「第一章」「日菜乃(ひなの)と叶恋(かれん)」
長い桜並木の上り坂。
私立垣沢高等学校への登校コースの最後の難関だった。
日菜乃はハッ、ハッと息を早く繋ぎながら、自転車でこの坂を、なんとか止まらない程度の速度で登っていた。
周囲には徒歩や自転車の、同じ垣沢高等学校の生徒達で溢れていた。
毎日繰り返される登校シーン。
その中をいつものように異質なエンジン音が近寄ってくる。
日菜乃の横に並ぶ、いかついおっきいバイクがある。
「日菜乃~。おはよ~。今日もチャリはむっちゃ大変そうやな~。」
「おはよ叶恋。ま、毎日、同じこと言わないでよ・・・・。」
「どや~。今日も「アールさん」はむっちゃ調子え~で。」
そういって、日菜乃の自転車と、超低速で並走するバイクのタンクの部分をポンポンと叩いた。
「昨日洗車したんや。どや、輝いとるやろ!」
気を抜くと止まるどころか、バックしてしまいそうな自転車のペダルを必死で踏みしめる日菜乃は、軽くこの友人を睨みつけた。
「もう、早く先に行きなさいよ!」
「邪魔してえらいすまんせん~。」
フルフェイスのヘルメットで見えないが、軽く小さい舌をペロッと出したような声のトーンが返ってきた。
それを最後に、バイクは一気に加速して坂道を駆け上がり、坂の上の校門をレースのゴールラインとばかり駆け抜けていった。
バイクなどというマイナーでウルサイ乗り物に興味のある男子共が「うお、かっけー。」「しびれる~。」などという声を上げていた。
日菜乃はそんな周囲の馬鹿な男子を睨みつけた。
(私の足の方がこの坂でもう痺れてるわよっ)
日菜乃と叶恋は小学生から中学卒業まで、殆ど同じクラスという腐れ縁だ。
物心ついた頃というほど幼い頃からではないが、気がつけば何時も一緒にいた。
日菜乃はどちらかと言えば静かな目立たないタイプで、叶恋はハキハキ強気なリーダー的な女子だった。
叶恋のおばあさんが大阪出身で、その日常会話のせいか、こちらに引っ越してきて10年以上になるのに、今だに叶恋はバリバリの関西弁だった。
その方言がさらに彼女をチャッカリしたタイプのイメージにしているのだろうと思う。
運動や体を動かすことが大好きで、いつも日焼けしている感じだ。
髪型もショートの叶恋に、地味なロングめの日菜乃。
見た目からして性格のわかりやすい二人だった。
ここまでの人生。学校という狭い空間に押し込まれた日菜乃と叶恋は、何度かは人間関係のトラブルも起こしてきたが、殆どを蹴散らすように解決してきたのは叶恋の方だ。
どちらかと言えば日陰なタイプの日菜乃が、ここまでの人生でいじめや孤立で苦しむことがなかったのは、叶恋の友達である、という立場が相当に大きなプロテクターになっていたことは、日菜乃も自覚はしていた。
その叶恋は・・・・・
大のバイクオタクだった・・・・・・・・・・・・・・
それはもう産まれたときから先天性の病気のようだった。
この頃の日菜乃にとって・・・・
バイクとは。
「うるさくて、重そうで、叶恋が小さい頃から死ぬほど乗りたがっていた乗り物。」
バイクの値段は。
「叶恋が中学からずっとバイトしてなんとか買えるくらい。」
バイクの重さは。
「叶恋が涼しい顔をしながら、汗だくでなんとか起こせるくらい。」
バイクの見た目は。
「「アールさん」は叶恋が乗るとかっこいいかも。」
バイクへの興味は。
「叶恋が大切に乗る乗り物ってだけ。」
他の人が乗ってるバイクについて。
「邪魔で五月蝿くて集団で暴走する乗り物。」
日菜乃にとって「バイク」は「叶恋」であった。
それ以上でもそれ以下でもない。
「よ~えらい遅かったな~。」
なんとか頂上の駐輪場までたどり着いた日菜乃に、「アールさん」の横にしゃがみこんで車体をフキフキしている叶恋が、こちらに視線すら向けることもなく言った。
「自転車は、本気であの坂きついんだからね!」
そう言って日菜乃は「アールさん」の横に自転車を止めて、荷物を腕にかけた。
彼女のバイクをちら見したが、本当に綺麗でよく掃除されている。
けして傷がない、とか、新品のようだ。というわけではない。
ただ、本当によく手入れされるという使用美の輝きは放っていた。
「そんなに磨いてばかりいると、アールさん、塗装落ちちゃうんじゃない?」
「うがっ、そんな恐ろしいことを!!こ・・・このくらいにしとくか。授業始まるし。」
叶恋はちょっと焦ったように、タオルをバックに収めた。
叶恋をバイクのことでからかうのが日菜乃にとっては、最大の楽しみだ。
ただでさえ、ころころと変わりやすくわかりやすい叶恋が、バイクのことでイジると本当に楽しい表情を見せてくれる。
この点に関しては、叶恋のバイク好きも悪くない。と日菜乃は思っていた。
「よし、ほな行って来るで。アールさん。」
「またね。アールちゃん。」
二人はバイクにそう言うと、校舎の方へ向かってあるき始めた。
「何がアールちゃんや。あいつはアールさんや。なんべんもいったやろ。」
「どっちでもいいじゃん。」
「よくないわ。」
バイクのテールから二人の姿はやがて遠のいて見えなくなった。