第一章 11 〇交渉
風月が木から回収された時には、アルトから戦意が無くなっていた。おそらくは騎士として完全に負けたせいだと勝手に見切りをつける。
森神もどういうわけか俺にもティアにも傷をつけなかった。なんなら優しくティアを抱えたまま木から降りていった。俺なんかは足の木がどういうわけか広がって、木の上に救出されたらそのまま放置だった。アルトに救出されるまで森神は放っておくつもりだったようだ。
そんなこんなで生き残った全員が集まった。風月とアルトと森神。三人で円を作り座る。ティアの定位置だけは風月の膝の上にちょこんとお尻を置いていた。
剣呑な雰囲気から一転、こんなにほのぼのしているのか理解ができなかった。
「何がったんだ?」
俺はアルトにボソリと耳打ちをする。しかし、相も変わらず無表情に加えて、眉間に皺が増えていて、黙ったまま何も答えない。代わりに森神が口を開いた。
『名乗らずに剣気を解放したからいじけているのだ。そっとしといてやれ』
さっきも魔術とか聞いた気がする。剣気との違いも気になるが、今はこの状況の打開だった。円形に囲んだはいいが、周りは闇に包まれていて、その闇の中には魔獣が息を潜めている。森神が何か言ってしまえば、風月たちはひとたまりもない。
「何でこうなってんの?」
『暇が潰せたから。それと忠告だ』
不穏な響きが聞こえた。
『守神転じて森神。もうじき忙しくなる。貴様らの相手をしている時間は無くなるそれを伝えろ。そのために命があると思え。今はこれ以上魔獣を失うわけにはいかんからな』
「はぇ~。それ言ったら付け上がって戦争の準備しそう・・・・・・」
じろりと睨まれて思わず口を閉じた。
『人間はそこまで愚かか?』
「なんか聞いた話によると、近くに貴族領があるらしいじゃん。山の向こうに。突っ切れば一日とか二日とか。でも山を迂回すれば八日。明らかに利益を生むのに、この山があることで邪魔になってる。利益が出るなら人間は戦うよ」
次の瞬間、背筋に氷柱を刺されたような寒気を覚える。それは森神とアルトが互いに殺気を叩きつけ合ったせいだ。膝の上のティアも身震いしていた。
「魔獣たちはあと一か月持たないぞ」
『なんだと?』
睥睨する赤い瞳に今にも縮み上がりそうだった。それでもひるまずにあの男のように笑みを浮かべて言い切る。
「この腕輪は酷い匂いだ。歯を磨いてないから当然って言えば当然なんだけど、あれだけ膨らんだ腹と浮き出たアバラ、撚れた毛。ここに来るまでの異常な生物の少なさ。数って意味じゃなくて種類って意味だけど」
少なくとも、あれだけの戦いが起こっておきながら鳥が逃げ出すことはなかった。つまり最初からいなかった。
『何が言いたい?』
「梟の声も聞こえない。夜に活動する鹿やイノシシの気配もない。つまるところ魔獣たちは慢性的な栄養失調症だよ」
森神は首を傾げた。栄養失調症の意味が分かっていない。
「ご飯が足りないって言ってんだよ。少なくとも、あれだけの数の獣の餌が確保できるとは思えないもうすぐばったばたと餓死するぞ」
『なら貴様らを餌に――』
「焦るなよエテ公」
笑顔で毒を吐いたらアルトがぎょっとしていた。念のため言葉を覚え無いようにティアの耳を手で塞いでからの発言だった。
「俺とティアとアルトなら何とかできる」
ピタリと森神の動きが止まった。意見が出せる場が整ってしまえばあとは言いたい放題だ。ティアの耳から手を離して教育上よろしくない言葉を減らすように注意する。少なくともこれで笑顔を保つための胆力がだいぶ要らなくなった。しかし、そこでアルトが水を差してきた。
「確かにドラクルの貴族領は魔の山に隣接している。だが、なぜ貴族領が近くにあることを知っている?」
「東に連れてって、そういったから。それにここが利権を生むのはあの壁の外側からそう離れていない位置にあった時点で予想できるし、それを後押ししたのは一〇年前の戦争の話。それだけの利益が生まれると確信してたから仕掛けたんだろ」
「どうやってあれだけの魔物を養うつもりだ?」
「簡単。通行税」
今度は森神が眉を潜めた。通行税という言葉そのものに馴染みがないせいだろう。
「通行するために金を払えば襲わないっていう風にすればいいってだけさ。金額も人数と荷物の重さに応じて必要な食料と野宿の準備に必要な分の材料費が浮く程度の値段にすればいい。それに道も馬車一台が通れる程度にしておけば軍隊も気にしなくていいし。火もなしに確実な安全が買えるのなら安いもんだろ」
『飢えはどうする?』
「どうするも何も。徴収した金で買えばいいじゃん。言葉が通じんなら自分で手配しろよ」
なに当然のこと言ってんだ見たいなノリ、というかまんまそのニュアンスで伝えたら、森神とアルトが顔を見合わせていた。それから俺の方を見た。
「なんだよ」
「一〇〇年間、東の貴族との交流は上手く行えなかったんだぞ。それをそんな容易く……」
「なら無駄な一〇〇年だったな。何度も殺しあって数を減らしあって、対話をしなかった代償だ。死んだ命もお互いに受け入れろ。それができないなら一生殺しあっていればいい。どうする?」
アルトは未だ納得できていないようだった。
俺は思い出したようにティアの耳を塞ぐ。変な言葉を覚えていないことを祈った。
「クラリシアに来たばっかりのお前に何の権限がある?」
クラリシア、それがこの国の名前らしい。
「魔の山に隣接した領地をもつ貴族と、神域の騎士と、アイデア。どれだけの権力を持つかなんて知らないけど、ついでに森神も協力したらできないことなんてないだろ」
そう、この場所にはネームバリューだけはすごいものがそろっている。
結局、森神は納得した。その証拠に大声で笑い出した。
『ヌハハハハハハハハッ、矮小な人間が国が解決できなかったことを、突き崩すのか。いいだろう。契約を結んでやる』
言葉の端々から高圧的なところが見え隠れしている。
「書類でも用意すんの?」
『何を言っておるか。紙なんぞ何の役にも立たん。血縛の契りだ』
「魔術だの剣気だのに疎くて」
『呪いの一種だが?』
さらに覚えることが増えて嫌になってくる。結局、ティアの耳を塞ぐ意味がなかったことをここで思い出して、手を外す。
「何すればいい?」
「同じ刃物で傷をつければいい」
アルトが教えてくれる。案外軽いものなのかと思いきや、アルトの表情は優れなかった。
「個人が結ぶ契約の中で最も重いものだ。破れば最悪死ぬ」
「えっ」
そんなの聞いてない。
「それも亜人種どころかこんな化け物みたいなのと結ぶとか前代未聞だ……」
『期間は一ヶ月。それまでに話を死ぬ気でまとめてこい。だが、もし契約が果たされたときは、儂も約束を果たそう』




