謎の少女とミノリ
「FPSって難しいわ……撃たれっぱなし。あ、また馬鹿にされたっ」
「ミノリさんが買ったゲームでしょう。何か言われるのは無視しといてください」
猫野探偵事務所に、備品が一つ、増えていた。ゲーム機だ。TVは元々ある。
何で事務所にゲーム機があるのか。
そこは扇は突っ込まない。どうせ営業時間中、かつ事件なし、であればミノリが何かをすることはない。
ヘッドホンを付けて遊んでいてくれれば、むしろ話し相手をしなくて済む。
若干、扇としては寂しいが。
「あんたもやんなさいよ」
「……じゃ僕の机の上にある書類の処理をですね」
「10分くらい空けたって困るほど、依頼来てないでしょ」
「そういうことを言いながら、胸を張らないでください。泣けてきます」
バトルロイヤルモードだった。適当に負けておくに限る。
武器はAR。
「何で隠れっぱなしなのよ!」
「実際、戦場で目立ってたら即死します」
「リアルじゃないんだからいいじゃないの。もっと活躍して」
「……はいはい。突っ込みますから死んだら終わりですよ? そういうモードでしょう?」
それでも遮蔽物は使う。出口はスナイパーが狙っているだろうから一時的にしか使わない。
「扇、妙に上手い?」
「いいえ」
リアル肉弾戦の方が得意だ。
半日、遊んだところで依頼が来た。巻風刑事にはいつかお礼をしなければならない。
大人の事情的に言えば、まだ着任早々――と言ってもそろそろ馴染んだ頃だ――であまり信頼されていなかったのが、次々と事件を解決しているので相互利益なのだが。
ショッピングモールになる予定の土地らしい。
と、聞いて車を飛ばして来た場所は、山と沼だった。
山を削って沼を埋める。そういう計画だ。
若干無理は感じたが、そこを突っ込む仕事ではない。
事故が多発して開発が滞っている。
滞りはともかく、「事故」なのか「事件」なのか識別するのは猫野探偵事務所の仕事の範疇だ。
「首なし死体ですか」
「もう死体は片付けたみたい。――作業は昼間だけだって。当たり前だけど」
と、言っても昼でも見通しがいいわけではない。
まず、密になっている樹々を伐採する。
伐採してしまえば、山を削って沼まで運んで埋めるだけだ。
伐採作業中に事件は起きていた。
「首が無くなるののどこが「事故」なのよ」
山に入っていた。ミノリが器用に樹々の間をすり抜けていく。
「最初は、古いトラバサミで足を切断した事故が――事件かもしれないけれども多かったらしい。それくらいでは開発は止めていない。首切りは最近です」
扇には狭い場所が多いが、ミノリには遅れは取らない。
「急ぎ過ぎると首を狩られるかも知れません。僕が先に行きます」
「もうすぐ現場でしょ。じゃ、頼むからね」
「衆人環視下、だったわけですね」
既に伐採はかなり進んでいた。すぐ傍が急な崖に成っているが、山――丘と言った方がいい――の麓からは死体のあった地点は見える。
現場の写真は送って貰ってある。
あまり首の断面は綺麗ではない。力任せに引き千切った、という感じだ。
「ここも天狗だか呪いだかのある場所らしいですよ」
「――慣れて来た。昼間だし」
「十人くらいのチームで伐り進むと聞きました。お互いは見えてる? んじゃないかな」
「じゃ瞬間的に、首斬っちゃうの?」
「幾つか手はあります。問題はどれか、ですね」
「まーた考えが発散してる」
「欠点です。謝ります。他に考える方法がない。熊じゃないかっていう現在の説だけは却下します」
百段の階段で使われた目が四つのアレ、かなとも思える。
だが流石に目立つはずだ。
上手く樹々を遮蔽物として使ったとしても――難しい。
「伐採にチェーンソーを使っていた、というのは一つ、重要な点ですね」
それだけで、大体の予想はついていた。
やろうと思えば扇にも出来る。
「次は沼です。溺死が続いているそうで」
「そっちは簡単だよね?」
「たぶん、ミノリさんが思っている通りです」
濁ってはいるが、沼の水深は意外に深い。丘を丸ごと持って来ようという計画は、計画としては正しい。
「これくらいなら……できるね」
恐る恐る足を踏み入れたミノリが、脚を取られそうになる。
急いで扇が抱え上げる。
時に、ミノリ、身長149㎝。扇、185㎝である。
「被害者の人数はそれほど多くないらしいです。作業を一休みして――見ればわかりますがトイレがない。そういうことです」
「後は簡単。……結構、犯人は人数いるんじゃないかな。あ、それ全部あたしが……見つけるのか。何回かかるかな……」
「――なるべく絞って能力を使いましょう。繰り返して苦行をするのは見たくないですから」
何故殺した? そこにふと、扇の考えが辿り付く。自分でも考えを抑えきれない。
開発を頓挫させようというのか?
扇にはそうも思える。
富は新たな流入場所、一例、ショッピングモールを得る。ミノリの親父さんも反対を口にするくらいはしそうだった。
それ以上の事はしないと信じている。
この場所を含め、近隣に住宅からマンションまで立ち並ぶ。
地盤は――プロがどうにかするのだろう。
そこに口を挟むのも仕事ではない。
「扇…………なんか、頭が痛い……」
「風邪、伝染しましたか?」
「……大丈夫。収まって来たから」
この場所――沼地――に有るはずの大規模建造物を想像して、見上げていた。
風景は一変するだろう。
金だけではない。誰かの夢でもある。
古く長い夢と、そこに割って入った新しい夢が衝突する。
まだ形を取るまでには長い。
その是非は猫野探偵事務所とは無関係だ。
「ダメ……なんか集中できない気がする」
「それは……明日に延ばしましょうか。買い置きの薬ならあります。頭痛薬?」
「うーん」
事務所に戻っていた。
「膀胱炎じゃないでしょうね。病院は……もう遅いか。明日行きましょうか?」
「……寝るね? ごめん」
「看病は?」
「寝るまで見てて。それだけでいい。酷かったら病院行くけど、たぶん大丈夫」
胸騒ぎが止まらない。不安で、何度か扇は起きた。視線のようなものを感じた。
あの、謎の女の子?
ミノリには知る術がないのならば、自分が突き止めるしかない。
そう唱えるように繰り返して、目を閉じた。
翌朝、扇は一人で事務所のデスクに向かっていた。
ミノリのトランス状態。切羽詰まった後のトランス状態。
今は無理矢理にミノリを追い詰めて、宣託めいた推理を聞いている。
かつては自然に――強いられることなく、トランス状態に入る事があったという。
予言。
それで本家を追われたのだ。
ミノリの放逐と殆ど同時期に、食い詰めた扇はこの地に来た。
「おはよ。……だいぶ良くなった」
扇が茶を飲んでいると、ミノリが10時過ぎに起きて来ていた。
「気分が悪くなったらすぐ言って下さいよ? 倒れられたら事件が……じゃない、僕がつらい」
「あたしも考えたの。重要人物から先に見つけていけば――指示が出せるような人ね――何も全員の情報がなくても立件はできるんじゃないかって」
「――悪くはないと思います。一網打尽ならば仕返しはないでしょう。残党がいても僕が守りますよ」
「ビールばっかりだと持たなそうだから、コーヒーで。今は他に案件がないからのんびりね」
んしょ、とミノリが椅子に座る。
「それでさ……提案なんだけど、折角スーツ着たけどパジャマでいい? スーツ汚したくないし、ひょっとしたら、だけどすぐ倒れても寝られるじゃない?」
「それも手ですね。じゃあ……どうぞ。好きな格好で」
「事務所閉めちゃう?」
「留守、ってことにしときますよ。営業してないと怪しい」
「随分警戒してるのね」
「関係者が多そうだって事は、そういうことです」
立件が可能なのか。逮捕まで至るのか。巻風刑事だけで解決出来るのか。
裏では莫大な金が動く。それだけ、動きづらい。
「動きを止めるだけでも――麻痺させるだけでもいいか」
「ん? なにそれ扇」
「いや、トップから見つけてくれれば。他にも手段があるってことです」
襖を閉め切って、いつもより一つ奥の部屋に入った。
事務所のドアは鍵がかけてある。簡単には開けられない。
事務所の花瓶が割れたらしい、高い音がした。
「なになになに!」
「――集中を切らさないで。偶然ですよ」
「コツも集中もないけどね。これ」
「あ……そろそろ、無理。……まだ見えないかぁ。100%行ってるんだけど……」
「――もう少し。どうにか」
「わかってる……無理無理無理無理……あ、ええとね」
――町内会会長クラスの名前が並ぶ。
商工会議所。議員。
何故、そんな実力者ばかりが並ぶ? 扇は思う。
理屈は分からない訳ではない。そうであるべき布陣。陣営。ただし容易には纏まらない筈の人物だ。
町を敵に回しているようなものだ。と、ミノリには言えない。
どう扱うべきか。
下手をすれば周囲が全員敵に回る。
ミノリの身になってみれば――直接の親でなくても叔父さんや親戚程度の距離の誰かだ。
「はあ……あ。言ってて自分でもびっくりした……」
ぐったりとミノリは畳に、大の字に伸びていた。
「直接手を下した人じゃないでしょう。これだけ分っただけでも収穫です」
緊張しているせいか、語調が硬くなっていた。声が硬い。
「誰一人取っても対処が難しいですね。追い詰められるか追い詰めるかどちらかに……」
「扇でも怖いんだったらやめるよ? これ片付けたら仕事なくなりそうだし」
心配そうにミノリが扇の顔を見る。
「ねえ、扇」
「なんですか?」
「どこかでやり直してもいいよ? これ、情報だけ巻風刑事に教えて、逃げてもいい」
見詰めるミノリと、扇は視線が外せないままでいた。
咳き込む振りをして、ミノリの視線から――逃げた。
巻風刑事――彼女でも手には負えないだろう。扇は思う。追及する責任がある、などとは口が裂けても言えない。
逃げてもいい、か。
「ありがとう、って言うべきですかね。こんな僕で申し訳ありません」
「何謝ってるの? あたしが、扇と一緒じゃなきゃやだって言ってるの」
ミノリは微笑む。
「街を相手に斬り結ぶことはできない。上から手を付ければ名誉棄損、実行犯を――どうにかできたとして、有形無形に巻風刑事に悪影響が及ぶのは止められないですね」
「扇は、でも、強いじゃない?」
「誰かに絡まれて殴っても傷害罪。こっちがね。――せめて麻痺させられるか考えてみますよ。勘づかれているなら、何もしなくても捕まるか殺されるのは時間の問題ですけどね。急ぎます」
徒に不安を煽ってもしょうがない。ミノリが考え込むようであれば、特殊能力にも支障があるだろう。
「こっちに影響が及ばないようにしますよ。ひとまず忘れて」
「もう逃げたい気分」
「……どうしてもと言うなら、逃げますよ? ただ、誰もまだ僕らが突き止めつつある、とは知らない」
ミノリの悲しそうな顔は見たくない。
「この事件を解決しつつある誰かは、もう存在するんです。考えなくていいんですよ。少なくともミノリさんは」
「え? え?」
「暫く一人で動きます。まだ「その誰か」だけでは解決しない」
瞳孔が開きそうにミノリが目を丸くしていた。
「…………どうしたの? 突然。……あたし一人でどうしろって……」
「連絡はします。そんなにはかからない。……部屋の見取り図を描いておきます。畳を剥がすと札束が入ってますから。困ったら、ちょっとずつ使って下さい」
「なにそれ?」
「お金は、見つけた、というのが近いですね。貯めた分も入っています。いざとなったら、電話でも、メールでも、何でも連絡して下さい」
心配でどうしようもなければ、シャッターを閉めて休業でいいです。
そうミノリに告げて、扇は事務所を出た。
「……あ、魅美」
扇を見送った。ミノリは人の気配に気づく。
事務所に入るのを躊躇うように、魅美が立っていた。
「ボクにはわかるよ? なんか思い詰めてる。絶対そうだ」
「まあね。……夏休み、だったよね」
「……何か大変なこと、起きてる? 雰囲気で入れなかった」
「バイト代は……」
「いらない。絶対なんかあるんだ。ミノリさん」
「……秘密は厳守で」
「――ミノリさんを守るのは、任せて下さいよ」
魅美はミノリのデスクの前に、事務用の椅子を移動させて、座っていた。
「相手が相手だからね。ぼかして話してるけど、結構大変」
「全然心配いりませんから。本気を出せば扇さんにだって勝てると思う」
「ない。それはない」
ミノリが顔の前で手を振る。
「――いいですけど。勝とうとは思ってませんし。ミノリさん、具合悪そうです。休憩してて下さい。シャッターも閉めましょう。後はボクが見張ってます」
シャッターを閉めていれば、それも怪しさを醸し出してはしまう。
けれど不安が勝っていた。
――普段から気にしてる人なんかいないわよね。そう自分に言い聞かせて、ミノリはシャッターを下ろす。
「――もう少し詳しく教えてくれてもいいんじゃないすか?」
魅美が口を尖らせる。
「知れば巻き込まれるの。魅美を信用してないわけじゃないけど、万が一、喋られたらどうにもならないし」
「そんな凄いこと?」
「何でもないって思っといて。顔に出るから。あなた。……ちょっと仮眠する。後でね」
寝付けないまま、ミノリは考えていた。
あの扇に限って、法を破るような手段は、きっと、取らない。
自分の身元を明かすようなことも――どうだろう。ここ、事務所に迷惑さえかからなければ、危ない橋を渡らないとは限らない。
「事件の、解決かぁ……」
偉い人ばかり。指示だって直接は出していないかもしれない。
誰かが「こういう方向」に持って来ているだけで、鍵を握っているのは、まだ名も知らない数人かもしれない。
魅美が気配を伺っているのは感じる。今すぐに他の誰かの名を探り当てようとは思わない。
――扇はあれだけの人名で動いている。
足りなければ言ってくれたはずだ。
ミノリは気疲れだけで目が閉じそうなのに、眠れない。
扇が心配なのは当たり前だけれど、何をするつもりなのか、見当が付かない。
酷い事にならなければいい。
「解決」なんかしなくても、どこかでまた同じように開業できれば――できなくたっていい。隠遁したっていい。何をやったっていい。
「……ミノリさん?」
魅美だ。
「んー。何?」
考えている――悩んでいるだけ、でも邪魔はしないで欲しい。
「外に気配があります。ここ、広いから庭から覗かれるかも知れないっす」
「あーもう。あんた忍者みたいね。ついでに対策してくれる?」
「雨戸を閉めます。――他にも考えます。ちょっと怪しくなっちゃうけど」
「誰かが監視してるんなら、もう何をしても怪しいでしょ。放っといても対策しても結果は同じ。やっちゃって」
「ボクでも倒せそうな――」
「やめて。一方的に傷害罪になるだけだから」
町。
どこまでが注視し、どこまでが敵視し、どこまでが日和見を決めており、どこまでが何も知らないのか。
雨戸を締め切った暗い部屋で閉じ籠っていると、町全体ばかりかそこら中、敵のような気がする。
ミノリ側に何の情報もない。現状では仕方がない。
いざとなれば――あくまで現状の解決策だけに絞って――魅美は二階にでも居て貰う――特殊能力を使う。
派手な動きは扇の邪魔になってしまう。
扇に連絡しようか。そう思った。
けれど、不安だと言うことしかできない。
――邪魔だ。
私こそが猫野探偵事務所の主だ。何とかしてみせる。
でも、どうやって勘づいたの?
ぐるぐると悩んでいるばかりでは消耗するだけだ。相手――誰かは不明だ――も消耗を狙っているだけかもしれない。
これだけでも、続けられればやがて眠れない日々が続く。
気丈そうな魅美こそ、敏感だろうから、恐らく持たない。
食糧は三日分はある。切れたら、また考える。
がたん、と――恐らく風だろう――雨戸が鳴る度に、家のどこかが軋む度に、神経が消耗する。寝ようとするのが無理だ。
起きようとしていた時に、魅美の悲鳴が事務所から響く。
「中に居るのバレバレ――もう分かってるか。どうしたの?」
「ゴキブリですゴキブリっ!」
「死にゃしないわよ。居なかったんだけどね。今行く」
魅美が虫に弱いとは思わなかった。
「素早い。そっち塞いで!」
「ダメですダメっ」
「役に立たないわね」
どうにか追い詰めて、瞬間殺虫を謳うスプレーで動きを止める。
「こんなくらいで驚いてたら――」
視野の隅をムカデが横切った。15㎝はある。
ありえない。今まで見たことはない。
何が起きている? ミノリは不吉な予感に包まれていた。
「どこか、まだ空いてる場所があるのよ。探しといて。魅美」
「……は、はい」
「あたしも探すから。虫が出たら呼んで」
嫌がらせ。鈍い殺意。言い換えれば、要は悪意。
そんなもので息苦しくなっている場合じゃない。
とはいえ、いつまで持つか、ミノリ自身も気力を失いかけていた。
家のどこかしらが鳴り、虫なり何かが入り込み、壁に穴を開けているような異音が続き、耳を澄ませば家の周囲で足音がした。
正確に何人が動いているかは不明だ。
目撃した――二階から見下ろした範囲で四、五人だった。
まるで、じっとこちらの耐久力を削っているようであり――本当の目的は漠として知れない。
既に攻め落とされた城。
三日目にはそう思うようになっていた。
足音が幽鬼のもののように感じる。物音に敏感になり、魅美が寄り添うように周囲を警戒していた。
何のことはない。ミノリが弱かったのだ。相手は時折交代しているらしい。人数には勝てない。
「ボクが守りますから。ボクが守りますから」
魅美は同じ事を繰り返すばかりだ。
「……気概は嬉しいけど消耗しないでね」
流石に侵入してくればそれなりの罰を受けさせられるだろうが、決してそこまでは踏み込んで来ない。
庭に立ち入っているという証拠は、何枚か写真に撮った。
誰であるかは識別できないだろう。
買い物に出る勇気はない。ミノリでも尾行を撒ける自信はない。
スーパーのレジだって「敵」ではないと断言はできない。
神経が弱っているのではなく、単純に敵意のようなものが日々増え続けるのを感じる。
ここは、あえて空気が読めなそうな魅美に一切を頼むべきだろうか。
そうミノリが諦めかけた所だった。
呼び出しのチャイムが玄関で鳴った。
反射的に扇だと思った。ミノリは――魅美を随行しながら、だが――そっと玄関に向かった。
「謝ります。……待たせましたね」
聞き慣れた、扇の声だった。
ミノリの頭の中で、何かが熱く溶けて行った。不快ではない。逆だった。
「十億、手に入りそうな手段をばら撒きました。ネットでも――手段は様々あります――他でも。どれを実行しても例のメンバーは暫く厄介事を抱えることになります」
扇は寝室に使っている部屋でそう言った。
「僕がやったわけじゃないです。こんな情報に食いつくのは幾らでもいますから。どこまで広まって、誰がやっているのかは、正直、知りようがないですね」
「……例えば? どんな?」
ミノリは、たった三日だが、随分久し振りに感じる扇の声に、つい「計画」の中身を聞いてしまう。
「多すぎて何とも言いにくいし、屋敷の周りは張り込みだらけですが。裏資金がその一つ。それでいいですか?」
「後は……ごめん、今はいい」
「ゴシップとかです。醜聞。よくある手です。他に大体十種類くらいあります。そこで辞めておきました。――全部が実行されても、仮に誰かの名誉が地に落ちても、次の誰かが同じ役割を引き受けるだけです。ただの時間稼ぎです」
ミノリは促すように扇の目を見詰める。
「――川みたいなものです。一時的に水を絶っても雨が降れば元通りになる。それで枯れていた植物も、また生え揃う。資金が――言って見れば水のようなもので、大変動がないと全て元通りになる。僕一人で水を止められるわけじゃないですから」
「進んでいる開発計画の方も調べました。大幅に転入を増やす為の施策が――把握し切れないほどの規模で動いています。現行の議員には、機会でもあり危機でもある。別に悪い事じゃない。町の収入は増える。川の流れそのものが変わる。旧来の方法では資金は流れない。手に負えないから、これも「そういう事が大好き」な知り合いに任せました。ミノリさんが言っていた何人かのリストを、もっともらしくJVの上層部と取引して貰いました。戦いはこれからですね。合法、非合法を問わず、僕らの手の届かない所で」
ミノリなりに簡単に纏めると、衝突は、戦いはもう扇の手を離れている。
「勘づいている者がいる以上――いつまでこっちに構っている余裕があるかはともかく、逃げた方が良さそうです。物件も探しました。ここを空き家にするかどうか、これから町がどうなるのか、本当はミノリさんの身内には知らせたかったんですが。いつか噂としては届くようにしておきました。――逃がし屋は前に請け負ったでしょう? 今度は僕たちが逃げます」
その日、扇は三人分の弁当と、数日分の食料は買って来ていた。
卓袱台を寝室まで運んで、そこで食事をしていた。
「大問題は今起きている事と関係はあるけど、それだけじゃないんです。巻風刑事並みのお得意さんはそうそう作れない。僕には人脈なんかないと言っていい。今回も逃げるから人脈は殆ど蒸発する。――地道にやるしかない。と、言ってもね。どうなるかは保証できません。……申し訳ありません」
「生きていれば何とかするから。何とかなる。ここに居てもマイナスなだけでしょ? まだゼロのほうがいい」
扇がいれば大丈夫。ミノリはそう思う。
自分自身でも――ペット探しでもいいから浮気調査でもいいから細かくやっていけば、生きてはいける。
扇なしでは、そんな気力はない。
山が削れていくように、「資金の地形」もまた変わっていく。
扇が言いたかったのはそういうことだろう。とミノリは見当をつける。
貧乏事務所から考えれば、神の仕業くらいに感じる。
山の形そのものが変われば、谷合の鳥も居場所を変えるだろう。種類さえ変わるだろう。
私たちも飛び立つべきだ。