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甘やかさの中にスパイスを

今回も長いです。すみません;;


 ルカとラゼルが喧嘩したのは突然のことだった。

 喧嘩のきっかけは、「ラゼルがまた食事と睡眠をサボり始めている」というものだった。


 外交や何やらでグラムに押しつけていた仕事は、流石のグラムでも全て片付けることができなかったらしく、ツヴィンガー王国から帰ってくるなり「ラ~ゼ~ル~」という死んだ顔で詰め寄ってきた。その目にはくっきりとクマがあり、明らかにいっぱいいっぱいだった。

 それでも無慈悲にラゼルはグラムを元の軍事部へと追い返して仕事に戻すと、ラゼルは外交の後だというのにすぐに執務室へと向かった。執務室は書類の山ができており、ラゼルはそれを見て溜息を吐き出す。一緒に見に来たルカも顔を歪めるほどだった。


「そ、その……資料の整理でも、手伝おうか?」

 

 決して乱雑としている訳ではなく、懸命に、各部署の職員も整理しようとしていた気持ちだけは伝わってくる。けれど部屋がカオスなのは変わりがなかった。これでもグラムは大分処理してきた方だったらしい。


「いや、お前は休んでいろ。疲れただろう?」

「ラゼルは……」

「その暇はなさそうだ」


 ラゼルはデスクにつくと早速山になった資料へ手を伸ばし、凄まじいスピードで目を通していく。そしてその資料へとサインをし承認の印を押す。次の書類に手を伸ばすと難しい顔をして、トントンと指で机を叩き、問題箇所へとペンを入れていく。それから今度は辞典のように分厚くファイリングされた、受刑者リストを手をとった。どうやら最終確認として刑罰、刑期及び犯罪経歴等をチェックしているらしい。そういったファイルが積みかさなっており、その上に、分厚い書類の束も重なっている。地獄だ。

 どう見ても声をかけない方がよさそうだ。頑張ってという言葉さえも口にできず「それじゃあまた……」というふうに声をかけると、ラゼルはルカを見ないまま「ああ」と答える。ルカは扉を閉める。閉めて、目の前に各部署の職員が列をなしているのを見て、くらりとしそうになる。そのまま列を退いて思った。どうかラゼルを殺さないでくれ。


 ルカは覚束ない足取りで自室へと戻ると侍女のリューシカが「ルカ様、お疲れでしょう? お茶でもどうですか?」と労ってくれる。ルカはお茶をお願いと言うと、椅子に腰掛けて溜息を吐き出した。決してアクアフィールにいる政府機関が悪い訳ではない。ただ、ラゼルが優秀なあまり誰もが頼ってしまうのだ。頼らざるを得ない理由は、ラゼルが常に的確な指示をし、正しい判断を下すからだろう。職務怠慢というわけではない。むしろアクアフィールの政治に関わる人間は優秀な人間ばかりだ。だからこそ犯罪率は他国に比べて極めて低く、他国に頼らない農業改革も施行され、孤児やホームレスの問題改善にも積極的に取り組むことができている。

 平民は日用品店や食料店、貴族は大規模なエンターテインメント施設の建設など、それによってお金も正しく回っている。前世も居心地は割合良かったが、アクアフィールの方がずっと暮らしやすく感じる。自然が残り、人々の温もりもあり、かといって不便だと思わない。これも偏に政府と、その頂点に立つラゼルのお陰だ。


 お陰なのだが。


「ルカ様……顔色が優れませんね。外交で余程疲れたのでは」

「いや……私よりラゼルが今地獄にいるんだなぁ……」


 何かできることがあればいいのに。

 溜息が何度も出てしまう。何でラゼルはこんなにも色々なものを背負っているのだろう。魔力の件だけじゃなく、政治まで。王族にとってそれが普通なのかもしれないが、このままラゼルだけに頼っていては大問題だ。

 改革しなければ、とルカは思ってしまう。各部署で決めた決議書をラゼルに提出する……ところまで考えて結局「ラゼル様どうでしょうか?」の一言が来るので、ラゼルが苦労する羽目になるのだろう。

 そもそも政治にだけは疎いルカなのだ。自分が考えられることだったら、とっくに誰かがやっている。王太子妃として何が出来るのか。ツヴィンガー王国との外交では綱渡り的ではあるが、こちらが求める条約を締結することができたので「可」といえよう。


 何かしようか。お茶を飲みながら考える。けれどもう鎮静剤作成に精を出す必要も無い。図書室へ行って本を貪るように読んでも役立つか謎だ。できることは月1回のピアノリサイタルだが、それだって月1回だ。ルカは空になった茶器を手にリューシカへと訪ねる。


「ねぇリューシカ。私、王太子妃として何ができるかなぁ」


 リューシカは美しい茶器でお茶を注ぐと、そうですね、と首を傾げる。


「ルカ様のお好きなことをすれば良いと思いますよ。それとも、またマダムコルトンをお呼びしてレッスンでも」

「いやー、それ以上は聞きたくないー」


 マダムコルトンのことは好きだ。けれどあの地獄のレッスンは嫌だ。今度はどこの難解言語を学ばされることか。世の中の王族妃は一体何をしているのだろう。全く分からない。

 

「そういえばルカ様。今度また舞踏会があるそうですね。ルカ様とラゼル様の結印式を祝って」


 舞踏会。その言葉に時が止まる。貴族の令嬢達に水をぶっかけた事件。あの事件が脳裏を過り、益々舞踏会に行きたくなくなる。けれど王太子妃になった今、行かない訳にはいかない。


「リューシカ。舞踏会っていつだったっけ?」

「2週間後です。季節もすっかり冬めいた事ですし、雪でもちらちらと降れば綺麗なんでしょうね」

「確かに……セレンの光であちこち輝いて、雪も色づくしね。それをぼーっと見るだけなら楽しいんだろうけど」


 それからリューシカが部屋を出て、ベッドに転がっているといつの間にか午前0緒時になっていた。

 1日の終わりにまだ明かりが灯っている執務室を覗き見ると、部屋を埋め尽くしていた書類の6分の1ほどが消えていた。


「ルカか」


 書類にサインと捺印をしながら、ラゼルは言う。その視線はルカではなく書類に向けられたままだ。ルカは恐る恐る訪ねる。


「えーっと、今日のご飯は……?」

「取る時間がなかった」

「…………」


 本来ならここで叱るべきなのだろう。なにせ以前、ラゼルが過労で倒れた時に「絶対に一食は食べる」と約束したのだから。けれどこの地獄の量の書類と、新たに今日もやってきた相談などなどを考えると、食事する暇がないのも当然だ。

 ラゼルの健康と、仕事との天秤がぐらぐらと揺れる。けれどまだ見守ることにしよう。


 翌日。

 

「ラゼル、お腹は空いてない?」

「ああ」

「そっか……」


 もうそれ以上いえなかった。完全にラゼルの意識は財政についての問題に没入している。これは駄目だ。これでは睡眠すらも怪しい。でも今、こうしてルカがここにいる自体、仕事の邪魔をしていることになる。

 ルカは寝室まで戻った。

 

 そしてその翌々日。


「ラゼル。難しいことかもしれないけど……少しでも食べて、寝てね。それじゃあ、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


 生きる機械のようにラゼルは仕事をしたまま、ルカへとおやすみの挨拶だけする。苦笑いしつつルカは執務室を出て、私室へと辿り着いた。自分だけふかふかの、寝心地の良いベッドに転がる。何となくラゼルが仕事をしている姿が過って、起きていないとという気になるが、どうしても眠気には逆らえない。おやすみラゼル、と呟くとルカは目を閉じた。



 それから毎日ラゼルの業務は続いた。たまり混んでいた仕事は着々と減ってきてはいるようだったが、ルカが顔を出しても、ラゼルは「ルカ」とか「ああ」とかすら言わなくなった。ルカがお茶や軽食を用意しても無視。少しは寝たら? という心配にも「そうだな」としか答えないし結局しない。ルカに構っている暇など全くないようだった。寂しくは思った。けれどそれよりも嫌な予感と不安が大きかった。

 ラゼルのたまっていた仕事が四分の一ほどになった時、ルカはこっそり執事のロイに尋ねた。


「あの……ラゼルの食事と睡眠はどうなってます?」


 ロイは非常に言い難そうにしていたが、こっそり教えてくれた。その内容を聞いて立ちくらみしそうになる。


「やっぱり不眠不休……そして口にしても水かお茶……」

「ええ……私からも何度か言ってみたのですが……まるで聞こえていないようで」

 

 実際聞こえていないようなものだろう。今のラゼルの聴覚に反応するのは執務のことだけだ。ルカは頭を抱えた。ハードワーカー再びである。色々と溜まってしまった仕事をこなすのは仕方ないと思って見守ってきたが、流石にこのままでは駄目だ。

 ルカは隙間を縫って執務室に入る。


「ルカか」


 やっぱりラゼルはこちらを見ない。その白い肌の目にはクマができており、明らかにやつれていた。それを見て目眩がしそうになる。過労死まっしぐらだ。ルカはラゼルの机の前に立つ。ようやくラゼルが顔を上げるが、視点がいまいち合っていない。ろくに寝てない証拠だ。血の気もない。

 ルカは長い溜息を吐いたあと、仕方ないと心を鬼にして言った。


「ラゼル、忙しいのも分かるけど前、約束したでしょう? 少しでも睡眠と食事はとるって」

「……ああ」

 

 溜息と共に、またラゼルの視線は机に置かれた書類へと戻る。どうしたものか。困り果てているところに、またどこかの部署の職員が来ようとしたので、強制的にルカはその扉を閉めた。その音に気付いたラゼルが、眉根を寄せる。


「ルカ。何をしている」

「寝て。10分でもいいから」


 そう告げるとラゼルは困り果てたように溜息を吐き出した。


「ルカ。すまないが、今は余裕がないんだ」

「分かっている。でも前みたいに倒れたらどうするの?」

「大丈夫だ。それよ早く次の仕事に取りかからせてくれ」


 やや鬱陶しげに言うラゼルにルカは退くわけにはいけないと思って言う。


「それなら水以外のものを口にして。何も食べないなんて駄目だよ」

「後で取る、今は仕事に集中したい」


 うんざりしたようにラゼルは溜息を吐く。ルカが話しかける度に溜息の連続。そんなラゼルにルカは段々と苛立ちを覚えていく。確かに忙しいのは分かる。だからといって心配しているこっちの身にもなってほしい。しかもその、「仕事の邪魔するお前にうんざりしてます」的な態度が気に食わなかった。そうしたらもう言ってしまっていた。


「私が心配しているの分かってて、そんなこと言うの? それとも分かってない?」


 すると赤い瞳が漸くルカを見上げた。やや、苛立った目で。


「理解している。だが今日中に終わらせないといけないことがある」

「その今日中はいつまで続くの? 今日がが終わったら明日中でしょう? 何度も言うけど身体壊すって」

「これが王太子としての務めだ。お前も理解しているだろう?」

「理解している上で言ってるの。寝るとか食べるとか、少なくとも10分くらいならできるでしょう?」

「……お前に何が分かる」


 ぼそっと溜息と共に呟いたラゼルの一言で、ルカの怒りは瞬時に燃え上がった。何だこいつ。


「あーあーそうですね、私には分かりませんよ。私はラゼルと違って無能な王太子妃ですから?」

「別に無能とは言っていない。ただお前は俺に構わず大人しくしていろ」

「構わないで大人しくしていろって? 遠回しに邪魔だって?」

「……いい加減にしろ、ルカ。こうしている間にも仕事が溜まっていく。悪いが出て行ってくれないか」


 その言葉がとどめだった。もう我慢がならず、ルカは執務室の扉を乱暴に閉めると外に出た。何だあいつ。あの若造が、と思いつつ、その若造に本気で怒っている自分もなかなか大人げない。こっちは寂しいのも我慢して、心配だってしているのに、人の心配なんてまるで無視だ。

 ルカは足を止める。


 決めた。

 絶対に、謝るまで口を利いてやらない。


 そう決めてから、舞踏会の日が訪れるまでルカは怒りをまき散らした。





 舞踏会とは本当に鬱なものだ。それに加え、鬱な対象が隣の席に腰掛けている。王太子ラゼル・アクアフィールだ。今日もその美貌で、あらゆる女性を虜にしていたが、頭の中は仕事のことで一杯なのだろう。祝辞が終わるとルカはすぐに椅子から立ち上がってラゼルから離れた。遅れて立ち上がったラゼルが「ルカ」と言うが、知ったこっちゃない。ルカは完全にラゼルを無視して、貴族の女性の輪に入って会話に花を咲かせたり、声をかけてきた男性にも王太子妃らしく振る舞って、談笑した。

 けれど元々、こういった集まりは苦手なのだ。もう自室に戻りたくなってきた。けれど王太子妃という手前、そんなことはできない。何かすることはないだろうかと歩いていると、不意に背後から肩を叩かれる。振り返ると見たことのある美青年──フィルドント王国のシルヴァービナ王子がいた。鮮やかなブロンドと、ブルーアイズ、端正な顔つきは矢張りこういった場所でも目立つ。理想の王子様、という感じだ。


「シルヴァービナ様」

「おや、名前を覚えて下さっていたのですね。光栄です。ですが以前お約束したように、私のことはシルヴァと及び下さい」


 明るい声音でそう言うシルヴァは、ラゼルとはまた違ったタイプの美形だ。贔屓目なしに見てもラゼルの方が美形なのだが、シルヴァはそれをカバーする明るさと柔軟性を持っている。女性とも男性とも、うまく付き合えるタイプの青年だ。


「ルカ様は先日、ラゼル様と結印式を挙げられたそうですね。おめでとうございます。今日もお美しい。青いドレスがよくお似合いです」


 ラゼル。今、全く聞きたくない単語が出てきたが、どうにかルカは笑って「ありがとうございます」と感謝する。それを見たシルヴァは何か不思議

そうにルカを見た。


「あまり機嫌が宜しくないようですが、何かあったんでしょうか?」

「そ、それは」


 鋭い。まさか直球で聞かれるとは思わず言葉に詰まってしまう。そんなルカを見たシルヴァは優しく微笑む。


「いえ、お答えしなくても良いのです。ただ心配になって」


 心配。これも今聞きたくないワードの一つだった。つい、気分が落ち込む。落ち込んだのと、シルヴァの優しい雰囲気につられて、つい口にしてしまう。


「……実は、喧嘩をしているんです」

「喧嘩? ラゼル様とですか?」

「はい。あ、これ他の方には秘密ですよ」


 慌ててルカがそう付け足せば、くすりとシルヴァは笑う。


「安心してください。誰にも言い触らしたりはしませんから」

「ありがとうございます。優しいのですね」

「そんな事はありません。ただルカ様が悩んでいるように見えたので。もしよければ喧嘩の内容をお聞かせ頂けますか? 何かアドバイスできることがあるかもしれません」


 どこまでも優しく、包容力のあるシルヴァにそう言われると、これまで溜まっていた鬱憤を口にしたくなる。ルカは少し迷ったあと、口を開いた。


「大した内容じゃないんです。ただラゼル……様がお忙しくて、私なりに心配して色々言ったところ口げんかになってしまって」

「相当心配されたのですね。ルカ様はお優しい方だ。寂しい思いもしていたのではないですか?」

「……正直言って、寂しいとも思いましたが……多忙な事は知っておりましたので」

「そうですか……寂しいと直接ラゼル様に言った事は?」

「ありません。そんな事を言ったところで、どうにかなるものではありませんから」


 ルカが苦笑すると、そっとルカに近寄ったシルヴァは温かい声音で言う。


「本当にお優しい方だ……私なら貴女にそのような寂しい思いはさせないのに……」

「シルヴァ様。優しいお言葉、ありがとうございます。話を聞いて頂いて、少しすっきりしました」


 二人は笑い合う。シルヴァが女性に人気なのも分かるな、とルカは思った。細やかな気遣いや、柔らかい表情がきっと女性を虜にするのだろう。ラゼルとは全く違う。別にラゼルが劣っているわけではないのだが。

 やがて音楽が流れ始める。誰と踊るべきか。勿論、ラゼルと踊るべきなのだろう。幸い舞踏会は貴族でも王族とダンスすることが許されている為、絶対にラゼルと踊る必要はない。ただしその場合、貴族の間で「不仲なのだろうか」と噂を立てられる。

 現在進行形で不仲ではあるのだが。

 しかし誰と踊ろうかと思ったところで、すっとシルヴァが手を差し伸べる。シルヴァはまるで王子様のように微笑むと、ルカへと言う。


「よろしければ一曲、私とダンスのお付き合い頂ければ嬉しいのですが」

「……はい。私で宜しければ、是非」


 内心ほっとする。ルカはシルヴァの手を取ると、優美な音楽と共にダンスを始める。シルヴァのダンスは女性を労るように優しく、その目も愛しいものを見るような目をしていた。ルカが踊りやすいようにしてくれるシルヴァに、きっとときめかない女性はいないだろう。ラゼルは、した事はないがダンスだって得意だろう。あの美しい人と踊ることができたら、と思ったところで、また苛立ちがでてしまう。

 そんなふうに考え事をしてしまった所為か。シルヴァの足を僅かに踏んでしまう。マダムコルトンがいたら大説教ものだっただろう。すぐにルカは謝罪する。


「申し訳ありません。痛かったでしょう?」

「いえ。お気になさらず。……今は私のことだけ考えて」


 そっと耳元で告げられつい赤面してしまう。甘くこんな風に言われて落ちない女性はいないだろう。ダンスの中で不意にシルヴァが言う。


「ルカ様。もしもの話なのですが……私と一夜だけ、恋に落ちてみませんか? 貴女のように魅力的な方と朝まで語らえたら……と夢見てしまったのです。いえ、一晩だけでなく、どうか我が国フィルドント王国に来て下さいませんか?」


 そう言ったシルヴァの手が微かに強くなる。まるで逃がさないというように。ルカはくすりと苦笑する。


「シルヴァ様。その申し出は大変魅力的に思うのですが、私にはラゼル様がいます。冗談はお止め下さい」

「冗談ではないと言ったら?」

「え……?」

 

 ルカの目を見詰め、低く甘い声音でシルヴァは言う。


「ルカ様。私は初めてお会いした時からずっと──」

「シルヴァービナ王子」


 会話を引き裂くように入ってきたのは、ラゼルだった。

 無表情だが明らかに不機嫌な様子だった。丁度、曲が終わる。シルヴァの手が離れていき、シルヴァは微笑みながらラゼルへと挨拶をした。


「ラゼル様。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。この度はルカ様との結印式、おめでとうございます」

「……シルヴァービナ王子。此度は来賓頂き、有り難く思います」

「いえ、こちらこそお招き頂き光栄です。それにしてもラゼル様。ルカ様のような素敵な女性とご婚約された事を羨ましく思います。ルカ様は優しく、聡明な方です。私も早くルカ様のように素敵な女性と出会いたいものです」


 シルヴァは微笑みを保ったままラゼルへと言う。ラゼルは「そのような女性と出会える事を祈っております」と言うと、ルカの手を掴みシルヴァから引き離した。シルヴァは「それではまた今度」と言うと立ち去る。再び音楽が流れ出し、ラゼルは強制的にルカを捕まえてダンスをする。予想通り、ラゼルのダンスは完璧で、意外にも女性を気遣うように身体を合わせていた。

 だが、今のルカにはそんなことは関係ない。無視するという決意は揺るがない。


「ルカ」

「……」

「話を聞いてくれ」

「……」


 その短い文を無視しただけで、ラゼルは溜息を吐く。それにもイラッとする。もうちょっとねばれよ、と言いたくなったが堪えた。なにせこちらは本気で怒っている。それに「俺に構わず大人しくしていろ」なんて言ったのだ。それだったらこちらもラゼルに構わずに大人しくさせてもらおうじゃないか、という気になる。今すぐ離れて、自室に返って、煙草でも吸いたい気分だ。

 お互い無言で踊る。折角ラゼルと踊れるというのに、最悪だ。


「ルカ……俺はどうしたらいい?」


 知らん、そんなことは自分で考えろ。とルカは心の中で思う。仕事の事は何でも器用にこなして誰にも頼らないくせに、ルカのことになると、こうして迷子みたいな目で見てくるのだ。喧嘩する以前だったら、苦笑してそんなラゼルを愛せただろう。いや、愛していることに今も変わりが無い。ただ愛しているからこそ、一層、苛立つのだ。

 やがて曲が終わり、ダンスに興じていた人々も散っていく。もうやることも終わったし、舞踏会の閉幕まで大人しく椅子に座っていよう。幸い、曲もあと一曲ほどだ。ここで傍観を決め込もう。音楽はいい。心を安らげてくれる。なんて思っていると隣にラゼルが座る。

 ルカはすぐに立ち上がる。閉幕までいる必要が無い。直ちにこの場から去ろう。ルカは来賓客に笑顔で挨拶をし立ち退くと、大広間から出て自室へと向かった。案の定と言うべきか、背後から追ってくる足音が聞こえた。


「ルカ」


 足音の主であるラゼルはすぐにルカに追いつくと、手首を掴んだ。ルカはそれを振り払って自室へと進んだ。


「ルカ、何がお前をそんなに怒らせた?」


 そんなことも分からないのかよ、と心の中で思う。だが、答えてなんかやらない。知るか、若造め。ルカは早足で廊下を進み、自室の前に来ると部屋に入ろうとした。だが、それをラゼルが止める。


「せめて口をきいてくれ……俺は、何かしてしまったか?」


 度重なる問い。そして全く自覚していないラゼルに、遂にルカの怒りの線は、プツリと切れた。

 無視を決め込もうとおもっていたのだが、それももうやめだ。ルカはラゼルへと向き合うと、怒声に近い声で言った。


「婚約者が何も食わず寝ずにいて心配しているのに、『俺に構わず大人しくしていろ』なんてよく言えたね? 忙しいのは分かっているし休む暇もないのも知ってる。でも何、あの言葉!? 私が何を言っても面倒くさそうに溜息ばっかりついて、持っていった軽食も手つかずのまま。挙げ句の果てには出て行けって? よくもまぁそんな事をして、私が何に対して怒っているかも分からない訳? 迷惑になるからずーっと言いたくなかったけど、こんなに心配させて寂しい思いもさせて、そんなことよく全部無視できるよね! あーあ、シルヴァ王子を見習って欲しいくらいだよ。ラゼルのことは尊敬もしているし好きだけど、もう無理。こんなに我慢するんだったら、忙しい間はお邪魔にならないようにシルヴァ王子のフィルドント王国にでも行こうかな。きっとシルヴァ王子ならこんなふうに──」

「やめろ。あいつの名前を出すな」


 ドン、と扉を叩いてラゼルが言う。赤い瞳は明らかに怒っていた。きっと他の人だったら震えが上がる怒気だろう。けれど怒っているのもルカも同じだった。いや、ラゼルが抱える以上の怒りだった。


「なに? 何が不満なの? 私も全然、分からないんですけど。シルヴァとは別にただ一曲ダンスを踊っただけ。俺に構わず大人しくしていろとか言っていた人が、私の行動に制限かけようなんて、どういった心変わりですかね?」


 ルカがは激しい怒りをもって睨み上げる。すると赤い瞳にあった怒りは次第に消えていき、代わりにやってきたのは反省の色だった。


「……すまなかった。忙しい事を理由に、お前の気持ちを無視した」


 やっと、ようやく謝った。だがこれで許せる訳がない。


「うん。それで? 私の気持ちを無視したって言うけど、私の何の気持ちを無視したわけ?」

「……心配する気持ちと、寂しさ、だ」

「過労で一回倒れてるのに、婚約者の心配を無視してそれを繰り返そうとした気分はどう? 私との約束を破った気分はどうですか?」

「……本当にすまなかった。執務のことになると、つい」

「つい? ついやっちゃうって? ほーら、やっぱり執務のことで一杯じゃん。やっぱりラゼルの仕事が一段落するまで、私は明日からシルヴァのいるフィルドント王国に行きますから、どうぞお構いなく。邪魔者は退散しますので」


 ルカはラゼルの腕を払い、会場に戻ってシルヴァに会おうとする。それを背後からラゼルに抱き留められる。


「すまない、ルカ。行かないでくれ」


 その縋るような声を聞いて、ようやく、ルカの怒りも鎮まり始めた。我ながら大人げなく怒ってしまった。ルカは盛大に溜息を吐き出す。それが「飽きられた」と思ったのだろう。びくりとラゼルの身体が震える。ルカは淡々と問う。


「ラゼル。今度こそ約束守れる?」

「ああ、絶対に守る」

「もし守れなかったら今度こそ私、シルヴァ王子の元に行くからね。結印はしたけれど、愛がなければどんな事をしたっていい訳だから」


 背後でラゼルが息を呑むのが分かった。ルカを抱きしめる力が強くなる。


「頼む……それだけは止めてくれ。お前が俺以外の他の男に触れられるなんて、耐えられない」

「……………………」


 ここまで言わせてしまったことに流石に良心が痛む。仕方ない。ラゼルも猛省していることだし、全て水に流そう。忙しい中、無理を言ってしまったルカにも非がある訳だし。ラゼルも今度は約束を守ってくれそうだ。

 それなら、もう良いんじゃないか?

 久々に感じたラゼルの温度だって、こんなにも嬉しいのだから。


「分かった。許してあげる。その代わりに一つ、私のお願いを聞くこと」

「何でも聞く」


 真剣なラゼルの声音に、ちらりとルカはラゼルを見て悪戯っ子みたいに笑う。


「それじゃあ、踊り直して。二人だけで。大広間じゃなく広間に移ってさ。曲はレコードを使えばいいから」

「……そんなことで良いのか?」

 

 力の緩んだラゼルの腕から逃げ出して、ルカは笑顔で言う。


「勿論、ちゃんとエスコートしてね? 私の大事な王太子様?」


 すると漸くラゼルは顔を綻ばせて、ルカの手をとる。


「仰せのままに。私の愛する王太子妃様」


 互いに笑う。やっぱり、こうしていたい。喧嘩なんてするもんじゃない。

 この先もきっと喧嘩をしてしまうことはあるだろう。

 けれどそんなのは、これからははこう思うことにしよう。



 甘い日常に降りかかった、ちょっとしたスパイスだと、と。 






ここまでお読み下さってありがとうございました。

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