第一章 15 ●吸血鬼の過去
神と呼ばれる存在に封じ込められて、夜にしか活動できなくなった不死の者たち。その吸血鬼として生まれたがゆえに僕は虐げられた。
振るわれる暴力。吐き捨てられる暴言。それが日常としてただ繰り返されるだけの毎日。誰も救わず、それが当然のこととして受け入れられる世界。
僕は救いのない世界を恨んだ。救わない人間たちを憎んだ。
誰一人として手を差し伸べない世界で何かを恨まなくては生きていけなかった。憎まなくては明日、立ち上がることすらできなかった。
そして、日は昇り、ロクでもない一日が繰り返されようとしていた。だが、そんな日はこなかった。
「僕と共に堕ちないかい? 地獄の底まで、ね」
一人の男が手を差し伸べてくれた。救いではなく破滅を持って。
僕は誰も差し伸べなかった救いの手にではなく身を滅ぼす破滅に救われた。暗い世界に光が差し込んだように感じた。
僕ら二人は世界を旅し、苦楽を共にした。決して楽な旅ではなく、死にかけたことも一度や二度ではない。男の足を引っ張っていることも明白だったから逃げ出そうとしたことは両の手足の指じゃ数えきることもできない。その度に男は優しく抱き締めて眠りにつくまで温もりを与えてくれた。
いつか裏切られると勝手に被害妄想し、煙たがっていたこともある。それでも男は見捨ててくれなかったし、裏切ることもしなかった。
やがて常命の男は死に、不老の少女は生き残る。
それは必然のことだったのかもしれない。だが、あまりにも若すぎて、若すぎた。男は三六の若さで病に伏した。
「あなたを吸血鬼にしてでも助ける!」
泣きながら死ぬ寸前の男に僕はすがる。僕を救ってくれた人を死なせるわけにはいかなかった。もう一度、一人になることなんて考えられなかった。
「いいや、助けたらダメなんだ。これは神様が定めた必然とも言える破滅の旅路」
それでも何かを変えたい少女は必死に男に噛みつこうとした。血を飲み、吸血鬼として生かしたかった。
ここは未だ地獄の底ではない。
「僕を一人にしないでおくれ! お願いだから、一緒にいてくれ」
悲痛な叫びを聞いても男は笑顔だった。いつもと同じように頼りない笑み。でも、いつも以上に色が薄く見えた。そのまま消えてしまいそうで、怖くて、僕は必死にその手を握った。
「君が死んだら僕はまた一人になってしまう。またあの地獄に――」
僕の言葉を遮り男が言う。
「ありがとう、僕と共に地獄の底まで堕ちてくれて」
「―――っ!」
それ以上何も言えなかった。
僕にとって得難い温もりを教えてくれた旅。僕には二度と味わうことのできない幸せをくれた旅。うれしさも悲しさも、悔しさも楽しさも、涙や汗まで沁みこんでボロボロに擦り切れるまで何度もめくった思いでが詰まっている。
ありがとうも、ごめんなさいも、この旅が教えてくれた。誰かと一緒にいることの頼もしさを、暖かさをこの旅がくれた。
それはこの男がいたから。それなのに、男は僕にこう別れを告げて、旅の最後を締めくくった。
「ごめん、先の長くない僕につき合わせて」
違う。
そう言った少女の声は終に、男に届くことはなかった。




