食べること笑うこと
豪華すぎるディナー。目の前に置かれた香しく煌めきさえ放つ豪華な料理たちを前に、ルカは王族って毎日こんなものを食べているのかと卒倒しそうになる。けれど用意してもらった手前、美味しく食するのが礼儀というものだろう。それにマダムコルトンとの地獄のレッスンで身体はくたくた、お腹はぺこぺこだった。
気になるのは食事を用意されているのがルカだけで、ラゼルの姿が見えないことだった。後でまた作ってもらって食べるのだろうか? ルカは侍女のリューシカへと尋ねる。
「ねぇラゼルはご飯、後で食べるの?」
「ああ……ルカ様はご存じではなかったんですね」
「? 何を?」
尋ねればリューシカは複雑な顔をして答える。
「ラゼル殿下はこうして料理をきちんと食べない時があるのです。勿論、本当に時々ですが……」
「ええっ!?」
思わずかかじろうとしたパンを皿に置いて、ルカは立ち上がる。
その反応にびっくりしたのだろう。リューシカはたじろぐ。
「食べない時があるの!? こんな、美味しいごはんを作ってくれるっていうのに?」
「ええ、特に忙しい時は軽食ですまています。……いえ、酷い時は食べないことも。周りの者たちも殿下の身体を気遣っているのですが、なかなか毎日きちんと食べて下さらなくて……」
そこまで聞いて「分かった」と言ってルカは歩き出した。戸惑うリューシカに「ちょっとラゼルのところに行ってくる」と言う。ついでに「料理は冷めてもいいから。下げないでね! あとラゼルの分のご飯も用意してもらっておいて!」と叫ぶように言っておいた。
完全に困惑するリューシカに悪いと思いつつ、ルカはレッスンで痛めた足の靴擦れなど気にせず、大股に、できるだけ早く歩く。向かう先はラゼルが基本的に仕事をしている執務室だ。ルカは気を引き締めると執務室の重厚な扉を一応、ノックする。中から「入れ」とラゼルの返事が聞こえてから、部屋に入る。
「……ルカ?」
どうしてと言うような顔をするラゼルの前にルカは立つ。
そしてルカはダンッ、と両手を机についてラゼルを見据えた。
「ラゼル。今から一緒にご飯食べよう」
「…………」
返ってこない答えに焦れて、ルカは矢継ぎ早に言う。
「忙しいから食べる暇がないって言うのも分かる。だからこれは私の我が儘。ラゼルと一緒に食べたい。少しはゆっくり身体を休めて欲しい」
「…………忙しいんだが」
「うっ、それは、そうなんだろうけど……仮でも婚約者特権でそこをどうにか……」
やることがまだ山ほどあるのだろう。疲れているのも分かるし、忙しいのも分かる。だからこんなふうに我が儘を言う自分が子供じみていて、ルカは情けなくなる。最近気付いたことだが、時々、精神年齢がアラサーから18歳に引き寄せられることがある。今だって軽食だけを置いてさっと立ち去るのがベストの回答だろう。でも、とルカは思う。ラゼルの身体が心配だ。それに、ひとりよりも食事は誰かと食べるほうが美味しい。美味しいし、何よりも身体や心の休息になる。
でも、やっぱり駄目だろうか。
長く、やや重い沈黙に圧迫されて、ルカは項垂れる。
やっぱり発言を撤回すべきだろうか。よくよく考えたらラゼルは優しい性格なのだ。自分がこんなふうに頼み込んだら、仕事を後回しにしてでも頷くだろう。だがディナーに回した時間は後にどっと押し寄せて仕事が積もる訳で。
ルカは顔を上げて、誤魔化すように笑った。
「いや、やっぱり大丈夫! 軽食を作ってもらって持ってくるよ! それじゃあ」
「待て」
ラゼルの言葉に足を止めれば、ラゼルは少し目頭を押さえてから溜息を吐き出した。
今度こそ怒られるだろうか。流石のラゼルも仕事中にこんな邪魔をされたら迷惑だろう。ルカは自分の行いを後悔した。
けれどラゼルは立ち上がると、ルカの腕を引いて歩き出した。いつもゆっくりした、労るようなペースで。腕を引かれるなかで思考が追いつかないルカはラゼルに呼びかける。
「あ、あの、どこに行くの?」
「お前が言ったんだろう? 一緒に食事をとりたいと」
「……怒ってない?」
無理強いするような形になったことにルカが申し訳なさを覚えていると、ラゼルは何故という表情を浮かべる。
「怒る必要などない。仮でもあっても婚約者の願いだからな。それに丁度、少し休憩をとろうと思っていた」
「絶対ウソでしょ? 私が来なかったらご飯抜いてたでしょ?」
「………………」
「沈黙は肯定と受け取るからね。でも、嬉しいなあ」
「嬉しい?」
振り返ったラゼルにルカはへらりと笑う。
「だって好きな人と食べるご飯は美味しいじゃん」
沈黙。静止。
ラゼルの視線も足も全てが止まった。
どうしたのだろうとルカが思っていると、少し前に自分が放った言葉にとんでもない問題があることに気づき、慌てて弁明する。
「ちちちちが、違うの! いや違くはないし、ラゼルのことは人間として好きだけど、恋とかそういうんじゃないから! ごめん変なこと言って。本当にごめん、忘れて。本当に忘れて下さい」
顔に熱が集まり、赤くなるのが分かる。やめろと自分の身体に言ってやりたくなる。こんなふうに赤面したら本当に自分がラゼルに恋をしているみたいではないか! ラゼルとルカの間には恋は生まれることはない。というより、ルカはあくまでラゼルが心から愛する未来の婚約者の「つなぎ」であって、それでしかないのだ。
そう、仮の婚約者。つなぎの存在。
ラゼルのことは好きだ。尊敬もしている。でもだからと言って、恋愛の相手ではない。
そうなのだ、とルカは自分に言い聞かせていると、ようやくラゼルが動き出した。
「……そうか。ならば忘れるよう努めよう」
割とドライなことを言って再び歩き出した。自分で言って自分の心臓が飛び出すかと思った。一方のラゼルは少しも動揺していないようだった。もう冷静さを取り戻している。それはそうだ。仮の婚約者の妄言に惑わされるような青年ではない。
でも、少し期待のようなものをしてしまったのは、何故だろう。
特別扱いのような優しさを、ルカに向けてくれるからだろうか? だとしたら自分は滑稽だとルカは思う。仮の婚約者が一喜一憂するなんて馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
──早く、ラゼルが好きになれる人を見付けないとな。
謎めいた焦燥感が胸の中に渦巻く。国王の具合から考えて急いだほうが良いというのは正しい。けれど、他にも何か、急く理由があるような気がしてならない。けれどそれに目を瞑って、ルカはラゼルへと声をかける。
「ラゼルは本当に優しいねぇ」
「そんなことはない。お前ばかりだ。俺を優しいなどと言うのは」
「それはラゼルが無愛想だからだよ。言いにくいだけ」
「……そんなに俺は無愛想か?」
立ち止まって腕を放してくれたラゼルが少し戸惑い気味にルカへと問う。
ルカは遠慮無く頷いた。
「だから言ったじゃん。もっとラゼルは笑った方がいいって」
ルカは笑ってラゼルを覗き込む。ほら、笑って、と言うように。
けれどラゼルの顔は少しも動いてくれなくて、ルカは苦笑した。
「まぁまぁこれから練習していきましょう。折角きれいな顔なんだからさ。笑ったほうがいい!」
「……努力する」
「良い子だねぇ」
くすくすとルカが笑いながらプライベートルームのほうの食堂の扉を開けると、丁度ラゼルの分の食事が出されるころだった。この時間に突然ラゼルが現れたことに使用人たちは驚いたようだった。もしかしたら侍女のリューシカが言った以上に、ラゼルは食堂を利用しないのかもしれない。それはこれから直してもらわないと、とルカは内心苦笑する。
席につく。ルカの料理はやはり少し冷めていたが、問題はなかった。冷えたご飯なんてものは前世で慣れっこだ。
それより気になったのは、と。ちらりと前方を見る。
予想はしていた。けれど、まさかラゼルと──控えめに言っても割と──距離が遠い場所で食べることになるとは。前世の中でよく貴族たちが長い机で食事をとっていたことを思い出す。あれ、これって寂しくない?
とてつもなく遠い訳ではないが、前世で庶民として生きてきた自分にとってはやっぱり少し、遠い。
「あのー、ラゼル」
呼べば、カラトリーに手をつけようとしたラゼルの動きが止まる。その頭には勿論、クエスチョンマークが浮かんでいる。ルカは眉尻を下げて笑った。
「ちょーっと遠くない?」
「遠い?」
「この机、若干長くない?」
「? 普通だろう?」
「普通」
思わずオウム返ししてしまう。一方、ラゼルは何か逆の意味にとったのか。
「近いのが嫌なら、晩餐会用の食堂があるが」
「違う違う違う。むしろその逆。迷惑でなければ私はもっと近くで食べたいよ」
「……何故」
「一緒に食べてるなーって感じがするじゃん? そうするとさ、ご飯はもっと美味しくなるんだよ」
知ってた? とルカは悪戯っぽく小首を傾げる。
「お前は本当に不思議なことを言い出すな」
「嫌?」
「……別に構わない」
「ありがとう。ちょーっと移動しますね」
ルカはそう言って、まだ食べていない分の皿をラゼルの斜め向かいに置いた。勿論、距離は一人分くらいは空けて。ルカは席について、それじゃ食べようか、と笑う。こくんと頷いたラゼルはちょっと子どもっぽくて、愛らしいなぁとルカは思う。
ラゼルの食べ方は上品で、きれいだった。テーブルマナーがしっかりしているというのもあるが、それ以上に王族らしい気品があった。ただ食べるという行為なのに、ここまで自分と違うと嫉妬さえしたくなる。視線に気付いたのだろう。ラゼルがこちらを見る。
「ラゼルは綺麗な食べ方をするね」
「お前は……本当に美味しそうに食べるな」
「だって美味しいじゃん。でも正直言って、ここじゃない場所だったらもっと雑に食べてるよ。マダムコルトンがいたら鬼の形相で怒るだろうけど」
おどけるように言えば、ラゼルは「マダムコルトンか」と言ってルカに尋ねる。
「マダムとのレッスンはどうだった?」
「初日から地獄だったけど、明日も頑張るよ。ただ課題の量が多くてねー……」
思わずルカは遠い目をしてしまう。
けれどラゼルの視線に我に返って、すぐに「まぁやるしかないんだけど」と誤魔化すように笑った。こんなことで挫ける根性無しだとは思われたくない。幸いラゼルは「そうか」と言うと再び料理に視線を戻した。ちゃんとその口に食べ物が運ばれていく様子を見て安堵する。多忙なラゼルだ。こんな時くらいゆっくり食べて欲しいと思っていると、
「冷めていないか?」
「え?」
「俺より先に食べる筈だったんだろう?」
「あーまぁ。そうだけど。私、冷えた料理も美味しく食べれるから気にしなくていいよ」
「…………」
謎の沈黙をラゼルが呼び込む。どうしたんだろうとルカが仔ヤギのペルシヤードを口に運ぼうとすると、
「待て」
全くもって謎の制止が入る。何だろうとルカが口にしかけた料理を皿に置く。再びラゼルを見ると、一口に切った仔ヤギ背肉のペルシヤードをスプーンに乗せ、こちらに向けていた。嫌な予感がした。
ルカはまだ温かいだろうその子山羊肉を前に、ええっと、ととぼけたふりをする。
「ラゼル。何してるの?」
「食べろ」
命令形である。じっとラゼルの赤い瞳がルカの退路を断つ。けれど流石に、所謂「あーん」をするなんて恥辱でしかない。恥ずかしい。死にたいくらいに絶対、恥ずかしい。けれどラゼルはルカが食べるまでじっと待つだろう。そういう人だ。
ルカはせめてと、どうにか餌付けを回避するべく、ラゼルに言う。
「あーありがとう。それじゃそのスプーンごと貸して?」
「面倒だ。食べろ」
ずいっと唇まで寄せられて、もうルカはお手上げだった。顔はきっと真っ赤になっているだろう。けれど一瞬で終わると自分に言い聞かせ、ルカはラゼルのスプーンに口をつけて子山羊の肉を口に含んだ。するとラゼルは満足したようにスプーンを引いた。微かにだが、笑っている。なんで笑っているんだよ! と声を上げたくなる。そのくらい恥ずかしくて、もう食べているのか何だか分からない内に飲み込む。それをまじまじと観察していたラゼルが口を開く。
「顔が真っ赤だが大丈夫か?」
「大丈夫じゃないです」
ルカは即答する。今だって心臓は早鐘を打つし、居たたまれないくらい顔は真っ赤だ。するとラゼルは表情を曇らせ、食器を静かに置いた。
「そんなに嫌だったか……あたたかいほうが美味しいかと思ったんだが……」
美味しくなかったか、とラゼルは言う。ルカはそこでラゼルが盛大な勘違いをしていることに気付く。
あったかいから美味しい。だからルカにも食べさせてあげた。だがルカがそれを「美味しくない」とラゼルは解釈したらしい。肩を落とすラゼルの非常に珍しい姿に、ルカは慌ててフォローする。
「嫌じゃない、そうじゃないから! ただこんなの初めてで恥ずかしかっただけで、ちゃんと美味しかったから、だからそんな顔しないで」
「……そうなのか?」
「そうだよ。安心して。大丈夫。全然大丈夫だから」
「だがさっきは大丈夫じゃないと言った」
「う……それは、違うというか……反射的に言ってしまっただけで、本当に美味しかったし、基本的にラゼルにされて嫌なことはないよ」
その発言にラゼルは目を丸くする。あ、やってしまった。また反射的に言ってしまった事にルカは気づき、慌てて訂正しようとするが、「ラゼルにされて嫌なことなんてない」という発言に対し、何と訂正すればいいのか分からなかった。嫌なこと、嫌なこと、と必死に頭を回転させてようやくルカは答えを出す。
「あ、そう、その、例えばさ。暴力をふるわれるとか、暴言を浴びせられるとかさ。そういうのは嫌だな。うん」
「それ以外だったら嫌じゃないのか?」
赤い綺麗な瞳がじっとルカを見詰める。その視線に気を取られていると、何の前触れもなしに、すっとラゼルの手がルカの指先に触れる。心臓の音が一気に跳ね上がり、ルカは手を引こうとするが、それをしたらラゼルが可哀想な気がしてされるがままにする。
ラゼルはルカを見詰めたまま、触れた指先から根元まで絡ませるように撫でては、手の甲をさらりと優しく、もどかしいくらいの力で触れる。落ち着いてきたはずの熱が再びルカの中で湧き上がってくる。なんだこれは。これじゃあ、まるで恋人同士の触れあい方じゃないか。ラゼルの真意が全く分からない。表情を伺うと視線がばっちりとあって、気まずさから視線を落として、口を開く。
「あ、あの……ラゼル、一体何をしているのかな……?」
「……これも嫌か?」
ラゼルがルカの表情を伺うように見る。ラゼルの漆黒の髪がさらりと揺れた。
「俺に触れられるのは、嫌か?」
「あ……」
返す言葉が浮かばない。
笑って誤魔化すように嫌だと言うべきなのか。いいよと軽く許すべきなのか。どちらにせよ、軽く流してしまう。それが仮の婚約者のすべき対応なのだろう。
けれどルカの視線はラゼルの視線に射止められて動けない。ラゼルの問いが本気なのか冗談なのか。分からずに答えに惑っていると、すっと手が引いた。簡単に引いたその手と、ラゼルを交互に見遣れば、くつくつと小さくラゼルが笑っていた。
「すまない。からかっていた。だがお前も女なのだな。表情をころころ変えて面白かった」
からかっていた。
その一言にふつふつと怒りが湧いてくる。笑っている姿は嬉しいが、人で試すのがタチが悪い。
「……ラゼル。今度こんなふうにからかったら絶対許さないからね……」
「悪かった。今度するときは本気でするとしよう」
「本気は駄目でしょ」
「何故」
「だって私は仮の婚約者じゃん。本気になったら駄目。ラゼルにはもっと相応しい人がいるんだから」
そう言うとルカは残った料理を全て胃の中に詰め込んだ。そして立ち上がろうとする──が、それはやめて座り直す。食事を続けていたラゼルがそんなルカの行動に疑問を投げかける。
「どうした? 食事は終わったのだろう?」
「ひとりで食べるのは寂しいじゃん」
「そうか?」
「そうだよ。食事しながら、今日はこんなことがあったとか、そういうのを話すのが楽しいんじゃん。ついでに、ご飯も美味しくなる。一石二鳥ってやつだね」
ぱっと花が咲くようにルカが笑うと、ラゼルが食事の手を止める。
「今日あったことを話すのか?」
「そう。私だったらマダムコルトンの授業がいかに厳しかったとか、ご飯美味しかったなーとか、色々」
「……俺の一日を聞いても面白くも何ともないぞ」
食事を再開するラゼルに、ルカは苦笑する。
「面白い面白くないじゃないんだよ。だからさ、試しに話してみてよ。ラゼルの今日あったこと」
「今日あったこと、か…………」
ラゼルは沈黙のあと、ようやく口を開く。
「朝はまず、各部署に報告すべきことを上げるよう指示し、上がってきた報告書に目を通したあと疑義がある箇所を4つほど見付けた。そのため業務顧問に説明させ、正しく訂正を入れさせた。それから軍部から国境に異常がないかの報告と鑑査、昨日起きた犯罪行為及び容疑者のリストとそれに合った刑罰、刑期の可否を決めた。それから被害者及び遺族への慰問し、窃盗の件は被害額を補填し、殺害の件は裁判所への出廷の可否を聞いた。また昨日を含むこれまで起きた犯罪関連のデータを算出し、街の警護の増強及び人員の増強を調整していた。それからは……確か学院から他国への留学助成金を金融部との会議、孤児院から学院への入学費用の負担をどの費用から削り捻出するのか考えた結果、爵位税の2%から5%の引き上げで様子を見ることにした。これは侯爵から伯爵までの財政状況を鑑みて近日、執行する予定だ。勿論貴族たちの内、反発を起こす家もあるだろう。その場合は爵位税の引き上げを再度検討する必要があるので、その対応策はまだ検討の余地がある。それから幼熱病の薬価を下げる為、薬術部を視察し特効薬に含まれるケミドロチンの含有量の調整、若しくはケミドロチンに代わる物質の──」
「ちょっと待って」
「どうした」
きょとんとした顔をするラゼルに、ルカは重い溜息を吐き出した。
「……もしかしてと思うけど、慰問とか特効薬の調整とか、全部ラゼルが関わってるわけ?」
「そうだが」
「実際、調合することも?」
「調合はないが成分の調整や現存する成分での合成等を指示をすることはある。薬術部顧問でもあるからな」
「王子様が薬術部顧問」
「そうだ」
「…………」
「どうした押し黙って」
それは閉口するほかないだろう。
今ルカは完全に、改めて理解した。
この国は完全にほぼラゼル一人によって保っている。勿論それを補助する人たちは多いだろうが、中核にいるのはラゼル一人だ。ラゼルがぶっ倒れたら、ラゼルのように優秀な人材──言い方は悪いが超優秀社畜──が現れない限り、この国は崩壊する。いや、崩壊とまではいかないが、こんな平和が保たれる訳ない。だからラゼルは、部下がやるようなことでも、必ず自分の目で見て思考する。
でも、それは──あまりにも背負うものが大きすぎないか?
たとえ王族だとしても、まだ22歳の青年なのに。
ルカは食事を終えたラゼルの手をぎゅっと両手で掴む。突然のルカの行動に、見開かれた赤い瞳には、ルカがはっきりと映っていた。
「ラゼル。気持ちは分かるけどさ、人はそんなに万能じゃない。ラゼルがちゃんと自分の目で見て、自分の国を守ろうとする気持ちは尊敬する。多分それはみんな、そう思っている。でも考えてみて。言った通り人は万能じゃない。神様なんかじゃない。今は確かにこの国は平和で、みんな幸せに生きている。でも、あなたがいなくなったら? あなたが倒れてしまったら? 誰が舵を取るの? ……責めている訳じゃないよ。むしろさっきも言ったけど尊敬してる」
ルカは少しでも自分の思いが伝わればいいと言葉を継ぐ。
「ただ私は……陳腐な言葉だけど、心配なんだ。ラゼルのことが心配だし、でも、何もできない自分が情けない。それでもラゼルが望んでくれるなら、自分の気持ちを吐き出して。嫌だったことも辛いことも全部聞くから」
「……それは……仮の婚約者だからか?」
ルカはその言葉に少し考えたあと、首を振った。
「立場なんて関係ない。一人の人として、あなたの力になりたい。それだけ」
深いマリンブルーの瞳でルカはラゼルを見詰め、ラゼルの冷たい手をあためるように握った。
ラゼルにとって、ルカは確かに仮の婚約者に過ぎない。それは変わらない。
ただルカは目の前のラゼルが──王族でもなんでもない、一人の人間としてのラゼルの力になりたかった。無力なのはもう、嫌だ。大切な死んでいく人をただただ何もできずに見るのは、もう嫌だった。
「お前は」
ぽつりとラゼルが口を開く。
「強いのか弱いのか、よく分からない女だな」
「どちらでもないよ。どちらかというと、何も出来ないから弱い、のかな?」
「いや」
ラゼルの手が伸びて、ルカの髪を撫でる。ラゼルの赤い瞳はどこか、優しいのに、辛そうだった。
「何も出来なくても、いい」
「ラゼル……?」
「お前は十分頑張っている。だから弱くてもいい。弱さを見せろ」
優しく撫でられていると何だか泣き出しそうになって、ルカは笑顔でそれを押し込める。
「ありがとう、ラゼル。私は大丈夫だよ。迷惑かけずにこれからも頑張ります!」
「そういうところだ」
「どういうこと?」
ラゼルはルカの髪を梳くのをやめると、じっとルカを見詰めた。
「──お前は、どうしていつもそうやって、笑うんだ」
その問いに、ひゅっと喉が鳴りそうになる。喉奧が凍り付きそうになる。
けれど大丈夫だ。こんなことで揺らぐ自分ではない。ルカは眉尻を下げて笑う。
「いつも笑ってなんかいないよ。ただ、暗い顔をしているより笑っている方が良いじゃん? それだけ」
「……本当に?」
ラゼルの問いに笑顔で頷く。
「本当にそうだよ。ラゼル、変なところで心配性だなぁ。……あ、食事も終わったしもう出ようか。ラゼルまだ仕事あるでしょ? 私はもう地獄のレッスンから解放されたし、何か手伝えることある?」
それとなく話題を変えていけば、ラゼルの表情がようやくいつもの無表情なものに変わる。良かった、とルカは内心安堵する。
「いや、初めてのレッスンで疲れているだろう? ゆっくり休め」
「えー、体力には自信あるんだけどなぁ」
正直身体はくたくただったが、ラゼルも同じだろうと思って言ってみる。けれど案の定、ラゼルは首を振る。
「いい。レッスンは明日もある。ゆっくり休め」
「うーん、まぁそうだね。ありがとう。お先に休ませて頂きます!」
「部屋まで送る」
「大丈夫。子どもじゃないんだから迷子にならないよ」
それじゃあと言ってルカはラゼルから少し逃げるようにラゼルと別れた。疲労が溜まった足で、気付かれないように、けれど逃げるように早くルカは廊下を歩く。今、誰かに会ったら余裕ある態度ができそうもない。「崩れて」しまう。それは駄目だ。
ルカは部屋に辿り着くと、急いで扉を閉めた。ひとりきりになって、ようやく落ち着き、息を吐き出す。心臓はまだ早鐘を打っていた。小さく、はは、とルカは笑う。ラゼルは本当によく見ている。困ったな、とルカは思った。
────お前は、どうしていつもそうやって、笑うんだ。
その言葉が頭の中で反響する。
どうして? だって笑っていたほうが幸せに見えるじゃない。笑っていたほうが皆、安心するじゃない。笑っていたら誰からも嫌われない。捨てられない。平気だと自分を瞞すことができる。
ずっとそうしてきた。
どんなときも強くなれる気がした。
ルカはふうと長い溜息を吐き出した。
脳裏に、ラゼルのあの何もかも見透かすような目を思い出し、怖い、と思う。
ルカは「嘘」の面を被っている。それは前世と同じだ。いや、前世がそうだったから今世でもそうなってしまったのかもしれない。辛いことも悲しいことも沢山あった。けれどルカはそれを笑顔という嘘で塗り潰してきた。
だって、自分がそう振る舞っていれば、みんな幸せじゃないか。
ルカはラゼルのあの、綺麗な瞳が怖い。
いつか自分の嘘を暴きそうで。
ブクマ、評価ありがとうございます!またブクマ、評価頂けると嬉しいです!次はおそらくラゼル視点です。




