、鉄仮面をはがしたことを感じる。
「ああ、見え見えの罠だし、向こうもそれはほぼ肯定した。それに、相手には先代の『ベイルサード』がいる。年を取っているが俺は未だ若造らしい。力は未だ分からないが、おそらくは互角といったところだ」
そうなれば、城の衛兵は俺が相手をしなくてはならない。
状況はどうあがいても絶望的だった。
「うん、帰らね?」
「俺としても帰った方がいいと思う。だが向こうには人質もいるし、何より俺とかち合える奴がいる時点で誤算だらけだ。ティア嬢の安全を考えるならもうこの領地にいるのすら不味い」
そこまで言って俺とアルトは同時にティアを見る。
すると首を横に振った。
「「だよなぁ~」」
アルトと俺の声がはもった。ティアがこの地に戻りたがっていたのだから、いったん引くなんて行動をとるわけがなかった。
現時点、切り札も何もない。
「とにかく、今はそいつらのもとに行くべきかどうかだな」
「俺はいかないことをお勧めするね」
「俺もそうしたい」
アルトと意見が一致したところでもう一度ティアを見るが、首を横に振る。反応は同じだった。
「「ですよねぇ~」」
今、晩餐へと招かれてそれに行くのは悪手中の悪手。そこへ俺とティアのお荷物がいればアルトも動くに動けない。さらに人質ときた。
「アレ、詰んでね?」
そう口に出したが、俺の中で何かが引っ掛かった。
「なんとかならないのか……。いや、ならないところが辛いな」
「いや、なる」
「……どういやって」
アルトは怪訝な顔を向けた。
ティアはすでに集中力が切れたのか窓の外を眺めている。
気の抜けた空に気の中、俺もやる気のない笑顔で告げた。
「そこは俺の『勝つための才能』の見せどころだ」




