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前世


 朝、目覚めるとすぐ近くにラゼルの顔が見えて、その整った顔立ちにルカは見とれた後──起こさないように笑った。長い睫毛は伏せられ、昨日触れ合った唇は柔く結ばれている。文句なしに美しい寝顔で、それを独り占めしているような気がして、本当に自分には勿体ないくらいの人だとルカは思った。このまま無防備で安らかな寝顔を見ていたいという気持ちもあれば、早く起きて「おはよう」と笑い合いたい気もする。


「ん……」


 甘えるような息を漏らしたあと、ラゼルの睫毛震え、ゆっくりと開く。窓辺から差し込んだ光が、その赤い色をきらめかせていた。ラゼルはルカをぼんやりとみたあと、ルカ、と言う。ルカは笑ってラゼルの頭を撫でながら「おはよう」と言った。ラゼルはいつもとは違って幼い表情で、おはよう、と返す。それがたまらないくらい可愛くて、ルカは思わずにやけてしまう。ようやく覚醒してきたのか。ラゼルが笑う。


「……いい朝だな」

「本当にね。ラゼルのおかげで良く眠れた」

「俺もだ」


 そう言うとラゼルはルカをぎゅっと抱きしめる。ルカは眉尻を下げて言った。


「ラゼル。ほら、そろそろ起きないと。朝ご飯、逃しちゃう」

「んー……嫌だ」


 珍しく駄々をこねるラゼルが可愛らしい。それでも今日だってラゼルの1日は忙しいものになる。朝食は食べなければとルカはそっとラゼルの身体を押す。けれど余程ルカと離れたくないらしく、ラゼルは動かない。それどころか首筋に顔を埋めて、何度も口づけを落とす。くすぐったいような、気持ち良いような、そんな甘い愛撫に流されそうになる。けれどルカは「だめ」とストップをかける。


「今日もきっとラゼルは忙しいんだから。ちゃんと体力つけないと」

「お前がそばにいないと嫌だ」

「私がそばにいたら仕事にならないでしょ」


 そう言うと少し強引にラゼルの腕から脱げ出す。ラゼルはむっと唇をへの字に曲げる。ルカはラゼルの黒髪を撫でると、それじゃあまた後で、と言って立ち上がった。ラゼルも流石に甘えてはいられないと思ったのだろう。溜息共に立ち上がると身支度をして、ルカを部屋の前まで送る。


「それじゃ昼食のとき、また会おうね」

「……ああ。分かった。楽しみにしている」


 言うなりラゼルはルカの頬に口づけして、いつも通り王子然として立ち去っていった。そのギャップと突然の口づけにルカは顔を真っ赤にする、急に甘やかされてしまって、どう振る舞って良いか分からない。いつも通り、いつも通り、と自分に言い聞かせて今日も早速ルカは薬術部へと向かった。

 薬述部に入ると、草木の香りや蒸留した花、それから色々な実験器具がルカを出迎えた。樹木の生育の為か、天井には常に魔術で作られた疑似太陽が浮かんでいる。研究結果をメモしていた薬術部長のリオンがルカに気づき近寄ってくる。リオンはまだ24歳だというのに、過去最年少で部長に就任したと聞く。眼鏡をかけていて、少し伸びた髪を後ろで結わいている。いかにも研究にしか興味がないといったような風体だ。


「ルカ様いらっしゃい。どうされたのですか? やけに今朝は機嫌がよさそうですが」

「えええ、そ、そうかな……天気がいいからかな? それより、この前提出した薬はどうでしたか? また成分とかの配合間違えてたとか……」

「いえ、今度はバッチリです。これなら大抵の傷を癒やしてくれますよ」

「本当ですか! 良かったー、23回目のダメだしを食らったお陰ですね……」

「よく回数をご存じで……ところで、ルカ様が先日所望した薬なのですが、現段階では正直言って難しいですね」


 その言葉にルカは「そうですよね」と苦笑する。そんなに簡単に作れるんだったら、今頃作っている筈だ。薬術部長のリオンはむむむと顎に手をやって、それからルカを見た。


「それにしても何故そのような薬をお求めに? 今より強い鎮静剤なんて、使い道があるように思えないのですが……」

「深い事情があって。でも強いとなると、やっぱり副作用も強くなりますよね?」

「そうですね。感情を無理矢理落ち着かせるのですのだから。今も鎮静剤はありますが、これ以上の効果を引き起こすとなると副作用のことを加味して、成分や比率を考え直さねばならないと思います。それにできたとしても、薬を服用する方の身体によって非常な大きな負担がでるかもしれません。安定した薬を作るまでは正直言ってかなり時間がかかるでしょう」


 リオンの言葉に内心ルカは溜息を吐く。期待はしていなかった。だが、昨夜のようにラゼルの魔力が暴走しかけた時のことを考えると、自分一人ではとても解決できないと思ったのだ。いつかはラゼルならばきっと何の力も借りずとも、力をコントロールできるだろう。けれどコントロールできるようになる以前に、もしその場にルカがいなかった場合、止めるものが必要になる。だから今よりずっと強い鎮静剤を、と思ったのだが予想通り難しそうだ。


「ありがとうございざます。分かりました。私なりに薬術辞典を見て考えてみます」

「ルカ様は本当に勤勉な方ですねぇ。殿下のご婚約者なんですから、もっとゆっくり過ごされてもいいのに」

「いずれはラゼルの支えになるんですから、知識はできる限り吸収しておかないと」

「殊勝な心がけですね。では、こちらでも薬の研究は引き続きして参ります。試薬ができたらまたご連絡しますね」

「はい、お願いします」


 そう言って薬術部を後にすると、今度は図書室へと向かって歩き出した。科学的な知識も何もないが、幸いこの世界は薬術といって自然の力を頼りにした療法が主流となっている。そのどれもが、セレンの力を吸ってできた薬草だからだ。魔術ではないが「術」とあって、自然の神秘があらゆる薬に関連しているのだ。だからルカでも治療薬程度なら調合できる訳なのだ。


「おーい、ルカちゃん」


 唐突に外廊下で声をかけられて見遣れば、片方の頬に青あざを作ったグラムが手を振っていた。

 ルカは駆け寄ると、「どうしたの? その痣」と尋ねる。するとグラムはばつが悪そうに笑って答えた。


「昨夜、ラゼルの野郎にぶん殴られたんだ。何でルカちゃんに付き添わなかったんだってね。まぁ『テメーだって王子の癖に外出たのが悪いんじゃねぇか』って言ったら謝られたけどよ。酷いと思わねぇ?」

「確かにそれは酷いけど、そうなったのは私が原因だから二人とも悪くないよ」

「優しいなぁルカちゃんは。それより……ラゼルとは、どうやらうまくいったみたいだな」


 声を潜めて言ってくるグラムに、ルカは慌てふためく。


「な、なんで、それを」

「ラゼルがご機嫌だったらよ~。ルカちゃんと何かあったかって聞いたら、本物の婚約者になったってな」


 まるで自分のことのようにグラムは陽気に笑う。気恥ずかしいながらもルカも笑い返した。


「それだけで全部分かっちゃうなんて、ラゼルって案外分かりやすいのかな」

「いや、分かるのは俺とかルカちゃんぐらいだぜ。ま、とりあえずおめでとう!」


 そう言ってグラムに背を叩かれて、ルカは眉尻をさげて「ありがとう」と笑う。こんなふうに祝福してくれるグラムという親友を持ったラゼルは、幸せ者だ。勿論、それはルカも同じで、グラムの明るさには救われることが多い。


「こちらこそありがとう……ってあれ? あれって何ですか?」


 眼下に見えるのは以前ラゼルと共に見た訓練場だ。ここで兵士たちは鍛錬を重ねると聞いた。ただ今はその訓練場に、黒い軍服を着た者達が隊列している。グラムも同じように下を見ると、あー、と納得したように声を上げた。


「新兵の入軍式だ。もうそんな季節かー」

「グラムは参加しなくていいの? 一応軍事部の副司令官でしょ?」

「こんな青あざ作って新兵共の前に立てるかよ。司令官に言われて俺は今日、ラゼルのお手伝い役」

「ふーん……そっかぁ」


 そんなふうにグラムと談笑しながら、ルカは眼下に見える新兵をひとりひとり見る。どの新兵も精悍な顔つきで背筋を伸ばし、司令官の言葉を聞いていた。まるで入社式みたいだなぁ、と思っていると不意に新兵の一人が、こちらを見た。

 その新兵と目が合った瞬間。

 ルカは大きく目を見開く。


 ──『君に飽きたのと、他に好きな人ができただけ。だから君はもう、いらない』


 あちらも大きく目を見開いていた。

 手が震える。そんな、嘘だ。ルカはふらりと、一歩後ずさる。ルカちゃん? とグラムが声をかけてくる。けれどその声も遠く聞こえた。嘘だ。嘘だ。ルカは口元を押さえる。嘘、嘘、嘘。こんなところに──あの人が、『優人』がいるなんて。

 ルカと同じように姿形は変わっている。けれども分かる。あれは、間違いなく前世の『小宮瑠華』の恋人であり、『小宮瑠華』を捨てた『田島優人』だ。そしてそのことに、あちらも気付いている。表情で分かった。


「ごめん、グラム……ラゼルに、昼食はなし、って言っておいて」

「ルカちゃん? どうしたの?」

「大丈夫、何でもないから。……新兵に会うには、どうしたらいいの?」

「もう少ししたら昼だから、昼になったら一時解散して、大体が訓練場の食堂とか木陰とかで休むかな。でもそれがどうしたんだ?」

「……少し、気になって。ありがとう、グラム」


 ルカはそう言うとグラムを残して、その場から立ち去る。何で、どうして、という疑問と不安が頭の中を駆け巡る。どうして『優人』がここにいるのか。自分と同じように生まれ変わったのか。だとしたら、自分と同じように記憶を引き継いでいるのか。

 ルカは部屋に戻ると、深呼吸をした。落ち着け。もしかしたら、ただの偶然かもしれない。目が合っただけで、単にあちらが驚いただけで、そもそも本当に『優人』かも分からない。

 でも、それでも確かめたい。確かめてどうするつもりなのかと言われれば、浮かんでくる答えはない。ただ少なくとも、ラゼルとの幸福を壊すような人間がそばにいることは、怖い。ラゼルもルカも互いに信頼しているし、お互いに愛し合っている。

 それに。

 もしも優人が前世の記憶をネタにして、ラゼルに何かを吹き込んだら? 前世ではもう自分が『瑠華』を抱いたのだと言ったら? 31歳にもなって誰も愛せず孤独死したのだと知ったら? ラゼルが知らない『瑠華』のことを口にしたら?

 

 ──耐えられない。


 優しいラゼルはきっと、何を聞いてもルカを信じるだろう。軽蔑しないだろう。嫌悪もしないだろう。愛し続けてくれるだろう。けれど自分はどうだ? 仮面が壊れてしまう。18歳の「ルカ・フォン・ランケ」という笑顔を絶やさない少女の仮面が、壊れてしまう。耐えきれるのか? 知られたくないことを知られて、滑稽な道化は生きていけるのか? これまでと変わりなく、生きていくことができるのか?


 確かめなければならない。もしあれが優人なら過去との清算をしなければならない。


 時計を見ると時計の針はあと少しで12時丁度を迎えようとしていた。ルカの頭の中に「優人」との記憶がまるで走馬灯のように浮かんでは消えていく。もう、優人に対して愛はない。むしろ正反対だ。憎い。そんな感情さえ抱いていてしまっていた。

 ルカは私室を出ると、できるだけ誰にも気づかれないように外に出て訓練場に降り立った。訓練場はやはり上からみた時よりも広く、けれど昼時とあって閑散としていた。食堂にはきっと、いないだろう。もしあの青年が優人であれば、あちらもきっと自分に話があるに違いない。ルカは茂みの中に入って、優人の姿を探す。茂みというには高い木々もあり、差し込む光は美しかった。小鳥がさえずり、休憩するのにはうってつけの場所だった。あたりはしんとしていた。いないのかもしれない。自分の思い違いで、優人だと思った青年は今頃食堂で昼食をとっているかもしれない。

 そう思った時だった。


「──『瑠華』」


 びくりと身体が震えた。

 背後を振り返すと、目が合った新兵がそこに立っていた。




ここまでお読み下さってありがとうございました。

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