Abyssal Void
「絞殺ね……」
扇とミノリは2DKの部屋を見渡していた。
この付近では最も高いビル、十五階建てのマンション、最上階に来ていた。
「存分に見分して頂戴ね」
巻風刑事はそう言い残すと、缶コーヒーを買いに出た。マンションの下に自販機がある。それだけでもかなり便利だ。コンビニも歩いて五分ほどでアクセスできる。
一階は改装中で、そこにも店舗――コンビニめいたものが出来る予定のようだった。
本来、その手の施設は後付けで作らないと思うが、前のコンビニは潰れたらしい。
それで、新店舗だ。
縊死に見せかけたようだが、そこは巻風刑事が違和感を感じて絞殺、と判断していた。
今回は死体も生々しい現場に――特別に入れるよう図らって貰っていた。
「巻風さんだけで解決しそうじゃない?」
ミノリはまだ、部屋自体が物珍しいようだった。
「――内情は知らない。巻風刑事には、協力者が少ないような事は言ってたからね」
――死体の首を見れば指の跡がある。
近く、この辺りにも大規模開発の予定があるらしい。ゼネコンの社員寮として使われていた部屋だ。死亡しているのは――それなりの責任者だったらしい。
死因は何でもいいから、とっとと事件を片付けて欲しい。
巻風刑事への、さる筋からの圧力だ。
賑わいを待望する派閥と、観光を主眼とすべきだという派閥で首長近辺でも争いはあったらしいが、今は解決に専念する。
背後に何があろうが事件は事件だ。
扇は遺留物を調べる。
首を絞め、ロフトから吊り下げるのに使われていた縄は、このあたりでは道具屋で売っているレベルの何の変哲もない物だ。
丈夫で、汎用性がある。田畑でも普通に使われる。
「順序は巻風刑事が整理してくれた通り。絞殺してからぶら下げた」
「抵抗した形跡があるけど……」
「鑑識が動いてくれればね。指紋だってDNAだって残ってるはずだ」
そこまで詰めないでも、あるいは後で詰めることにして、犯人を先に上げるのが猫野探偵事務所の売りであり、他には何も――やめておこう。
「あのね。――ここではやらないよね?」
「調べてからです。巻風刑事にネタをバラす必要もない」
切羽詰まったミノリは神託とも言える推理を披露する。
手段として尿意を使うが、それは後の話だ。
「面倒ね。こういうタイプのマンションは。防犯が厳しいのよ」
コーヒーとサンドイッチ――昼食らしい――を買ってきた巻風刑事に聞くまでもなく、入る時に管理人に行く先を告げなければ、ドアが開錠できない。
その意味では――密室に近かったはずだ。
「窓、施錠されてないけど外から?」
「――今死体を調べてます。考えが発散するからちょっと待って欲しいかな」
女性の腕と足にも圧迫した痕跡がある。
一人では難しい。複数犯か?
女性――紗沙々衛もかなりの力の持ち主だったようだ。
暴れたのだろう。
「成程ね。紗沙々さんはかなりの力がある。体格でもわかる」
大体は見当がついていた。
「扇……もしかして」
「それです。勿論、調べるというか――頼みます」
「また? これなら――」
「もう分かるの? お二人さん。後は私がやってもいいのよ? 勿論謝礼は支払う」
「いえ。もう少し考えてから。証拠隠滅、逃走がないように、自殺ではない、とは気付いていないふりをお願いします」
現場写真を含めて、かなりの写真を撮って、ミノリの屋敷――探偵事務所に戻った。
「知り合いっていう線も一応は疑わないといけない?」
「少なくとも一方的には被害者を知っている。……友人を当たって回る必要はない。三枚くらい、荒らされてる場所の写真がある。普通、友人は荒らさない場所をね」
「――あたしも忙しくてもこんなにはしないわ」
ミノリがカメラで確認していた。
「あたしの、見る?」
「何の意味があって見せるんだかわからないです」
「ちゃんと見た事あるの?」
「……じっくり見たことはないですけどね」
「付き合ったことあるの? これまで」
「……事件に関係ないでしょう」
「無くもないと思うけど」
扇はスルーして捜査に戻る。
「紗沙々さんのPCの押収は出来るかな。記録が残ってる可能性はある」
「あーね。あたしなら記録するわ」
「ネットに上げたりはしない? どうだろう。――感染でもしてれば別ですが」
「PCに侵入とか出来るの? 扇には」
「やったら犯罪です。やりません」
戻ってからは珍しく、夜中までミノリが――ミノリ宅のPCを弄っていた。
「下手に探し回ると、それこそ感染しますよ?」
「SNSでも?」
「しないわけがないです。画像見ただけでも感染する場合もある。URL絶対クリックしないように」
「なーんか今回の事件の仄めかしが出回ってるんだよねえ」
「攪乱? 見てる奴を五里霧中に? 広まってなければ無視しましょう」
「でも気に成る」
「事務所の営業時間もあります。八時には起きて下さいね」
窓が施錠されていなかったのも攪乱の一つか? と考えを巡らせながら扇は眠った。
単純な鍵ならば外から簡単に開けられる。
「――窓から侵入した形跡があるの。足跡まで増えてる。…………あのね、下手をすると時間の前後関係を無視して、外から入ったっていう話にされかねないのよ」
朝一番。八時に事務所――らしく仕上げた洋間に電話連絡が入った。
巻風刑事の取り乱しようが普通ではなかったので、まずは扇は落ち着かせる。
『鑑識まで? ……いいですよ。何なら犯人を自白させますから』
『あなたたちだけじゃムリでしょう? ……どうしよう』
『何なら「呪って」やりますよ。気が弱くなれば自分で警察に駆け込んででも自白するでしょうから。また相談してください。今回の件は片づけます。どうせ余罪もあるんですよ。今回の犯人は』
『……余罪って? 良かったら教えて貰えるかしら』
一通りは「恐ろしい」話をした。もう一つは「困った」話だ。
闇に埋もれている「恐ろしい」話も存在するはずだ。
『なんでそんなことを、って――巻風刑事だから言いませんね。そういう犯人はそういう犯行を繰り返す。更生させてあげてください』
『再犯率は高いのよね。まさかそのために……』
『有り得ないとは言いませんよ?』
「あのさ」
ミノリがパジャマのまま起きて来ていた。スーツはどうした。
「電話中です」
「仄めかしでどうしても気に成ってたんだけど、被害報告らしい書き込みがあった」
「URL踏んだんですか?」
「一応、アンチウイルスあるじゃない? 相談系のサイトに飛んだ」
「もう二度と触らせません」
巻風刑事に聞かれっぱなしだった。
扇は慌てて謝る。
『あ……ちょっと待って下さい。巻風刑事。取り込み中で』
『いいわよ。聞かないふりしておくわ』
「何か警告出たけど、」
「パスワード換えますね」
「手記っていうの? 大体予想通りのこと、書いてあった。犯人の目星までは付いてなかったようだけど」
「成りすましかもしれません。僕らはそういうのは当てにしない。犯人が明記されていても、そこを「わからない」と書き換えるくらい……」
「できるの?」
「できます」
『あ、巻風刑事、被害報告らしいものがネット上に有ったようです。動機には成り得ます。本物ならば。後でURLを送りますが、自分のマシンでは開かないで……どっかにネカフェあったかな。感染してもいいマシン、っていうと語弊がありますが、組織内部では開かないで下さい』
「動かぬ証拠だから、犯行が起きたんじゃない? 扇。そうも言えるでしょ」
「……まあ、勘は正しいようですね。頼むから次からは僕に言って下さい」
納得はいっていないようだったが、ミノリは首肯した。
「でもパスワード変更禁止。ゲームできない」
「ゲーム用じゃないです」
「じゃ、今回の謝礼でゲーム機買う」
「……いいですよ? その前に犯人、突き止めましょう」
「もう分かってるでしょ? どうなの?」
「下手な推理より、ミノリさんの方が」
「……そう言われるとなあ」
ビール一缶とコーヒーで「無理無理無理無理」の時間は過ぎた。
結果は、予想通りだった。
「……はぁ。これ膀胱炎にならない?」
「新しい方法を考えます。ただ走るだけとか?」
「爽快感とか感じたらダメだから却下。そんなに切羽詰まるほど走れない。っていうか走りながら考えられる自信がない」
「Gは?」
「怖くはないけど嫌い。真面目に考えて」
一時期使っていた恐怖譚も、ネタが尽きていた。
高所恐怖症だけれども、単純に危ないから使えない。
というかフォビアは有り余るほどあるのに、実現するとなると困難すぎる。
墓場。慣れそうだ。
暗闇。同じく。
人混み。気が散る。
……まだ有ったはずだ。
時には場所を変えた方がいいのだろうが、喫茶店で巻風刑事に報告した。
「……皆が足跡に拘ってるの。どうしたらいいと思う?」
「一階から続いているとは思えません。そこを突けば……そうか、誰かを雇ったんでなければ犯人がどこかで靴を購入して、捨てているはずですから、こちらで調べます。いい物証になるはずです。雇ったにしても、こちらのツテで」
「ちょっと……」
ミノリが扇の服の裾を引っ張っていた。
「またやるの?」
何を、かは言えない。巻風刑事の前だ。
「もう限界限界限界限界限界限界無理無理無理無理無理無理……はぁ。何これ……三人いるはずだけど、三人目が見えない。靴をどこで買ったかも……ああああ後は予想通り! また……あの女の子? 捨ててあるのは田んぼ! 後で地図書くから!」
「――こっちに気付いてるのか? はい。トイレ行ってらっしゃい」
「それもわからない!」
「……うん。いいから」
謎の女の子? 何故動いた? まさか、ここが盗聴されている?
扇は事務所と自宅を調べ回る、と決めた。
捨てた靴の調査はミノリに任せて――魅美を使うかもしれない――事務所から家の中から――とにかく広い。調査は簡単ではない――調べて回る。
殆どの部屋が使っていない。十二部屋。
庭も含めればそれなりの価値だろうが、売るという考えはない。
「何してるのかと思えば! ビクビクしすぎでしょ」
アンテナを天井に翳している時だった。
ミノリが戻って来ていた。ビシッと指差されていた。
「時々やらないと。大掃除みたいなもんだと思って」
電波源は勝手に探す仕組みは作ってある。それでも出し抜かれていないとは言えない。
「あの見えない子が怖いの? あたしがこの街最強だからね」
「……控えめに言ってもミノリの親父さんじゃないかな? 最強は」
深くは追いかけていないが、裏にも表にも通じているらしい。
「扇のそういう姿は見たくない」
「……ミノリさんが活躍できるようにしてるんです。秘密を知られたくはないでしょう? 見られたくもないでしょう?」
「そりゃ……まぁ」
ミノリが赤面していた。
「事件だけに集中してくださいね」
「ここに何かあるかどうか、私が調べればいいじゃない」
「――靴を買ったのが誰かわからない。同じように「あの見えない子」が関与しているかもしれない。ここは能力なしで物理的に潰しますよ」
三日。電気的電子的に掃除して回った。知恵も体力も使い果たした。
結論は、何もない、だ。
「……体調悪くするとか、やっぱり止めとけば良かったじゃない」
布団の傍で、ミノリがタオルを絞っていた。微熱がある。
「営業が止まってすいません」
「……土日くらい休んだら?」
「平日来れる人の方が珍しいですよ」
「依頼主は巻風刑事だけでいいじゃない?」
冷えたタオルが、扇の額に載せられる。
風邪ではなさそうだった。
「付きっ切りじゃなくていいです。食事は……万が一伝染るようなものだと困りますね。レトルトで我慢して貰えますか」
「全然問題なし」
「そういえば、靴は?」
「だいたいこのへん、って魅美に言ったら、掘り返す勢いで調べてくれたの。何もしてないようなもんよ」
看病疲れ、というわけではないだろうが、ミノリも扇の傍で眠っていた。
「気疲れはあるんだろうな」
ミノリでも太刀打ちできない謎。ミノリが戸惑っているのは間違いない。
「……違う。とにかく寝かせて」
「起きてましたか。おやすみなさい。ミノリさん」




