第四章 39 〇その嘶きは雷鳴に、打ち鳴らす蹄は雷轟に。
森に響く轟音はありとあらゆる生命から言葉を奪った。生きとし生けるものすべてが覚える根源的な恐怖、光と音。その最たるもの。
雷。
何もない空間で火花が散った。乾いた砂漠の空気と湿った森の空気が混じり合うこの場所で起きた静電気のような光。月明かりの中でもはっきりと見えた。刹那、その光は月をも凌駕する閃光となり風月凪沙へと襲い掛かった。
風月はその雷撃に〝竜〟を見た。
空気という絶縁を押しつぶし、引き裂きながら飛来する雷。
それが風月の心臓を射抜くまでに風月ができたことなど何一つない。だが、同じ人外たるCRISIS4は違った。同じく自身をおしとどめようとする剣気を強引に押しのけて再び暴走する。
そして爆炎と雷撃がぶつかり合う。本来は互いに物理的な実態を持たない事象同士が『衝突』した。
雷と炎自体は互いをすり抜けた。だが、それに動かされた烈風同士がぶつかり合う。
ほんの一瞬。
光、音、熱、破壊。遅れて風が吹き荒れる。光がm追う膜に焼き付き、風月は遅れて視界が戻ってきた。
そして、目の前の光景に息を呑んだ。
視界の続く限り、赤い結晶の大地と化していた。遠くでは砂が風で撒き上がっているのが見える。ほんの一瞬の出来事の威力を物語る景色だった。
『……避けた?』
困惑はお互い様だ。
なぜなら、風月に記憶が飛んだ感覚はない。炎が意志に反して噴き出したにもかかわらず、時間の連続性を認識できている。さっきまでは事あるごとに意識が飛び、身体の痛みで目を覚ましているような状態だったのだ。
何かが違う。
確かな手ごたえがあった。
「お前が、嫌いだ」
混乱する頭とは裏腹に理性は驚くほど冷え切っている。言葉にして初めて目の前の存在に対する憎悪が煮えくり返っていた。此処であったが100年目。不俱戴天の仇のような憎悪。理由は分からないが原因は分かっていた。
「ヴァーヴェルグとの契約が俺にこの感情を抱かせる」
剣気が消え、痛みをそのままに右腕から炎が噴き出る。
初対面で抱くはずのない感情。それは紛れもなくヴァーヴェルグが四獣の一角、麒麟へと向けるものだった。
雷光、そして雷轟。
『同感だ』
のたうつ霆撃が発散される。それは麒麟の身体から意志を持ったように風月を射殺す軌道を描く。それも人間の反応を超越する神速で。震霆を鳴り響かせ、淡く紫電を火花のようにまき散らしながら神鳴りの呼び名に相応しい一撃をたたきつけてくる。
花火よりも腹の底へ響く轟音に揺さぶられ、詰まった喉から息が漏れた。
次は――。
「反応、した」
突き出した右腕により雷撃が意志をもって避けたように動いたのを確かに見た。
『その右腕は……』
「代替え品だよ、皮肉が利いているだろ?」
現代の知識を持つ風月だけがこの現象を知っていた。
噴き出た炎はプラズマと言われる状態でそこは通電する性質を帯びる。同時に広範囲に広がった炎は多くの電気を散らし、細かく散った紫電が炭酸のようなシュワシュワという音を立てて散っていったのだ。
厳密に説明できなくとも、この右腕は麒麟に通用する。
「――っ」
再び雷撃。それも左から。
――予測した。
当然右に宿る炎は左までカバーしきれない。なら左側から攻撃を加えるのは至極真っ当な判断で、風月は麒麟より先にその行動にたどり着いた。
右腕を盾にするように一気に身を翻すのと同時に飛来した雷撃。それすら右腕に直撃するが、風月にダメージを与えるに至らない。それもそのはずで、太陽のような光が雷すら陰らせた。その雷撃を炎というプラズマがかき消したのだ。
そこから始まったのは機動戦。
風月の一撃も、麒麟にはダメージがなかった。それもそのはずで麒麟とは実体のない雷そのものだ。どのようにしてもダメージが与えられないのなら、結局のところ防ぐか逃げる以外の手がない。
対して麒麟も風月に対する決定打は右腕の可動範囲外に雷撃を叩き込むしかないのだ。場合によっては直接叩き込むことも辞さない。そうなれば自ずと攻撃の速度は上がる。
起爆。
四方八方から雷撃が飛来する。飽和敵に逃げ道を全て潰すつもりだ。それも機動戦の初動も初動。走り出した風月に対してあまりにも寄す矢がなかった。だが、それすらも読んでいた。
同時に噴き出す幾本もの炎柱。結晶化した台地を砕き破って生えてきたそれは物の2秒で化粧に包まれ形をそのままに鎮火されることになるが、一瞬で飛来する雷などそれで十分だった。
無数の雷撃はすべて風月の肉体以上の伝導性を有した炎に吸われて道を作った。計算したわけではないが、その眼には確信めいたものが宿っていたのを麒麟は見逃しはしない。
今の動作だけで麒麟は700年前を思い返していた。相性の悪さゆえに静観したあの戦い。森もオアシスも枯れ果てるほどの戦い。お互いを潰し合ったあの戦いはまともではない。その戦いを思い返すほどに、風月凪沙という人間はCRISIS4を使っていた。
『飲まれかけているのか』
炎の使い方をCRISIS4に直接享受されている。同化を示している。右腕以外から炎を出した時点でそれは明らかだ。
そして、柱を利用して影から影へと移動し、炎を放つ風月。
麒麟の落雷は水平に飛来し尖った結晶へと吸い寄せられ、その大木のような結晶樹の幹を粉砕していく。
『なぜ感電しない?』
端から風月に中てようとは思っていない。雷撃は物質を伝う。木の近くにいればそれだけで風月の動きを止められるのだ。だが、風月は止まらない。
確実に結晶から4メートル以上の距離を保ち落雷後の感電を回避していた。それ以上に脅威なのは炎を武器で反買う視界を隠す盾として使っていることだ。結晶化した大地を砕いて噴出する炎は明らかに風月と麒麟の目を結ぶ位置に種t幻視、或いは風月から離れた場所へ電気を誘導する避雷針としての役割も担っていた。
機動戦から2分。風月が探りから攻略へと移る。
今の一連の挙動の中で明らかになったのは二つ。
砂漠の砂はより強い熱源に引き寄せられ、より強い熱源は炎柱とは違いもっと早く結晶化する。風月はこれを必要な時以外剣気でCRISIS4を覆うことで対策した。もう一つは麒麟の知覚範囲だ。明らかに目で追っている。その証拠に目の前に炎を出せばそれが結晶化し破壊されるまで攻撃の手が緩んだ。
「テメェのその体、閉じ込めたらどうなる?」
雷は電気であり、雷鳴はそれ自体が音を放っているわけではない。その正体は熱せられた空気だ。3万度近くまで熱せられた空気がそのまま音となって駆け抜けるのだ。にもかかわらず結晶にまみれていない。風月はそこまでんお知識があるわけではないが、電機は厚いという直感程度の認識はあった。
にもかかわらず麒麟が結晶にまみれていないのは逸れない利に理由があると踏んでいた。あれは透明なものの中を電気が駆け巡っているだとか、或いは真空であるということ。風月が思い至ったのも単純で、似たようなものを見たことがあるからだ。
プラズマボールというおもちゃなのだが、その内部にはネオンやキセノンなどの気体が封入されている。こちらはそれに対してまさしく真空、或いはアルゴンなどの気体だけかもしれない。ただ一つ、たしかなことは熱に対して何かしらの対策を持っているということ。
周囲を炎柱で囲んでからのマシから火山の噴火の如く噴き出した火炎が麒麟を一気に包み込む。
バキンッ。
瞬きする間さえあれば結晶の中に麒麟は埋まっていた。一瞬で爆ぜて中から雷鳴が姿を現す。足止めにすらならない。
「砂を張り付けてもダメか……」
『悪くはない。だが、時期が悪かったな。この砂漠は力を失いつつある、これだけの結晶ならもっと長い月日をかけて分解されるはずだ。かつては山のような結晶がここら一体を覆いつくしていたのだからな』
有効だが無くなり内心毒づく風月。
『勝てないことが分かったのなら、右腕を差し出せ。それは災害だ』
「まだだ」
巨人の腕。
それこそ、ハイトラと見劣りのないサイズの麒麟が見上げるほど巨大な腕。
「力をよこせCRISIS4!」
数多の結晶を砕きながら雷撃が飛来する。だが、圧倒的な熱量に雷撃がかき消されるのを麒麟は確かに見た。それでダメージはなくとも、胆が冷えた。
かつて見たCRISIS4そのものだ。
だが、質が違った。
炎は高温になりすぎ、『火』であるとにんしきできないほどだ。そして、青い霧のようなものを纏いだしている。ガスコンロのような青い灯、だがこれは熱やガスによって色がついているのではない。
「こいつの足止めをしたのは神域の騎士だったんだってな。熱と炎の塊であるこいつをどうやって抑えていた? お前のように厳密には実体のないこいつは俺という依り代を経て初めて干渉できるようになった」
だが、その過程で多くの者が触れた。ヘイズが形状を整え、多くの者の手へと渡った。最初から触れたわけではない、ヘイズがそういうふうに加工した。力に混ぜ物をして実体化させた。
結晶の大地が波打った。結晶越しに赤い砂が集まり、結晶の大地を砕きながら迫っている。それすら、風月に近づく前にすべてが結晶になり、押し寄せる砂の壁となるサイクルを繰り返す。それは周囲の他とは温度の違う、熱の壁を張ることで、砂の到達を遅らせていた。
この砂漠でかつて猛威を振るったCRISIS4。それに知恵が加わるだけで簡単に閉じ込められないほどの敵となる。
そしてCRISIS4の腕が大地を砕きながら振るわれる。
質量、大きさ。その二つがそろうだけで地表から十数メートル以上が削られた結晶化し意志よりもはるかに強固になった大地がだ。
「そりゃあ、避けるよなっ」
今まで風月の攻撃を避けることすらしなかった麒麟が明確に見せた退避行動。
「剣気や魔力は物質に干渉する力だ。テメェのその体もそうなんだろ!」
右腕に宿りだした青は風月の剣気だ。
麒麟に触れるための力。そして、CRISIS4を抑えるための力。
『ヴァーヴェルグのことも知らん。風月凪沙、貴様ここで死ね』
大気を切り裂く雷鳴の音。花火を間近で見たとき以上の衝撃が風月を震わせた。後ろ足で大きく立ち上がり、前足のひづめを結晶の大地打ち付ける。
『はたた神』
嘶きと驫が混じり合い、雷鳴となる。大気を振るわせる雷轟と供にその姿が消えた。否、天へと昇った。光の速さで上昇し、空で蜘蛛の巣のように広がった。一瞬の瞬きその豚の裏でうねる雷光が鮮明に焼き付いていた。
そして、雷光は膨れ上がり絶えず炸裂音のような音を響かせた。
雷雲。ただ、水の粒で造られた雲はなく、紛れもない雷のみで造らた天候。空を覆いつくす発光こそが雲を成していた。
「おおおお、おおおおぉぉぉォォォオオオオオオオオオオオ!!」
刹那、CRISIS4の握りこぶしが振り上げられるのと、雷光が降り注ぐのは同時だった。
雷とは空気中の塵や僅かな水分をたどって雷は枝分かれし、威力をすり減らしながら大地へと降り注ぐ。
だが、麒麟の本気は異なった。
風月の網膜に焼き付いた光で極彩色の輝きを放ちながら降り注ぐ神鳴りは一本の鉄柱緒ようにまっすぐ降り注ぐ。莫大すぎる電圧は抵抗をものともしない。
そして風月の拳とぶつかり合った。
光、熱、そして衝撃。
見事な円形に広がった破壊の後結晶が砕け散り、その隙間から漏れ出た砂が結晶と化し、まさに災害が通り過ぎたかのような様相を呈してきた。
無論、直撃した風月も無事では済まないが、すでに傷は治り始めていた。それが灰病が福音と呼ばれた所以だ。だが、あくまでもぶつかった熱や破壊の衝撃だけで風月自身に電気によるダメージはなかった。
『消えた、のか?』
「まさか。呑み込んだんだ。お前が相手にしているのは意志をもった恒星そのものだ」
CRISIS4の腕は酷くひしゃげ、その大部分が吹き飛んでいあ。そして その下には『熱』だけが存在していた。
「こいつは膜だ。破れればそりゃその向こう側が顔を出す。『CRISIS4:代替え品の太陽』なんて言っちゃあいるが、これはホンモノ太陽だ。その一部が意志を持った化け物になっていやがる」
『……っ!』
全て受け止められた。
「次はこっちの番だ」
大地を砕き全てのものが浮き上がっ鷹のように見えた。だがそれは違う。風月のいた場所が沈んだ。そして無数の炎が砕けた大地の隙間を縫って顔を出し結晶の森を作り出す。
そして風月はその隙に姿を消した。
一瞬の間をおいて柄愛明が大地を駆け巡る。風月を探しているのだ。
周囲2キロ。
そのすべてを余すところなく雷鳴が舐りつくしたが、風月の姿はない。触れれば麒麟は気づく。
『炙りだしてやる』
万雷が降り注ぐ。荒れ狂い、のたうつ雷撃は結晶を砕き奈良がさらに分厚い大地へとあたり、羽根かってなおとがった先端へとぶつかりあたり一帯を砕きまわる。
そして斜めに突き出たひときわ大きな結晶の塔が麒麟へと降り注ぐ。だが、そんなものは避けるまでもなく、同時にそれを引き起こしたのも麒麟だった。
麒麟をすり抜け結晶は大地を砕き、あたり一帯を砕き、散弾となってあたり一帯に反射して飛び散った。
だが、風月の姿は何処にもない。
当たりに隠れられそうな場所は何処にもない。あったとしても雷撃が大地を駆け抜け風月を探している。
『どこに消えた?』
悠然と結晶の大地を雷鳴と共に歩みながら風月凪沙を探す麒麟。そこで見慣れない結晶を見つけた。それは色が赤ではないとかそういうことではない。明らかに何かしらの意図を酌んで造られた形状にこそ、麒麟は違和感を覚えた。
半円の割れた筒。
割れて、人が一人も隠れられそうにないほどの影がある。当然そこに風月はいないのだが、すぐにつながった。
炎の柱の何本かは空洞でどこかでつながっていた。風月凪沙なら、そこから伝雷撃も熱で集めて風月自体は感知されないことも可能だ。
すぐに回避に移ろうと動き出すが――。
真下から巨腕が大地ごとかち上げられて麒麟が空高く打ち上げられる。
『そこか!』
雷撃が砕けた地面へと降り注ぎ大地をも破壊しながらのたうつが、すでに腕もなくなっていた。
「こっちだ」
折れた結晶塔の上。
そこから腕を伸ばし麒麟をかちあげて、さらには剣気で腕のサイズを制御し、打ち上げられた麒麟の目の前にいた。今再び、右腕は青み画かった熱を纏い、その握りこまれた腕を振りかぶっていた。
そして麒麟を叩き落す。
コンマ一秒以下の攻防。だが雷鳴は素の時間さえあれば十分だった。深々と大地に叩き込まれた腕は巻き上げた砂で一気に固められ、その熱を封じられていく。そしてその上で勝ち誇ったように麒麟はたたずんでいた。
あまりにも早すぎた。
そのまま雷鳴が風月の体を駆け抜けて、心臓を雷撃に打たれ全身が跳ね、呼吸すらままならなくなる。
それでも声にならない叫びをあげて自らを奮い立たせ、込めた剣気で腕を抑え込んだ。意識を失えばCRISIS4は再び覚醒する。そのまま背後にいる麒麟をバックハンドで殴りつけるがそれすら避けた。
だが驚愕させるには十分すぎる。
握った風月の左拳が避けた麒麟の目の前にあった。
しかしすぐに気づく。
剣気を纏っていない。
もはや右腕に動かせるだけの剣気を総動員しなければ制御すらできないのだ。だからその左腕は怖くなかった。
このとき、なぜこう考えなかったのか。
どうして避けた先が分かったのか、と。
ヴァーヴェルグが麒麟に抱く憎悪がそれを可能にした。記憶ではなく漠然とした感覚。その不姿勢、無敵の肉体がゆえにすぐに勝ち誇り、警戒心が薄い。そのうえ知恵が回り臆病。だが勝てる相手とわかればその姿を誇示する。
そんな性格を憎んだヴァーヴェルグが風月の感覚とリンクした。
麒麟は風月の目の前へと回避した。
それを理解していながら何も持たない左腕で殴るわけがなかった。
握っていたのは融けたナイフ。夜な夜な魔力を込めてきた、ヴァーヴェルグに対する切り札の一つ。今は未完もいいところで魔方陣もないが、魔力が籠っていた。
麒麟に風月の左拳は触れていた。
だが、ダメージにはなりえない。触れられ、殴られはすれど所詮風月。それも剣気も纏っていない状態ではたかが知れていた――はずだった。突如左腕が青い剣気を纏いだす。即ち、右腕は暴走しだした。
無造作に熱をまき散らし、使用者である風月の体すら吹き飛ばす。
そう、麒麟を殴りつけたままの風月を。
流星のような速度で風月と麒麟は地面へと降り注ぐ。
「テメェは俺の下だ!」
キュガ。
地面を削り、めり込み、それでも止まらない。半キロ近くも麒麟を押し込み、右腕は結晶に閉じこめられてようやく動きを止めた。
勝者は風月凪沙。
そして夜の沙漠に静寂が戻った。




