第四章 33 §王都にて
それは王都からでも確認できた。日の出を思わせるほどの光量が地平線か空までを一閃に貫くフレイムピラー。最初は細い糸のようだったものが、今では酸素のない大気圏の向こうにぶち当たり、紅蓮の空が広がっていた。
この光景を多くの者が知っている。直接ではなく伝聞で、一度は耳にする。曰く、世界を灼き尽くしたと。その結果広大な緑を赤い砂漠へと変化させ、多くの国が力を合わせてようやく止められたと。
兵士たちは武器の確認を始めていた。
そして執務室で構えた女王、オルガノン。そのもとに集う神域の騎士たち。
青い髪を持つ第三席アルト・ウルベルク・ベイルサード。厳格で堅物という評価を下された彼は、すでに戦いの準備を整えていた。
「いつ出撃を?」
「早く行くってわけよ、眩しくって寝れたもんじゃないってわけよ」
眠りを猛烈な光で妨げられ気が立っている第三席、リナ・クロム・ソルクワトロ。未だに目をしばしばさせながら装備を整えてここにいるが、リボンがしわになっていたり、髪の毛が跳ねていたりと女の子として万全ではなかった。
そして事前に事態を察知した第二席、レギオン・ローゼス・ジーギレン。
「足が動かないから、そんなこと言ってられる状態じゃない」
「それでもレギオンは行かせないけどね。足手まといだ」
第七席、オレウス・ブレイズ・セプタクルスはいつもの様子に似合わないほど毒を吐く。
「ちょっと口を閉じろ。状況はひっ迫している。周囲3国がすでに情報を求めてコンタクトを取ってきた。『コードC』だ」
『コードC』、神域の騎士たちの背筋が伸びる。
それはクライシスによる世界規模の危機を示す。これが過去に発動されたのはたったの3回。そのうちの1回はCRISIS4によるものだ。
「すでに第九席の茜がミラタリオを連れて果ての森へと移動を開始している。現地では死亡が確認された神域の騎士、第六席を名乗るヘイズ・アケイオスと交戦中らしい。クライシスの解析が進むデミシェリアと現地のレルキュリアの情報を重ねた結果、灰病を操っているということまでわかっている。そして、あの柱は間違いなくCRISIS4によるものだ」
灰病、推定30番台の脅威であるということまで判明している。
「これより大規模討伐を行う。その第一陣は我々だ」
「必要ない」
部屋に入ってきながら言葉を重ねる方に否定したのはヴァーヴェルグ。
「あれは一桁には及ばない。かつて戦った鳥やイナゴには遠く及ばない。やがて一桁に届くようにはなるが、いまだ眠っている」
「それは分かっている。だから今手を打つ」
「問題ない。麒麟が動き出した。そうかそうか。あいつは俺とは戦いたがらない臆病な奴だったが、腹をくくったか」
嬉しそうに口元を引き裂く人竜。
「貴様らが最後、死に耐える寸前まで直面する最大の脅威である、俺の一部だ。森神を思い出せ、貴様らが集まったところで勝てる相手か。むしろ風月凪沙が死ぬな」
眠そうだったリナがしゃんとした。
「あの男はどういう訳かあの渦中に、いや文字通りの火の中に、いる」
ヴァーヴェルグ握りこんでいた手を開く。その瞬間に神域の騎士、そしてオルガノンの頬を焼くほどの熱気が広がった。魔術や剣気ではなく、契約によるダメージがヴァーヴェルグをも蝕んでいるのだ。
その契約をリナとアルトはよく知っていた。
「血縛の契り」
「そうだ。意図的に契約を保護にしようとすればフィードバックという形で俺に伝わる。だが、これはそういう次元ではない。抗っている」
「抗う?」
目を細めて聞き返したのはアルトだ。多くの知識を収集し戦いに備えるアルトは契約がそのような形で影響する事例を知らない。だから過敏に反応した。
「あの炎の柱の中心、そこに風月凪沙はいる」
甲殻が赤熱するほどの熱量を拳の内側にしまいこむヴァーヴェルグ。
風月凪沙を知る神域の騎士、アルト、リナ、レギオンの顔が苦虫を嚙み潰したようにゆがむ。本当の姿を知らないオルガノンもオレウスもその言葉に疑問を持つ。ヴァーヴェルグの発言でなければ一笑に付す程度の戯言のはずだった。ただ、あの戦いぶりを知っている三人は発現元の信用度も相まって心のどこかであり得ると思ってしまった。
「つながっている以上、向こうの状況はよくわかる。むしろ向こうよりもよく『見えている』」
物理的ではなく、契約によってつながり、そちらへフィードバックがかかるほどの修羅場、その状況を、痛みと運命という曖昧なものを経由して脳内で再現しているのだ。
「クライシスか。その名に相応しいほど凄まじいな。俺の時代にその名はなかった。見ろ、絶対の力を持つ契約そのものを塗りつぶそうとしている」
白亜の甲殻を持つ手に刻まれた傷跡。それがゆっくりと埋まり始めていた。
「何が起きているっ」
「それを聞いて貴様らに何ができる? 腕一つ奪うために何が起きた? それから準備のために牙を研いでいくらの時間が流れた? 『まだ』無理だ。いまあの場にいることすらできなかった貴様らには何もできん」
ヴァーヴェルグの様子がいつもと違うことをオルガノンは気づいていた。愉悦。そして興奮。情動に身を任せ、拳を固く握りしめている。
「何が面白い?」
「面白いさ。肺を焼かれ、肉が炭になって骨が割れる。その苦痛を受けてなお、まだ足掻いている。火炎の中心に居て、その身を劫火で灼かれているっ」
再び手を開き、熱風を浴びせかけられて神域の騎士たち。
そんなわけがないと思う者と、もしかしたらと思う者。だが、運命を分かち合う強力な契約を結び、それが熱をフィードバックしている時点で何かがあったのだとわかる。CRISIS4の報告を聞いている以上結び付けることも難しくない。
だが、もしそうなら風月凪沙は生きているのか?
前兆はあった。それでも国の端から立ち上る炎を見上げることになるほどの熱量だ。近くにいるだけで間違いなく死ぬ。
「今もなお、この腕に伝わる灼熱と痛みこそがその証左だ」
「だとしても、行かなくていい理由にはならない。アルト、オレウス兄様、準備でき次第先発隊として出立を」
「えっ」
カエルがつぶれたような声を出したのはリナだ。久しぶりに風月に会えるとちょっと楽しみにして浮足立った彼女は、それが先橋にされて結構すごい形相をしていた。
「そんな顔をするな」
「……うううぅぅぅうううっ」
「仕方ないだろう。騎士系の貴族出身お前だけなんだから。ほら、騎士団長と一緒に舞台準備ができてから迎え」
その後ろでアルトとオレウスはとっとと退出する。
レギオンはむしろヴァーヴェルグの方に興味があるようだった。
「ねぇ、その『証左』だけどさ、縮んでない?」
「ああ、気づいたか。もとより一年で消える予定の傷だったが、これは……」
ヴァーヴェルグの貌から笑みが消えた。
その瞬間、腹の底に重く冷たいものを押し込まれたかのように、身体が重くなり、声すら冷え切った。
「これは、助言だ。風月凪沙を殺せ」
リナの視線が跳ね上がりヴァーヴェルグをねめつける。今にもとびかかりそうなリナを片手で制するオルガノン。その間には信頼の二文字がしっかりと見える。
「どういうことだ?」
「今になって急に変わりつつある。風月凪沙が死ねば子の傷も消えるが、これは契約を超越した変化だ。生きたままに、風月凪沙が急激に変化している。おそらくは貴様らがクライシスと呼ぶ何かに」
クライシスに変化する。その過去例がない訳ではない。むしろ存在しているのだ。それも今では根絶させられたが、被害は甚大だった。変化させられた人間は否応なく処分の対象となる。
「断る。ここは私の国であり、私の王杯により進むべき道を決める。あの男はヴァーヴェルグ、お前を殺すのに必要だ。これ以上お前の戯言に振り回されるのはごめんだ。もういいな?」
オルガノンがそのまま執務室から出ていく。
「風月凪沙が変わったら?」
「その時は私が手ずから殺す」
一切の迷いなく言い切った。
「この国の歴史はクライシスとの戦いの歴史だ。どれだけの血が今の国を育てたのか、よく刻み込め」
そのままアルトとオレウスの後を追うように部屋から出ていった。執務室に部外者を残したまま退出するという時点でオレウスや長老院に口酸っぱく言われそうなものだが、大して意に介さないだろう。
「あーあ。虎の尾を踏んだ」
「虎?」
「第七席にいたのは伊達じゃないってことさ。本来なら、王様なんかより神域の騎士としてのほうが優秀だから。怒ったら怖いよ」
レギオンの言葉にオルガノンがきえた扉の向こうを見つめる。
「ヴァーミリオンの血か、なるほど勇ましいな。貴様らはどうするつもりだ?」
「王に従う。前王に比べればだいぶいい。みんな支えてやりたい、隣に立ちたいって思ってるさ」
ヴァーヴェルグの視線がリナに移った。
「貴様はどうだ? この男が言うほどの覚悟はある――」
そこで喉が引きつり、声が止まった。
リナの瞳には誰よりも覚悟が刻まれていた。それを見た瞬間に、かけている言葉がばかばかしくなるほどの覚悟。無論、それがオルガノンのためではないことくらいは分かる。
「私は、私が信じたいもののために戦う。そう決めたってわけよ」
「……リナ、お前のような者があの時代にもいたらな」
風月凪沙以外、名前を口にした二人目。
ヴァーヴェルグはそれ以上何も言わずに部屋を去る。
一方で相手の深層を読むことを得意としないレギオンはリナの心配していた。
「オルガも行っていた通りだ。この国の歴史はクライシスとの戦いの歴史。あいつがただ混乱させたいがためにあんなことを言うとは思えないんだ」
「だから?」
薄暗い部屋の中にも拘わらず、リナの顔から陰りが消えた。それは印象であり、微塵の闇も心の中にしまい込んでないことを意味していた。
「そんなのは絶対に『ない』ってわけよ」
「……っ」
レギオンのキャリアはほかの人間と比べれば一番短いリナの次に短い程度だ。だが、それでも戦いの過酷さは知っているし、リナよりも神域の騎士としての仕事は知っていた。だからこそ、その『危うさ』が怖かった。何かの拍子にそれが崩れればもう二度と戦えないことまで覚悟しなくてはならない。二人もそういうやつを見てきた。
「私が凪沙を殺すなんて絶対にないってわけよ。だって凪沙は諦めないんだかた」
「だが、本当に変わってしまったら……」
「その時は私が助ければいいってわけよ」
白い歯を見せてニッ、と笑う。
「だって、私は助けられたんだから、今度は私が助ける番ってわけよ!」
「敵わないな……」
意志の強さ、決意の固さ、それが垣間見えてレギオンはそれ以上噛みつくのをやめた。前みたいに揶揄ってしまえるほど幼くない。いつの間にか成長していた。
レギオンも部屋から立ち去り、最後にはリナだけが残された。
「大丈夫だよね、凪沙。信じてるってわけよ」
胸の前で堅く拳を握りながら、今もなお立ち昇る炎を見つめた。




