第四章 35 ∮――CRISIS4――存在
灰病という災厄が、エルフが一族として抱え続けたものだというのなら、ヘイズは灰病を宿すまでどうやって生き永らえたのか。その理由は簡単で、別の要因によって生かされていた。もう一つのクライシス。
漆黒の流体が形成す巨人。
ヘイズが引っ提げてきた最後の秘策。
そして、今。
歴の浅いレルキュリアはともかく、歴戦とすら呼べるタインとグレイですら動けずにいた。目の前の事態はありとあらゆる状況を超越していた。
天をも、文字通り焦がすほどの火力。それが絶え間なく立ち昇り、その熱がこの森の何処にいても微かな熱を届ける。目の前にいる神域の騎士たちやフレイは肌を焼かれているはずだ。そしてその中心に居る風月凪沙が生きているはずがない。だが、炎の向こうの影が動いているのだ。地面を這って、肩や腕で地面を削るようにゆっくりと進んでいる。
本来ならグレイもタインも容赦なく攻撃を始めていたはずだ。手を出していないのは攻めあぐねているからではないのだから。
それでも攻撃できなかったのは。
『砂漠』
その一言。
風月凪沙はいまだにCRISIS4を封印する気でいる。そして、微かに進む先がまっすぐに砂漠の方角だった。
たったそれだけのことが手を出すことを躊躇わせた。
「じじい。これは、『どっち』だ?」
「分からんわ。慟哭。憎しみ。こういったものは見てきたつもりだったが、コンアの歯初めてじゃ」
「炎の音がありったけの憎悪を込めて吼え散らかしてやがる。それでも俺たちが攻撃されてないことがか?」
第十席は頷いた。
「だがよ、心臓を貫かれて生きてい奴はもう人間とは呼ばねえ。今はまだ寝ぼけているだけじゃねぇのか?」
「ならなぜ攻撃しない?」
「……」
グレイは神域の騎士として答えられなかった。心のどこかで何とかしてしまうのではないかと期待している。
この中で真に本気を出したヴァーヴェルグを知るのはグレイだけだ。そしてヴァーヴェルグをグレイたちはついには止められず封印という手段に頼らざるを得なかった。
あの巨竜の上でそれを追想しなかったといえば嘘になる。あの場でヴァーヴェルグをどうにかできると思わなかった。またヴァーヴェルグが『勝利』し、グレイの敗北が増えるだけだった。ある種、あきらめていたといってもいい。
そんな中、たった一人、風月凪沙だけが諦めを拒絶した。
巨竜が地に落ちる中ですらヴァーヴェルグに噛みつき、足掻き続けた。その引っ張られるようにリナ、レギオン、茜がぶつかり、さらにはグレイも戦いに参加した。
「弱まったな」
巨竜の上のことを思い出していたグレイの思考にタインの言葉が差し込まれる。
「あの風月とかいう男の旅の背を押したのはこのわしじゃ。全責任はわしが持つ」
「じじいらしからぬ言葉だな。あんたは中立だろ?」
第十席は均衡を司る。場合によっては王にすら進言し、争いを治める立場にあり、どちらかに肩入れすることを許さない立場でもある。
「神域の騎士に対してのみじゃがな。ほれ、炎が途切れるぞっ」
近くで会話を茫然と聞いていたフレイ、レルキュリアまでもが意識して身構える。
ボボボッ、と爆発にも似た音を立てながら揺れたか円の隙間から微かに見えたのは風月凪沙の貌。
頬が灼けていた。剥き出しになった歯茎も溶け出したこのように血が滲み、ところどころ焼けすぎた肉のように焦げ付いていた。瞼も似たような状態で、その奥の眼光だけがギラついている。
そしてその傷に灰病が集まり、治癒し、再び焼けてを繰り返していた。
「じじい、責任取るっつうなら答えろ。あれは『どっち』だ?」
重ねられたことばにタインも返答できなかった。
本質的に問うている意味とは別にもはや、人間ではないのだ。
「……あれじゃ、呼吸が」
この熱で自らの仕事場を連想したレルキュリアだけが気づく。炉の熱は煙突で逃がし、さらには魔術で空気の膜を張って作業しなければまともに鎚を振るうことすらままならない。特に特殊な素材を扱う時はそれが顕著に表れる。
「攻めあぐねるのも当たり前だ。ここは、私の仕事場だ」
顔つきが変わった。炎が照らしだす陰影の中にそれ以上に熱く燃えあがる情熱が宿る。そして『星砕』が本来の用途として炎の柱を殴りつける。
あの口が炎を食い破り、そのまま咀嚼する。
同時に風月の目に風月ではないの者が宿りそのまま焼けた半身でレルキュリアを殴りつける。それに星砕をぶち当てあたりに衝撃波がまき散らされた。
「随分と化け物じみたもんだな風月ィ!」
レルキュリアは神域の騎士では最弱であっても風月が勝てる相手ではない。それが、今一撃で拮抗しているのだ。
「Aaaa……」
「『CRISIS4:The Alternative Sun』の方だったか? テメェじゃ相性悪ぃんだよ、雑魚は引っ込んでろ!」
そのまま剣気を込めると星砕の炎を喰らい続けていた口が勢いよく閉まり、同時に衝撃波で風月の体が吹っ飛ぶ。地面を転がり、受け身を取って立ち上がる。
「今、戻ったな?」
「いってぇ……」
理性的な声が聞こえてレルキュリアの表情に笑みがこぼれる。しかしそれは安心とは程遠く、かつて『星砕』に封印した感情の一部が抑えきれずに暴走を始めていた。
「もっとだ。もっと燃やせ。私がすべて喰らう」
「レルキュリア……?」
「熱をため込むな。行き過ぎればまた奴が顔を出す」
確信があった。過去に扱ってきたクライシスには共通する性質があった。その力が高まるのは環境が整い、かつ純度が高まった時。特に熱を持つクライシスの素材は、熱を加えて不純物を融かしだすという工程が挟まるためにその両方を満たしやすい。
「でもっ、こんなものを放ったら」
痛みをこらえながら風月は声を振り絞る。体内に帯同する熱の異常な高まりを感じる風月。これを解き放ってば周囲どころかこの国すら焦土にする未来を予想できるほどだ。どうやって内側に収まっているのかもわからないが、このまま放てなかった。むしろ、その行為は内側にある全く異なる意志に力を添えるような気すらした。
直感に反するレルキュリアの言葉を痛みの中で反芻する。
「いいんだなっ?」
今も意識を奪い、この肉体を別の何かへ置き換えようとする意志がある。
「本当にいいんだなっ!」
「来い」
刹那、もはや語るまでもないほどの災禍が降り注ぐ。
この森と繋がっている族長がまずその規模を把握した。
「嘘でしょう?」
そんな言葉が漏れるほどの破壊。一瞬で果ての森の2%が焼け落ちた。
その一方で、レルキュリアには確かな手ごたえがあった。
炎の被害はすべて抑えたと言っていい。1000分の1以下にまで事実上の被害は抑えた。だが一瞬で膨張した空気が巻き起こした暴風は木を根こそぎ薙ぎ払い、先に焼けてくすぶっていた火に命を吹き込んだ。その延焼でこの森の2%が焼け落ちたのだ。
そして、その中心。
炎の柱が消えて、一人の男が立っていた。
「待っていた、お前が出てくるのを」
艶のある声がその後ろ姿にかけられる。レルキュリアを知るタインとグレイが驚きのあまり目を剥いた。上気した肌に、汗ばんだ髪が張り付いている。いつもとは雰囲気が違う。
それ以上に、剣気の質が変わった。
鋼を思わせる鈍色にところどころ錆色が混じる、固い印象を思わせる剣気。殺意を振りまきながら口の端から垂れた唾液を舌で舐り取っていた。
対して、風月は風月ではなくなり、その半身を完全に別物へと変化させてレルキュリアの方を見ていた。残った生身も反応はなく、二人の認識に天と地ほどの差を感じさせた。
「……」
「ふふふ、ふあはははははっはァ♡」
あの日、全てを開放すればろくなことにならないことはうっすらとわかっていた。だが、その力見たさに抗えず、結果として後悔した。
自分の感情を切り離して封印するほどに。
レルキュリアが封印していた感情は『憎しみ』と、『好奇心』だ。その悪いところが出た。力をそのまま開放すればこうなることは予見できていたのだ。
砲弾のような勢いで前動作もなく突っ込んでくる炎の怪物。それを正面から『星砕』で迎撃する。
「馬鹿野郎っ」
グレイが思わず叫ぶ。
止めに入る間もなく風月の体は数十メートル以上も吹き飛ばされて、地面に半分めり込んで動きを止める。普通なら生きていない。グレイもこうなることを回避したかったのだ。ヴァーヴェルグに届く可能性がありそうなのは風月だけだ。最終的にはこうなったとしても、できることなら持っ時間をかけて見極めてからが良かったと思うのはグレイだけではないはずだ。だがこの場においてグレイの考えに最も共感しそうなレルキュリアがこれをやらかした。
続く一撃をぶちかますために『星砕』を構えるレルキュリアが駆けだす。グレイとタインが慌てて止めに入ろうとするがフレイに止められた。
本来ならあの一撃でりんごのようにはじけ飛ばなくてはおかしいのだ。それが回避されたということは、風月はもう戻れない可能性が高い。
神域の騎士として争い合った二人だが、神域の騎士ではないフレイのほうがずっと状況が見えていた。
そして、その刹那の間に彼我の距離を詰め、重撃を叩き込む。
小惑星の衝突を思わせるような一撃。周囲の地面をえぐり返して地震を想起させるような余韻すら残す。
「―――っ!?」
その感触に艶めかしい表情が消えた。
細い右腕。溶岩をそのまま成型したかのような腕が『星砕」を正面からつかみ、その一撃を受け止めていた。
さらに剣気を込めて『星砕』を振り抜こうとするが、縫い留められたかのように動かない。まるで断崖絶壁の前で手をついているかのように微動だにしない。
ごぽっ。
直後、風月の周囲の地面が赤熱し、波打つ。
あふれ出す熱がそのまま石や土を融かし、ひいてはそのままプラズマ化させた影響だ。そこから沸き上がる熱が気泡を作り出し、地面が赤熱して泡立ち始めた。
「HAAAaaaaaaa……」
風月の周囲が暗く見えるのは、異常な熱量に、光がついてきたからだ。溶岩のように煮えたぎる大地ですら、その熱量を前に黒ずんで見える。
その光源は右腕。
「させるかっ」
フレイが袈裟懸けに蹴りを叩き込む。直撃と同時に風に乗せた剣気をたたきつける。
ゴバッ、フレイの渾身の一撃。要塞すら切り崩す一撃が風月の肉体に叩き込まれ破壊をまき散らす。
だが、止まる。
神域の騎士では火力が過多になる傾向がある。もはや防御を高めればどうなるという次元ではないのだ。ゆえに技術や速度が重要視される。空振りはあっても、完全に受け止められることはまずない。特にフレイのようにグレイに匹敵すほどの強さを持つ者ならなおさらだ。
むしろ、叩き込んだ衝撃にフレイが弾かれるほどだ。
身体が多少くの字に曲がるが、ほんの数十センチ後ろへと下げただけだ。その隙にレルキュリアは『星砕』を引き抜き、構えて気づく。『星砕』に汗が流れていた。実際に汗をかいているわけではない。温度が変わり、結露する現象を鍛冶師たちは汗をかくと言うのだ。
フレイの一撃に合わせて何かが起きた。具体的に言うのなら吸熱だ。
溶岩は一瞬にして黒い石に変わり、その速度にガラス化まで引き起こした。フレイのダークブーツの表面にうっすらと霜が檻て灰をかぶったようになっていた。
そして、掌がレルキュリアを向いていた。光はその光量を増すばかり、嫌な未来を想起させるには十分すぎる要素がそろっていた。
「――ッォオラァ!」
下弦の月を描くように見事な半円を描いて『星砕』はその右腕を真下からかち上げる。渾身の一撃。それすら角度を変えることすら敵わない。
(重いっ……)
そこへ鑿を深く掘り進めるようにフレイが『星砕』を蹴り上げる。肘から先が跳ね上がるが、それでも手首が柔軟に動きレルキュリアを追従する。そこに込められた殺意に喉の奥が干上がった。
「加勢する!」
グレイが滑り込み、大剣を振り上げて真下からの力を増大させる。そして右腕が弾かれる。ここまでやってようやく相手の一撃を防いだ。
だが角度が悪かった。その光は真横に弾かれ、直後光線を放つ。放たれた熱量だけで剣気がなければ肌は黒焦げになっていたはずだ。
「うそだろ……」
その言葉を発したのは誰だったのか。
伸びる光線をそのままに右腕が水平に薙ぎ払う挙動の前兆を見せた。
そしてそのまま一閃、破壊の一撃が薙ぎ払われた。




