第一章 17 〇性癖談義
太陽が昇り、清々しい青空が広がる。川で顔を洗い、焼け跡から拾った墨を齧り、それを擦って歯を磨いた。
朝ご飯は木の実だけで今から採取しに行く。未だに眠い頭でうまく動ける気はしないが、それでも野宿をするためには食べれる植物の知識はあって損がない。魔獣を一匹釣れて毒があるのかどうかを見極める小さな冒険の予定だ。ティアが寝ている今のうちに食べ物を集めなくてはならない。
川の水で口を注ぎ、土手に吐く。それから水を飲んだ。
「おい、お前」
唐突に声をかけてられてびくりと身体が反応した。声からしてアルトだ。いつの間に起きて近づいていたのか全く気付かなかった。近くにいる魔獣もアルトの声にびっくりして警戒していた。
「びっくりした。なんだよ」
「昨日の夜、何があった?」
「え?」嫌な汗が噴き出す風月。心当たりしかなかった。「……何も?」
精一杯取り繕ったが、声が微かに上ずった。それを見逃す神域の騎士ではない。聞かれていたことも考えると最悪この場で神域の騎士が敵に回る。
「あったんだな? なにをした」
「いや、だから何も……」
質問から逃げるこの状況が異世界に着て二日目にして二度目。嫌な数字の稼ぎ方を見せている。
「紳士協定を破ったらどうなるか分かっているだろうな?」
「しんし、きょうてい?」
「イエスロリータノータッチの精神を
アルトの第一印象は仕事一辺倒の堅物。それがこの世界で聞くとは思わなかったセリフを口にして、脳みそがフリーズした。インパクトが強すぎて以降のセリフが耳から入って脳みそを素通りしていく。
「おい、聞いているのか?」
「何を?」
もういろいろとどうして?
そんな心の叫びを無視して真横からボーリング球がぶつかったような衝撃に地面を転がる。
「なぎさ!」
ティアが真横から抱きついてきたのだ。起きてから森神に木から下ろしてもらったようだ。ただ問題は今の状況だ。
紳士協定とやらに違反したとかいう謎の罪状が欠けられている状況で、これ不味い。
「お前……」
「アルト? ちょとまて。柄に手を掛けてカチャカチャ振るわせるの止めろっ」
俺が静止している最中にもティアの方が容赦なかった。ギュッと首に手を回して抱きついてきた。微かに甘い香りがした。
昨日に比べて好感度が高いのは恐らく吸血鬼のティアのほうの好感度がフィードバックされているのかもしれない。
おおっとこれは、まずい。何がまずいってこの絵面がまずい! 幼女に抱きつかれているこの状況がよろしくないっ。だって俺の時代でも通報もんだよ? ポリスメンに捕まっちゃうよ? なんならこの場にポリスメンの最上級みたいなの要るし。
当然聞きたくもない声が聞こえた。
「貴様ァ!」
「おいおいおいまて待てまてマテ待てェッ‼ 俺はいたって正常だからな!? これであっちの意味で悦ぶ性癖は持ち合わせていないぞ!? だからチャキチャキ剣鳴らすのやめろって言ってんだろ!」
真後ろから聞こえた声になぜだか風月は必死の弁解をする。抱きつく幼女、ティアには風月が何を言わんとしているのか理解できていない。だが、感じることはできるのだ。
必死に服を掴み、大きな青い瞳に涙を浮かべて泣きそうな声で語る。
「嫌だった?」
こんな顔見せられて『はいそうですよ』なんて答えるやつは男ではない。だが心の中で卑怯だと叫ぶ。
「嫌じゃないぞ、だが喜ぶ云々は意味が違って――」
「やはり貴様はロリコンの変態か!」
「驚きだよ‼ 今のしっかりとした会話の流れでそれが言えるお前以上にロリコンなんて言葉をこの世界の住人から聞いたことに驚きだよ! そしていい加減その柄に掛けた手を震わせてカチャカチャ言わせるのやめてくれ!」
死因がロリコン疑惑で惨殺など死んでも死にきれない。
「言いたいことはそれだけか! ならばとっとと死に晒せ!」
もう風月にはどうすることもできないほどカオスだった。
「ふざけんな、俺ごと斬ったらティアまで死ぬぞ!? というか機能は俺のこと殺せないとか言ってたじゃん!」
人質とは、存外自分もクズだなと思いつつ叫ぶ。
「安心しろ、俺には一撃のもとに貴様だけを百枚に卸すこともできるからな! 俺の一撃を見たお前には納得できるだろう、死ね!」
「何も安心できねぇよ! 納得もできねぇよ! なんでロリコン認定された挙句の果てに死ななくちゃいけねぇんだ!」
最近の世間ではロリコンと疑わしき人間は殺すだけじゃ飽き足らず貶めることまでするらしい。無論、風月自身はロリコンではない……はずだ。
とりあえず森の木の後ろへとティアを抱きかかえて逃げ込む。戦車砲すら受け切りそうな大木だが、アルトの前ではそれこそ紙でも裂くように分断してしまうだろう。
だが、これでティアが見えなくなり攻撃は難しくなるという浅知恵だった。
「ハッ! ロリコンじゃないだと? そんなこと百も承知!」
分かっているならその剣から手を離してくれ。
そんな言葉を吐く前にアルトがかなり強く口走る。
「貴様の状況をよく見てから言いやがれ! 貴様は紳士協定の精神すら忘れた犯罪者だ!」
「何もわかってねえよな!? お前絶対俺の世界の住人だろ! なんでそんなモン知っているんだ!? つうかそれ以上口を開くな、教育に悪すぎる!」
それ以上の会話はティアには聞かせることは躊躇われ、ティアの両耳に掌でふたをする。
「何を言ってるかわからんが、貴様を屠らない理由には足りえない! 幼女に触れた時点で貴様はこの世全てのロリコンを敵に回したのだ‼」
「お前がロリコンなのかよおおおぉぉォォオオオオオオ‼」
子供の癇癪がごとき叫びをあげる。それにアルトは冷静に返した。
「触れた時点で万死に値する! 全ての紳士に代わり不肖アルト・ウルベルク・ベイルサードが処刑を代行する! 死刑、執行!」
「待て待て待てぇぇい‼‼ 俺はロリコンじゃない、まして犯罪者でもない! 俺はティアをかわいいとは思うがテメェらみたいな目で見ることはできないんだよ!」
冤罪を主張する被告人のような必死の弁明にアルトが証拠を完璧にそろえてきた検察の如き鋭さで切り込む。
「ほう、して何を根拠に? ただの趣味嗜好ですとか言って逃げられると思うなよ?」
文字通り、最後の最期。情けない状況ながら死ぬ間際にいる自分に嫌気がさした。しかしながら、毒を食らわば皿まで。自爆テロのようなヤケクソさを噛みしめて声高らかに朱に染まる山で叫んだ。
「俺の好みはスタイルの良い巨乳の女性だ!」
なんかとんでもない発言してしまった気がする。
もう、どうにでもなーれ☆
「なんだかんだで初恋はスタイルのいい近所の名前も知らないお姉さんだったし、髪が長い女性が特に好みだね。俺のパソコンの秘蔵フォルダにもスマホにも入ってる!」
山に響く声に対し、アルトはまだ追撃をやめない。
「なら好きな部位は!?」
「くびれだよ! あの巨乳と形のいい尻によって描かれる曲線こそ嗜好だ! スポーツウェアで引き締まったくびれと揺れる胸! アレには目を奪われざるを得ない!」
「ぐ!? 確かに紳士の道から外れた犯罪者にしては大人に対しての嗜好がしっかりとしている。だが!」
アルトは大樹越しに指を指した。
「まだ信頼には足りえない! 好きな属性は!?」
「オーソドックスな黒髪ロングに幼馴染! そしてフリルが多く露出の少ないメイド服か浴衣姿だろ常考!」
なぜメイド服があるのかという議論はさておいて、裁判は白熱していく。
「ミニスカ浴衣と水着は?」
「ミニスカ浴衣? はっ、外道だね。水着なんてあんなくびれと胸が強調されるものはアウトだ!」
「浴衣はいいだろう。だが、水着は分からんな。好みの女が水着姿なら見るだろ、男なら!」
「ふ、甘いな。お前は何もわかっちゃいない!」
「何を!?」
鼻で笑う。その態度にアルトは戦慄した。
「水着姿だとほかのやつが見るだろうが! どうせなら独占したいんだよ! それと同時に巨乳にスク水は存外子供らしく見えてしまう。そして、胸と尻が必要以上に圧迫されてくびれ本来のラインよりも全体的に太く見えてしまう! そんなことが許せるか!」
「ぐふっ!?」
ピシャリと雷に打たれたような衝撃を受けて膝をつくアルト。彼は風月が漢として各上だということを認めかけていた。
こんなもの、もはや裁判ではない、戦争だ。
片や、紳士協定を破った裏切り者を燻出し殺すため。
片や、巨乳好きにも関わらずロリコンの汚名を返上するため。
仁義なき変態紳士と青年の戦争だった。
「ならば好きなシチュエーションは?」
「バイト先のメイド喫茶。べたべたのセオリー故に覆しがたいそれこそ至高! 眼鏡は好きじゃない、だがしかし! 普段はあるはずの眼鏡を外し、コンタクトにメイド姿。それを目撃され顔を赤くして、照れ隠しといつもの癖を兼ねて眼鏡をくいっと上げる仕草。だがしかし! そこに眼鏡は存在していない! そのことに気付いた幼馴染は更なる羞恥に身を捩じらせる。その振る舞いこそ男なら一度は見たいだろう!? それこそロマンじゃないか!」
「ふむ、そうだな」
かわいた一言に、風月は呆気にとられた。
「確かに魅力的だ」
たっぷりと間を持たせ余韻を楽しんだ後にアルトは静かに切り出す。
「妹とも違う幼さを持つ幼女に『ありがとう』と言われたことはあるか? 『お兄ちゃん』と呼ばれたことはあるか? 穢れを知らぬ純真。狡猾さを知らぬ無垢。裏切も邪念もないあの笑顔! 男のロマンを捨てでも追いかける価値がある!」
拳を強く握りしめ熱く語る。
確かにそこは分からなくもない。
「そこにあの体形だからこそいい! 度し難いほどの無垢さに加えて何も知らぬ身体! 頭を撫でてあげたいし、撫でたい! にもかかわらず触ってはいけないという鉄の掟との板挟みにされて葛藤する感覚」
――ん? なにかおかしいぞ?
「そして踏み込んではならない禁断の領域! 背徳感と自らの欲望、そして自らの正義との鬩ぎあい! 」
……ああ、うん。もうだめだ。絶対にダメだ。この変態をティアに近づけちゃだめだ。
固く決心した。
「そしてイエスロリータノータッチという鋼の掟!」
「お前が一番の危険人物じゃねぇか!」
「なぜだ!? 全ての事象が関わり、あの触れてはならない姿を神格化しているとわからないか!?」
「分からない、分かりたくもない‼ 今後一切ティアには近づくな変態が! 自分で言っておきながら一番の犯罪者予備軍じゃん!」
「なん……だと?」
戦争を制したのは風月だった。
この状況、何が地獄かと問われれば、風月の声がロリッ子のティアまる聞こえな点である。世の中には骨伝導というとても便利な法則があるのだ。
そう思った時にティアのおなかからくぅ~と可愛らしい音が鳴った。
「う、おなかすいた」
その場の空気が一気に和み、俺の一命を取り留めることが確定した。裁きの剣に切断されたとき以上に生きた心地がしなかった数十秒間。
「まあ、今は見逃してやろう」
「あれぇ……、想像以上にあっさり引いたぞ」
「まあ、風月がどういう状況でああなったのかは知っていたからね」
「え? いやいやいや、ちょっと待て。なに? ひょっとしてあれか? 知りたくもないアルトの性癖を聞かされたり、自分の性癖を暴露したりってすべて無駄だったの?」
「………………」
ふいと目をそらすアルトの顔には人を最高に馬鹿にした表情が浮かんでいた。
「――なんか言えやゴルァ!」
ぷっちりときた風月とアルトの鬼ごっこが始まった。
風月もつい最近まで日本という名のHENTAI国家に染まっていなかったはずだ。たった数年、されど数年。恐ろしいのは時間の流れなのかHENTAI国家なのか見分けがつかなかった。
鬼ごっこが始まってから一〇分。五〇メートルを全力疾走するのと同じ速度で山の斜面を駆け回り、等々体力切れでバテバテの風月が焚火の前で燃え尽きていた。
「燃え尽きたぜ、真っ白にな……」
「体力ないな、俺ならあと八時間は爆走できるよ」
「お前は人間やめてるよ、本当に……」
呼吸も喘息のようにゼェー、ヒューとぎこちない。
「自然のない世界で育った現代っ子を舐めんな。人類史的にゆとりだぞ、こっちは」
忌々しそうに言うが、凄みも何もない。
気付けば朝の冒険の時間は無くなり魔獣たちに木の実を集めてもらうことになってしまった。




