第一章 9 ☆強襲
神域の騎士の走力は音速すら超える。馬車が亡くなったのに気付いたアルトは目撃情を頼りに走り続けた。そして、運命の分かれ道。轍がそのまままっすぐ続いていた。
「あの馬鹿野郎っ」
嫌な予感は的中した。アルトは単身魔の山を登り始める。すぐに、その異変は分かった。巨大な影が馬車をこじ開けようとして、後部扉から出てきた御者がそのまま魔獣に掻っ攫われた。
腰に携えた剣に手を掛ける。
「森神、相手に不足なし」
音を置き去りにするほどの速さで駆け抜ける。そして、飛び上がると同時に首を叩き落とすために剣を振り抜いた。だが、森神はそれにすら反応した。馬車から手を離し、そのまま防御する。
ゴッキィィィィンッ。
少なくとも、金属と生身を打ち合わせた音ではなかった。
腕が弾かれてその時ようやく月明かりに顔が照らされて、アルトもその姿を初めて見た。巨大な猩々。真っ赤な瞳と銀色に輝く体毛、これが森神の正体だった。
「チッ、硬いな」
剣を打ち合わせた反作用で、推進力が亡くなったアルトは馬車に入っていった魔獣を真っ二つにするために、防御魔術ごと切断する。しかし、すぐさま魔獣は後部扉から逃げ出した。それを見届けてから着地する。
勘の良さと言い、一撃を避ける素早さと言い、いい加減嫌になってくるアルト。今のが何百と巣食う山が魔の山。その名に恥じない凶悪さだ。
切断した馬車の後部を蹴り倒して内部に入ると案の定あの二人がいた。なんかニヤけているせいで今すぐにこの男をぶち殺したくなる。
「うわぁ、本当に来た」
何を言われても気にしない。アルトはティアが男の背後に隠れているのをしっかりと確認した。
「庇ったことは褒めてやる。言いたいことは他にもあるが、今はここを斬り抜けることが先だ。少し待っていろ」
「男前だなぁー」
「そう思うならなんで棒読みなんだ」
『神域の騎士か』
唐突に皺枯れた声が響いた。
「しゃべる魔物の噂は本当か」
『何百年も前から喋っておったさ。知っている奴が死んでいるだけでのぅ』
「そうか。死なずの魔物というのも本当か?」
『死んだことが無いから分からんわ』
森神の目つきが変化する。興味深そうに観察する無邪気な視線が消えて、アルトたちを睥睨するようになった。
「その大層な口を二度と開けなくしてやろう」
直後、言葉はなかった。森神がノーモーションで踏み込み、アルトへと拳を叩きつけたらだ。だが神域の騎士はその程度では揺らがない。
ヌルリ、という擬音が一番正しいだろう。アルトは拳の側面を適切な剣で弾き、直撃するコースから拳の方を逸らした。地面が抉れ、土埃が舞って、視界を覆い尽くす。返す刀で脇から坂袈裟懸けに剣を叩き込むと同時に、土埃が晴れた。
「私の名はアルト・ウルベルク・ベイルサード。一〇人の神域の騎士の三席を務める者だ。ベイルサードの名は最も巧い騎士に脈々と受け継がれてきた名だ。腕ぐらいは覚悟してもらうぞ」
森神は案の定というべきか、傷一つない。銀毛が数本切断されただけだ。
『ヌハハハハハッ!』
豪快な笑い声が夜の山に木霊する。
『騎士以外のものに正式な名乗りは不要か? そんな甘い考えは捨てるがいい』
森神の怪腕が振り下ろされた。巨体のクセにその速さはアルトに迫るものがある。それでも、攻撃を往なし、その場からアルトは動かない。
「正式な立ち合いがしたければ名乗らせてみせろ」
同時に、破壊音が八度。一秒にもみたいない中で行われた攻防で、アルトは全て後手に回った。大言を吐いたわけではなく、ただティアと風月が邪魔だっただけだ。この場から離れれば容易く魔獣たちに喰われる程度の存在だが、騎士としてティア・ドラクルだけは守らなくてはならない。だからこの場を離れられなかった。
森神もそれが分かっているからこそ、馬車は狙わなかった。むしろ、その逆。
右腕に緑色の光を纏い、地面に勢いよく叩きつけると、その周囲から大量の木が生える。その速度は異常としか言えないほどで、瞬きの内に10人が手を繋いでも囲みきれない太さの木を作り出した。馬車はその成長に巻き込まれ、木のはるか上まで運ばれた。
『これなら暇つぶしにもなろうて』
「……騎士を侮辱するかっ」
足枷が無くなりとうとう攻めに転じるアルト。
腕が振るわれる前に一度。振るわれている最中に往なしながら一度。腕を引く最中に一度。逆袈裟懸けに切り裂いた場所と寸分たがわず同じ場所に三度きりこむ。
これが一秒は八つに分割したうちの一つの時間で行われている。神域の騎士で新米だの若いだのと散々後ろ指さされているアルトですらこの領域にいる。
『小賢しい』
今度は森神の足が茶色い光を放った。踏み鳴らせば地面が爆発してアルトが舞い上げられる。そこに大木と見違えるような腕が鉄杭のような勢いで叩き込まれた。それをやはりいなす要領で刃の側面に柔らかく当てた。そして、地面で往なすときと同じ要領で、今度は自らの身体の方を動かす。そのまま回転し、森神の腕に着地した。だが、回転の勢いを殺す様な真似はしない。
ベイルサードの名は最も巧い騎士、即ち最も技巧に優れた騎士に当てられる称号だからだ。
勢いそのままに森神の腕を掛け出し、赤い眼球へと切り込む。一連の動作は同じ神域の騎士ですら舌を巻くほどだ。だが、それすらも森神はねじ伏せる。
ただ目蓋を閉じるだけで。
渾身の一撃で少しグラつく森神。皮膚に薄らと傷が入るだけでダメージにすら至らない。
アルトはそのことに気付いて舌打ちをすると、目蓋を蹴って距離を取ろうとするが、それよりも早く森神が移動し、アルトは空中に取り残される。ここから地面着地するまで数瞬、無防備な状態となる。
そして闇を枯らすように緑色の光が文字を描き幻想的な光景が広がる。
ボゴォッ。
樹木の側面から、地面から。細い木が生えたかと思えば、山を突き崩す様な大樹へと変化を遂げて、アルトへと襲い掛かる。
数が多く、面で襲いかかってくるのでは、いかにアルトと言えど避けるのは至難の技だった。視界を埋め尽くされ、広がっていた幻想的な光景が闇に覆い尽くされた。




