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雨はまだ降り続いている


 ルカと会えない。

 ルカに触れたい。

 あの笑顔で名前を呼んで欲しい。


 深夜、そんなことを思いながらもラゼルは淡々と仕事をこなしていく。

 少年法の見直しは数カ所改訂し、後のことは法務部に任せれば良い。他の部署も、多少な問題は起これど迅速に対応することができた。先日の世界首脳会議で議論された政治的、経済的課題もどうにか収拾がつき、その報告書を各国に報せる作業も機械的にこなしている。少年法の見直しの時に比べれば、今の仕事の忙しさはラゼルにとって日常的なものだ。だから執務は問題ない。

 問題は、ルカだ。


「……ルカ……」


 ぽつりと仕事中なのに呟いてしまう。同時に溜息も。

 ルカに会いたい。

 けれどルカは自分には会いたくないのだろう。

 それもそうだ。忙しいとはいえ婚約者を放っておいて、その度にルカに無理して「大丈夫だ」と笑わせて。きっと愛想を尽かされたのだろう。あんな風に冷淡な態度をルカに取られるのは初めてだった。正直、ショックだった。


『──触らないで下さい』


 あの無感情な目と声が忘れられない。ただ酷く拒絶されたのは分かった。

 何がルカをあれほどまでに傷つけたのだろうか。

 矢張り、「あれ」が誤解だと説明できていないからだろうか。それがあって未だにルカは自分を避け続けている。話を聞いて欲しい。そう思っても、ルカの拒むような瞳を前にすると、伸ばしかけた手も止まってしまう。今の自分が何を言おうと、信じてもらえない気がして、踏み出せなかった。

 そんな事を考えていると、ノックも無しに乱暴に扉が開いた。

 こんなことをするのは一人だけだ。


「グラムか。どうし」

「お前、ルカちゃんを泣かせてんじゃねーよ!」

 

 もの凄い剣幕で机に迫ったグラムは、怒りを込めてラゼルを見下ろしていた。

 

「泣く……?」

「そうだよ。今日、見たんだ。お前何かしてたんだろ?」

「何か……確かに、最近忙しくてルカと会えなかった」

「それだけじゃねーだろ。ルカちゃん言ってたぞ! お前とか、お前の知り合いと色々あった、って。その知り合いっていうのは誰なんだよ? お前、まさか浮気なんかしてんじゃねーだろうな!?」


 その言葉にラゼルは眉を顰め、きっぱりと否定した。


「そんな訳がない。俺が好きなのはルカだけだ。他に興味などない」

「……そうだよな。悪かった。俺もカッとなってバカなことを言った。でもよ、心当たりねぇのか? お前と最近、よく喋ったり、一緒にいたり、そういう奴。というか女」


 グラムに尋ねられ、ふむ、とラゼルは考える。王宮の中や外で出会った人々全てを漏らした。その末に。、


「…………いる」


 頭の中に最近よく少年法の事で相談してきた法務官のアイシアが思い浮かぶ。思い浮かんでから、さぁ、と血の気が引いた。さっきも考えていたが、ルカにまだ誤解を解いてなかった。忙しいのもあった。拒絶されるの怯えもあった。信じてもらえなかったらと考えて怖いのもあった。

 けれど何もかもが遅かった所為で。

 

 その所為で、ルカを、泣かせた。

 冷淡な態度を取らせてしまうだけじゃなく、涙さえも、流させて。

 

 そんなラゼルの微々たる変化に気付いたのだろう。グラムは盛大に溜息を吐いたあと、ラゼルに尋ねた。


「……で? その女と何があったんだよ」

「何が……というより、誤解された」

「誤解って何がだよ?」

「貧血で倒れそうなところを支えた。そこを……ルカが見て、立ち去った」

「バッカじゃねぇの!? お前! 追わなかったのかよ!?」


 グラムの容赦ない罵声に、ラゼルはむっとする。


「勿論すぐにルカを追った。だが……どう説明するか惑っている間に……」


 視線を惑わせているラゼルに、グラムは心を見抜いたように言った。


「拒絶された。そういうことか。お前の欠点がモロに出たな。それでお前、その後ちゃんとすぐに誤解を解いたの?」

「いや……避けられるようになってしまった上に、執務もあって……まだ、解けていない」

「まだ!? 遅いだろ!? ……いや、まぁ執務も大事なのも分かるけどよー……でももし、そんなの繰り返したら愛想尽かされるぜ? で、その女に関することで他に何かあるんじゃねーのか?」


 他に、と考えてラゼルはふと思い浮かんだことを、暗澹たる気持ちで言った。


「倒れそうになった時に手首を捻った、と言ったから触診してみた。異常はないようだったが……」

「はぁ…………それで、どうせルカちゃんがまた見ていたんだろ。多分」

「……そう、かも、しれないな……いや、そうだろう……」


 確かにあの後、ルカはアイシアに呼ばれて同席した。その間もずっとルカはラゼルを見なかった。

 グラムはやれやれといったように溜息を吐き出し、首を振った。


「もうバカすぎて何も言えねぇよ。これは俺の想像だけど、どうせお前、仕事をエサにその女と一緒に食事したりしたんだろ。あと俺も少年法の事は聞いてるから、お前のことだ。今までよりずっと早起きになったから起こさなくていいってルカちゃんに言ったりしてさ。多分だけど」

「! グラム……お前はすごいな……よく分かって」

「感心している場合じゃねぇっつーの!」


 グラムが呆れ混じりに怒鳴る。どうやら心底呆れているようだ。だが、グラムの言うことは尤もだ。何も言えない。グラムはもう怒鳴る気も失せたのか、椅子に腰掛けて、まるで子どもに話しかけるように言った。


「あのよー……逆の立場で考えてみ?」

「逆……?」

「そう、お前が婚約者、ルカちゃんが国の為に働くハードワーカー。毎日毎日忙しくて会えるのはメシか起床の時くらい。そのメシの時ですら会えねぇ時がある。けど文句は言えねぇんだよ。だってルカちゃんは国のために頑張ってるんだから。んでもってある日、全然知らねぇ美形とルカちゃんが仕事してて、そいつとは仕事だからと言ってメシ食ったりすんの。そこでさ、今度は追い打ちかけるかのように二人が抱き合ってた。


そんな光景見たらどうよ? そいつがルカちゃんの手に触れているの見たらお前、どう思う?」


 そこまでグラムに言われラゼルは想像してからすぐに答えた。


「不愉快だ」

「でもお前がそんな事を言ったら、ルカちゃんの仕事の邪魔になるんだぜ? そうしたらもう我慢するしかねーじゃん。ルカちゃんが一緒に仕事する相手に、今すぐ離れろなんて言えないだろ? そんなこと言ったらルカちゃんの仕事に支障がでる訳だからさ」

「……そう、だな……」

「でもそんな思いをルカちゃんはずっとしてきた訳よ。ルカちゃんがお前のこと、どんだけ好きか、お前自身よく分かってるだろ?」


 グラムの言葉に。ラゼルは「そうだな」と頷く。自惚れているかもしれないが、自分と同じくらいに、これまでルカは自分を愛していると思ってきた。あの幸せそうに笑う姿を思い出して心が痛む。それが見られなくなったらと思うと耐えきれなくて、ラゼルは口を開いた。


「グラム。俺はどうしたらいい?」

「さっさと誤解解いて、その女を遠ざけろ。もう少年法の件は落着したんだろ。簡単なことじゃねーか」

「簡単だろうか……」


 もう今は自分の顔など見たくないとルカは思っているに違いないのに、そんなルカの感情を無視して話を聞けなどと言えるのだろうか。ラゼルは考えて、それでもそうしなければならないのだろうな、と結論を出した。


「ま、やってみろよ。またバカやったら今度はぶん殴るからな」


 そう言うとグラムは満足したように執務室から出て行った。

 残されたラゼルはひとり溜息を吐き出した。

 思えばゆっくりとルカと過ごす時間なんて、殆どなかった。一番長くて祝霊祭の時くらいだろう。それでもルカは一度も文句を口にしなかった。たまにある、ひとときの逢瀬を、嬉しそうにして受け入れてきた。たった数分でもラゼルと一緒にいれたら、ルカはいつだって幸せそうに笑っていた。


 その笑顔を奪ったのは、他の誰でもない、自分だ。


 ラゼルは明日のスケジュールを見返した。隙間の時間を探してみたが、どうにもちゃんと喋れる時間が取れそうもない。執務が落ち着くのはこの時間くらいだろうが、こんな時間にルカを呼び出して良いのだろうか。そもそも、それに応じてくれるのか。

 

「……俺は最低な男だな」


 呟いた声は、静かな執務室に小さく響いて消えた。






 朝、目が覚めると虚しい気分と共に身を起こした。優しく起こしてくれるルカの体温はない。その寂しさを自業自得だと思ってラゼルは身支度を整えると、

執務室へと向かった。今日の予定を頭の中で整理しながら、椅子に腰掛けると溜まっていた資料を整理し始めた。

 午前は各部署からの報告、午後は視察の為に、環境部の職員を引き連れて南部地方へと向かうことになっている。

 南部地方では現在、密猟と思しき事が起きているとの報告を受けていた。それが水質の変化ではなく本当に密猟なのか、だとしたら密猟者の侵入経路を突き止め、場合によっては警備を見直す必要がある。

 南部地方のロレムの森の湖に棲まう翠玉魚は、その背びれに多くの翠玉を纏わせており、夜には発光するという魚類だ。翠玉魚は準絶滅危惧種に指定され、保護活動がなされている。

 ……さてどうするものか。

 警備を補強し、密猟者を摘発する為に人員を増やすべきか。だが、軍事部の人員をそちらに回すとなると、国内の警備が疎かになる。そうなれば先日起きた未成年の殺人事件ような事件が頻発するかもしれない。ただの殺人事件ならまだしも未成年による殺人事件だったことが問題だ。

 今回の少年による犯罪の背景には孤児の増加により、数年前より孤児たちが貧しい暮らしに置かれた事に原因があった。それに耐えられなかったからこそ少年は強盗致死という罪を犯したのだ。国としては前々から孤児院を支援し続けているのだが、まだまだ充足しているとは言い難い。どこの予算を削減すべきか。この件は法務部と文部科学部の青少年保護課を交えて、後ほど考えることにしよう。

 ラゼルは昨日各部署から上がってきた報告書から、早急に解決すべき問題から見直すべく資料と睨めっこする。


 ──誰しも幸福で、安心できる国を目指しているのに、現実はうまくいかない。


 守るべきものは沢山あるのに、今だってままならない。

 そんなことを考えていると執務室のドアが今日もノックされる。入れ、といつものように資料を見ながら言えば、文部科学部の学部長が悩み顔で「殿下、お時間頂いても宜しいでしょうか?」と尋ねてくる。

 ……ああ、これも後回しにしてしまっていた問題だ。

 ラゼルは思い返して学部長に席を勧める。

 学部長は困り果てた顔で言う。


「先日も申し上げたように、昨今、法務学院の講師の人員が足りず、少人数で講義を回す形になっています。学生に対し講師があまりにも少なく、講師たちの負担が大きかったのでしょう。遂に先日一人、過労で倒れてしましました。このままだと法務学院がうまく機能しなくなると思われます」

「……そうか。ならば国内で法務に詳しい識者をリストアップし、精査の後、学院の講師として打診しよう。少し時間がかかるかもしれないが構わないか?」

「いえ、お忙しい中本当にありがとうございます。私の方でも宮廷内に志願者がいないか呼びかけます。それと、こちらは国内の各学院の今期の予算案です」

「分かった。目を通しておく。何か問題があればまた来ると良い」

「承知しました。感謝します。それでは失礼致します」


 そう言って文部科学部の学部長は部屋から出る。

 入れ替わるようにして、いつもやって来る財務部の女性財務官が執務室へと入ると、淡々と国内にある大手銀行の監査結果を述べた。その報告書をラゼルへと手渡す。決済書の控えを眺めながらラゼルは問題がないと判断し、女性財務官を退かせようとしたところで──ふと思うことがあって呼び止める。


「待て」

「何でしょう、殿下。報告書に何か問題でも?」


 ラゼルほどではないが仕事人間の女性財務官はラゼルに向き合う。その顔には特に笑顔はない。アイシアとはまるで違う。というよりこれが普通なのだ。だからこそラゼルはその女性財務官へと問う。


「……仕事と私的な事の両立はどうしたらいい?」


 その問いがあまりに意外だったのだろう。少しの驚きを見せたあと女性財務官は難しい顔をし、口を開いた。


「現在執務に追われている殿下の場合、正直、両立は難しいかと。ですが、殿下も人間ですから最低一ヶ月に一日はどなたかに執務を任せ、余暇を取った方がよろしいかと思います。可能であれば、のは話ですが」

「そうか……もう一つ聞いても良いか?」

「はい。構いません。正しい答えを出すことができるかは分かりませんが」

「女性に避けられている時、その女性と会話するにはどうしたらいい?」


 少しの間の後、女性財務官は淡々と答えた。


「避けられているのなら、会話は難しいでしょう。待つしかないかと」

「……そうか」

「お役に立てず申し訳ありません。それでは失礼致します」


 そう言うと女性財務官は颯爽と執務室へと出て行った。

 待つ、か。とラゼルは小さく呟く。

 待つと言ってもどのくらいだ? 

 

 一週間? 

 それとも一ヶ月? 

 それ以上? 

 それが分からないことが、辛い。

 

 だが辛いと思っても仕事はしなければならない。ラゼルは苦々しい顔で各部署への指示書を作成すると、今日あがってきたばかりの報告書と国財の現在額を確認してみた。そうしているとまた、執務室のドアがノックされた。機械的に、入れ、と命じると現れたのは──新米法務官のアイシアだった。


「お忙しいところ、失礼します。殿下。殿下がお求めになっていた過去の少年犯罪のリストです」 


 アイシアは僅かに開けた胸元を見せつけながら微笑む。ラゼルは苦々しい表情を浮かべる。

 けれどそんなラゼルの微々たる表情の変化なんて気付いていないのだろう。アイシアは愛らしい笑顔を浮かべたまま、資料を手渡してくる。それを受け取って、ふむとラゼルは考える。

 やはり少年法の改定はしたものの、孤児と孤児院が問題の根幹なのかもしれない。これは速やかに解決しなければと思っていると、アイシアが部屋から出て行かない。訝しげに思ってアイシアを見ると、アイシアは酷く困窮した様子で口を開く。


「あの……殿下に申し上げて良いか、迷ったのですが……」

「? 何だ、言ってみろ」

「……ルカ様についてです」


 ルカ、と聞いて心臓が跳ねる。ラゼルは平静を装って、ルカがどうした、と尋ねた。

 するとアイシアは一拍の間のあと、申し訳なさそうに口を開いた。


「偶然お話しする機会があった時に、ルカ様が仰っていたんです。その……殿下が仕事ばかりで、もう王宮から去りたい……と」


 アイシアの言葉に、ラゼルは一瞬呼吸を忘れる。


 この王宮からもう去りたい。

 それはラゼルから離れたいということを意味している。

 ラゼルにもう、会いたくないということも。

 言葉を失っているラゼルに、アイシアが謝罪する。


「申し訳ありません。お二人の事なのに差し出がましい事を言ってしまって……」

「……いや。構わない」

「あの、殿下。気晴らしに少し休憩を一緒に──」

「悪いがそんな暇はない。早く出て行ってくれ」


 そう言うとラゼルは持っていたペンを置いて、黒い外套を羽織ると、赤い瞳でアイシアを鋭く見た。アイシアはびくりと身体を震わせ、逃げるように執務室から出て行く。ラゼルは魔術で部屋の鍵を閉めると、歩き始めた。南部の視察には予定より時間は早いが、あの執務室で閉じ篭もっているのは耐え難かった。

 ふとエントランスへと出る廊下へと向かっていると、薬術部の前を通った。

 硝子張りの窓越しに、ルカは薬術部長のリオンと談笑していた。いつも見ていた、無邪気な笑顔だ。その笑顔が自分ではない他の男に向けられている。勿論、リオンは優秀な研究者であり、決して恋情を持ってルカに接している訳ではない。ただの仕事仲間のようなものだ。それでも気になって見ていると、不意に、ルカの手に薬剤がついてしまったのだろう。慌ててリオンがルカの手を優しく拭う。


 見たくない、と思った。

 けれど同時にルカにも、それを見せてしまったのだと思った。


 ラゼルは外に出る。ぽつぽつと雨が降っていて、ラゼルはフードを被った。見上げた曇天は国中を覆い隠して、これから冷たい雨を降らすのだろう。

 今のラゼルにはお似合いの天気だった。





ここまでお読み下さってありがとうございます!


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