そして彼女は眠る
「お前が普段していることを見てみたい」
そんな事をラゼルが言い出したのは、1ヶ月に1回設けられた「余暇」だった。余暇の間の王政はすべて宰相のグラムに一任されることになった。恐る恐るグラムにお願いしたのだが、二つ返事で引き受けてくれた。
「なーに、これで財務部の子と会えるから俺としては大歓迎だぜ」
どうやらグラムの好きな人は財務部にいるらしい。いずれにせよ、ラゼルの余暇はこうして確保された。案外すんなり得た休暇に、開口一番に言ったのが、そんな「見てみたい」というラゼルの台詞だった。
もう最近はめっきり女っ気がなくなってしまったルカは、白衣のまま図書室で資料を漁りながら声を上げる。
「え、なんで」
「気になるからだ」
そこには勿論「俺の知らないお前の一面が知りたい」という思いもあるのだろうが、ラゼルの口から出たのはそんな淡泊な言葉だった。分かりにくく見えて意外と分かりやすいラゼルにくすりと笑うと、ルカは資料を持ったままラゼルを見上げた。
「そんなんでいいの? デートはどう?」
「……………………今度する」
長い沈黙のあとに返ってきた答え。どうやら結構迷ったようだ。そんなラゼルが可愛くてにやけそうになる顔を必死におさえる。けれどラゼルは気付いたようで、「何をにやけている」と不服そうに言った。
「ラゼルが可愛いなぁって思って。凜々しい執務中の姿とは全然違うからさ」
「……駄目か?」
「どっちも好きだよ。当たり前じゃん。それで、私の1日といえば図書室と薬術部室の往復か、たまーにフィールドワークで外に出たりするかだけど、本当に大丈夫? 今日は天気が良いからフィールドワークする予定だけど」
「かまわない」
そう言うラゼルがあまりに無欲で、ふむとルカは考え込んでからふと思い出して言う。
「あっ! じゃあさ、怒らないって約束するなら薬術部のヒミツの会、参加してみる? 確か今日開催」
「……? 何か分からないが国を脅かすものでなければ問題ない」
「ふふふ、じゃあフィールドワークに出る前に行こうか。開催はお昼。丁度今からだ」
ルカはラゼルの手を退くと、足取り軽く薬術部へと向かった。ラゼルは不思議顔のままついてくる。薬術部の前に辿り着くと、ラゼルの不思議顔は一層強くなった。普段は硝子張りの窓で中が見えるのに、今は黒い幕で覆われて何も見えない。
「新薬の開発中か……?」
「違うよ。それじゃあ行こうか! お邪魔しまーす、会員No.30のルカです!」
いつも通り申告してから扉を開く。ルカの後にラゼルが続く。そして室内の様子にラゼルはぽかんとする。同じくらい、突如現れた殿下にぽかんとする。それが可笑しくてルカは笑いながら説明する。
「みんなごめんねー、ラゼルがこの『ヒマトトリトゥスの会』に参加していって言うから連れてきちゃった。怒らないって言ったから安心して、いつも通りヒマトトリトゥスを楽しみながらお茶会しよう!」
「で、殿下……こ、これは別に、職務怠慢している訳では……!」
慌てたように言う研究員にラゼルは「かまわない」と言う。いっせいに皆、ラゼルのために席を空け、ルカは隣に座る。ラゼルは室内にぼんやりと浮遊し、翠色に部屋を照らす奇妙な球体を見ながら、首を捻る。
「これはなんだ」
「ヒマトトリトゥス」
「ヒマトトリトゥス……」
膨大な知識が詰まった頭の中から「ヒマトトリトゥス」なる単語を探しているのだろう。けれどその検索結果はゼロに終わったらしい。ルカを見る。
「ヒマトトリトゥスというのは何だ? この発光する球体がそうなのか?」
「うん。そうだよ」
「そんなものを俺は知らない」
「そりゃそうだよ。名付け親は私だもん」
「最低のネーミングセンスだな」
容赦ないラゼルの言葉にルカは膨れっ面をする。
「だって鳴き声がヒマトトリトゥスだったんだもん。センスとかの問題じゃない」
「鳴き声……? これが鳴くのか?」
まりものように浮遊するそれらが鳴くなど、ラゼルは全く信じていないのだろう。そうしているうちに普段は調合台のテーブルがティータイムのテーブルとなり、紅茶やらお菓子が出てくる。ついでに蓄音機も。
その蓄音機と共に登場したのが我らが「ヒマトトリトゥスの会」の会員番号No.1の薬術部長リオンだ。リオンはまさかのラゼルの存在に僅かに目を見開いたあと、へにゃりと笑った。
「あの~え~っとですね~殿下、これは職務怠慢している訳では」
「構わない。私が望んで参加したことだ」
「それなら良かった。どうぞ楽しんでいってください~」
と言いながらリオンも席につく。蓄音機からクラシック音楽が流れた途端に、さっきまで意思なく浮遊していたヒマトトリトゥスがご機嫌そうに跳ね回り、やがてペアを組んでくるくると、それこそワルツを踊るように踊り出した。ヒマトトリトゥス~ヒマトトリトゥス~と幼児のように高い声で歌いながら。
ラゼルは、ぽかんとしていた。
期待通りの反応にルカは笑い出す。
「可愛いでしょ? ヒマトトリトゥス。聞いた音楽によって動きも変わってくるんだ」
「…………お前、こんなものどこで見付けてきた」
「ヨツツジの森。懐かれたのか気付いたら採集鞄いっぱい入ってた。世界生物全集にも載ってないからラゼルが知らないのも無理はないよ」
そう言えば急にラゼルは仕事の顔になって、ルカに問う。
「お前、ちゃんと世界生物機構に新種として届け出たんだろうな?」
「その日の内にしたよ。でも受理と回収されるのに時間がかかるみたいだから、その間ヒマトトリトゥスの会は開催されてるってわけ。それにこれも研究の一環じゃない? ヒマトトリトゥスを検体として成分調査するのは気が引けるけど……こんなに可愛いし……」
触れるところまでワルツしながらおりてきたヒマトトリトゥスに、ルカは指でちょこんと触れる。途端に、ヒマトトリトゥスは喜びに震えるように、ぱっぱっと光の粒子を散らす。周囲も談笑しながらヒマトトリトゥスと戯れたりしてティータイムを楽しんでいる。
「他にもヒマトトリトゥスはこんなこともしてくれるんだよ」
そう言ってパチパチと拍手するように手を叩けば、上のほうにいたヒマトトリトゥスたちが身体を震わせて、緑の粒子を紅茶やお菓子へと落としていく。翠色の粉砂糖のようなものがふりかけらられた紅茶を口にしようとすると、「待て」とラゼルの制止の声がかかった。
止められたルカは首を傾げる。
ラゼルは厳しい表情のまま言う。
「お前……その謎の光る粒子が入った紅茶を飲むつもりか?」
「えっ飲むよ。ヒマトトリトゥスの粉は美味しいんだよ。何味って言われたら説明難しいんだけど……そうだなぁ、甘みを控えた粉状の生クリームに近いかな。砂糖とは違う。もっとこう……深みがあるというか……」
ルカは悩みながら紅茶を飲んで、おいしいなぁ、と言う。他の研究員たちも粉がかかったお菓子やお茶を平気で口にしていた。食べるべきか食べないべきか惑っていると、薬術部長のリオンが笑顔ですすめる。
「殿下、ご安心ください。この粒子に身体を害する成分は何一つ入っていません。むしろ代謝を良くし、疲労を緩和する効果があります」
「そういう訳でラゼル。一杯どうぞ」
「…………分かった」
そう言ってラゼルはティーカップを手にして、口にする。こくり、と喉が動く。ティーカップが置かれる。研究室の全員の視線が、ラゼルに注がれた。ラゼルは僅かな沈黙のあと、口を開いた。
「……美味しいな」
研究所内の緊張が一気に弛緩し、同時に歓喜の声が上がる。
「良かった、口に合ったみたいで。ヒマトトリトゥスも喜んでるよ」
ルカの言うようにくるくると機嫌良さそうに踊っていた。そんなヒマトトリトゥスと戯れながらお菓子とお茶を楽しむと、お昼の時間が終わりに迫っていた。薬術部長のリオンがパンパンと手を叩いて終了の合図を告げる。
「さて、そろそろヒマトトリトゥスの会は終わりだ。ルカちゃん、ヒマトトリトゥスを回収してもらっていいかい?」
「了解です。ほらほらヒマトトリトゥス、お帰り~」
そう言って研究室の片隅にあった水槽に、小さな葉を散らせるとヒマトトリトゥスたちはふわふわと集まって、水槽の中にとぷんとぷんと身を沈めていった。水に入るとヒマトトリトゥスはきゅっと身を縮めて小さな球体になる。それを眺めていたラゼルは言う。
「……奇妙な生き物だな」
「そうだね。検体を調べたらもっと面白いことが分かるかも」
「ヨツツジの森で見つけたと言ったが、今日も森に行くのか?」
「行くよ。でもラゼルは入れるかな。ヨツツジの森は森に入る人を選ぶから」
「ああ、そういえばそうだったな。入ろうとするとヒソカの樹木の棘が剥き出しになり、ヒソカリウムの毒を垂らすと……焼き払えば入れるんだがな」
物騒な言葉にルカはおずおずと口を開く。
「焼き払うって……魔術で?」
「ああ、中級魔術だからコントロールも簡単だ。棘の部分だけ焼くこともできるが」
「駄目でしょ」
「冗談だ」
分かりにくい冗談だ。ラゼルの瞳は愉快そうだ。多分他の所員には伝わってなかったのだろう。「殿下それは……」と言いたげだった。笑い出したのはリオンだった。
「皆、殿下はそんなことをするお方じゃないことを存じているでしょう? 安心しなさい。殿下はヨツツジの森に入るのは初めてでしたっけ?」
「ああ。だから今回、入ることができるか分からないな」
「ラゼルなら大丈夫じゃない? まあまあ、早速行ってみようか。それじゃ皆、午後も研究がんばって!」
「いってらしゃいルカちゃん。棘は大丈夫でも何があるか分からないから気を付けてね」
「了解です」
そう言うとルカはラゼルと共に東南の森にあるヨツツジの森へと向かった。
外は散歩日和という感じで、風は心地よく吹き、青い空がひろがってふわりと綿菓子のような雲が浮かんでいた。ヨツツジの森の緑は美しく、十分歩いて行ける距離にある。散歩にはもってこいだ。ルカは白衣を纏ったまま、採集箱と採集キットを持って、ラゼルと共に歩き出した。あたりは青々とした草原が広がり、緑の匂いがした。昨日の大雨のためか、一層その匂いが濃い。
「お散歩びよりだねぇ。護衛もいないし、二人きりで大満足だ」
「そうだな。……気分が良い」
さらりとラゼルの黒髪が揺れる。明るい空の下で見るラゼルはいつもと違って柔らかな雰囲気で、こういうふうに自由になった姿も良いなと思った。ルカは幸せのあまり、へへへと笑ってしまう。ラゼルがこちらを見る。普段より明るい、陽のさした瞳だった。
「何を笑っている」
「幸せだなぁって思って」
そう言うとルカはラゼルの手を取った。手を握って歩くなど、王宮内ではできない。だからこそ嬉しいというのはあった。見えてきたヨツツジの森は太陽の光を浴びていた。爽やかな緑の色。
「……あれがヨツツジの森か」
「そうそう。入れるといいねぇ」
森の入り口に立つと、先に一歩、ルカが森の中に入った。ラゼルが近づくと、拒むようにヒソカの棘が入り口を阻んだ。ラゼルはむっとして不愉快そうに顔を歪めた。まるで子どものような反応に、ルカは吹きだして笑う。棘の向こうにいるラゼルへと向かって、ルカは言う。
「ねぇ、本当に棘だけ燃やしちゃって中に入る? 折角二人で来たんだし」
「……さっきは駄目と言っていたじゃないか」
未だに臍を曲げているラゼルに、ルカは言う。
「しょうがないなぁ。じゃ30分くらいで帰ってくるから。ラゼルはすぐそこにある湖でゆっくり休んでいるといいよ。湖に棲んでる精彩魚、綺麗だし見ていると癒やされるよ」
「…………分かった」
渋々ラゼルは承諾する。ルカは苦笑して「それじゃまた後で」と言って踵を返そうとした。
そこで不意にラゼルが何かに気付いたように声を上げた。
「ルカ、足元が泥濘んで──」
「え?」
振り返った瞬間。
昨日の雨で泥濘んだ土に足がとらわれ、ずるりと足が滑った。
剥き出しになったヒソカの木の棘が────ルカの頬を掠めて薄く切り裂いた。
ぐらり、と世界が歪む。
ルカは立っていられず、その場に座り込む。ヒソカ、の毒。ヒソカリウム。苦しい。全身が敏感になって至るところが痛む。呼吸が浅く、何度きちんと呼吸をしようとしても、ぜえぜえという息しか出てこない。強い吐き気、酷い眩暈、視界がぼやける。痛い、苦しい、気持ちが悪い。
やがて身体が崩れ落ちる。
「────ルカ!」
ラゼルの叫びが聞こえる。ぼやけた視界の先で、ヒソカの木々が一瞬で燃え尽くされる。
足音。ラゼルだ。
ラゼルが名前を呼んでいる。けれどその声も薄膜で遮断されたように、よく、聞こえない。
抱き越される。
何か、ラゼルが言っている。
けれど、ルカは何も言えない。
全身が針で刺されたように痛い。
歪んだ世界がどんどんと霞がかって遠くなる。
そして。
ルカの意識は闇へと落ちた。
ここまでお読み下さってありがとうございました。
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Twitter→@matsuri_jiji




