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旅路


俺は一人、捨てられていた。何人もの人間が見て見ぬふりをしていく中、一人のロクデナシの男だけが俺を拾ってくれた。

男は俺にこう告げる。

 

「よう、少年。俺と一緒に来ないか。行先はこの世界の果てだ。行先は地獄かもしれんが、まあ付き合え」


時間にして一〇秒にも満たない最悪な言葉が出会いだった。

男はどこからともなく戸籍をでっち上げ、偽造パスポートを使い二人で世界を旅した。

世界のいろんな場所で男は詐欺で金を稼いでは人助けをしたりして、俺を育ててくれた。

周りから見ればどこまでも汚い男だったが、俺には男が汚いと思えなかった。いつも困って、あがいてももがいてもどうにもならない人間のために詐欺を働き、だまし、笑いながら解決して去っていく。そんな男が汚いと思いたくはなかっただけなのかもしれない。

もっとも俺のデザートを手に入れるために息をするように嘘をついたときはさすがに汚いと思ったが。

俺は男のようになりたいと思い始めていた。


「お前に詐欺の才能はねぇよ」


何度もイカサマを失敗する俺に男は笑う。

それでもあきらめずに続けて一週間でものにした。すると男は目を丸くした。


「いや、お前に詐欺や騙しの才能はねぇ」


その言葉にひどく落胆したのを覚えている。ただ褒められたいから、男に勝ってみたかったから、それだけのために努力したのだ。


「だが、お前には勝つための才能がある。勝つためにいくらでも努力できる才能が」


時がたつにつれ、俺は旅でいろんなことを見聞きし、糧とした。生き抜くために。

人助け、そんな名目でもこんな生き方をしていれば当然恨みは買った。何度も追われ、死にもの狂いで逃げたりもした。

男は俺に読み書き計算などの基本的な事のほかに詐欺の技術を教えはしたが、実行させることをかたくなに拒み禁止した。その言いつけを守り、俺は男と一緒にいる間は一度たりとも嘘はつかなかったし、騙すこともなかった。最低な状況ではあったが俺にとっても男にとっても、この上なく幸せな日常だったはずだ。

そんなある日、男は切り出した。


「もう頃合いだな。お前はこれからここにある住所に行け。そこで引き取ってくれる」


男と離れることは信じられなかった。受け入れることすらできなかった。


「お前はこれから日の当たるところを見てくるんだ」

「いや、だ。なんでだよ!」

「神様ってやつは残酷でさ。そうなっちまってるんだよ。散々に無理してきたんだ」

「無理なんて知ってるよ。こんな生活がキツイのだって理解してる!」

「そうじゃないんだなぁ」


激昂する俺に男は諭すように優しく話しかけた。


「余命宣告されてすでに八年経ってんだよ。死ぬはずだった日から六年半も生き伸びてんだ」


あまりにも衝撃的な事実に俺は言葉を失った。衝撃的な事が日常の他愛ない話をするようなノリで言われたことにも驚いた。拾われてから八年。死が近づいていると知ってから俺を拾ってくれたのだ。


「あの時は死なんて怖くなかったんだ。だけど、地獄は嫌だから善行でもやってやろうって」


苦笑いしながら話す男は照れ臭そうだった。その顔は弱り切っていたのに、いつもみたいに笑っていた。


「でもさ、この八年間。クソッタレな今までの人生の中で一番幸せだったんだ。何よりも幸せで、そのせいでいまさら死にたくないなんて思っちまってさ。それでももう遅かった。俺に報いを受ける時が来た。ただそれだけのことだ」


この時、俺は人生で初めて大きな選択をしたんだと思う。


「そんなこと、知ってたよ」


瞳に涙をいっぱい溜めて歯を食いしばって泣かないように一生懸命に耐えていた。


「何年一緒に旅したと思ってんだよ!」


その時の男の驚いた顔を、俺は一生忘れないだろう。

初めて見た笑っている以外の顔を。

俺はその二つの顔しか知らないのだ。


「知ってたよ、そんなこと・・・・・・」


生まれて初めて嘘をついた。

ただ一緒にいてほしかったから。精一杯見栄を張ったのだと思う。

こらえることのできない涙が頬を伝い始めていた。


「最後くらい、看取らせてくれよ。ずっと、ずっと、俺はそこにいるから」


それから一週間もしないうちに男は歩けなくなった。

ベッドの横でずっと座っていた。

亡くなるその瞬間まで、後悔を背負いながら。初めてついた嘘の重さを俺は一生背負っていくことになるという確かな予感があった。

男は平然と嘘をついていた。だが、その嘘の重さは決して軽いものではなかったはずだ。

それに耐えていた男を尊敬することはなくても、俺はただ、近づきたいと思った。

そして、余命宣告を受けてから死ぬはずの日を越えて、六年と六ヵ月。男は息を引き取ろうとしていた。

ずっと、謝りたかった。嘘をついていたことを泣きながらでもいい、無様でもいい。ただ謝りたかった。

俺の身にはあまりにも重すぎたから。


「もうそろそろかな」

「な、なあ。その、言いたいことがあるんだ・・・・・・」


精一杯のちっぽけな勇気を振り絞ってそう切り出した。

次の言葉を紡ぐまでにどれだけの時間がかかったのかよく覚えていない。たった数秒だったのか。それとも一時間だったのか。

確かなことは、男が俺の口から言葉を聞くのを待ち続けてくれたということ。


「その――」

「嘘をついたことか?」


キョトン、とあっさりとした静寂が訪れた。


「俺が何年詐欺師してたと思ってんだバーカ。お前なんかに死を悟らせるほどヤキが回ったかと思って焦っただろうが」


男は俺の頭をグシグシと撫でつける。立ち歩くことも困難な病人とは思えないほど力強くて痛いほどだった。


「それに、お前と何年一緒に旅したと思ってんだよ。俺を騙すなんざ一〇〇年早いわ」

「――ごめん、なさい」


口を付いてやっと出た言葉はこれだった。


「嘘をついて、ごめん、なさいっ――」


こんなヤツに、最後まで謝るのが癪になっていた。最後まで素直じゃない男に。

だから笑って言ってやった。どうしようもないほど泣きながら。


「お前はずっとそこにいるって言ってくれたな。だけどさ、お前は歩けよ。俺が見れなかった世界を見て、俺ができなかったことを成し遂げてこいよ」

「うん! うんっ――」


ただ、頷くことしかできなかった。でも、男はそれを肯定したように優しく俺の頭を撫でる。


「その代り、俺がお前のそばにいてやる。いつでも俺はお前のここにいる」


俺の心臓のあたりへ手を添えた。


「俺の見れなかった光景を、俺に見せてくれ。俺の旅は終わりだ。お前にはもう何も見せてやれない。だから、これからはお前の旅を俺に見せてくれっ」


そっと、押し出された。

それが、俺とこの男の旅路の終着点。

男の手に力はなく、認知するまもなく息を引き取っていた。


『よう、少年。俺と一緒に来ないか。行先はこの世界の果てだ。行先は地獄かもしれんが、まあ付き合え』


その言葉から始まった旅は辛くも幸せな道のりだった。

そして、たどり着いた先は――


「……辿り着いた先は地獄の底なんかじゃないよっ。俺が、俺が、保証するから……。俺が、証明するから!」


――男の安らかで、どこか笑っている顔が証明しているのだろう。

ここから俺の旅が始まった。








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