ユア・アメイジング!
日に日に回復していったルカは、1ヶ月後にはすっかり良くなり元通りになっていた。毎日必ず1回は様子に見てくれるラゼルには申し訳なかったが、ラゼルと過ごせる時間があるのが、それでも少しだけこんな形であるのに嬉しく思ってしまっていた。
ラゼルはあの日見せた涙が嘘みたいに、いつも通り執務に追われていた。時間のあるときは、私室でルカと一緒に食事を取ることもあった。仕事は相変わらず激務だが、ちゃんと約束してくれた通りに食事はとってくれているようだ。
今日も、血圧や脈拍数などを計りに医術部副部長が、服薬確認に薬術部長のリオンがやって来た。そして、年若い医術部副部長は「問題はないようですね。明日には多少動いてもいいでしょう」と言って先に部屋を出て行った。
そして、残ったリオンは用意した錠数をきちんとルカが飲むのを確認したあと、異常がないか念の為採血した。
「リオン、ごめんね。迷惑をかけて」
そう言えば、採血をした瓶をしまっていたリオンが、へにゃりと笑って答えた。
「いえ、ヒソカリウムがどれだけ恐ろしい毒か学べて良かったです。論文のテーマに書けるかと」
「まるで私、検体じゃん」
軽口をたたき合ってお互いに笑う。そういえば、とリオンが言う。
「ヒソカの木についてはどうなったんです?」
「あー……あれね……」
実はあのあとラゼルから「ヒソカの木を燃やす」という提案がなされた。ヒソカの木は、ヨツツジの森を守るようにぐるりと森を囲んでいる。勿論、ラゼルは「ヒソカの木だけを狙って燃やすことなど他愛ない」と言っていたが、それを引き留めたのがルカだった。
引き留めたルカに対してラゼルは鬼のような目つきで見てきた。気持ちは分かる。ルカ自身、多くの人に迷惑をかけてしまった手前強くは言えなかった。けれど、未だ神秘が多く隠されたヨツツジの森の守り主ともいえるヒソカの木を燃やしたら、よからぬ者が森を荒らすようになるかもしれないと言った。
ここまでルカがヨツツジの森に固執するのは、未知が多く隠されているという一点にあった。その未知の中に、強い鎮静効果のある物質があるかもしれないと、期待しているのだ。
けれどそんなことを知らないラゼルは当然、「木を燃やさないのならお前はフィールドワークには行くな」とのお触れを出した。これも、痛いほど理解できた。ルカだって同じ立場なら、同じことを言うだろう。ルカはどうしたものかと思った。ラゼルの言っていることは全て正しい。
そこで苦肉の策で提案したのが、
「一部だけヒソカの木を燃やす?」
「うん。そこを通るには魔術で生成された通行書を持たないと入れないようにするの。ラゼルには手間をかけさせて悪いけど、保護魔術を利用して、魔術の門を作ってもらう。これならヒソカの棘に触れることなく入れるようになる。だけど通行書を持たない人は入れない。逆に通行書があれば今まで入れなかった人も、入れるようになる。これでどう?って聴いたら渋々頷いてくれた」
「成る程。けれど殿下にどうしてそこまでヨツツジの森に固執するのか聞かれなかったのですか?」
「……その内教えるから今はまだ待ってって言った」
そう言った時のラゼルの顔と言ったら、ルカでも少し怖いと思うくらいのものだった。リオンがくすくすと笑う。
「本当に殿下はルカ様に甘いですねぇ。今まで魔術を殆ど使わなかった殿下に、こうも簡単に使わせるとは」
「そうだね……かなり甘やかされていると自分でも思うよ」
ルカは苦笑する。リオンは立ち上がると、それじゃあ、と言って部屋から立ち去った。
一人きりになった室内でベッドにまた寝転んだルカは、本当に馬鹿げたミスから、こんなにも多くの人に心配をかけ申し訳ないと思った。あの時、死んでいたらと思うと怖かった。自分が死ぬことへの恐怖じゃない。ラゼルを残して死んでしまうことへの恐怖だった。
あの人に、悲しい思いをさせなくて本当に良かった。
ラゼルの涙を見て、胸の奥が痛んだ。
もうあんな顔をさせない、絶対。
不意に扉がノックされた。ちらりと見ると午後三時頃だった。はい、と答えると現れたのはラゼルだった。その姿を見るとぱっと明るくなる。ラゼルはベッドの傍の椅子に腰掛けると、日課の質問をする。
「具合はどうだ?」
「うん、いいよ。血圧とかも問題ないって。流石にもう身体を動かしたい」
「駄目だ」
「言うと思った」
「……あと一週間は我慢しろ」
「えー、医学副部長さんは、もう明日には軽く動いてもいいでしょうって言っていたよ。こんなふうに寝たきりだと、かえって身体に悪いって」
「…………それなら俺から離れるな」
渋々といった感じで譲歩したラゼルにルカは「それって難しくない?」と言う。
「ラゼル、散歩する暇もないじゃん。だから、ひとりで中庭とか図書室とか散歩するよ」
「駄目だ」
「う、うーん、それなら仕事、手伝うよ。……って言っても、手伝えるような仕事はなさそうだな……」
うんうん唸っているルカに、流石にラゼルも過保護すぎると思ったのだろう。小さく溜息を吐き出して言う。
「……分かった。宮廷内なら少し歩き回っても良い。ただし、30分経ったら休憩をしに戻ってこい」
「ありがとう、ラゼル。心配ばかりさせてごめんね」
「お前は人を心配させる天才だな」
「ははは……否定はできない……申し訳ない……」
苦々しく笑うルカにラゼルはふっと笑う。
「お前が薬術で必死に何かを作ろうとしているのは分かったが、無理はするな。お前は平気で無理し過ぎることがある」
「お互い様でしょう? ラゼルは私の何倍も大変だと思うけど無理しないでね。最近また日付けを超えても仕事しているって聞いたし」
「……グラムか」
小さく舌打ちしたラゼルを見て、珍しいと思う。ちょっと子供じみたその姿が微笑ましい。グラムといる時のラゼルは、ルカが知らなかった一面を見せてくれる。きっと学院時代はこんな風だったのかもしれない、なんて。
「それじゃ、そろそろまたお仕事でしょ? 私は明日にそなえてゆっくり休ませてもらうね」
「……やっぱり明日は早い──」
「ストップ。もう明日って決定したこと。ほらほら、今頃きっと執務室の前は行列ができているよ」
意地悪くルカが笑って言えば、想像してしまったのだろう。ラゼルは深い溜息を吐いて立ち上がった。
「……何かあったらすぐに呼ぶんだぞ」
「もちろん。いってらっしゃい」
ひらひらとルカが手を振れば、ラゼルは微かに笑んだあと部屋を出て行った。
ひとりになったルカは、以前リオンに持ってきてもらった薬術の成分や感性について記載された本を取り出した。中級編は既に読んだので、今度は上級編に手を出してみたのだが、自然と眉根が寄るほどに難しい。薬術学院の高等部で学ぶ内容らしいのだが、ルカは心から高等部の生徒に拍手を送りたくなった。そのくらい、難しい。
物体から成分を抽出する方法は初級編にあったのだが、成分を崩さずに無限に培養する方法までは知らなかった、なるほどと思う。いつも薬術部の研究室で、死んだような顔で幾つもある試験管に延々と、スポイトで均等に素材いれて何かを合成している研究員の姿を見たが、あれはどうやらどの比率で確実に同じ薬効が出るかを試験していたようだ。おそらくだが、今ルカが求めている鎮静剤を量産するのは厳しいのだろう。
未だに成分すら手に入っていないというのに、感性による合成のあとには更に量産という壁がある。幸いというべきかラゼルの場合、きっとそれほど量産する必要はない。ストックがなくなったら、鋭く繊細な感性を持つリオンにその都度、合成してもらえばいい。でもそのリオンが倒れた時などの事を考えると、不安が残る。
「あー……私がリオンみたいに頭が良くて、鋭い感性持ちだったら良かったのに……」
本を捲りながら難解な薬術組成に目を通してみたが、さっぱり分からなかった。矢張りルカにできることといえば、初等部、できて中等部で作成できる薬剤か、フィールドワークに出ることくらいだ。フィールドワークなら入門書で採集方法を理解しているので、問題はない。
「それにしても、この部屋からようやく出られるなんて楽しみだな」
ルカは本を置いて、ベッドの上に転がる。
自分はなんて恵まれているのだろう。心優しい人に見守られて王宮で暮らし、自由に学び、そして愛する人が自分を愛してくれている。これ以上の幸せなんてきっとないだろう。両親にもそろそろまた手紙を書かなければ。勿論、倒れた時のことは伏せておいて。
窓辺から差し込んだ陽光が気持ちよくて、次第に眠くなっていく。
何だか怠惰に過ごしているような気がしたが、皆の優しさに甘えてルカは目を閉じた。
久々のドレスは病み上がりとあって楽なものを着たが、ドレス自体着るのが久しぶりな気がして新鮮だった。翠色のドレスはルカのお気に入りの一着で、少し胸元が開いているが、そこにグリナ王国から会談後に貰ったラズラ石のネックレスをつけるのが好きだった。
ルカは王宮を歩きながら、色々な場所に立ち寄り、懐かしいようなくすぐったいような気持ちになった。晴れて宰相から解放され、元の軍事部に戻ったグラムの元へと訪ねようと、軍事部へと向かった。
突然軍事部の施設に現れたルカに驚いたのだろう。軍事部の兵は恐縮しているようだったが、ルカは「ごめんね」と言ってグラムの居場所を尋ねた。グラムは軍事部の中央官制室にいるらしく、ルカが行くと軍服に身を包んだグラムがいた。その姿は凜々しく、いつものおちゃらけた姿とは違う。ルカの視線と周囲のざわめきに気付いたのだろう。ルカを見るとグラムは相好を崩す。
「ルカちゃん、こんなむさ苦しい所に来てどうしたんだ?」
「グラムに会いたくて。それに、私あんまり軍事部知らないので冒険しにきました。5分で帰るから見逃して」
「もっといていいけどよ、こんなところ見て何が楽しいんだ?」
中央管制室の中空には、円形の球体が浮かんでいた。そこにはこの世界の大陸と、国、地形が網羅されていた。視線に気付いたグラムが「ああ、これな」と言う。
「ラゼルが魔術で作ったんだ。地球儀みたいなもんだな。どの国がどこにあって、河川や山脈まで細かく分かるんだ」
そう言ってグラムが球体の手前にあった金の板に触れれば、球体はぐるりと動いたり、拡大したりした。どうやら自由自在に動かせるようだ。
「他にも天気や温度、湿度、風圧が分かるし、地震や噴火があったらその被害地域まで分かるんだぜ? こういうのが欲しいって俺がダメ元で言ってみたら、生成魔術で一瞬で作っちまった。魔術ってすげぇよなぁ。いやあいつだからできる事だと思うんだけどよ」
「確かにこれはすごい……」
とてつもないスペックの地球儀だ。もはやこれを地球儀と呼んでいいのかは分からないが、ラゼルに作れないものなどないのではないかと思う。
「ラゼルってさ、普段あんまり魔術使わないけど、昔はどうだったの?」
「んー……まぁあの日を境に、あいつは魔術をあんまり使わなくなったな。使ったとしても低級魔術。鍵を閉めたり、高い所から飛び降りたり。そういうの」
高い所から飛び降りた、というのを聞いてルカは内心苦笑いする。ここに来たばかりころ、お姫様抱っこで鍛錬場まで飛び降りた記憶が懐かしく、恥ずかしい。
「そっか。あ、そろそろ私ラゼルの所に戻らなきゃ。怒られる」
「どーせあいつのことだから、散歩したら休憩しに戻ってこいとか言ったんだろ」
「! グラム、すごいね……! 流石ラゼルの親友」
「まぁ長い付き合いだからなぁ。ルカちゃん、ひとりで戻れる?」
「うん、ありがとう。お邪魔してごめんね。それでは皆さん、大変だと思いますが今日も頑張ってください」
そう言ってお辞儀をするとルカは少し慌てて執務室へと足を運んだ。制限時間までもうすぐだ。
執務室に辿り着いた時、ノックすれば「入れ」という声が聞こえた。開けば、ラゼルがちらりと時計を見たあと、言った。
「4分遅刻だ」
「誤差だよ、誤差。ラゼル、まるで学院の厳しい教諭みたいだなぁ」
そうやってけらけらルカが笑っていると、ラゼルが黙り込んでルカの姿をじっと見詰めていた、
「…………」
「えっ、なに……? このドレス変?」
翠は似合わなかったか。そもそもこのドレスが変だったのか。一体何だろうと心配していると、ラゼルが指をパチンと鳴らした。途端に、室内の壁沿いに三人掛け程のソファが現れる。ルカは目を丸くしたあと、ラゼルとソファを見た。
「その、これは魔術でラゼルが……?」
「そうだ。来い」
「え、えっと、ちょっと待って」
腕を引かれたかと思えば、ソファの上に寝かされる。休憩させると言ったが、何か変だ。覆い被さるように座ったラゼルが、ルカの頬を撫でる。
「…………綺麗だな、お前は」
ぽつりと呟くようにラゼルが言ったかと思えば、口づけをされる。
最初は触れる程度で、けれどそれは次第に深くなって、舌が合わさる度にルカの身体が震える。らぜる、とどうにか呼吸の合間に名前を呼ぶ。けれどラゼルは止まらない。唇からルカの首元にキスをし、柔くルカの白い肌を食む。ん、と押し殺したようにルカが声を上げると、ラゼルは微かに笑んで噛み付くように首筋に口づけを落として、そのまま赤い痕を残した
その小さな痛みに気付いたのだろう。ルカが顔を真っ赤にして何か言おうとしたが、それもラゼルの唇で塞がれてしまう。ラゼルはルカの口を塞いだまま、長い指先で胸元に光るネックレスにふれた後、滑らかなルカの肌に触れる。胸元を撫でるように、もどかしいくらいに触れる。そんなラゼルの手が、ルカの鼓動を早めていく。
とめないといけない。でも、もっとふれてほしい。相反する気持ちのなかで熱が高まっていく。
ルカの青い瞳と、ラゼルの赤い瞳が交わる。お互い、甘い欲に濡れていた。
ラゼル、とルカが言った。
その瞬間、我に返ったようにラゼルがルカから離れた。それからソファの端に座って、溜息を吐き出した。
「…………すまない」
ルカはまだどきどきとしながら、それでも誤魔化すように笑った。
「ええっと……びっくりした。でもその、駄目だよ。誰か来たらどうするの?」
「鍵を閉めたから大丈夫だ」
ラゼルは指先を微かに動かす。かちゃり、と開錠される音がした。けれど今はそんなことに感心している場合ではない。
「あのさ……ラゼル……痕、つけたでしょ」
「……お前だって前にやった」
「ラゼルは服で隠れるからいいけど、私は、その、隠しようがないじゃん」
「虫に刺されたとでも言っておけ」
「………………そんな嘘、すぐにバレるよ」
ソファから身を起こしたルカは、はぁ、と溜息を吐く。顔が火照っていたが、頭は冷静になりつつあった。
「そもそもどうして急にこんなことをしたの?」
「……お前を見たら我慢できなくなった」
その言葉にルカは一瞬固まったと、赤面したまま苦笑した。
「ま、まあ確かに最近、白衣ばっかりで、ドレスは久々だったけど」
「そうじゃない」
「そうじゃない……?」
訳が分からないといったようにルカが言えば、ラゼルが沈黙のあと答えた。
「元気な姿のお前を見たら……触れたくなった。そしたら、その……」
赤い瞳を困ったように彷徨わせるラゼルは、きっと今自分がした事が恥ずかしくてたまらないのだろう。普段は絶対にお目にかかれない姿に、つい意地悪したくなってルカは少し悪い笑みを浮かべて言う。
「ラゼルのえっち」
「…………っ、その、違う、俺は……」
慌てふためくラゼルが愛らしくて、ルカは声を上げて笑う。
「あはは、ごめんごめん。ラゼル、可愛いなぁ」
「……五月蠅い……」
「ほらほら拗ねないの。それよりさ、この魔術で作ったソファどうするの? 全然違和感なく置かれてはいるけど」
元より膨大な資料を収納した棚以外、広い執務室には必要最低限のものしか置かれていない。だから今更ソファが置いてあっても問題ないのだが、何だかそれを見るとさっきのことを思い出して恥ずかしくなる。
ラゼルは「ああ」と言うと少し迷ったあとソファから立って、ルカも立たせる。そして、ラゼルはソファを作った時と同じように指を鳴らしてソファを消した。あっさりと消した事も凄いが、やっぱりソファなど不要だったのだろうか。
「ねぇラゼル。折角作ったソファ、置いておかなくて良かったの? 仮眠するときとか、丁度良かったんじゃない?」
すると長い沈黙のあと、ラゼルは言った。
「……さっきの事、思い出してしまうだろうから、消した」
その顔を見遣れば、耳の先が赤くなっていた。
ルカはどうしようもなく愛しくなって、飛びつくようにラゼルを抱きしめた。ただでさえ好きで堪らないのに、こんな姿を見せられれば愛しさを覚えずにいられなかった。
ラゼルは再び魔術でかちゃり、と施錠すると、抱きしめ返してくる。くすくすとルカが笑う。
「いいの? 休憩する暇がないほど忙しいって言っていたのに」
「……いい。後で片付ける。まだ……もう少しだけ、こうしていたい」
きっと他の人が見たら驚くだろう。ラゼルのこんなに可愛らしい姿を見たら、誰だって好きになるに違いない。
だからこれはルカだけの秘密だ。
自分以外は知らなくていい、愛しい恋人の秘密。
ここまでお読み下さってありがとうございました。
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