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 漆黒の馬車で揺られながら、ルカとラゼルは推理を続ける。


「ラゼルはどうしてメアリーが黒だと思ったの?」

「まずは目の動きを観察していた」

「目の動き?」

「ああ。右上だったら想像、左上だったら想起、真横だったら拒絶というように感情が自然と出てしまうものだ。普通の人間だったら、王族を前にしたら萎縮し、視線だって落ち着かなくなるだろう。だが、メアリー・ジェーンは違った。彼女の瞳は、王族に詰問されているというのに全く動かなかった。笑う時も泣く時も一度も目の動きがなかった。そして、お前が薬を落とした時だけ瞳孔が開いていた。瞳孔が開くということは、大きな関心ということだ。実際、彼女は平静を装いながらも執拗に興味を持っていた」


 それに加え、とラゼルは続ける。


「もう一つ観察していたのは微表情だ。はっきりと見える表情に隠された、小さな表情という本当の感情。例えば笑顔に見えるが微かに口角が下がっていて、『笑顔だが本当は不満を覚えている』というようなものだな。微表情は隠すことができない感情だ。そのスピードは0.2秒以下と言われている。俺はあの時、彼女を犯人扱いし厳しく問い詰めた。王族の権威を振りかざし、理不尽ともいえる詰問の仕方で。それなのに彼女は困惑する時も涙する時も、微表情は一切見受けられなかった。つまり彼女は薄っぺらな演技は得意で、その奧にあるのは虚無だ。本音はどうとも思っていない」


 第一印象はきっと誰もが彼女に対して良い印象を抱くだろう。

 けれどそれが、サイコパスの特徴だ。表面上だけの感情。人のふりが上手い「怪物」。


「それと……これは俺の主観に過ぎないが、メアリー・ジェーンはいかにも『それらしい話』をする。筋が通っているようで、よくよく考えてみればおかしいと気付く話だな。例えば、薬品を盗んだ話があっただろう? 勉強熱心でつい、『復習のために』という話だった。その気持ちを理解する人もいるだろう。特に『勤勉』というラベルが貼られた彼女なら、尚更この証言は信憑性を持つ。だが落ち着いて考えてみれば、『正当に』復習したい気持ちがあるなら教諭に許可をもらえばいいだけのこと。けれど彼女はそのステップを飛ばして盗もうとした。その点を突いた時、彼女は涙ぐんで同情を誘うように振る舞った。だがしかしその時見えた目の動きも微表情も何ら動きがなかった」


 そこまで言うとラゼルは、以上だ、と話を締めくくった。

 今度はルカが口を開いた。


「私が黒だと判断したのは、馬鹿みたいな質問の回答と薬を落とした時の反応。勿論これはメアリー・ジェーンが『毒殺』を考えている人間という仮定の下にね」


 そう前置きをするとルカはひとつ指を立てる。


「まず動物の話。犯罪史の中で殺人鬼は動物を殺す傾向がある。だから周囲の目を恐れて動物を飼わないことが多い。私がペットの話を振った時、私と全く同じ回答をしたのは、それ以外彼女の中で『正常』だと思われる回答が用意されていなかったから。あまりにも予想外の質問だったから、それらしい回答の備えがなかったのよ。だから答える間に微かに沈黙が落ちた」


 それから、とルカは二つ指を立てる。


「二つ目の恋人の話。これも殺人犯という仮定だけど、殺人鬼はパートナーを求めない。理由は簡単。愛情という感情に欠けた彼らにとって、パートナーなど邪魔者でしかないから。勿論過去にカモフラージュのために恋人や家庭をつくった殺人鬼もいたけれど、それは極めて稀なこと。多くは『殺戮による快楽』を重要視する。そもそもそういった人間たちは、他の人間を人間とは思っていない。毒殺魔の場合、自分以外の人間は『実験体』としてしか見ない」


 ルカの青い瞳が鋭く光る。


「そして、私が犯人が小物のように馬鹿にして話した時、彼女はそれをすぐに否定した。『もしかしたら誰も考えつかなかった、神秘の薬を作りたいのかもしれません』……ってね。最初は資金集めなんて言ってたのに、馬鹿にされた途端こんなことを言うのは普通じゃ無い。セックスドラッグを作っているような人間に、神秘の薬なんて言うのは明らかに変。自己陶酔しているとしか思えない。これが決定打」


 つまり、とルカは言った。


「犯人を庇っているような言葉。自己陶酔。そして私が薬を落とした時に、私に返すまいと微かに籠もった力……他にももう一つ、気になったことがある」

「気になったこと?」

「甘い匂い。最初は香水の匂いだと思った。けれど、途中で思った。これは独特な甘い匂いを隠すための香水なんじゃないかって。金融業の窓口係が、爽やかで控えめな香りをつけるなら分かるけど、あんなに甘ったるい香りをつけるのは不自然な気がした。それにドラッグに入ってたカヴァンの花も、ドイドの樹液と同じように独特な甘い匂いがするものだった」


 そこまで言うとふうとルカは息を吐き出す。


「私の意見はこんな感じ。問題はドラッグを生成する為の建物、なんだけど」

「ああ、その件だが今B地区に向かっている」

「B地区っていうと、富裕層が住む……?」

「そうだ。爵位持ちの人間たちが棲む地区だ。この地区にある実験しても困らないほど大きい邸宅は数軒しかない。調査しても問題ないだろう」

「そうだね。地理的プロファイリングから見ても、これ以上遠くなると生成が面倒になる。調査するには良い場所を選んだね」

「……どういうことだ?」


 ラゼルが眉根を寄せるとルカは「私も詳しくはないんだけど」と答える。


「ここには銀行が沢山あるでしょう。しかもメアリー・ジェーンは銀行員。手を加えれば振込先も複数作れる。その上、中央街からB地区の間には色々な商店がある。薬品を買うのにも困らない。そして『研究所』という名の邸宅はきっと中心街から近いB地区にある。手早く材料を入手して、ドラッグが作れる。更に、B地区の裏にあるD地区は色々と問題がある場所。ストリートチルドレンもいる。実験体にも困らない。だからあの笑顔で油断させ、保護するという名目で『研究所』へと招待するってわけ。地理的プロファイリングっていうのはそうやって犯人の行動範囲を狭める為にあるの。基本的に自宅を中心にぐるりと取り囲む地域で犯行に及ぶ型、通勤先を拠点に通勤経路で犯行に及ぶ型の2パターンに分かれるかな」


 すらすらと容疑者の特定地域を割り出す方法を述べるルカに、ラゼルは眉根を寄せる。


「お前……なぜ軍事部犯罪研究課に志願しなかった……」

「面倒だから。それに志願してたら婚約できなかったでしょ? だから志願しなかったのは正解」


 ルカは嬉しそうにそう言うと、馬車の中でラゼルの手を握る。それだけでルカはひどくご機嫌なようで、とても今から犯人が棲まうかもしれない邸宅を調査するとは思えなかった。妙に図太いところがある。ラゼルは小さく笑って、ルカの頬にキスをする。やめてよ、と照れくさそうに笑うルカを見ると、張り詰めていた糸も緩んで、ラゼルも幸せな気持ちになる。馬車の中くらいは良いだろう、と思っているとルカは急に難しい表情をした。何か迷っているようだった。


「どうした?」


 心配に思ったラゼルが問えば、ルカは遅疑のあと、口を開いた。


「あのさ……言い方は悪いかもだけど……魔術で全部、自白させることもできたでしょう? 何で……」


 それ以上言うことがはばかられたのだろう。口を噤むルカに、ラゼルは沈黙のあと答えた。


「魔術は確かに治癒という点を除けば万能だ。この国の犯罪など全て俺の力でどうにかなる。だが、俺1人で国が回っては困る。魔術という存在を神として崇め、盲目的に信仰することはあってはならない。俺は神ではないからな。だからこそ、魔術を持たぬ者たちの力だけでも生き抜けるようにしなくてはいけない」

「だから今回、捜索にあたって殆ど魔術を使わなかった、と」

「ああ。魔術に頼らない、今回俺たちがした調査方法が、軍事部と法務部両方の学びになる。今回の場合、異常犯罪に直面した時の対処法だな」


 それと、とラゼルは暗くなりそうな声を必死に堪えながら言った。


「俺は……誰かに何かを強要させたり、危害を加えるような……そんな魔術を、あまり使いたくない。これは、俺の我が儘だ。俺は……魔術が使えなくともこの国を守れる力が、欲しいんだ」


 魔術があればどんな人間も思うがままに操ることができる。従えることができる。殺すことができる。特にラゼルの力は、ラゼル自身が恐ろしいと思うほどに強大だ。上級魔術だって低級魔術を扱うような感覚で、扱うことができる。それが異常なことだと知っている。だから隠している。

 このアクアフィールでたった1人だけ凶悪なまでの魔術を使える自分が、異質で、脅威でもあった。


 神のように、当たり前に、魔術を扱いたくなかった。

 何より──兄を殺した恋人を、消し去ったのは魔術だった。魔術が使えぬ相手に放つ魔術は、果たして正義と言えるのか。



 わからない。



 悪人だと切り捨てて魔術で全てを操るべきなのか。癒しを除けば魔術は万能だ。魔術を用いればすべては簡単だ。




 けれど、それは正しいのか?


 


「ラゼル!」


 ルカの声に我に返る。振り返れば心配そうに見詰めるルカがいた。


「何考えているのか分からないけれどさ……また、1人で背負うのはやめてよ。ラゼルはさ、ラゼルが在りたいように在っていいんだから」


 澄んだ、青い瞳。海のように清いその青が、ラゼルを見ていた。そのあたたかい手が、ラゼルの頬に触れる。いつの間にか冷えていた肌にじわりとあたたかさが広がっていく。ルカは子どもに言い聞かせるように言う。


「ほら、私、ここにいるでしょう。いつも言ってるじゃんか。ラゼルはひとりじゃない。私がいるって」


 その言葉は魔法のようにすとんと、胸に落ちる。そうだ。ルカは、ラゼルを「人間」にしてくれる存在なのだ。いつだって、そうだ。


「……お前には救われてばかりだな」

「どういたしまして。ほら、笑って」

 

 そう言って太陽のように笑うルカは、ラゼルの頬を引っ張る。

 やめろ、と言いながらも、悪くないと思う自分がいた。







 B地区に馬車が辿り着くと、ラゼルとルカは早速一軒一軒訪ねて回った。一軒訪ねる度に「殿下!?」とテンプレートのように驚き慌てられるので、今になって自分がするべきことではなかったと後悔した。けれど後悔しても、もう引き返せないところまで来ていたので、ラゼルはルカと一緒に石畳を歩きながら次の邸宅へと進む。


「しかしこの格好で来て正解だったなぁ。動きやすいしお散歩にはバッチリだ」

「お散歩じゃなくて視察だ」

「分かってるよ。あ、あの家とか大きいね。古いけど門戸も立派だし。えーっと、でも馬車はないみたい。ぱっと見て侯爵くらいの家なのに珍しいね。早速訪問しましょうか!」


 元気よくルカは言うと軽いステップで扉の前に立ち、ノックをした。

 すると中から腰の曲がった老婆が出た。人の良さそうな老婆は杖をついていた。


「あらあら、どちら様でしょうか? 生憎、主人は出かけてしまったのですが……」


 予想外の反応にルカとラゼルは顔を見合わせる。今日初めてラゼルを見て慌てなかった。もしかしたら痴呆の類いなのかもしれない。ラゼルは老婆の前に立つと、恭しく礼をした。


「突然お伺いして申し訳ありません。私はラゼル・アクアフィール。こちらはルカ・フォン・ランケです。少しお話を聞きたいことがあるのですが、よろしでしょうか?」

「ええ、ええ。立ち話もなんですから、どうぞ上がって下さいな。わたしはエリザベス・ド・モーラスです」


 ニコニコと笑う老婆は覚束ない足取りでリビングへと案内する。けれどそのリビングに立ち入った瞬間、甘い匂いがたちこめていることに気付く。ルカもまたすぐに気付いたのだろう。

 

 ここだ。

 ここが、犯人の「研究所」。

 

 ルカとラゼルはソファに腰掛ける。老婆はけほけほと席をすると、戸棚から吸入器を取り出して、薬を口から吸い込んでいた。

 突然、ルカが立ち上がってその老婆が持っていた吸入器を奪い取った。驚く老婆に、すみません、と言ってルカが吸入器に入っていたものを机に取り出し、液体型の薬剤を携帯していたらしい小瓶に入れる。それをじっと見詰めたあと、懐にあった薬剤一式を取り出し、粉を振りかける。それが溶ける間に老婆へと問う。


「おばあさん、これ、いつから吸っていますか? あとどこで手に入れましたか?」

「いつからだったかなぁ……ごめんなさい。覚えていないわ。ちょっと孫に聞いてもらってもいいかしら?」

「……お孫さん、名前は?」

「わたしの孫は……あらあら、いやねぇ。歳の所為で孫の名前さえ、すっかり忘れてしまったみたい」 


 そう言った老婆にラゼルは違和感を覚える。何かおかしい。その間に粉と液剤が混ざったらしい。ルカが元は白かった液が灰褐色になったのを見てラゼルへと言う。


「ラゼル……これ、毒が入っている。遅効性の毒で、催眠作用を引き起こす。吸引する度に蓄積されていって、呼吸困難で死亡する」

「毒……」


 脳裏に毒殺魔とドラッグが繋がる。ルカは焦った様子で尋ねる。


「すみません。お孫さんが今どこにいるか分かりますか?」


 取り上げた吸入器を捨て尋ねると「今さっき二階に行ったわ」と老婆は答えた。その朗らかな微笑みを見てルカが顔を歪める。こんな善良そうな老婆に毒を盛った人間が今、二階にいる。


「ルカ。お前はここにいろ──っ、ルカ!」


 ラゼルが言うよりも先にルカは階段を駆け上がっていく。急いでラゼルもその後を追うと、バンッ、と乱暴に扉が開く音が聞こえた。その戸口にいるルカの隣に立つ。




 そしてその先にいたのは、さっき会ったばかりの銀行員。

 メアリー・ジェーンの姿だった。






続きます。このネタ長くなってすみません……;;次で終わります!

ここまでお読み下さってありがとうございました。

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