第四章 29 〇援軍
皆がこぞって外へ駆けだしたころ、風月も野次馬根性丸出しで覗きに行こうとしたところで、質屋に止められた。部屋に残ったのは質屋と族長と風月だけ。
「君に、問わないといけないことがある」
「麒麟の事なら何度聞いても同じだけど?」
「……」
図星で口をつぐむ質屋。
なぜわかった?
そんな言葉も風月は感じ取っていた。
「何となく。むしろ、それ以外で橋があるのかな、とも思っただけ」
「なんでそんなに簡単に諦められるんだい? ヴァーヴェルグと戦うんだろう? 戦力はいくらあってもいいはずだ」
「いくらも要らない」
風月はきっぱりと言う。
「ずっと麒麟が消えた理由を探してた。どこへ行くでもなく、姿をくらました。理由だって誰も知らない。ヴァーヴェルグがあらわれてからっていうのも考えると、俺には一つしか思いつかなかった」
「どんな理由だい?」
「逃げた」
「……」
目を丸くした質屋。族長も眉を寄せて渋い顔をする。
質屋はともかく族長は『知っていたけど考えないようにしていました、だってみんな失望するから』みたいな顔をしている。
「どうしてあんたはそうやって情報を隠すんだ……」
鋭くて頭のキレる族長が気づかないわけがない。風月もいろいろ書く寿司黙っているしでブーメラン発言ではあるのだが、族長の秘密主義は風月の上を行っている。
「逃げた奴は頼りにできない。ヴァーヴェルグの前でもう一度逃げるから」
「君は、ヴァーヴェルグを倒せると思っているのかい?」
「いいや、全く」
質屋が眉を顰める。族長も興味深そうに目を開いた。
「言わなかったっけ? ああ、レルキュリアにだけ言ったんだったか。俺はヴァーヴェルグに勝てるなんて思ってない。でも、何もしないでいることもできやしない。最後まで足掻くんだ」
「なら―――」
「だから」
質屋の言葉を押し返すように強い口調で重ねる風月。
「一緒には戦えない。ヴァーヴェルグに挑むんだ。背中を預けられる誰かと戦いたい。死ぬのなら、前を向いて死にたい」
風月の覚悟に口をつぐむ質屋。これ以上追及する気も内容だった。
「腕」
凛、と。声が通った。
「アリアと戦った問、腕を惜しくないように伸ばしましたね」
「見てたんだ。いや、そりゃ見てるよな当然」
「覚悟ができているんですね」
宇宙そのものが内包されたような目が風月をしっかりと捕らえる。鏡を通して見ているが、目の前にいるかのような存在感を覚えた。
「似ていますね、あなたは」
いきなりの言葉に目を丸くする風月。
「私の目は、というより『この目』は運命を見ることもできます。あなたの強い運命は『あの人』に似ています」
「俺は族長の言う『あの人』じゃないよ。というか誰の事?」
「秘密です」
初めて族長がほほ笑んだ。今までの見てきた(可愛くない方の)あんな姿やこんな姿がなければ少しくらいはドキリとしていたかもしれない。
「協力の代わりに、二つだけお願いがあります」
「できることなら別にいいよ」
「まず、私が知る麒麟とあなたの語る麒麟の姿が一致しません。姿を現すことがあったのなら、もう一度信じてみてください。おそらく、目的は一緒なのですから……」
「……」
風月が露骨に嫌そうな顔をする。
「なんですか、その顔は。さっきそこまで言い切って今更掌返すのは気が引けるみたいな表情になっていますよ?」
「まさしくその通りだよ……」
そのやり取りに質屋も渋い顔をしていた。
「で、二つ目ですが、クォリディアを殺さないでください。あれでも、一族の長です」
「それって俺に言うことじゃなくない? 戦うフレイあたりに言っておけばいいと思うよ。それにあいつなら殺せないだろうし」
「『運命』というものについてどのくらい理解していますか?」
今までの旅で幾度も耳にした。だが、その本質を理解してはいない。おおよそ物事を思い通りに運ぶことにやや有利に働く、そんな程度の理解しかない。
「『運命』は引っ張る力です。砂漠で迷っても『運命』の強いものは生きて帰れます。生き伸びられる場所に引き寄せられます。とはいっても必ずというほどでもないくらい曖昧な力ですが、より強い『運命』を持つ者が望めばその結果に近づきます」
「俺の『運命』が強いから、俺がクォリディアを死なないように望めって? そんなので、どうにかなってたまるか。そんな程度でどうにかなるのなら一生祈って引きこもるね」
「僕もそうするね」
少し蚊帳の外に置かれていた質屋が口を開く。『運命』という曖昧なものに命を預ける気になれないのは一緒のようだった。
「『運命』は馬鹿にできませんよ?」
「その力を知るのはいつになることやら……。でもって知るのは万事を尽くした後でいい。少なくともここでじゃない」
「なら万事を尽くすためにクォリディアを助けてあげてください」
「だからそれは俺に言われても……」
何が何でも助けたいという態度に、風月のほうが折れた。
「できたらね」
話がここでひと段落したその時だった。
ズズン、と。大きな揺れに族長を移す鏡は倒れ、風月は不意のことで尻もちを搗き、質屋は素早く膝をついて安定を図る。
「なんだ今の!?」
ほんの一瞬で揺れは収まった。しかしその威力は地震に馴染みのある風月にとってもそうそう経験する規模ではない。
「外でフレイと神域の騎士がぶつかった余波ですね」
「余波ァ!? 仮にもここは『砦』だろっ?」
「あくまでも『視えない砦』です。他の砦と比べたらこんなのはちょっと頑丈な家です」
「……そういえばもともとはお前の家だっけ?」
「はい。それと鏡立ててもらえますか?」
次の揺れに警戒しながら姿見を起こす。
「なんだこれ……?」
姿見はテレビのように別の場所にいる族長の姿だけを映すものだと思っていたが、姿見は先ほどの位置に行くまで族長の姿を映さなかった。
「テレビというよりもむしろ窓のような……」
「しー……」
乾いた木が割れるような音と共に腕を動かし人差し指を唇に当てる族長。思わず鏡の裏を除くがそこには誰もいない。
「これも知られると致命的です。信頼しているからこそ、あなたに直すように頼みました」
何が致命的なのか風月には理解すらできなかった。茜あたりに聞いてみたら何かわかるかもしれない。
「……あれさ、本当に俺が持たないとダメかな?」
ふと、そんな言葉がこぼれた。
差している者は言わずもがな炎熱剣。最初に感じたのはおぞましさ。そして、恐怖。あれに触れられた腕は痛覚の下まで焼けて今では痒み以外に驚くほど何も感じない。それでもあの時の痛みは脳裏に焼き付いて離れない。
「約束が欲しいですか?」
「族長、それは……」
族長の言葉の意味するところを察した質屋が表情を曇らせた。それを風月は見逃さない。
「どういう意味だ?」
「死ななければ助けてあげます。たとえ腕がなかろうと、全身が黒焦げになっていようと生きてさえいれば延命の措置なんていくらでもありますから」
「しれっと何言ってんの?」
だんだんと族長の化けの皮が剥がれ始めた。比較的まともだと思っていた人が実は一番まともではなかったかのような感覚は裏切られたときのそれに等しい。
「あなたにしかできない役割を担ってもらうだけです。エルフにも獣人にも破壊の性質を持っている人はいないので」
「その破壊の性質ってやつもわからないんだよな……。俺からしたらどんなものかわからないし、土壇場で変化して使えなくなったらなおのこと最悪じゃん」
「あなた以外にそんなものを持っている人はいないんです。いうなれば剣気の最も純粋な状態です」
「純粋っていう割には破壊なんて物騒だけどな」
「なら可能性の塊と言い換えましょうか? それで気が済むのなら」
「どっちでもいい……」
どちらにしろ破壊という言葉は似あわない表現だと感じた風月。
「保護、癒し、伝染……、使い手の戦い方の数だけ剣気の性質は存在します。ただ、剣気の最も純粋な姿はすべての性質が混じり合った状態です。相反する剣気が混じり合えば最終的には破壊にたどり着きます」
「……俺もほかの性質になることができるのか?」
「可能です。そして、それこそがこの地に破壊の性質を使える存在がいないことにもつながっています」
「ああ、そうだ。最初の状態が破壊ならどうして使える奴がいないんだ?」
「早い話、武器を壊す前提で剣気を鍛えようとする人間はいないってことだね」
割って入ったのは質屋。
「剣気は鍛錬と才能で身に着けるものだし、その過程で戦い方や徳分野は決まるものさ。最初から目指す場所が決まっていれば剣気の発言前から剣気の性質をコントロールすることは可能だ。弓を使うなら離れた場所に剣気の力を載せられる『伝染』で、武器を使うなら『保護』というふうにそれ以外の性質をそぎ落としていく」
「……一度そぎ落としたら獲得できないのか?」
「同じだけの鍛錬を積めば可能らしいけど、僕はそれをやった人を見たことないな」
「何よりも普通は持つ性質は一つだけです。複数が混ざり合えば異なる性質になりますからね。最初の状態は珍しくありませんが貴重ではあります」
畳みかけられて口を閉じる風月。話から聞く限り風月の剣気が土壇場で変化することは少なそうだ。
「いつ勝手に活性化して暴走するともわからないような代物です。あなたがその手で終わらせてください。幸いなことに、紅い砂漠では延焼しませんから」
「……ちょっと感動しかけて損した。そういうことか。俺が生き残ると思ってないな?」
「そうは言い切りませんよ。ですが、クライシスとは天災と同義です。人の身でそれをどうこうできるとは思いません。だから、生きていれば助けます」
紅い砂漠。何があっても、最悪そこで炎熱剣と心中しろ。
暗にそう言っている。
「……」
「そんな顔しないでください。あなたは太陽を一人で破壊できるつもりでいるんですか? 誰だって不可能だと分かり切っています。今回だって封印という手段しか取れないのがその証拠です」
「俺やっぱお前の事嫌い……」
苛立ちに任せて姿見をはたき再び地面に鏡面が伏すように倒す。
「不可能だとかどうでもいいんだって。だからそういう脅しをするお前が嫌いだ。俺はここで死んだって良い。だけど死にたいわけじゃないんだ。『旅』がしたいんだ」
質屋も族長も風月のその覚悟を測り違えた。もう少し理知的だと思っていたのに、ふたを開けて見れば狂いきっている。死を恐れず、それでいて最良の終わりを探している。
「……死ななければ絶対助けるって? 有効期限のない補償は素敵だ。その言葉、忘れるなよ? ああ、それから……」
質屋は風月に向きなられて肩を震わせる。
「お前、麒麟と通じているんだろ。それをここまで秘匿したんだ」
ある種の確信があった。風月が質屋を嫌っている理由に直結することだが、目の前にいるだけで右手の血縛の契りが痛む。それが四獣とのつながりを示唆している気がしてならない。
それを裏付けるように質屋は何も答えなかった。
「炎熱剣はレルキュリアに回収させておいて。俺はあと一時間くらい休む。少し疲れた」
少しばかりうっとりと眠気に呼ばれて眼をこすりはじめる風月。
その背中をみつつ、質屋が姿見を立てる。
「ひどい目にあいました……」
「族長は関係ないのに……」
ゴバッ。
仮にも砦の名を冠する外壁を破壊し、さらには突き破るほどの衝撃が襲い掛かった。反射的に身を守れるくらいになった風月が見たのは、破片によるものか、はたまた衝撃波によるものかわからないが姿見が粉々になる瞬間だった。
その光景に言いようのない感情、それこそ先ほど倒しただけで文句をっていたのに砕かれてしまって不憫なものを偶然見つけてしまった時を彷彿とさせる。
続いてさらなる衝撃が風月たちを襲った。
それが見えずとも第一席とフレイがぶつかり合ったのだと理解するのはそう難しくない。
地面にダークブーツを突き立ててその衝撃を殺すフレイ。それでもなお、アインスティークの一撃を受けきるのは難しく風月が反射的にその背中を支えてもなお、風月と一緒に地面を下がらせるほどの威力を秘めていた。
これを抑えてなお優位に立っていたヴァーヴェルグのすごさがよくわかる一瞬だった。
「小僧、どっか行っていろ。巻き込まれるぞ」
「グレイ……、その腕どうした?」
ヴァーヴェルグとの戦いで片腕を切断されていたはずだが、全身の刺青をそのままに右腕が完全に復活していた。
「引っ付けただけだ。本調子じゃないが、まあ十分だな」
「――ふんっ、私を相手によくそれが言えたな」
「前よりも弱くなったか?」
灰色の髪をかきあげながら、筋骨隆々の男、第一席の挑発にフレイが答えるように飛び出す。その衝撃だけで地面がえぐれた。
大剣を携えたグレイがそれを迎撃しようとするが、その間に割り込む影があった。
「少し落ち着けぃ」
「――っ」
直剣一本をダークブーツと大剣の間に挟み、そのままお互いの攻撃を逸らしたのは小柄な老人、翁と呼ばれている神域の騎士第十席、タイン・グラス・レイツェーンだ。
「勝手に動いた上に何をしておる?」
「勘弁しろよじじい、ただのスキンシップだ」
「……」
じろりと翁ににらまれて肩をすくめるグレイ。
「『戦人』どのも。ここは矛を収めてもらいたい」
「……ふんっ」
フレイがダークブーツを魔術で収納し、敵意がないことを示す。
風月は第十席を噂程度には聞いていたが、こうも年老いているとは思わなかった。立場は平等であっても、実力は決してそうではない。にもかかわらず最強の名を冠する第一席すらも翁をないがしろにしていない。
女王ですら結構な扱いをしている神域の騎士のこの反応は風月にとってはまあまあ衝撃的だった。
続いて翁は風月に向き直り、右腕をつかむと傷を眺める。すぐに表情を曇らせて白い歯をいー、と見せた。明らかに苛立ちと嫌悪を示している。その顔のまま、部屋に入ってきたレルキュリアに向き直る。
「げっ、十席……。来るなんて聞いてないぞ」
「言ってないからの。で、護衛は?」
護衛どころか何ならちょっと険悪だし敵対もしていた。護衛の仕事は失敗といってもいい。
「……」
「こっちを見るなよ……」
少し眠い風月はレルキュリアを助けられるほど余裕がない。眠気に任せて、与えられた部屋(外に設置されたハイトラの寝床)に向かう。
援護射撃を期待していたレルキュリアの視線が痛いが、それを振り切り外へ仮眠に向かった。
わずか一時間。
そのあとには否が応でも決着がつく。その雨のわずかな時間。妙な一体感があり、すべての陣営が料理を食べたりしているような姿も見受けられた。
「そんなに恨み合ってないな」
クォリディアのいう『憎しみ』が存在しているとは思えなかった。
すぐにハイトラとチビ助が眠っている場所につく。葉と気で簡素に造られていて、そのふかふかの体毛に風月はもぐりこむ。
これが最後かもしれない。旅がここで終わる可能性すらある。それでもなお、漠然とした恐怖すらも懐けずに、微睡みに身を沈めた。




