第四章 37 ∮鋼を打て
死んだはずのヘイズの構えはどういう訳か堂に入っていた。
武器の摩耗状態からどのように戦ってきていたのかはおおよそ見当がつく。同時に構えも見えてくるのだ。
今のヘイズが、レルキュリアの見立てと、完全に一致していた。
すでに三度武器を叩き合わせた。
そこからわかったことは、ヘイズの鍛冶師としての技量とその研鑽にかけた時間。レルキュリアにはなぜヘイズの名がほとんど残っていないのかが分からない。そのくらいヘイズの技量は卓越していた。
そして得た解は死後の研鑽。死んでから何十年という時間をただ憎悪に任せて鍛冶に打ち込んできたのだ。耐えられないほどの屈辱に身を焦がし、焼けた鉄にひたすら鎚を奮い続けたのだ。
その研鑽はレルキュリアには痛々しく見えた。過去の自分自身を目の前のヘイズに重ね合わせた。
「本当にお前は私に似ている」
違ったことはただ一つ。
誰かが気づかせてくれたかどうか。
「譲られたとか言っていたな」
言葉は届かない。それは十分に承知していたが、それでもレルキュリアは言葉を重ねずにはいられなかった。
「今、一一一代、第五席レルキュリア・アストス・セスタリスが断言する。お前は勝ち取ったんだ」
第五席とは剣気を扱える鍛冶師のことを指す。歴代の第五席の残してきた武器の中でも、神域の騎士と張り合うほどの武器にはなかなかお目にかかれない。
ヘイズの曲刀はただの鉄だ。
何よりもレルキュリアが武器をぶつけ合い火花の散り方を見るまで気づかなかった。特殊な工程を踏まなければ加工できない金属を含む者ならその出来は低いと言わざるを得ないが、炭素やその他多くの不純物を含有しているがその主原料は何の変哲もない鉄。それを極限まで鍛え上げ、神域の騎士と打ち合える武器などレルキュリアは目の前に現存する一振り意外に知らない。
それを見て、届くはずのない言葉を口にしていた。
「我は神域の騎士なり。敵を討ち滅ぼし、我が君主のために我が剣を振るう者なり。我が名はレルキュリア・アストス・セスタリス」
互いに名乗り合えば決着がつくまで戦い合う契約。今では名乗られることはほとんどなくなった。ヘイズはまともに口もきけず、そもそも契約は成立しない。
それでも敬意を払う方法をレルキュリアはこれしか知らない。
「その名は我が剣にあり」
その在り方に呼応するように『星砕』が赤熱する。その形を失っても鎚として振るう限り、『星砕』はその力を発揮し続ける。崩れた隙間から熱を噴き出し、熱せられた空気の向こうの景色が揺らぎ、やがて赤く色づく。
今のレルキュリアに炉はいらない。太陽の化身から奪った熱がある。
同時に、レルキュリアは踏み込む。『星砕』の頭部が滑らかな弧を描くように正面からヘイズを叩き潰す。対してヘイズも馬鹿正直に曲刀でそれを受けた。いや、それしかできなかった。
知性もなく、もはや生きてない。それでも戦わされる死体。戦鎚と曲刀がぶつかり合うたびに熱気と轟音が響き渡る。周囲に破壊をまき散らして気づく。
拮抗した。
生きていたときでさえ、レルキュリアには圧し負けていた。死後荷も残った剣気。それは時間と共に急激な速度で薄れていく存在でしかない。なにかに埋め込んで長く持たせる方法もあるがそれでも引き出せる剣気には限りがあり、失われ続ける存在でしかない。
それが、終わらない。
剣気は無尽蔵のように引き出され、異常としか言いようのないほどの力を発揮している。
「剣気を増幅枢するような鉱石は音を聞く限りなかった。なら悪さしてんのはテメェにへばりついてるそれか」
死してなお戦う人形へと変化させた黒い泥。一度手合わせしたそれが剣気を引き出し、そして失った肉体を補い、恐ろしいほどの筋力まで発揮している。
「死ぬ前に、一体何に縋った?」
モノ言わぬ死体は鍔迫り合いのまま何も語らない。だが、その醜い死後を見れば、縋った相手がロクなものではないことくらいすぐに分かった。
「最後の最後でつまらないことをしたな。死してなお打ち込んできた時間に私は敬意を払ったんだ。引き際を見誤ったお前の根性を鍛冶師らしく叩きなおして、余計なもんを全部引きはがしてやる」
剣気が噴き出す。拮抗していたそれを力で強引に圧して曲刀を地面に叩きつける。
轟!
同時にレルキュリアの星砕が発行し、ありったけの熱をヘイズの武器に流し込んだ。その結果周
囲の空気が膨張し、瞬間的に尋常ではない風がまき散らされた。
吹き荒れた風に煽られてただ向かってくるだけの屍の身体はあっさり捲られた。衝撃に対する身のこなし方も、守り方もまるでなっていない。だから同じだけの風を受けたレルキュリアの身体は浮かず、ヘイズの明日が地面から離れたのだ。
神域の騎士にとって自由に動けない数少ない瞬間。これが訪れた時点で勝負は決まっているといっても過言ではない。第一席に匹敵する力を持ったフレイと真正面から張り合ったクォリディアでさえ、その瞬間は致命的な隙となったのだから。
『星砕』を振りかぶる動作に合わせて半歩、身を引くレルキュリア。曲刀のリーチから完全に逃れる。そしてヘイズの足がたった二センチ。落下して地面につくまでの間に『星砕』の小惑星の衝突を錯覚させる一撃が叩きつけられた。
それを、あろうことかヘイズは曲刀を水平に構えて受けた。
地面砕き、周囲に破壊をまき散らす。神域の騎士クラスの戦いでは地形を変えながら戦うことは珍しくない。アルトやミラタリオは館を破壊しながら戦いを進めていた。だが、レルキュリアの一撃は異常の一言に尽きる。
吸収し、介抱するという性質を持つ『星砕』を扱うということはほかの神域の騎士たちよりも受けることに重きを置くということになる。その結果、本らならば移動しながら破壊行う神域の騎士たちに対して圧倒的に動かないのだ。
当然、そうなれば相手の手数は増えるため、カウンターや盤面をひっくり返せる一撃の重さを重視するようになる。ゆえにタメを造ったレルキュリアの一撃は瞬間的にリナをも上回る。
そして、渾身の一撃は大地を融解させた。液体化した大地は飛び散り、周囲にその粒をばら撒いていく。凶悪な散弾を間近で浴びたヘイズは、黒い液体が縦になりすべてを防いだ。だが、レルキュリアの一撃を受けたその腕は過多の手前まで避けていた。柄が、そのまま骨を砕いてもぐりこんだのだ。
そんな状況でもレルキュリアの一撃を受けきった。
そして、その状況もほんの僅か。
ぐっぱりと開いた右の上下の腕は黒い液体に引っ張られるように張り付き、失われた部分を補っていく。心臓も動いていないから血も出てこない。
同時に『星砕』も少しずつ押し上げられていく。
「――っ、まじか」
ここにきて膂力が増していた。同時に視線を感じた。ヘイズにまとわりついた黒い液体を通してじっとレルキュリアのことを覗いている。得体のしれない者に、背筋のあたりにうすら寒さを覚えた。
「これで決まらないなら、もう知らない」
刹那、握りなおした『星砕』が融解した。自身が保持した熱に耐えきれなくなるようにその形状を崩しだしたのだ。ただでさえ元の姿など覚えていないと思えるほど変わっていたのに、鎚であると判断することもできなくなった。
さすがのレルキュリアも面食らった。
レルキュリアの能力は者の力を引き出すこと。その力のせいでかつては死にかけた。だから混ぜ物をして制御するすべを見つけた。だが、これができなかったものが一つだけある。それは彼女の持つ『星砕』だ。絶えず熱と衝撃に曝される『星砕』だけは混ぜ物をしてもすぐに不純物は溶け出し力を解放してしまう。だから、絶対に溶け出さない自身の感情と剣気を混ぜて封印という形をとった。
風月に語った解放された姿という言葉に嘘はない。封印したものを介抱するつもりはなかった。だが、『お前に預けられない』という風月の言葉と目の前のヘイズに背中を押されてとうとう、はがれかかった封を解いた。
結果、『星砕』の頭部が融解し、柄しか残らなかった。
その隙を見逃さずに赤熱した曲刀を横なぎに奮いレルキュリアの首を狙うヘイズ。耶馬との間に『星砕』の残骸を差し込んで間一髪のところでそれを回避する。
冷や汗は焦燥の証。
ヘイズの猛攻を『星砕』の残骸で凌ぎながら必死に思考を巡らせる。
『そこでその男を引き付けておいてください。解体します」
「――なっ!?」
声は真横。族長の声だった。
視線だけそちらにやっても何も見えない。そして、その隙にヘイズの猛攻がまして、防戦に追い込まれるレルキュリア。
『あなたの方に種を貼り付けました。そこから魔術で直接耳小骨を揺らして音を出しています』
「じしょう……なんだっぶねぇ」
意識がそれた瞬間に飛来した鋭い一撃をとうとう受けることを止めて伏せてやり過ごす。毛先を刃が撫でる感覚に背筋を震わせた。
『戦いに集中してください』
「誰のせいだと思ってんだっ」
『時間だけ稼いでください。その男から黒いのを引き剥がします』
「それどころじゃないっ。本当は今すぐ逃げ出したいくらいなんだ!」
『弱気なのはらしくありませんね。まあ、武器もない状態ではしかたありませんか……」
当然だった。だが、レルキュリアが弱気だったのは族長の考えとは違う理由だった。
「消えたんだっ」
『え?』
「『星砕』が喰らった熱はCRISIS4のだぞ! こんな程度で消えるわけがねぇんだ。まだ9割以上残ってんだよ!」
喰らいきれなかった量でこの森の20%が焼けた。その炎ですらレルキュリアが軽減したものだ。その軽減した分のエネルギーが消えた。
今度こそ、レルキュリアが弱気だった意味を理解した。それが放たれればこの森どころか国の大半が灼けてヴァーヴェルグがどうのとかこの森がどうしたとか、そんな話ではなくなる。文字通り、この国が終わるのだ。
ヘイズの猛攻をしのぎ、水長に振り下ろす一撃を受け止めて、次の一手を考える。
レルキュリアの心の内は『やらかした』という気持ちが渦巻いていた。
「はっ、笑うしかないな」
その時、空間が裂けた。
口が開いたように感じたのはレルキュリアだけだった。同時に、剣気が、そして憎しみと貸した自己嫌悪が戻ってくる。
「――族長。こっちはいい。風月を頼む」
声が落ち着いた。
そして何もない空間に、溶け落ちたはずの頭部が映像を逆回ししたようにもどる。ただし、その姿は禍々しいものではなく、かつての『口』もついていなかった。代わりに現れたのは幾何学模様をそのまあ切り出したかのような立体が隙間なく、理路整然と敷き詰められた頭部だった。そこに顔や何かを見出すこともできず、かつての姿内比べればより鎚らしいと言えた。
『分かりました、後は任せます』
「おう!」
五体に力を込めてヘイズを弾き飛ばす。
『星砕』が変わったという印象はない。むしろレルキュリアが変わった。神域の騎士になってから初めて打ったのがこの『星砕』だった。その打っているときに戻った。
「今なら、いいものが打てそうだ」
レルキュリアが振りかぶると同時にヘイズが曲刀を構えた。そして、二人がぶつかり合う。
そこに神域の騎士同士の派手な衝撃や轟音はなく、金属が金属を打つ音が響く。静寂の中でそれだけが確かであるように。
レルキュリアの手がしっかりと感じていた。互いの威力を相殺し、腕にはその振動の実が送られる。それを掌や手首で抑え込むあの感覚。何万とこの手で感じてきたものだ。
続く二撃目。
互いの力が完全に拮抗していた。そして余波を余すところなく殺しきり、戦いらしくない静けさがあった。
明らかにレルキュリアの力が落ちた。それを弱くなったと感じたのはヘイズ越しに覗いている何者か。対してレルキュリアは『意志が伝わった』と思った。鎚に意志が乗り、その通りに金属を叩いたように感じた。
そして三撃目。
あれだけの戦いで決して形を変えなかったヘイズの曲刀がへこんだ。熱と衝撃により、僅かたがその形状を変化させた。
ブシュ、噴き出したのは黒い液体。ヘイズの体からわずかに染み出したものだ。
それが契機だった。
武器がぶつかり合う度、ヘイズの持つ曲刀のカタチが変わった。黒ずんだものがヘイズの体からも押し出されていく。
互いを体現した武器がそのままお互いを高め合っていく。熱が不純物を融かし、たたくことで混じったそれを押し出す。
「ここは鍛冶師にだけ許された聖域だぞ」
鍛冶場。
炉の管理をする場所。そこは依頼人であっても立ち入ることを許されない場所。焼けた鉄を打つ。
『星砕』の組み合ったその幾何学模様を切り出したかのようなパーツ同士に隙間が生まれ、その間から赤い光が漏れ出す。
さらに打って、打って、打った。
「覗くような無粋な奴は炉の中に放り込んでやるよ!」
幾千の鋼を打つ動作はやがて剣戟となって二人の間に火花を散らす。洗練された動きはやがて、精細さを失いつつあった。それはヘイズの体を動かした何かが絞り出され、もうまっすぐ武器を振り下ろすことすらできなくなっているからだ。
肉体が休みを迎え始めている証左でもある。
だが、ヘイズが倒れかけてもレルキュリアはその体をつかみ無理やり立たせた。
「ここで終わることは許さない」
そして武器がぶつかり合う。
体の中から黒い泥が絞りだされるまでにどれくらいの時間がかかったのか。
そして、唐突立つことすらできなくなったヘイズは膝から崩れ落ちた。とうに死に絶えて、命を手放し、その生き様に泥を塗って、それでもなお武器だけは手放さなかった。
武器を構えたままヘイズは倒れた。
その体に救っていた泥はもう残っておらず、その体だけが残った。
「神域の騎士の功績は残っても名は残らない。名前が残るのは第六席が特別だからだ。お前の名はきっと、私が語り継ぐ」
その言葉が聞こえたかのようにヘイズは武器から手が零れ落ちた。
地面に突き立てられた曲刀はかつての禍々しさは見る影もなくそぎ落とされていた。
美しく、気高い緑を纏う鋼。
見事というほかないほどの曲刀。
死後に完成したその名は『ヘイズ』という。




