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王子様との王宮見学


 ラゼルとの婚約ならぬ契約をした翌日から花嫁修業が始まる──と思いきや。


「……何だって?」

「言った通りだよ。まずはラゼルがどんな仕事をしているか見たい。まぁ王宮も見て回りたいしね」


 ルカは豪奢な飾り付けがされた居間でラゼルにそう進言した。

 ラゼルは珍妙な生き物を見るかのような目でルカを見た。まぁ、確かにそれはそうだろう。

 普通、婚約が決まったら嫁ぎ先で花嫁修業をするものだ。

 それなのにルカはラゼルの一日を見学したいなどと言い出した。

 何を考えているのか分からないと言った表情をするラゼルに、ルカは答えを教えてあげるように言った。


「この国の未来を担う王子様の仕事ぶりが見たいんだ。邪魔だったらいいけど、一応婚約者として勉強しておくべきかと思ってさ。もしラゼルが倒れた大変でしょう?」


 つまりはルカはラゼルがどのようなことになっても、婚約者としてすべきことを知りたいのだ。

 何も知らなかったらそんな事態が起こっても対処できない。ならば今のうちに把握しておけるものは把握しておきたい。

 それがルカの考えだった。


「お前は変わり者だな……女が政治に興味を持つなど……」

「え、興味持っちゃ駄目ですかね?」

「……駄目ということはない」

「それなら安心。ああ、勿論邪魔ならハッキリ言ってね。でも一応、一定期間とはいえ私はラゼルの婚約者だからさ。色々知っておいたほうがいいでしょ?」


 そう告げればラゼルは深く溜息をついた。


「構わないが……面白くも何ともないぞ」

 

 渋々と言ったように了承するラゼルにとってルカの行動は意味不明なのだろう。

 まあ仕方が無い。この国の女性はそういった、政治や防衛に関わることに興味なんて露ほどもないのだから。

 漆黒の上着を纏ったラゼルは「行くぞ」と言うと立ち上がり、早速居間を出て行った。ルカもまた慌ててそれに続いた。


 ルカは女性の割に長身の部類に入るとは言え、ラゼルの方がずっと背が高い。

 しかもラゼルは羨ましいことに足が長いので追いつくのも大変だ。だがルカの中で「待って」と言うのも癪で、精一杯足を動かしてラゼルの隣に並んだ。

 そうすると自然と見上げる形になる。ルカは隣に立つラゼルを見て、しかしまぁ本当に美形だな、と思う。

 林檎飴と言ってしまった赤い双眸はそれ以外で例えると、宝石というより、陰影のある鉱石みたいで、ずっと見ていても多分飽きないと思う。すっとした鼻筋、少し酷薄そうだが形の良い薄い唇、すっきりとした輪郭、自分より艶やかな美しい黒髪。

 少し中性的だがどこをとっても完璧で、これは世の女性は放っておかないだろうなと思う。

 割と無表情で少し寡黙な点を除けば、理想の王子様像だろう。

 足りないのはキラキラとした何か、絵本で見る王子様特有の謎のオーラくらいのものだろうか。


「……何をじろじろと見ている」

 

 あんまり注視し過ぎたせいだろう。ラゼルが怪訝そうにルカを見る。

 ルカはついアラサーの目線で、この若者──王子だということも忘れて──素直な感想を口にした。


「いやラゼルは格好いいなーと思って」

「…………………格好いい?」


 沈黙のあと反復された言葉にルカは鷹揚に頷いた。


「お世辞じゃないよ。羨ましいなーと思って」

「羨ましい? 女のお前が?」

「生まれ変わったらラゼルくらいの美男子になりたいと思って。もしくは絶世の美女」

「生まれ変わりなんて信じているんだな」

「まぁね」


 実際生まれ変わっているわけだから。ルカは内心苦笑する。

 生まれ変わって、しかもその先が現代でも古代でもなく異世界だなんて誰が予想しただろうか。


「……失ったものは戻らない」


 ぽつりと呟くように言ったラゼルの言葉に、ルカはラゼルを見上げる。


「ん? 今、なんて」

「何でも無い。忘れろ」


 そう言ったラゼルの横顔が寂しげに見えたのは気のせいだろうか。

 ルカはラゼルの隣に並び、口を開く。


「ねぇラゼル。何かあった? 大丈夫?」

「何も問題はない。それよりここが軍事部だ」


 外階段の四階から下を覗き込むと、広々とした訓練場が見えた。そこでは剣、槍、斧といった色々な種類の武器での攻防が為されており、今はその訓練の真っ最中だった。雄々しい叫び声と、剣がぶつかり合う音が、高々と青空へと響いている。そこにはあの屈強な男──無礼な態度でランケ家へと訪問してきたジャイロの姿も見えた。あんにゃろうと思っているとその念が通じたのかジャイロが顔を上げ、視線が合うなりぺこりと頭を下げた。その実直とも言える態度にルカは虚を突かれる。ルカの視線の先を辿っていたのだろう。ラゼルが口を開く。


「ジャイロは端的に言うと……馬鹿なんだ。だが忠誠心が高く信頼の置ける男だ」

「あー猪突猛進って感じの人だったもんね、あの人。……あ、ちゃんとうちの両親に謝らせた?」

「ああ。きつく言い聞かせておいたからな。迷惑をかけた分と幼熱病の特効薬の金銭も持たせておいた」

「え」


 素っ頓狂な声をつい上げてしまえば、ラゼルはこちらに視線を向ける。


「何か意外か?」

「意外というか、なんか悪いなーと思って。多分うちの両親も同じ事思ってるよ」

「……? 何故だ」


 理解できないというような顔をするラゼルに、ルカは苦笑する。


「だって特効薬はうちが勝手にやったことだしさ。しかも連絡も報告もせずにやったのは事実だもん。金銭を貰うなんて申し訳ないよ」

「お前は馬鹿か」

「馬鹿じゃありません」

「ならお人好しだな。それも重度の。ランケ家の者は人が良すぎる」

「うん、うちの家は皆良い人ばっかりだよ。使用人も含め皆、私の自慢の家族です!」


 ふふんと笑うルカに、ラゼルはふっと微かに笑う。

 薄くだが、その笑顔は意外にも柔らかかった。

 そんなラゼルの微かな笑みを見たルカは「あ」と声を上げた。


「笑った! ラゼルでも笑うんだね! いや悪い意味じゃないけどさー、ラゼルはもっと笑ったほうがいいよ」

「……必要ない」

「まぁまぁ、ここはラゼルにとってマイホームだけどマイホームじゃないから気を抜けないのは分かるけ。でも、折角の美形なんだからさ。オネーサンにもっと笑顔を見せてよ。美形の笑顔なんて目の保養でしかない」

「お前は俺より年下だろ」

「心は31歳だから」


 冗談と本気を込めて言えば、


「……それはもうマダムを名乗っていい年齢だろ」


 ぐさりとラゼルの言葉がルカの心に突き刺さる。そーだよ、仰る通り私はアラサーだよ、と内心落ち込む。

 確かにこの世界のアラサーはもう殆ど、というか全員子持ちの奥様なのだろう。

 身体は18歳という若さだが、心はアラサーなのでどうしても10も年下のラゼルが若い子特有のかわいらしさがあって、変な絡み方をしてしまうのだ。


 きっとラゼルは後悔していることだろう。

 こんな珍妙な女を婚約者として選んでしまって。


「何か気に障ったか?」


 余程気難しい顔をしてしまったのだろう。ラゼルが気を遣ってか尋ねてくる。

 ルカは笑顔で首を横に振った。年齢のことはとりあえず考えるのはやめよう。


「いーえ別に。それより訓練場は屋外だけなの?」

「屋内にもある。屋外にあるものはどんな天候でも対処できるよう訓練するもので、屋内にあるものは基本射撃訓練の場だ」

「射撃というと弓とか銃?」

「そうだな」

「銃! すごい! 私も銃、撃ってみたいなぁ」

「……女なのに?」

「だから男とか女とか関係ないでしょ。護身用に銃が撃てるようになったら最高じゃん」


 前世の日本では決して民間人は手にすることのなかった銃。それに憧れを持って何が悪いと思うルカに、ラゼルは少しの黙考のあと口を開いた。


「なら今度訓練してみるか?」

「えっ、いいの!?」


 予想外の言葉にルカが声を弾ませると、ラゼルは「その時は俺も一緒だ」と言う。

 何故だろうと首を傾げると、ラゼルは困ったように言った。


「仮にだが婚約者に武器をもたせて何かあったら困るだろう」

「あー……確かに銃とか暴発しそうだし、それで訓練場が壊れたら困るね」

「そういうことじゃない。単に危ないからというだけだ。お前が怪我をしたら俺が困る」

「い、医療費的な……?」

「ここは王宮だぞ。医療費なんてかかる訳がない。俺が言いたいのは……その…………」


 ラゼルはどう表現して良いか分からないのか、言葉を選んでいるようだった。

 その難しそうな顔を見て、ルカは少し考えたあと、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

 ルカは俯いて考えているラゼルの顔を覗き込む。


「なんだ。ラゼル、私のことを心配してくれてるんだ?」

「────っ」


 そのルカの言葉にラゼルは目を見開き、それから顔を背けた。どうやら図星だったらしい。

 ルカはニヤニヤしながらラゼルの顔を見た。


「図星でしょ?」

「……うるさい」


 普段は無表情で毅然としたラゼルの表情が、少しだけ赤面していて口元を抑えている。

 その姿に、つい愛しさがこみ上げてルカは背伸びしてラゼルの頭をよしよしと撫でた。

 完全に子ども扱いされているラゼルは、はたと我に返ったのか、ルカを鋭く見詰め口を開く。


「……何をしている」

「撫でている」

「行動じゃない。理由を聞いているんだ」

「ラゼルは良い子だなって思ったら、つい」

「……普通は王族の人間にそんなことしないぞ」

「あ、そういえばそうか。でも一応今は婚約者だし、少しくらいのスキンシップはいいでしょ? 嫌なら止めるけど」


 ぱっと手を離してルカは笑う。ラゼルは溜息を吐くと、元の無表情に戻って「次へ行くぞ」と告げる。

 けれどルカはじっと真下を覗き込んで、ぱっと花が咲くような笑顔を浮かべて言った。


「ちょっと待って!」

「何だ」

「その前に私も剣を持ってみたい。女剣士なんて格好いいじゃん?」

「…………………………好きにしろ」

「やったー! ありがとう。それじゃあラゼル。一緒に行こう?」


 そう言って階段を降りようとすると、待て、と背後から声がかかる。

 あ、まずい。

 ちょっと調子乗りすぎたかと罪悪感が湧き上がると、ラゼルはひょいとルカを抱えた。


「え。ちょ、ちょっと待って。ごめん、調子乗りすぎました。だから投げ落とすのだけは勘弁────っ」


 けれどラゼルはそんなルカの訴えを無視してルカを抱えたまま、軽くステップを踏むように階段の縁に立った。

 見下ろせば風がひゅうと吹いて、これから投身自殺しますよという形になる。


「ラ、ラゼル、ちょ、待って、無理無理。これは死ぬから。流石に私は死ぬ」

「? いいから降りるぞ」


 そう言うなりラゼルはルカを抱きかかえたまま、階段の縁を蹴って跳躍した。

 案の定、びゅうと落下して下から風が吹き上がってくる。重力が下に向くのを嫌ほど感じた。



 死ぬ。



 これは死ぬか複雑骨折する。


 ルカは絶叫しそうになったが────恐れていた衝撃は身体に訪れなかった。

 とん、と軽やかにラゼルの足が地面に降り立つ。

 ぎゅっと瞑っていた目を開けば、ラゼルが不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。


「……? どうした? 不思議な顔をして」

「え、や、あの、いや、何で生きているんだろうって思って……」

「こんなものは低級魔術のひとつだ。なんだお前、怖かったのか?」


 魔術。そうか、魔術を使ったのか。王族の血を受け継いだのみ使える魔術を。

 納得しつつ、それでも思考が追いつかないルカを、ラゼルはそっと優しく下ろした。

 足が微かに震えるのは根性で堪えた。でもさ、そりゃ怖いさ。頭からはすっかり魔術の存在なんて抜けていたのだから。

 四階建てのマンションから降りるようなものだぞ、と言いたくなったがルカはその言葉は喉奧に閉じ込めた。

 その代わりに虚勢を張って、ひくついた笑顔を浮かべてラゼルを見上げた。


「別にー、怖くなんてなかったよ。ただ王族のみが使える魔術を間近に見れて感動していただけー」

「降りる時、凄い顔になっていたぞ」

「…………記憶から消して」

 

 きっとジェットコースターで落ちる時より酷い顔をしていたのだろう。相手がラゼルという美形とあって恥ずかしい。

 ルカはそんな恥ずかしさを打ち消そうと、降り立った訓練場を見渡した。上から見ても広々としていたけれど、実際降り立つとかなりの面積があった。

 見渡していてふと、強い視線があらゆる所から向けられていることに気付き、ルカは身構える。何か悪いことでもしたのだろうか?

 訝しげに思っていると隣にいたラゼルが軍人たちへと「気にせずに訓練を続けてくれ」と言う。

 軍人だちは巨大なクエスチョンマークを浮かべながらも、各々訓練に戻っていった。軍人たちの反応にルカは戸惑う。


「えっ私何か悪いことした? ごめん、やっぱ邪魔だった?」

「違う。単にこの場に女が立ったことなど今まで一度たりともなかったからだ」

「女性の軍人はいないの?」

「いるわけがない。それより剣、持ってみるんだろう?」


 連れられた武器庫は予想以上に広々としていて様々な武器が整然と並べられていた。その中で幾つも連なった剣をラゼルは吟味する。

 すごいファンタジーだ、と18年もこの世界で暮らしていた癖に感動するルカに、ラゼルがすっと剣を差し出す。


「これなら女でも持てるだろう。この武器庫の剣の中で一番軽かった筈だ」

「ふうん、刀身も細いし確かに軽そうだね」


 余裕余裕とルカはわくわくしながらラゼルから剣を受け取った。

 だが。

 途端に剣が重みで剣先が地面に突き刺さる。



 沈黙。



 あれ、おかしいな?

 ルカは嘘だと言いたくなった。

 こんな細身ですらりとした刀身なのに、何でこんなに重いのか……?

 きっと何かの気のせいだ、油断していただけだ。

 そう思い込むようにしてルカはもう一度力を込めて剣を構えようとする。

 だがぐぐと僅かに持ち上がった剣はまた呆気なく下がって落ちてしまう。


「…………威勢が良かった割に非力だな」


 見守っていたラゼルの言葉がぐさりと突き刺さる。

 ルカはふっと余裕あるふりをして言い返す。


「いやいや。これは剣が重すぎなだけであって、私が非力な訳じゃないから」

「非力だ」

「違う。違います。次は筋肉つけてくる。今度再チャレンジする」

「……それは今、非力であることを認めるようなものじゃないか?」


 非力非力と言われ何だかカチンときたルカは、それじゃあと口を開く。


「ならラゼルはこの武器庫の中で、一番重い剣を持てるの? 流石に持てないでしょ?」


 ずる賢いとは分かっていても、こう言ってみればラゼルだって非力であることを証明できるだろう。

 ラゼルは沢山の剣の中をぐるりと見渡して「一番重いもの……」と呟く。どうやら本当にやってくれるらしい。

 ルカは重い剣を持てずにしょんぼりするラゼルを想像し、内心ほくそ笑んでいるとラゼルが視線が一本の剣に止まった。

 どうやら見付けたらしい。ルカもそちらに目を向けると、


「え、こ、これ? 本気で?」


 ルカは信じられないといったように、裏返りそうになる声を出してしまった。

 なにぜそこにはラゼルの身の丈ほどの、しかも厚みのある銀色の大剣があったからだ。

 だがラゼルは何てことも無いように頷く。


「? これだが……何か問題があるか?」 

「え、大丈夫? これ持って骨折しない? ごめん、焚き付けた私が悪かったから持たなくて良いよ? ごめん、謝るからやめておいて下さい」


 幾ら仮の婚約者とはいえ、自分の所為で王子が骨折するなど大問題だ。

 何よりラゼルが可哀想だ。骨折なんて痛いに決まっている──。

 なんてルカが焦っているのに、そんなルカの心情にまるで気付いてないようにラゼルは大剣の柄を掴んだ。

 駄目だ。

 骨がポッキリいってしまう。

 けれど次に見たのはルカが全く予想しない光景だった。


「え」

 

 目の前の光景が信じられずルカが固まれば、大剣を片手で持ったラゼルが振り返る。


「? どうした」

「い、いや……え? 腕、大丈夫……? 無理しなくていいんだよ……?」

「無理してないが……」

  

 そう言うとラゼルは大剣を軽く、武器庫が壊れない程度に振る。

 その風圧を感じながら、ルカは「あ、本当に大丈夫なやつだこれは」と驚愕する。

 ルカは数分前の自分の提案に後悔しつつ、ラゼルに「あの、もういいです……」と声をかける

 ラゼルは無表情のまま「そうか」と言って大剣を戻した。なんだこの王子は。化け物か。けれど凄いことには変わりが無い。


「参りました……」

「別に何の対決もしていないだろう」


 さらりとラゼルはそう言う。そんな余裕すら格好良くて王子様ってすごいなとルカは思う。感動さえした。

 美形、王族。この二点だけで女性が群がると言うのに、戦う力も持っているなんて。

 神様は二つ才能を与えるとか何とか言っていたが、魔術に戦力に美貌に知能に家柄に……この王子は幾つも持ってますよ? と言いたくなる。

 

「……私も筋トレしよ……」

「? 何か分からないが満足したのなら次にいくぞ」

「はい……」


 完全に意気消沈したルカはとぼとぼとラゼルについていく。

 

「それで今度はどこに行くの?」

「元の階に戻って今度は金融庁へと行く」

「元の階」


 ルカは見上げる。闘技場から見ると四階だ。流石に四階に戻るのは階段だろう。

 ルカがそんなふうにほっとしていると、ラゼルが手招きをする。嫌な予感がする。

 ルカは直立不動のままラゼルに尋ねる。


「ええっと……健康のために階段を使うのはどうだろう……?」

「面倒だ。さっさと来い」


 じっとラゼルは見詰める。拒否権などない目をしていた。どうやら腹を括るしかないらしい。

 重い足取りでラゼルの前に立てば、ひょいとまた持ち上げられる。いい加減、この姫抱きは勘弁して欲しい。とルカの心の中のアラサーが叫ぶ。だが、そんなことなんて知らないラゼルは再び大地を蹴る。落ちるよりはマシだが凄い早さの跳躍に、ひっ、とルカは情けない声を上げてしまう。

 とん、と軽々とラゼルはさっきまでいた四階まで着地すると、これまた丁寧に優しくルカを下ろした。これまで乗ってきたジェットコースターの数倍も怖く、何より恥ずかしくてならなかった。ラゼルは完全に、色々な意味で打ちのめされているルカを見て不思議そうに首を傾げた。

 

「そんなに怖かったか?」

「ハイ」

「そうか。今後は気を付ける」

「ハイ」


 ここは流石にルカも正直に頷くしかなかった。だが、流石にメチャクチャ恥ずかしかったです、とは言えなかった。

 これまで──前世の分も含め──男性にお姫様だっこなんてされるなんて無いのだから仕方ない。


 それからラゼルについて広大な王宮内にある金融部、軍部、医療部エトセトラエトラ……を回ってルカが思ったことは。

 

 広い。

 複雑。

 ラゼルの歩くスピードが速い。


 そういう訳もあって王宮の3分の2を回った時点で、既にルカはヘトヘトになっていた。

 だが自分が言い出したこともあって「疲れた」なんて言えなかった。忙しいのに案内しつつ仕事をするラゼルを見ていると口が裂けても言えない。それに勉強しなければ。この国の執政についてゼロ知識はまずい。頑張ろうと奮起して再びルカはラゼルに続いた。


 そうして太陽が落ちるころ、ようやく「王宮&ラゼルのお仕事見学ツアー」が終わった。

 長かった。完遂した。だがまだまだ勉強する余地がありそうだ。

 ルカがそう思っていると自室に辿り着いた。今日一日の感謝をしようとルカが見上げると、ラゼルが赤い瞳でこちらをじっと見ていた。


「疲れただろう。つい自分のペースで巡ってしまった。すまない」

「いやいや、忙しいのにありがとう。とりあえず色々分かったよ。それと、部屋まで送ってくれてありがとう。ラゼルは優しいねぇ」


 本当に感謝しかない。本当は邪魔でしかなかっただろう。けれどラゼルは「別に構わない」と言う。

 その視線が不意に、ルカの足元へといく。

 何だろうと思っていると、ラゼルが片膝をついてルカの足首に触れた。


「……傷が出来て赤くなっている」

「あー、靴擦れのことか。まぁすごい血が出てる訳じゃないから大丈夫だよ」


 よく見ているなぁ、とルカが感心しつつ足を引こうとする。

 だがそれをラゼルは引き留めると、有無を言わせずにまた姫抱きした。流石に三度目の姫抱きは勘弁して欲しくてルカは声を上げる。


「ラゼル、あの、大丈夫だから! というかどこに行こうとしてるの?」

「手当をしなければならないだろう。だから薬術部に行く」

「いやいやいや大丈夫、本当に大丈夫、こんなの明日には良くなってるから」

「駄目だ」


 有無を言わせぬラゼルの言葉に、流石にルカは閉口せざるをえなかった。どうやらラゼルの意思は固いらしい。

 幸いルカの部屋から薬術部まではそう遠くなかったのだが、それでも緊張はする。抱きかかえられるなどこの先やられても何度だって緊張するだろう。なにせこんな美形が、自分なんかを平気でお姫様扱いするのだ。緊張するのは当たり前だ。今だって駄々をこねる子どものように暴れ出して、この優しい腕から抜け出したい。けれどそれはラゼルの優しさを無碍にすることだ。だからその衝動をどうにか堪えて、ルカはラゼルに薬術部に運ばれていった。

 そうして辿り着いた薬術部でルカは薬草を練った軟膏をつけてもらい、王宮医師に包帯を巻いてもらった。手当をしてもらう間、ずっとラゼルがこちらを見ていたが、何となく気まずい感じがしてルカは気付かないふりをした。

 手当が終わると案の定、ラゼルはまたルカを抱えようとした。けれどルカは「手当してもらったから」とやんわり辞した。それが不満だったのか眉根を寄せるラゼルに、ルカは慌てて「それじゃあ肩を貸して」と譲歩案を提案する。ラゼルは少し考えた後、渋々といった感じでルカに肩を貸した。

 部屋までひょこひょこ歩いていきながらルカはラゼルについて考える。

 ──今日見てラゼルが優しいと分かったけど、どうしてラゼルはこんなにも私なんかに優しいのだろう。

 ラゼルはその美貌も相まって、初対面の人には冷たい印象を与える。だがその実、優しい人だと今日、ルカはラゼルと一日を共にして分かった。この国の平和はラゼルのお陰と言っても過言ではないだろう。けれどこれほど忙しいのに、ラゼルのルカへの優しさは、他の人よりずっと上のような気がした。冷静な目で見ても、だ。今だってルカのちょっとした怪我でここまで尽くしてくれている。

 

「……何を考えている?」


 ルカが何も言わずにいたのが気になったのか、ラゼルが尋ねてくる。

 何を考えていたか、と問われてルカは少し考えた後、答えた。


「ラゼルのこと考えていた」

「…………何故?」


 またもや珍妙な生物で見るラゼルに、ルカは言う。


「どうして私なんかに、こんなにも優しいんだろうって思って」

「婚約者だからだ」

「それは仮でしょ。だから本来ここにいるべき人間じゃない。別に特別扱いする必要はないんだよ?」


 そう、それだ。特別扱い。

 なにせルカは、本当にラゼルが好きな人が現れるまでの、謂わば「繋ぎ」の存在なのだから。

 他の人に向ける優しさと同じでいいし、こんなふうに本当に愛する人に向けるような対応はしなくていいのだ。

 もしかして気を遣っているのだろうか、とルカはラゼルを見上げる。

 二人の間に沈黙が流れる。

 ラゼルは微かに惑うような色を見せたあと、淡々と答えた。


「……仮に、でもだ。お前は今、俺の婚約者ということになっている」


 つまりそれは周りに特別扱いしておかないと、仮初めの婚約者であることがバレてしまうから、という意味だろうか。

 それだったら納得いく。


「あーそっか。周りの目があるもんね。なるほど。あ、部屋ついた」


 肩を借りていたルカはようやくラゼルから離れると、改めて言った。


「沢山気遣ってくれて本当にありがとう。ラゼルもさ、今日一日すごく頑張ってたね。疲れたでしょ?」

「別に疲れてなどいない」


 平然とそう言うラゼルに、ルカは眉根を寄せて見上げる。


「いーや頑張ってたし、今だって本当はきっと疲れている。だから今日はちゃんと寝なさい。分かった?」

「悪いがまだやることがある」

「うーん……、やることがあるなら仕方ないけど徹夜は駄目だよ? 心配だし」

「心配」


 理解できないといったように眉根を寄せるラゼルに、ルカは笑って言った。


「そう、心配。だってあんなに動き回って働くのがラゼルの日常なんでしょ。そりゃ心配だって。若いとは言え、身体壊したら大変だから」

「……お前は時々、そうやって俺より年上ぶるな」

「嫌だったら改めます」

「……別にいい」

「うんうん。ありがとう。それじゃあ、おやすみ。……あ、ちょっと待って。ラゼル、ちょっとかがんでくれない?」


 ルカの言葉にラゼルは怪訝そうに、少しだけ身をかがめる。

 その艶やかな黒髪が手の届く範囲になって、ルカはその頭をよしよしと撫でた。

 驚いて目を見開くラゼルに、ルカはくしゃりと笑った。


「よく頑張りました、ラゼルは本当に偉い! 明日もまた頑張ろーね! それじゃー、今度こそおやすみ」

「…………ああ」


 身を起こし少し呆然とするラゼルが可笑しくて、またルカは少し笑ってからぱたんと扉を閉じた。

 そして、




 猛省した。




 またやってしまった。

 まただ。

 また、ついアラサーの自分が出てしまった。

 だって仕方ないじゃん。ラゼルめっちゃ頑張っていたしj。あんなに若いのに!

 ずるずると扉を背にルカは座り込む。

 ああ、何でこんな風に振る舞ってしまうのだろう! 馬鹿か私は!?

 もうちょっと淑女らしいというか、年下らしいというか、そういうのが何故できないのか……。

 ルカはその日小一時間ほどうんうんと唸って悩んで。



 結局、疲れたので寝た。




長くなってすみません。次はラゼル視点です。

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