秘めたる儀
薬術部に辿り着いたルカは、人に見られぬよう、そっと扉を開けて閉めた。
窓に暗幕を引いた室内は暗かった。室内にいるのは薬術部長のリオン一人だけで、他の研究員の姿はなかった。リオンは真剣な表情で、ルカが持ってきた鉱石を見つめていた。蒼と翠に輝くそれをじっと見つめるリオンの横顔は深刻な色をしていた。
「あの……リオン、一体何が……」
声をかければ、リオンは今気付いたというように振り返る。
「ルカ様が採取してきた、あの鉱物の成分のことです。……とても、大事な話です。絶対に、他言無用の話です」
余程、この鉱石は異常なのだろう。リオンはこうしてルカを呼んでおきながら、本当に話すべきか、話さないでいるべきか。未だに惑っているようだった。それくらい重要なことなのだろう。あのリオンがこれほど思い悩む姿をルカは今まで見たことがなかった。
けれど長い懊悩の末、決心したリオンは重々しく口を開いた。
「この鉱物の成分は……感性による合成は要らないんです。けれど異常なのはそこじゃありません。組織を見れば分かります。……有り得ないことだ、と。どうぞルカ様。見てみて下さい」
そう言われてリオンと席を入れ替えると、鉱石ごと収まった組織分析器の中を覗き見た。そして、目を見開いた。
暗い分析器の中、鉱石に描きされていたのは通常見られるような組織ではなく──蒼白い光で複雑に描かれた文様だった。同じようなものを見たことがある。結印式でラゼルが魔術で編み上げたもの。つまりそれは魔術言語が複雑に紡ぎ合わされた魔方陣だった。水が揺れる度に形をゆらゆらと変えている、流動する魔方陣。そんなものが存在するなんて、とルカは一瞬言葉を失った。
「どうして、此処に、魔方陣が……?」
決して自然界の物質と魔術的要素は交わることがない。それなのにこの鉱物は魔術と溶け合い親和させている。
「……分かりません。ただ王族しか組むことができない魔術組織が、この鉱石と液体の中には確かに組み込まれているんです。こんなことは、どう考えても有り得ない事です。薬術的に考えても、魔術的に考えても……特性が違うのですから。ですが……もしかしたらこれは、セレン鉱石のように神の御業が残した、遺物なのかもしれません」
そして、とリオンは一旦唇を引き結んだあと重々しく告げる。
「この魔術組織が組まれた液体は……言うなれば、『禁忌の薬』です。ルカ様の求めていた鎮静剤にもなれば、ありとあらゆる傷にも病にも効き……更には、死者さえ息をふき返すことのできる薬です。この鉱石が、そのように心に直接語りかけて教えてくれました」
信じがたい事実だった。鉱石が人間に語りかける事も、とても稀少なケースだ。だが、ルカに鉱石の欠片を分け与えてくれた事や、あの時聞こえた音を思い出すと、信じられないとは言い切れなかった。
だがしかし、ルカが一番に信じられなかった事は、王族の魔術でさえできないことができるだった。
治癒の力。
──死者を、生き返らす力。
決してあってはならない力だ。けれどそれをこの薬はやってのけるとリオンは言う。あまりのことにルカは呆然した。
「死者でさえも、生き返させるなんて、そんな……」
「ええ、身体の一部さえ残っていれば、一滴でこの薬は全てを蘇生させてしまうのです。涙ほどの雫で。……例えばルカ様が採集して下さったこの鉱石の欠片だけで、50人以上の……いえ、もっと多いかもしれません。兎に角、それほど多くの人間を蘇生させてしまうのです」
それを聞いて、訪れたのは歓喜ではなく──恐怖だった。
リオンも同じ事を思っているのだろう。厳しい表情で言う。
「死者蘇生……一見、聞こえはいいでしょう。ですが、この薬の存在は生物界を揺るがす毒薬でもあるのです。命ある者は必ず死にます。けれどもしこの薬の存在が知れ渡ったら……どうなると思いますか?」
鉱石の中にある水が揺れる。まるで、答えを指し示すように。ルカは思ったままのことをリオンに告げた。
「……人は生きることを、命を軽んじる。死を恐れなくなる……つまり、戦争が起きても何ら問題がなくなる。だって、命を惜しむ必要がなくらるんだから。死を恐れない軍隊、死んだとしても生き返っては戦って、やがて心が麻痺して殺すことすらも厭わなくなる」
最低最悪の、戦争。
どこかの国がもしこの存在を知り、奪い合ったら。大量の死者の上で、この禁忌の薬は使われ、また新たな戦争が起こるのだろう。終わらない戦争の螺旋。惨い未来に思わずルカは口元に手をやる。
そんなルカを見たリオンは、何と言えば分からないようだった。いや、これ以上言うことを躊躇っているようだった。何かをリオンは隠していた。それはきっと、リオンの表情から見て、良いことではないのだろう。ルカは口を開く。
「リオン。この鉱物について、他に何か、知っているんでしょう?」
「ええ、ですが」
「言って。お願いだから」
そう懇願すると、リオンはできる限り感情を削ぎ落として、告げた。
「……この禁忌の薬には、対価が必要です。この鉱石が、魔術言語として僕の心に呼びかけ、教えてくれました」
「対価……」
「そうです。例えば不死身の兵隊を作るなら、それ相応の対価が必要となります。例えば──そう、新生児の魂などを」
「────っ」
あまりの惨さに閉口する。リオンは続ける。
「死ぬかわりに、魂を奪うということは……もうその魂を宿した人間は生まれないということです。願いの大きさによって対価は異なる。そしてこれは……僕がこの鉱石に、一番に尋ねたかったことなんですが……」
ぐっとリオンの拳が膝の上で握られる。リオンは、絞り出すように、言った。
「ラゼル様ほどの魔力を抑える鎮静効果の対価は……その魔力を押さえつける程の命、です」
そうやって吐き出したリオンの言葉に、ルカは目を見開く。
「どうして……ラゼルだって……」
誰にも言っていなかったのに、と呟くと、リオンは悲しげに笑った。
「そんなの簡単に分かりますよ。ルカ様がこんなにも必死になるのは、いつだってラゼル様のことでしたから。そして魔術と感情は関係していて、今よりずっと強い鎮静効果効果のある薬ということは……ラゼル様の魔力はそれほどまでに大きいのでしょう」
リオンの問いにルカは戸惑いながらも頷く。リオンはそれを見て、酷く慎重に言葉を紡いだ。
「ルカ様。この鉱石は、禁忌の薬であり、そして願いを叶えるものとも言えます。誰かが何かを願えばこれは万能薬になり、その代わりに誰かが対価を払うことになります。つまり、ラゼル様の暴走した魔力を抑えた時、他に対価を払う人間がいなければ、その分ルカ様の命が……削られる、ということになります」
禁忌の薬。それはまるで神との取引でもあり、悪魔との取引にも感じた。けれどそれに対して思うことは、一つだった。
「──構わないよ」
ルカの答えに、リオンが、言葉を失う。どうしてそんなに簡単に、構わないと言えるのだろうと、きっとリオンは思っているのだろう。そんなふうに気遣ってくれるリオンを安心させたくて、ルカは眉尻を下げて笑った。
「ラゼルはきっとこの先、魔術をちゃんとコントロールできるようになる。でも、それがもしできなかったら、私1人の命が削られればいい。最悪、失われても構わない。ただ私は、ラゼルが望まない形で魔術を使って、沢山の人を傷つけるのが嫌なんだ。そうなって悲しむラゼルを見たくないから。だから、今、しようと思うよ」
そう言った瞬間、リオンの手がルカの両腕を掴み、叫ぶように言う。
「何を言っているんですかッ! ルカ様! あなたがもし命を落としたら……ラゼル様がどんなに、傷つくか、あなた自身がよく分かっているでしょう!? それなのに今だなんて……あまりにも早すぎる。もう少し考えてからでも──」
「ごめんね。でも、幾ら考えても答えは変わらないよ。だったら、もう行動に移したほうがいい。後悔はしないから」
リオンをまっすぐに見据えて言えば。リオンは言葉を失ったようだった。どうにかして、説得しようとしてみるようにも見えた。迷わせて、苦しませることが申し訳なくて、ルカは言った。
「リオン。ごめん。私、もう答えを見付けちゃったからさ。だから少し……1人にして」
「ルカ様、それは……」
「お願い」
身分など関係なく、ルカはリオンに頼む。リオンは、ルカにとって友人であり教師でもある存在だ。王太子妃としてではなく、ルカとして見てくれるリオンは、ルカにとってかけがえない友人だった。
暫く、無言の時間が流れた。リオンがぐっと拳を握りしめ、苦渋の決断を下した。
「……分かりました、ルカ様。外に出ているので……終わったら、呼んでください」
「うん、ありがとう。本当に」
リオンが唇を引き結び、何か溢れ出しそうな感情を殺して、研究室の外へと出た。
残されたルカは美しい鉱石へと向かって、そっと語りかける。
「ねぇ、私の望みを聞いてくれる?」
いいよ、という声が微かに、心の中で聞こえた。鉱石も了承するように、蒼白い光がゆっくり明滅する。
「私の望みはね、ラゼル・アクアフィールの魔力が暴走した時に、その力を抑えてもらうこと」
そして、とルカは続ける。
「その対価として、私の命をあなたに預ける。抑えたラゼルの魔力に見合う分の、私の命を削って。例えそれで死んでも構わないから」
『──だめだよ』
今度ははっきりと。心の中で声が響いた。
鉱石が拒むように赤く光る。それが愛おしくて、ルカは鉱石を撫でながら言う。
「ごめんね。でも、この願いを叶えられるのは、あなただけなの。私は……あの人を不幸にしたくないの。だから、お願い」
優しく語りかければ赤くなっていた鉱石の色が元に戻っていく。まるでルカの決意を悟ったように。
あの森で聞いた優しい音色がした。音色は言葉として、ルカに届いた。
「……ありがとう。叶えてくれるんだね。器? 分かった、用意する」
告げられた通りに器を用意すれば、鉱石から、ぽた、ぽた、と涙のように雫が落ちていく。それは翠と海が合わさったような美しい色彩をしていた。鉱石は『手を浸して』と告げる。ルカはその通りに、水の中に手を浸した。
浸した部分から蒼く白い光が広がっていく。
──『願いと、対価を』
問いに対し、ルカは心と声と、両方で答える。
すると鉱石の水は不思議な光の文様と文字を刻んでいく。
冷たいのに、厳しい冷たさを感じない。優しさに包まれたその水は、ゆっくりとルカの手の甲に見えない文字を刻んでいく。
──『もう、いいよ』
そんな声が聞こえて手を引き上げれば、煌めく粒子がさらさらと落ちた。
「……どのくらいの量で鎮静できるのかな?」
──『小指半分くらいかな』
「そっか、ありがとう。これを呑めば大丈夫?」
──『うん、安心して……どうかあなたに、祝福を──……』
そんな美しく切ない音のような声は消えていく。鉱石は発光することなく、元の遠浅の海のような色を残していた。
「……リオン、終わったよ」
部屋から出ていたリオンを呼べば、リオンは室内に入ると力なく扉を閉めた。今にも泣き出しそうな声で、リオンは言う。
「ルカ様……本当に、契約を結んでしまったのですか……?」
「うん」
「……もっと、考える時間はあったでしょう……? もっと時間をかければ新薬が開発できたかもしれないのに……それがたとえ、砂浜の中から星を探すほど難しい事だったとしても……僕は、僕ならきっと、いつか……」
リオンの目尻から涙が流れた。冷血人間なんかじゃなかったじゃん、とルカは思いながら笑う。自分の為に泣いてくれるリオンに、胸が痛んで、泣きそうになる。けれど泣いてはいけない。これは、ルカが決めた道なのだ。
「……折角研究してくれたのに、本当にごめんね。ただ言い訳するなら……今日や明日にも、いつ起こるかもしれない魔力の暴走が、正直言って、私、怖かったんだ。ラゼルが傷つくのが、怖かった。そんな重たいものを背負っているラゼルと、同じくらい重たいものを背負いたかった」
本当に愚かだ。こんなにも多くの人の手を借りてきたのに、それを無下にするような選択を勝手にしてしまって。何より、ラゼルの意思を無視して、契約してしまったことも。本当に、自分は人を不幸せにする人間だ、と思う。
「ルカ様……あなたは、馬鹿です。こんなにも早く、己の運命を決めてしまうなど」
そう言って、眼鏡の奥で涙を流すリオンに、ルカは苦笑する。
「ありがとう、リオン。あなたや、研究員さんたちのお陰で、私は鉱石を見付けることができた。沢山迷惑をかけてごめんね。でも……できればこれからも、薬術について色々教えてくれると嬉しいな。私の命が欠け落ちるまで、さ」
リオンは眼鏡を取り、涙を拭う。涙に濡れていたが、へにゃりと気の抜けた笑顔を浮かべたリオンは、いつものリオンだった。
「どうぞお好きなように、出入りして下さい。これまでと同じように、ずっと、いてください。鎮静剤の研究だって、ひとつも無駄じゃなかったんですよ? ルカ様のお陰でヨツツジの森の探索も進んだのです。何よりルカ様は教え甲斐のある生徒なので、これからも薬術について学んで欲しいと思います。だから……いつもみたいに真剣に、時には笑って、この研究室に来て下さい」
「……ありがとう。本当に、嬉しいよ。それで……この鉱石の欠片のことなんだけど」
ちらりと鉱石を見る。リオンは暫く考えたあと、鉱石を手に「劇薬指定」の金庫へと入れた。厳重なそれは三つの鍵とパスワードを入れないと開かないようになっている。鍵は正しい順番に入れなければ開かず、パスワードを知るのは薬術部長のリオンだけだ。リオンはルカへの方へと振り向くと、告げた。
「もしも私がいなくなって、これが必要になった時の為に、ルカ様にこの鍵のスペアとパスワードをお伝えします。……良いですか?」
「分かった。鍵は私室の机の、鍵付きの方に隠しておく」
リオンはルカが頷くのを見て、鍵の順番とパスワードを告げた。ルカはそれを記憶のノートに書き留めておく。
「大丈夫。もう覚えたから」
「よろしい。ルカ様は秀でた方ですねぇ」
リオンに頭を撫でられる。そういえばリオンにこんなふうにされるのは初めてだ。つい、笑ってしまう。
「それはどうも。それより、もうこの暗幕外さない? 警備の人にも怪しまれるだろうし
「そうですね。それでは、液体を瓶に詰めましょうか」
「うん。五本もあれば、とりあえず良いかな」
ルカがそう言えば、やはりリオンは悲しげな顔をする。そんなリオンの背を叩いて、ルカは言う。
「元気出して! 明日も研究はあるんだからさ。そうじゃなきゃ研究員さんたちに何か思われるよ?」
「……そうですね。ルカ様、それでは液体の封入をお手伝いします」
「ありがとう。助かるよ」
そう言って2人で衝撃に強い、特殊な硝子製の瓶に均等に注いでいく。綺麗な色だ。まるで遠浅の海にきらめく光のよう。五本すべて詰め終わると、ルカはそれを丁寧に小箱に入れて薬術室を出た。
行く場所は一つだった。長い廊下を歩いて辿り着いた執務室には、珍しくラゼルがいなかった。執事のロイが「ラゼル様なら先程ベランダの方へ」と答えてくれる。ありがとう、と告げてルカは夜の半円状のベランダへと行った。
硝子製の扉を開けると、爽やかな風が吹き込んできた。降り注ぐように星が幾千と輝く、良い夜だった。扉が開いた音に気付いたのだろう。煙草を咥えていたラゼルは、口元から煙草を外し、魔術で燃やす。
「どうした? コンサートで疲れただろう?」
「うん、疲れたけど……それより、ラゼルにプレゼントを渡したくて」
「プレゼント……?」
差し出された小箱を手にしたラゼルに「開けてみて」と促す。ラゼルは訳が分からないといったように小箱を開いた。そして、丁寧に並べられた5本の小さな瓶を前に、ルカを見る。
「これは……何だ?」
「感情を静めるお薬です。フィールドワークで偶然見付けた、強い鎮静作用を持つ薬でさ。魔術と感情は関連していると前に言っていたじゃん? だけど、この薬がそれを抑えてくれる。リオン達にすっごく迷惑かけちゃったけど、魔力が暴走しそうな時にこの薬を飲めば、もう二度と力が暴発することもなくなる。これの為に沢山の人が手を貸してくれたんだよ」
苦笑するルカは対価のことは秘密にしてそう告げる。ラゼルはそれをじっと見詰めて呟く。
「……お前がずっと薬術に拘っていたのは、俺の為だったのか……」
そう言うラゼルの声に喜びが滲んでいて、秘密を隠した心の奥がずきりと痛む。ごめんね、と心の中で言う。本当のことを言えない自分の愚かしさを呪う。それでもルカは、正しいことをしたと思っている。
ルカは明るい声音で言う。
「あ、でも。ラゼル、できる限り早く、禁忌の術もコントロールできるようになってね」
「……急にどうした?」
ラゼルの言葉にルカはそれらしい嘘を吐く。
「だってこの薬、すっごく貴重なんだから。薬術部員達の血と汗の結晶を無くしたりしちゃ駄目だよ?」
「無くしたりしない。お前が……俺の為にしてくれた事だからな」
そう言うとラゼルは小瓶を一つ取って、懐に入れた。
良かった、とほっとする。何も怪しまれずに済んだ。
「……すまない。だが、ありがとう。大切にする」
「暴走しそうな時はちゃんと使ってよ? じゃなきゃ意味がないんだから」
それじゃあお仕事頑張って、と言うとルカはその場を後にした。これで良い。正しいことをした。ルカが心の底から望んだ願いだ。愛する人の哀しみを拭えるなら、何だって差し出そう。
それで、いい。
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