第一章 18 〇終わりの地
東の貴族領、ファルリス。
希少な金属や良質な布の生産地として栄えては資源をめぐる各国との戦争により幾度も滅んだ街でもある。しかし、一〇〇年ほど前、ドラクルという姓を名乗る男が統治し、その功績でクラリシアの貴族に召し上げられた。それ以降、山に囲まれた地形を利用し、要塞を築きあげ、どの国も攻め込まれなくなり、今では交易の重要拠点としても栄えている。もっとも、敵対していた国はクラリシアに併合されて争いそのものが無くなったが、要塞はその名残を未だに遺していた。
そんな商売っ気の強い商人たちに支えられた街だったはずが、踏み入れてその気配がないことが一発でわかった。街そのものは陰鬱とした雰囲気に包まれていた。前領主が処刑されわずか数日で徴税が厳しくなり、街中では外から来た兵士がでかい顔を利かせさらに金を巻き上げていく始末。
神域の騎士であるアルトがいなければ通行税として、複数の関所でかなりの金額を払わされていたことだろう。
しかし、領地に入ってしまえば関所も無駄な徴税もない。商人によって栄えた町で、外部の者には酷く甘い処置が多い。
適当に宿を取ろうとして金を全ておいてきたことを思い出す。すると、アルトが「お前のだ」と言ってエルズ硬貨を投げ渡してきた。どうやら俺の金はアルトが預かってくれているらしい。
エルズ硬貨一枚で節約すれば数ヵ月は滞在できる。
アルトは領主の館へ状況を探りに行き、俺たちは宿に身を隠すことになった。宿でぼったクロウとした店主を言いくるめて、言葉で殴り、容赦なく安値で宿を借りる。夕飯がついてないあたりがなおのこと良い。そう思う理由は単純で、街のご飯を食べたいからだった。
そんなこんなで領地の片隅へ出かけていた。
一つの墓があった。湖の畔にひっそりと建てられた石の墓標は、年月が経ちすぎて名前の部分がかすれて読むことができなくなっていた。
「これが、あの人の墓」
ティアがその墓に触れる。
今は太陽が出ていて幼女の姿となっている。だが、年相応のあどけなさを話し方から感じ取ることはできなかった。もう一人の『ティア』が今だけ乗り移り語っていた。
「この場所があの人と僕の旅の始まりの地にして終着点」
俺は墓前に腰を下ろし、ただティアの話に聞き入っていた。言葉では言い表せない悲しみとも違う、ある種の懐かしさを懐きながら墓に刻まれたよめもしない文字を目で追っていた。
「僕の身体であるティアが生まれたのは本当に八年前。でも、数百年の時を経て先祖返りをしたティアの中にはもう一人の『ティア』、すなわち僕がいた。文字通り、この身体の先祖で新しく宿った人格。おそらく、容姿が近く同じ名前を冠したから、僕は戻ったんだと思う」
ティアは墓に添える手に力を込める。表情はうかがえなくても肩が震えていた。
齢わずか八。
小さな背中に背負った業はあまりにも深く、それを背負えるだけの強さを身に着けていない。なぜこうなったのか、どうしてこうなってしまったのか。問いたいはずだ。そして、数百年の眠りから目覚めた吸血鬼のティアもこんな不幸にしてしまうことなど望みはしなかっただろう。
そんな二人の背中に俺は魅せられていた。
弱さを見せまいと堪えている背中に背負った業の重さはきっと誰よりも深い。そんな中、つぶれないように耐え続けている二人は凛々しかった。
「僕が吸血鬼の力を持って生まれたからこの子の家族は狙われて、それを盾に僕は売られた。僕のせいで全部始まった。寂しかった、この子まで全部恨まなくてはならなかった。吸血鬼として生まれてきたこと自体が間違いだ。そう言われていると思っているんだ」
声は凛と澄んでいる。それでも、俺には叫びにしか聞こえなかった。
その小さな身で大空へと吠えている。悲しみと怒りにまかせて世界への恨みを叫んでいる。慟哭を解き放っている。それでも、枯れることのない悲しみが解放してくれなくてひたすらに叫ぶことしかできない。
あまりにも悲しすぎる存在だった。
「だけど、この子は。ティアは僕とは話してくれない。でも、僕もティアもここから離れたいなんて思ってない。全部ここから始まった。僕とティアの恨みも憎しみも。悲劇がこの場所にはある」
気付けば、俺の頬には一筋の何かが伝っていた。
ティアの悲しみという感情が流れ込んでくる。親和性の高さゆえに悲しみは収まることを知らない。
なんで、俺が泣いているんだ? 泣けないティアの代わりに泣いているのか。それとも、泣かされているのか……。
それがきっとティア達なんだと思った。堪えることすらできない悲しみ。
「でも、それ以上にこの場所には私たちの幸せがあって、楽しい思い出があって、大切な思い出も詰まっている場所」
そう言って振り返るティアの顔は悲しいからこそ微笑んでいた。悲しみに打ちのめされ、それでも笑うことでしか自分で居られないという笑み。少なくとも、八歳の少女が浮かべる笑みではない。
貴族の名を名乗ってまで東へと行きたがっていたティアと、逃げたがっていた吸血鬼の『ティア』という矛盾の原因をようやく理解する。
ティアという少女の中に生まれた新たらしい……。いや、再生した遥か昔の人格。夜になると出てくる吸血鬼。
選べなかった何かのせいで不幸にされた人生と未知という吸血鬼の恐怖。
自分ではない人格への困惑、不幸にしてしまったことへの罪悪感と贖罪。
その全ての感情がごちゃ混ぜになって俺の中へと響いていた。
「お願いだ、僕と『ティア』の大切なこの場所を守ってくれ。僕だけじゃ、無理なんだ」
あまりにも悲痛すぎる願い。それでも泣こうとしない少女を見て、俺は涙を拭いた。そして、頷く。
「ああ、約束は守る。俺はティアを救いたいから」
あの男のような罪滅ぼしでもない。ただ、自分が正しいと、やってやりたいと思ったから俺は、この選択をする。
「これは俺とお前の旅だから。歩く道も、進むべき方向も俺たちが決めるよう」
過去へ悲しみと憧憬を懐きつつ俺たちは城にもにた館を見つめた。
墓の目の前に広がる湖。その向こうにある城を。山に囲まれているにもかかわらず地形変動で大きく隆起し崖となった場所にそびえたつ城。かなり古いもので、吸血鬼の古城と言われたら納得してしまいそうなほどの禍々しさがあった。
この景色にあまりにも似つかない城にはクーデターを起こして、ティアを売り払った奴がいるはずだ。ならばやるべきことは見えてきた。
事件の真相へと切り込んでいく。




