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君にとっての正は、あなたににとっての過ち


 深夜のことだった。

 急に雨が激しく降り始めて、窓硝子を叩く。昼間の快晴が嘘のようだった。ルカは何だか眠れずに、結印式の水晶を眺めていた。幸福を閉じ込めた情景は、ルカの心に安らぎをもたらしくれた。結印をする際にラゼルに触れられた胸元をなぞる。魂まで刻まれた永遠の愛は、ルカにとって喜びそのものだった。

 永遠の愛を誓う、か。と口の中で反芻する。鉱石から抽出した5本の禁忌の薬。5本もあればと思ったが、正直5本を使いきる前にきっと自分は死ぬだろう。ラゼルの魔力に比べれば、ルカの命などちっぽけなものだ。ラゼルが禁忌の術を発動させてしまえば多分──ルカの寿命は大きく削られる。もしかしたら死んでしまうかもしれない。


『あなたがもし命を落としたら……ラゼル様がどんなに、傷つくか、あなた自身がよく分かっているでしょう!?』


リオンの言葉が頭を掠めて、早計だっただろうか、とも思う。けれど、新薬の開発をもう待ってはいられなかった。もしも明日、ルカがいない時──いや、ルカでも抑えられない程の魔力の暴走を起こしてしまったら、ラゼルはまた、酷く傷ついてしまう。あんなに優しい人にもうこれ以上の不幸は降りかからないで欲しかった。

 ルカは、大切な人が守れるのならば、自分が犠牲になっても構わない。

 死にたいとは思わない。

 生きていたいと思う。

 けれどその反面、自分が死ぬことで愛する人が助かるのなら、ルカはそれを選ぶ。でも、とルカは思う。自分が死ぬことで、ラゼルは不幸になってしまうのではないか。あの綺麗な瞳から涙を流させてしまうのではないか。


『無くしたりしない。お前が……俺の為にしてくれた事だからな』


 薬を渡したあの時、柔らかく微笑んだラゼルが忘れられない。

 心は揺れ動く。

 どちらがラゼルにとって、幸福だったのだろうか、と。

 けれどもう無かったことにはできない。ルカ自身、後悔もしていない。

 

 不意に、部屋の扉がノックされる。時計を見ると午前1時を過ぎたあたりだった。こんな時間に訪ねてくる人は1人しか知らない。ルカは扉を開く。

 そこには、ラゼルがいた。


「ラゼル、こんな時間にどうしたの?」

「……言いたいことがある」


 怒りを孕んだ声音でラゼルがルカの腕を掴み、部屋に入る。掴まれた手が解放されると、ラゼルは先日渡した小箱を机に置き、振り返った。その赤い瞳には強い怒りが滲んでいる。見たことのないラゼルの姿に、自然と身体が強張る。ラゼルは鋭い瞳でルカを見据えたまま、言った。

 

「全て読ませて貰った」

「え……」


 ラゼルは懐から小瓶を取り出すと、それを手にしたまま告げる。嫌な予感がして、心がざわめいた。


「この液体に入った、魔術文字だ。エル・セレン・ヴァスナ……『セレンの母』。これがこの液体の名だ。そして魔術言語で書かれた禁忌の薬のことも対価も、全て読ませてもらった。……そこに署名したお前の願いと、対価もだ」


 どくりと心臓が喚く。ラゼルの怒りが嫌と言うほど伝わってくる。立っている足が震えるが、それでもルカは立ち続ける。ラゼルに知られてしまった。ルカの願ったことも、対価も、全て。ラゼルの赤い瞳がルカを見下ろし、その手が動く。殴られる、と思った。ルカは咄嗟に身構えるが──やってきたのは、強い抱擁だった。


「お前は……ッ! なんて、ことを……っ」


 初めて聞いたラゼルの慟哭にも近い怒声。そこには怒りだけじゃなく哀しみもあって。その大きな感情に息が止まりそうになった。

 間違えて、しまったのだろうか。

 こんなに優しい人を、こんなにも怒らせてしまった。その自分の身勝手さが、今になってやって来て、ルカの胸は激しく痛んだ。


 違う。

 こんな顔をさせたかったんじゃない。

 ただ、安心して欲しかった。

 強大な魔力に怯えずに、生きて欲しかった。

 ラゼルはルカの両腕を掴み、視線を合わせると、怒りと哀しみが混じった声で言う。


「何故、言わなかった? どうして俺に相談しなかった?」


 その問いに、ルカは「ごめんね」と痛みを堪えて笑って、答えた。


「……ラゼルにもう二度と、悲しい思いをさせたくなかったんだ。それに、もし言ったらラゼル、絶対に反対したでしょう? だから、私の意思で契約を結んだ。後悔はないよ。これからも、絶対にしない」

 

 震えそうになる声を必死に堪えて、ルカはラゼルへと答える。二の腕を掴むラゼルの手は強く、赤い瞳は泣き出しそうにも見えた。


「ルカ……お前は、間違っている。俺は……お前がいないと生きていけないと……そう、何度も言ってきた筈だ」

「……分かってるよ。それでもラゼルの力がまた暴走した時、私がいても、私じゃもう止められないかもしれない。そうなって沢山の人が喪われた時……絶望を抱えてしまったラゼルを私は見たくない」


 ラゼルの心がぐしゃぐしゃに潰れて血塗れになるのを、見ていたくなんてない。その時、自分がその心を癒やすことはきっとできない。あまりにも無力な自分は、ただルゼルの抱える激痛と絶望に寄り添うことしできない。ルカは虚しく微笑む。


「……ねぇ最大多数の最大幸福って知ってる? 可能な限り多くの人に最大の幸福をもたらすことが善である、って考え。それってさ、つまり可能な限りの多くの人間から弾かれた少数の人間は、幸福になり得る人の踏み台になっているんだ、……私はね、ラゼルがもし魔力が暴発した時、そうなりたい。1人の人間が犠牲になって多くを救う……これが正しさだよ」


 そう語りかけるように言えば、腕を掴んでいたラゼルの手がルカをベッドまで引っ張って押し倒した。起きようとするがすぐにラゼルが、ルカを手首をベッドに押しつけ動きを阻む。

 綺麗なラゼルの顔がルカを見下ろす。その薄い唇から、ぽつりと、涕涙のような言葉が零れる。


「……俺も、願った、と言ったらどうする?」

「え……」


 ルカは目を見開く。どういうことなのか、分からなかった。ラゼルはルカの手首を放すと、さらりと顔にかかったルカの髪を撫で、告げた。


「あの鉱石と……俺も契約をした。もしルカが死んだ時は──俺の命を代償に、結印も消えて生き返る、と」


 その言葉に、さっと全身から血の気が引いていった。手足の先から冷たくなる。ルカは、言葉を絞り出す。


「なんで、そんなこと」

「仕返しだ。お前が、俺の為に、簡単に死ねなくなるように」

「そんな、問題じゃない。だってラゼルが死んだら、この国が──」


 言いかけた言葉が、ラゼルの唇で優しく塞がれる。離れていったラゼルは、弱々しく笑う。


「……お前を愛して、俺は、変わってしまったんだ」

「変わった……?」


 ラゼルは静かに頷く。そして、まるで懺悔するように告げた。


「……ずっと言えなかった。お前の理想像である『アクアフィールを何よりも大事にする』俺が、崩れてしまったことを。ずっと、俺は隠していた。本当は……お前を愛していると思った瞬間から、俺の中で全てが……お前になった。この国を守りたいという気持ち以上に、お前を、守りたいという気持ちが……上回ってしまった」


 ルカは目を見開く。信じられない言葉だった。誰よりもこのアクアフィールを思い、大切にしてきたラゼルが、こんな感情を抱えていたなんて気付かなかった。こんなにも、この人は自分を愛しているのか、と思うと胸がかきみだされて、おかしくなってしまいそうだった。


 駄目だよ、と。

 そう言うべきなのに、言えない自分がいる。


「ルカ。俺は、ただの人間だ。そんな人間が、お前を愛して、幸せを願って……それは過ちなのか?」

「……誤ってなんか、いないよ。でも、ラゼルは……」


 王太子だから、と。

 その先が、どうしても言えなかった。

 正しい答えを言うべきだった。「この国の王族なんだから、私より国を選んで」と。醜い感情が邪魔して言えなかった。

 だってルカも、命を捨てても、ラゼルを愛していた。涙が今にも零れてしまいそうだった。言うべき事が言えない弱さが、憎い。この人を正しい未来の王として導くのが、王太子妃である自分の役割、なのに。


「……そんなに俺は、信用ならないか?」

「え……」

 

 どういう意味なのか、分からなかった。

 ラゼルに抱きしめられる。その優しい抱擁の中で、ラゼルは言う。


「ルカ。俺は、お前の為なら必ず、禁忌の術をコントロールしてみせる。だからどうか、それを信じてくれ。お前がくれたあれは嬉しいが、決して使わない。だから、約束だ。決して俺の為に……自分を犠牲にするな」


 耳元でラゼルが、約束できるか、と言う。

 ルカはラゼルの言葉を聴いて──ああ、と叫びたくなった。


 そうだ。

 本当に、そうだったのだ。


 根本的に、誤っていたのはルカのほうだった。ラゼルが必ず禁忌の術をコントロールできると、心の底から信じてやれていなかった。

 なんて、酷い女なんだろう。


 愛している人を一番に信じることが、誰よりもその人を愛しているという証明なのに。それを無視した。ラゼルを信じず、勝手に、ラゼルが暴走させた魔術で絶望する未来を想像して契約を結んだ。

 今になってラゼルの苦しみを漸く知った。ルカはラゼルの全てを心の底からは信じられなくて──ラゼルを傷つけた、のだと。

 誰よりもラゼルを信じると誓ったのに。

 

 なんて、酷い裏切りだ。


 目が熱くなり涙が溢れ出し、次々と零れていった。ごめんなさい、とルカは繰り返す。 


「ごめ、ん、……っ、私、信用、できて、なかっ、ごめん、なさい……っ、やくそく、する、約束ちゃんと、するから、ごめ、ん……わたし、ラゼルのこと、傷つけ、た……っ」


 泣きじゃくるルカを、優しくラゼルは撫でる。情けなかった。けれどそれさえも、構わないというようにラゼルは優しく抱きしめて言う。


「……いい。お前が、約束を守ってくれるなら」

「まもる、守る、よ……ラゼルの、約束……でも、それじゃあ……私とも、約束して……?」


 抱きしめ合った温もりの中、涙と共にルカが言えば、ラゼルが「なんだ?」と言ってルカの顔を見る。ルカは未だに止まらない涙の中で、乱れた呼吸を一生懸命整えてから、言った。


「心の底から、今度は……ちゃんと、ラゼルを信じる、から……だから。約束。私が、死んでも幸せになって」

「ルカ、それは……」


 身を越したラゼルの口を手で塞いで、ルカは続ける。


「どうか、心の底から好きな人を見付けて、その人と愛し合って、子どもを作って……幸せな家庭をつくって、家族と共にこの国を守って欲しいんだ。たった1人の誰かを愛するラゼルも、アクアフィールを愛するラゼルも、両方好きだからさ」


 そっと手を外せば、ラゼルは微かに、声を震わせる。


「お前は……アクアフィールを何より愛する俺じゃなくても、いいのか?」

「当たり前だよ。アクアフィールの平和の為に尽くすラゼルも好きだけど、私は、私の事を愛してくれるあなたも、好きだから」

「……選ばなくていいのか?」


 強張った声音で問うラゼルに、ルカは涙を拭きながら笑った。 


「選ぶも何も、どちらも『ラゼル・アクアフィール』……でしょう? 選択肢なんて、最初からないよ」


 ルカは見下ろすラゼルが愛しくて、その頬に触れて微笑む。


「ねぇ……私もあなたも、まだ死んじゃ駄目みたいだね」

「……そうだな」

「あの鉱石との取引がなくても、きっと、そうじゃなきゃいけなかった。それなのに」

「いい。お前の気持ちも……分からなくはない。しかし結印式といい、今回の契約といい、本当にお前は俺の為なら何でもするな」


 苦笑するラゼルに、ルカはぐっとラセルを引っ張ると、その耳元で言った。


「誰よりも……あなたのことを、愛していますから」


 そっと引っ張った服を放す。互いの顔が近くなる。

 キスをするまで、あと何秒か。

 お互い目を閉じ、唇を寄せる。その中でルカは思う。




 今度こそ、あなたを、信じる。




ここまでお読み下さってありがとうございました。

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誤字脱字などありましたら、ご報告ください……!


Twitter→@matsuri_jiji(最新話報告、雑談など)

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