第四章 22 ∮決別のとき
エルフの本拠地からほど近い場所。
相変わらず森は空まで木々が覆い隠して薄暗かった。その中で、風月たちは火も焚かずにいた。
「今夜だ」
いきなりのレルキュリアの言葉にマントにくるまった風月が振り返る。
「今までいろんな戦場を見てきた。だからこそわかる。第三陣営はもって今夜までだ」
「……なんで今言った? もっと殺気人が集まっていた時に言うとかさ」
「多分、ほとんどの奴は気づいてんだ。それでも口にしないのは、あきらめたくないからだ。でも、あれだけの数が全員床に突っ伏している」
サンクチュアリの惨状は風月も見ている。
「神域の騎士の中じゃ最弱だが、それでも神域の騎士なんだ。私が疲れるくらいの相手を毎日しているわけだ。その規模は大きくなり続けている。それでも弱音は数に戦い続けるアイツらを尊敬できる」
「……助けたい?」
レルキュリアは頷いた。
風月は少しだけ考える。
はっきり言ってしまえば、助ける方法はある。だが、風月はこの手を使いたいと思えなかった。それもそのはず、一歩間違えれば風月もレルキュリアもフレイに殺されかねないからだ。
「……本当に」
一度言葉を切ったのは族長を警戒したためだ。族長から何らかの理由でフレイの耳に入った時、覚悟の度合いによっては今までいい方向に転がってきた場況がひっくり返りかねない。
本気で悩んだ。
この道が正しいのかどうか。
確実に第三陣営の崩壊は防げる。だが、内部分裂を起こす可能性も大いにある。何よりも、その結果として風月は恨まれかねない。そうなればヴァーヴェルグ討伐にも参加しないはずだ。
――その状況で命を預けられるのか?
風月はその言葉を口に出さずに呑み込んだ。それはレルキュリアが『任せておけ』と言い切った体。その言葉を疑うつもりはない。
「覚悟が足りないのは俺のほうか……」
そうして躊躇い、悩み、考え抜いた末に風月は言葉をかける相手を変えた。
「族長。止められるなら、止めてみろ」
覚悟はその一言で決まった。もとより『そういう旅』にすると決めたはずだ。あの男は適当なところまで解決し、その結末に巻き込まれないように逃げ続けた。別れを恐れ、傷つくのを避けるように。その過程で、誰かの手も借りず、人知れず傷ついた。体の傷を恐れず、な兄よりも心の傷を恐れていたようにも思う。風月はその旅をなぞるのをやめたはずだ。すべての結末を見届ける。それが風月凪沙の旅。
「助けるっていうのは、必ずしも感謝されるとは限らない。本当に、いいんだな?」
「分かっている。私は助けられた側だ。最初はオルガを恨もうとした」
レルキュリアは過去に幽閉されている。父親が処刑され、その恩赦で生き延びたが、長い時間を兵の中で失った。救い出したのはオルガだ。
「なら、行くぞ。今から女王の元に乗り込んで、暗殺を決行する」
「……っ」
「フレイも、族長も、アリアも敵に回すかもしれない。それでも、やるぞ」
予想もしていなかった選択肢。心のどこかで風月はその手段を考えていた。絶対に使うことはないと思っていた方法だったが、使わなくてはならない。
「一番上を潰せばエルフたちは散り散りになる。そうしたら、隠れた奴らは自ら出てこないとならない。エルフが対立を止めれば獣人たちがクライシスに対応できる」
「エルフの女王はそこまで弱くないぞ?」
やらないと言わなかったのは、レルキュリアのプライドによるものだ。
「今も力関係を保てているのは、フレイに匹敵するものを持っているからだ。しかもその情報は外に出てこない」
「受容的排他主義……」
ここまで揶揄されるほどの、エルフの秘密主義。エルフの秘薬で寿命が延びるなんて噂もあるくらいだ。フレイに匹敵するほどの力は秘中の秘。しかもCRISIS4から作られた武器まである。たった二人で敗れるほど簡単な状況ではない。
「どうやってクォリディアに近づくつもりだ。囮なら私が――」
「いや、そんな戦法なら、俺がやる。クォリディアに勝つ確率が俺だと低すぎる。囮は俺がやる。やれることすべてやってあいつらを引き付ける」
「私は護衛だぞ?」
「知っている。だから、囮なんて使わない」
今度は面白くなさそうな顔をする。
「本気で言っているのか? 数の多い相手には部隊を割って正面と背後からの挟み撃ちが有効だぞ? むしろ、それ以外の勝ちの目があるとは思えない」
「レルキュリアくらい強ければそうしたよ。陣形を揺らして間隙を撃つ。俺でもそれくらい思いつく。問題は揺らせる時間が少ないことと、相手の戦力が未知数なこと。逃げ回るだけだと、アリアクラスがいたときにすぐに詰む」
「……ならどうやるんだ? 感知魔術の使い手位ごまんといるぞ」
「うへぇ、エルフ全体はフレイとは違った意味で厄介だな。さすがにかいくぐれない」
「本当にできるんだろうな?」
レルキュリアの声に怒気が籠る。コンアつまらない冗談を言うようなやつ出ないことはレルキュリアも知っているが、今回は発言が『こと』で、なおかつ知られている。護衛という立場に徹してきた無神経なレルキュリアも少しだけ気が立っていた。
「できる」
そのうえで笑い名が風月は断言する。
「この地を悩ませていたのは二つ。もたらされた武器。そして未知のクライシス。勝てねえもんはぶつけるに限る」
「さすがに、驚いた……」
変な汗がにじむのを感じながら風月を見る。
「族長に知られた以上速さが命だ。今すぐに砂漠に出て、奴らを引き付ける。日が昇れば消えるから、そこも込みで急ぐぞ」
「砂漠までは此処から半日だぞ」
「ハイトラなら一時間。足みたいに使うのは気が引けるけど、今回ばかりは緊急事態だ。手を借りよう。最初の一体を送り込んでそこからこれが工作する。エルフの要塞は枯れ木だし火をつければ揺動になるだろ」
レルキュリアはこの時すでに、風月を置いていくことを心に決めていた。それは勝つための算段があるだとか、そんな理由ではない。
王都へはすでに連絡をした。神域の騎士はいくら頑張ってもあと一日は来れない。その状況で、どうしろと言うのか。このまま護衛をしていても風月凪沙を守り切れない。これがまだ満足に自立できない子供なら何とかする自信がレルキュリアにはあった。だが、風月凪沙はあまりにも危なっかしい。
これを制御しつつ護衛をして、この騒乱を治めることは不可能だ。すでに神域の騎士一人でどうにかできる事態を大きく逸脱している。ゆえに、その言葉を胸の内に秘めた。口に出せばレルキュリアを置いて一人で砂漠に飛び出しかねないからだ。
「放火ってお前、ロクな死にかた死ないぞ?」
「巨人が来たらみんな飛び起きると思うけどね。まあ、火は目立つように、それでいて人の少なそうなところにつけるよ」
「……呼べ。『一緒に』止めよう」
途端に呼吸が詰まった。風月の返事を待つよりも早く、深く胸の奥深くに自らの言葉が刺さった。
守られることのない約束の重さ。それがそのまま傷の深さとなった。嘘というものに縁はなかった。傷の深さも痛みも知らず、いきなりの傷に顔をしかめそうになった。
これが、赤の他人なら何も思わなかった。だが、風月凪沙という半月も旅を共にした仲間に対する者になると、耐えがたい痛みとなった。
それでも、悟られるわけにはいかなかった。
痛みも、嘘も、すべて覆い隠すように笑みを浮かべる。
風月凪沙のように。
「ああ、やろう」
風月の指笛にハイトラが呼応し、闇の中からチビ助と共に姿を現す。夜になるとその体毛がカムフラージュになり、目の前に現れるまで全く視認できなかった。
レルキュリアはハイトラの目と目の間に手を置く。柔らかい毛に手が沈み込む。優しく撫でるとゴロゴロと低い声が響く。
「ハイトラ、私に力を貸してほしい……」
「……?」
いつもの荒々しい姿とは異なる、慈愛に満ちた光景だった。
「ごめん、凪沙」
また、名前を呼ばれた。
「 」
耳に届いた言葉を脳みそが理解するよりも早くレルキュリアの膝が風月のみぞおちに叩き込まれた。体が浮き、衝撃が風月の芯を容赦なくたたいていく。そのまま地面に転がり、席と共に嗚咽が漏れた。体の奥に何か重大なものが詰まったように呼吸ができない。
「れ、う。きゅりあ……?」
「一緒には、無理だ。護衛として失格だよ。族長、聞いているのなら、フレイにこう伝えてほしい。私が揺動に回る。決着は自分の手で付けろ、と」
レルキュリアが信頼するのは戦士であって冒険者ではない。思えば風月とは反りが合わなかった。
「武器の話は流れるな。「後は、私たちに任せてくれ。『お前』がそこまでする必要はないんだ」
「……」
「ハイトラ、連れて行ってくれ。砂漠まで。この森のすべてを終わらせよう」
レルキュリアがハイトラに飛び乗ると、チビ助を軽く舐めてから走り出していった。風月に寄り添ったのはレルキュリアではなくチビ助だった。
「俺は大丈夫だ」
あっさりと、体を起こす風月。
レルキュリアが手を抜いたわけではない。ここにいれば風月が起き上がったことに驚いたはずだ。
軽くせき込むと、口の中にたまった唾液を吐き出す。
「あの顔は忘れられるもんじゃねえな」
笑顔の裏にあった苦しみ、風月はよく知っていた。無意識のうちに決別を予感して剣気を纏った。数秒は動けなかったが、意識の喪失だけは防いだ。
「チビ助、一緒に来るか? ここからは命の保証は一切ない。俺も自分の命を守るのに精いっぱいだし、逆に言えば俺を見捨てても恨まない。それでも俺についてくるか?」
「みゃう」
「ありがとう」
ハイトラよりも高い声。回復しきってはないがそれでも風月より速く動ける。死ぬことはないと踏んだ。
「まあ、戦場の手前まででいい。道が一人だとわからないんだ。そこまで案内してくれ」
ここに風月とレルキュリアが決別した。
やがて知ることになる。10年以上も積み上げてきた人生を全て投げ捨てて旅を選んだ男、風月凪沙という人間の本質を。
小さな一人と一匹。
弱い一人と一匹。
戦場へ向けて静かに歩きだした。




